最近なんだか妙に落ち着かない。なんだろう、意味もなく心がざわざわしている。
「う〜ん……!」
ベットの上で伸びをすると辺りをキョロキョロと見渡す。特に変わったものは何も無いと分かっているのに。次に天井を見つめてみる。勿論何もない。
「はあ……」
気持ちが晴れず、ため息が漏れる。意味もなく寝返りを打つ。
『走ってるとさ、気持ちがスッキリしてくるんだよね。そういうモヤモヤとかも走ってる内に追い抜いていっちゃうのかもね!』
前に長良さんが言っていた言葉がふと頭に思い浮かぶ。少しだけ考えた後、私はベッドから降りて部屋を出た。
「うおわああああああああ!?!?」
それから少しして、浦風ちゃんの叫び声が聞こえてくる。
「阿賀野さんが……走っとる……! 1人で……! 自主的に……! 誰に言われるまでもなく……走っとる……!」
信じられないものを見たと言わんばかりに私のことを指差してわなわなと震える浦風ちゃん。
「こりゃ明日鎮守府爆発するんじゃないけぇ?」
口元に手を当ててそんなことを呟く浦風ちゃん。ただ自主的にランニングをしているだけでここまで言われるなんて思わなかったと同時に、普段自分がどう見られているのかが少し分かってしまった。あまり私にとって気持ちのいい見られ方じゃなかったみたい。できれば知りたくなかった。
前に長良さんが言ってたことを思い出してやってみたんだけどなー……。全く効果が無かったて訳じゃないけど完全にすっきりした訳じゃないしこんな反応されちゃうとなるとう〜ん……。他のやり方も考えてみた方がいいかな……。
「阿賀野ちゃん話聞いてる?」
「え?」
那珂ちゃんの呼びかけにハッとして視線を戻す。どうしよう……全然聞いてなかった……。
「え〜と……ごめん……なんの話だっけ……?」
「……間宮さんの券貰ったから一緒に行こうって……」
「あ……ああ、そうだったねごめん! 早く行こう〜」
「……そっちはトイレだけど……」
「え!? ……あ!?」
那珂ちゃんに指摘されて改めて確認すると視線の先にはトイレがあった。
「……大丈夫? なんか阿賀野ちゃんボーっとしてない?」
「大丈夫大丈夫! ちょっと気合入れてランニングしたから疲れてるのかも……」
「あ~……また矢矧ちゃんに言われたの?」
「いや、自分でちょっとやろうかなって……」
「自分で!?」
那珂ちゃんが驚愕して顎に手を当て、考えるような姿勢になる。那珂ちゃんにもこんな反応されるとは……。普段の私って一体……。
「どうする阿賀野ちゃん? もう一つ頼む?」
間宮さんで食事中に那珂ちゃんがそう私に聞いてくる。
「う~ん……もういいかな」
「……え?」
「今日はもうお腹いっぱいだし、これ以上は良いかな――」
そこまで言ったところで目の前の那珂ちゃんが信じられないものを見たと言わんばかりに目を見開いていた。
「……体調悪いの?」
「……いや、体調は普通だけど……ごく普通……」
「自己判断はよくないよ? 一回診てもらった方がいいんじゃない?」
私が体調不良だということを微塵も疑っていない凄く真面目な顔と声色でそう言い放つ那珂ちゃん。
「阿賀野……そんなに食べると思われてるの?」
「え!? 自覚無かったの!?」
心の底から驚いていないと出ない声で叫ぶ那珂ちゃん。普段の私って一体……。
那珂ちゃんと別れて部屋へ戻ったけどモヤモヤは完全に消えていなかった。それどころか、1人でいると小さくなったモヤモヤがまた大きくなってくる。
「あ〜……」
意味のない言葉が口から漏れる。結局振り出しに戻ってしまった。
「とう!」
意味もなく飛び蹴りとかしてみる。
「いた!?」
着地に失敗して床に転げ落ちた衝撃で大きな音を立ててしまう。
「阿賀野姉……何してるの……」
「あ、矢矧……」
部屋のドアを開けて半身ほど乗り出した矢矧が呆れたような表情でひっくり返った私にそう言い放つ。
「いやちょっと……なんか最近落ち着かなくて……」
「だったらもっと訓練とか演習とか気合い入れてやったら?」
「ははは〜……それはまあ……それなりに……」
「……しっかりしてよね。長良さんが居ない間は阿賀野姉が十戦隊を預かるんだから!」
「ははは……」
矢矧の叱責に苦笑で返す。そう、今長良さんは鎮守府に居ない。
自分ももうボロボロなのに空母を魚雷から庇った上に、当たりどころが悪かったせいで入渠してもダメージを回復仕切れず艤装が使えなくなってしまったらしい。
本人は『機動部隊の護衛が十戦隊だから』なんて、ミイラみたいに包帯グルグル巻きになって笑っていたけど、復帰するには内地でリハビリの必要があって、そのリハビリもやれば必ず回復するようなものじゃないらしい。
『長良さんなら帰ってくるよ。大丈夫』長良さんの妹さん達も阿賀野の妹達も、十戦隊の駆逐艦の子達も護衛されてた空母の人達も、皆言い方は違えど概ねそんなニュアンスのことを言っていた。実際、私も最初はすぐに戻ってくると楽観的に考えていた。なにより、傷の具合を鑑みても1ヶ月あれば帰ってこれるという見立てが、向こうの鎮守府からあった。
それから3ヶ月経った今も、長良さんは帰ってきていない。あまりリハビリが上手くいってないみたいで、いつ帰れるかの目処が立っていないらしい。
「はあ……」
ため息を吐いて再び天井を見つめる。心のモヤモヤは、まだ晴れそうにない。それに少しイラッとして、私は目を閉じた。
長良さぁ〜ん……。いつまで走るんですかぁ〜……? 久しぶりで鈍ってるからまだまだやる? 私もう疲れましたよぉ〜……。え……? 手を繋ぐ……? 長良さぁ〜ん……。そこまでして私を走らせたいんですかぁ? ……分かりました。付き合いますよ……。や、やってましたよ! な、長良さんがいない間も走り込みとか……筋トレとか……ちゃんとやって……ました……。あ、ちょっ……!
