ただの雑談
真夏の夜の夢
「そもそもなんで君たちがあれらを古則って呼ぶのか、理解に苦しむよ。『……できるのか』『……であるか』が並ぶあれらは問い。決して則と呼べるものじゃないんじゃないかな。だから七つの古則なんていうのは正しい選択ではないと思う」
「……では、反語であると解釈してはどうだろうか。つまり、全ての問いの解は否であると。それならば古則と呼べるのではないだろうか」
「確かに、それならそう呼べると思うよ。となると論点は全ての問いの解は否なのかだね。どれか一つでも是であればその解釈は成り立たない。そして私は『非有の真実は真実であるか』の解は是だと考えてるよ」
「根拠を説明してくれ」
「そもそも『非有』とはどういう意味だと思う?素直に考えれば、有るの打ち消し。つまり存在しないってことだね。そして、問題になるのはどのような視点からした『非有の真実』なのか、じゃないかな」
「なるほど、例えば私からすれば君の今朝の朝食は非有の真実なわけか。そして君からすれば有の真実だと」
「……まあ確認しようがないって意味ではそんな感じかな。君の現象界という世界において、確かにそれは非有の真実だよ」
「つまり誰かの主観、現象界からした『非有の真実』は容易に真実になるというわけか。しかし、それは考えるまでもなく自明だ。つまり――」
「そう、客観だよ。だから、今までの議論から補足すると『この世界から見た非有の真実は真実であるか、いやない』がこの第六の古則になるね。そして、私は一つ、凄くこれに良く似た議論を知ってるんだ。虚数だよ」
「『存在しない数は数であるか』か。なるほど確かに似ているね。しかし、数という概念を存在する存在しないと考えるのはナンセンスだ。私達は数を見たことがないからね」
「確かに、存在するしないという考えそのものが不毛だからこそ虚しい数、なるほど名訳だね。けれど、数は存在しなくても数という概念は存在している。そして物理法則、いわばこの世の真理に登場するんだよ。この世界から見て、物理法則というのは従わざるを得ない概念で、そこには虚数だって含まれる。……いや少し飛躍しすぎたかもしれない。ごめんね」
「いやいや、君の考えは充分に伝わった。私も後で考え直してみることにするよ。参考になる話だった」
「そう言ってもらえると嬉しいな。じゃあ今度はセイアちゃんに語ってもらおうかな」
「承知した。しかし、その呼び方は何とかならないだろうか。その、なんというか……こう、虫唾が走るんだ」
「ひぃん」
「それでは、第二の古則について。ファウストは結局真の生命をつかむことはできなかった、悪魔と契約して、あらゆる体験をしたとしても。結局彼が得たのは彼自身の感性と悟性に基づいた理性によるものでしかないからね。つまり『理解できないものを通じて、私たちは理解を得ることができるのか』の解は否となる。そもそもあらゆる手段を用いたとしても何かを理解することが可能だと考えるのは理性の過信だ」
「それは解釈が違うんじゃないかな。ここで云う理解はそんな哲学的な言葉じゃないと思うよ。例えば、三角形の面積の公式が何故、底辺×高さ×1/2なのか理解してる?って聞いたら答えは勿論是、でしょ。『理解できないものを通して』という文言は暗に理解できるものを通せば理解できるという前提があると思うんだ。だから『理解』したと認識すること、がここでいう理解じゃないかな。理性は暴走してなんぼだからね」
「なるほど、文字通り古い時代の則だ。当時の哲学では『理解』という言葉は現代に比べ、随分と軽く扱われていたのかもしれないね。しかし、それなら我々は赤子の頃は何も理解していないが、今になっては多くを理解している。つまり、最初に何かを理解した時、確実に理解できないものを通して何かを理解したことになる。こんな容易に求められるものを、態々古則にするだろうか」
「いやいや、赤ちゃんってのは意外と色んなことを理解してるよ。酸素を求めて呼吸をするし、お腹が空いたらおっぱいを求めるし、眠気がきたらちゃんと眠る、私たちよりよほど自分のアレテーを弁えてるんじゃないかな」
「赤子は泣くのが仕事とはよく言ったものだね。何か不都合があれば泣かなければならない。それをしっかりと理解しているようだ。確かにそれを元に、沢山のことを理解していくと考えることもできるね」
「でしょ。だから理解できるものだけを通してあらゆることを理解している可能性と、理解できないものを通しても何かを理解している可能性があるわけだね」
「なるほど……。すまないがそろそろ起きなければならないようだ。また」
「またね」
メタ的にいうと原作でいう『非有の真実』とはユメ先輩が手帳に記したもの。つまり、あらゆる知性の現象界から失われた真実。
ふざけてはいたものの、水着下着問題のくだりでハナコは『確認できない真実ほど無力なものはない』と発言していた。アズサ曰く『五つ目のあれ』だが、どちらかと言うと第六の古則を意識しているからこその言い回しに感じる。
なぜなら、確認できない真実はあらゆる知性の現象界から失われた真実と言い換えられるからだ。つまり『確認できない真実は真実であるか』という解釈が自然。
こじつけくさいが、これが前提にあるとすれば。
“事実は分からないかもしれない。でも真実はそこにある。”
という発言はごくごく自然なものと思える。
地下生活者の言う非有の真実は哲学的に自然な解釈。非有の真実=虚構(フィクション)という解釈ではないだろうか。ただの物理現象をヒトが死と定義した。言葉でものをあらしめただけの虚構……みたいな。
まあ、人の考えてることなんて分かんないけど、地下生活者は多分あんま難しいことは考えられないと思うからこれくらい浅く、厨二チックに考えてそう。