ホシノの家の2階、殆ど物のない部屋。そこで私は過ごしている。
監禁生活といっても別に拘束されているわけでもないし、部屋から出られないというわけでもない。ただ、この家からあまり離れることはできない。
変わり映えしない砂だらけの景色が続くアビドスで、コンパスもスマホをなしに出ていけばどうなるか、結果は見てきたように分かる。
しかも私はキヴォトス基準では体が弱いのでチンピラにエンカウントでもすれば法外の心付けをふっかけられることだろう。
というわけで、ホシノは何ら対策をせずに、今日もプチプチと害虫駆除に勤しんでいる。まぁ、逃げ出そうと思えばできなくはないと思うがメリットは全然ないし。
私はというと、スマホなどの通信機器は全部ホシノに回収されているため、できることは殆どない。つまり暇である。
ホシノに用意してもらった紙とペンがあるので、せめてもの暇つぶしにお絵かきと円周率の計算、筋トレに励む毎日である、バニバニ。
というのが
実際は日々脳内でホシノのことを考え続けている。おはようからおやすみまでホシノと共にある生活、インスピレーションが次から次へと湧くのだ。
なにせ、失敗したら替えの利かない小鳥遊ホシノという素材を扱うのだ。どれだけ策を練っても充分なんてことはない。数カ月もない時間の中で最善でなくとも、少しでもいい道へとホシノを歩ませる努力を怠ることは私が許さない。
こなせる/こなさなくてはならないイベントとこなせない/こなさなくてもいいイベントの取捨選択だけでも慎重にならなければならない。
例えば、今水着で宝探しなんて提案すればミャンマー人も真っ青な暴行を受けるだろう。想像するだけで震えが止まらない。
その手の好感度稼ぎ系のイベントは別に必ずしもってわけではない。
逆に必要なのはホシノが私に寄りかかること。
そしてホシノのせい――少なくともホシノはそう思う――で私が死ぬこと。
最後にその遺体を最初に見つけるのがホシノであること。
それだけでいい。もう原作をなぞることは不可能なのだ。原作通りに進めようとしても綻びが生じるだけだろう。
もちろん原作を無視するわけではない。例えばホシノの好みは本来の梔子ユメがドストライクだと思うので、ビジュアルや言葉遣いはかなり再現しているつもりだし、性格もなんとかそれっぽく見えるように頑張っている。
今日もホシノは帰ってきてくれるだろうか。ロリコンの悪い大人に誘拐されていないだろうか。
――私の世話が面倒くさくなって捨てられないだろうか。
そんなことはないと分かっていても不安で堪らない。きっとこの暑さと空腹感のせいだ。