「いきなり引っ張らないでくださいよ! もう!」
そう言って起き上がると、今まで見ていた景色が一変する。抜けるような青空も、頬を撫でる風も、何より、いつものように笑う長良さんが視界から忽然と姿を消し、私の目に映るのは少しだけ日が傾いた静かな自分の部屋だった。
「……夢」
寝起きでぼんやりとした頭で周囲を見渡す。当然、寝る前と何も変わらない部屋がそこにはある。
「はあ……」
ため息を吐いて私はベッドから降りると部屋を出た。
目的も無く鎮守府をブラブラと歩きながら、私は夢の内容を思い返していた。といっても細かいところはよく覚えてないけど、相変わらず長良さんの突飛な話に、引いたり、呆れたり、うんざりしたり。でも嫌な気分はしなかった。最後には笑って、手を繋いで、どこかに向かっていったところで目が覚めた。
「はあ……」
またため息を漏らしてしまう。なんだろう、起きてから気持ちが沈んでるような気がする。どうして? 長良さんの夢を見たから? 長良さんに走らされてるのが嫌だったから? 違う。それは違う。確かに長良さんの走り込みに付き合うのって大変だけど夢の中ではあんまり感じなかったっていうか。むしろいつもの長良さんの姿に安心してたような気がする。でもそれは夢の話であって現実の長良さんは鎮守府にいなくて、それがなんだか肩透かしな感じがして……あれ?
「ひょっとして私……がっかりしてる……? 長良さんがいなくて……」
口に出した「がっかり」という言葉によってさっきまで探っていた、何故気持ちが沈んでるいのかがストンと腹落ちした。パズルのピースがピタリとハマるように、これ以上ないくらいその言葉がしっくりきた。そっか……私……長良さんがいないと……。
「痛っ、ごめんなさい!」
突如襲ってきた人とぶつかった感覚に、誰なのか確認することもなく咄嗟に謝罪の言葉を口にする。
「こっちこそ悪かったわね……。少し考えごとしてて……」
応えてくれたのは五十鈴さんだった。どうやら彼女も考えごとをしていたらしく、私に謝るとぶつかった拍子に落とした書類を拾い集め始める。その書類のある一文に、私の目が止まった。
「長良さんのこですか? それ」
「ええそうよ。あいつ今リハビリ中でしょ? そのことでちょっとあってね……提督に呼び出されてたのよ……」
眉を下げどこか悲しげな表情で、微妙に濁した言い回しをする五十鈴さん。書類の内容は殆ど読めなかったけど、彼女のその仕草でどんなものなのか何となく分かってしまった。
「長良さん……何かあったんですか……?」
私の言葉に五十鈴さんは俯き、少し間を置いて顔を上げる。
「まあ……阿賀野は長良と同じ十戦隊だし……早めに知っておいた方がいいわよね……」
その言葉に心臓がドキリと跳ねる。多分……いや、間違いなく悪い知らせであるということが直感的に分かってしまった。緊張で身体をこわばらつつ、私は五十鈴さんの次の言葉を待った……。
『長良さんはもう鎮守府に戻ってこれないかもしれない』
これが五十鈴さんから話されたことの概要だった。曰く、長良さんの傷は思ったより深いらしく、リハビリしても艤装とリンクが全くできていないらしい。もしこのまま回復しなければ長良さんは当然、戦うことができない。だから鎮守府に戻ることもできない。もう2度と、艦娘として一瞬にいることができない。その可能性も、考えて置いて欲しい……と。心臓がキュッと締め付けられるような感覚がした。呼吸が浅く、早くなって、気づいたら私は、鎮守府を出ていた。