暗殺者黒猫 作:ねこみみすき
序話[事変]
父が母を殺した。
家の中にて父が母を呼び、ごく自然に魔具でひと突き。簡単に母は倒れ、そのまま動かない。ぬいぐるみと遊んでいた六歳の黒猫の目の前で起こるには、あまりにも酷な事であった。
黒猫には、戦争の映像記録をモニターを通して見るように、現実味のない光景に見えた。前々から様子のおかしかった父が遂に狂ったのだと、呆然と子供心に思う。
そして、次に父が見たのは黒猫であった。
その目線に因って恐怖が、逃げなければという衝動と強い危機感が漸く全身に巡った。これは劇でも夢でも遠くの出来事でもない、至近距離で起こった現実の出来事なのだと。
……只々、本能に突き動かされ、黒猫は必死に二本しかない足を懸命に動かした。
よくは分からない。黒猫の家族で、黒猫の大切な父親であるはずだ。それでも、逃げなければならない。逃げるならば外だ。しかし、玄関に向かうまでに父が居る。黒猫の側に、人の出入りのできる窓はない。父の横を俊敏に通り抜けようとするも、父はそれをよしとせず、横を抜けようとする前に魔法で瞬間、障壁を張り、道を塞いだ。
——抜けられない!
飛び退いて元の位置に戻る。どうも最初からこの地点は袋小路であったわけだ。
「捕らえなくてはならんのだ」
父の狂気を孕んでいるのだろう声音に乗せられた言葉に黒猫は、何に向かって言っているのか、何故捕らえなければならないのか、捕らえようとするのか、どうしてこのようなことをしたのか、そんな切なる思いなのか疑問か分からない何かが頭を巡る。情報の不足した言葉だ。だが、父にはもう正気が無いのだと確信した。
一刻も早く逃げなければならないというのに、状況は膠着している。
「行かせぬ」
どうにか逃げようと少し動いた瞬間に、母の命を絶った、ナイフよりは長いその細長い魔具を黒猫に振るう父。黒猫は小柄さとそれ故の俊敏さを目一杯活かし、それを避ける。遠距離魔法は放たれないことに安心ともいえない安心をしつつ、玄関に近付けないことに強い危機感を改めて抱く。逃げられないと。
父は玄関を塞ぐように、黒猫を逃さぬように陣取った。動ける範囲に逃げ場のないこの空間で、黒猫は逃げる方法を探さなければならない。
再び状況は膠着する。母の屍を見てしまえば、交渉の余地が既に無いのは明白だった。父はもう後戻りができないのだし、正気がないのだから。
——こうなったら、壊して逃げるしか……ない。
しかし、幼くとも、黒猫は魔法の天才で、その技術と智能があった。牽制で動く。再び、目論見通りに父が障壁を再び張り、逃げられないようにする。
——今しかない。
障壁を張るので手一杯なところに、黒猫は爆裂魔法を自身の後ろの壁に仕掛けて——爆発させた。
強力なそれは家中のあらゆるものを吹き飛ばして、壁に大穴を開ける。日のとっくに落ちた涼しい外と家の中が無残にも繫がってしまった。
振り返ると——父は吹き飛ばされて、ひどい負傷を負っていた。血と瓦礫にまみれ、魔具を持っていたはずの右手は明らかに存在していない。
——とにかく今は、離れないと。
しかし、悠長にはしていられない。黒猫はとっさに、側に落ちていたお金とぬいぐるみを持って、壁の大穴から光の無い道へ駆けていった。
こうして黒猫は孤児となった。