ひねくれ元・防御術士はなにもしたくないのに 作:oomaguro
閉塞性ショック、という言葉がある。
強い外圧で胸郭が圧迫された結果、大血管が圧し潰され、血流が回らなくなって、血圧が下がる現象だ。
重たいものに身体が潰されるとよく起こるこの状態では、しばしば口や鼻がふさがっていなくても呼吸困難に陥る。
すなわち、高重量で胸を固定された結果、肺が全く膨らまないことで、息が吸えなくなってしまうのだ。
まがりなりにもA級同士のイレイナとわたしの喧嘩の決まり手は、物理的圧迫という身も蓋もないものだった。
必死に息を吸おうとしてみるけれど、なけなしの酸素をさらに消費するだけだ。
きつい、苦しい。目が霞む。
「ミーシャ、ずっと、探してた。んだよ」
手足が痺れる。
音が、視界が、無に塗りつぶされる。
「寝てる間に居なくなって……。すごく、悲しかった」
なにか、言っているけど、無理だ。何も耳に入って来ない。
酸素がもうないのか、視界がブラックアウトしかけて、意識が遠のく。全身から冷や汗が噴き出す。
「だけどもう、放さない。どこか一緒に、遠くに行って、二人で静かに暮らそう?パーティもやめる。魔王も、ダンジョンも、もういい。キラザさんにも、話はつけるから」
変な耳鳴りがする。だめだ、視界が。イレイナがしゃべり続けているけれど、もはや脳内で意味を成さなかった。だめだ、耐えないと。このまま気絶してしまったら、二度と戻ってこれない予感がある。
だけど、苦しくて、一刻も早く意識を手放たくて。
…………。ごめん、だめかも。
「だから、こんな拘束くらい、かんたんに抜けて見せて?あなたにならできるはず。だよね?ねぇ、聞いてる?」
あ。もう、---------------------。
「……、もう聞こえてない、ね。残念」
唐突に。
触手の拘束が解ける。
同時に身体が地面に放り出されて、肺に空気が流れ込み、意識が覚醒した。
「っ!!げほっ!ぐ、ぇあああぁぁっ!?」
同時に激しくせき込む。
お腹の奥から酸性の液体がせり上がって、生理的な涙がぼろぼろと溢れた。
「はっ、はっ、はぁっ……!!」
敵の前ということも忘れて、よつんばいのまま必死に酸素を取り込むわたしに、イレイナの言葉が降ってくる。
「……貴方は、ミーシャじゃ、ない。だってあの子なら、使えるのは『青色』だけじゃない。他のいろんな色の術式を組み合わせて、今のくらいなら簡単に抜けられた。あの子のアイディアに、いつもわたしたちはびっくりしていた」
「っは、はっ……!」
「今もそう。白色術式のヒールはどうしたの?吐き気止めの術式は?鎮静は?魔王領で瀕死になったわたしに、夜通しかけてくれた。よね」
「……はっ、ぐ、はぁっ、はぁっ、うぇぇ……!」
無防備に呼吸を整えるわたしの頭上に、イレイナの手がかざされる。何かの魔術が発動する。『魔力紋探知』。
「……。ん、やっぱり。魔力紋も全然違う。青以外の色は使わないんじゃなくて、使えないだけだったんだね。顔も声も似てるけど、ほんとうにそれだけ。あなた。いったい誰?」
悶えながらも、言葉だけが妙に鮮明に聞こえた。
冷たい声が。
心の底から、失望したような声が。
容赦なく、脳に突き刺さる。
「乱暴して、ごめんね。興奮してやりすぎちゃった。
あなたは、違う。才能も、能力も、魔術紋も」
だめだ、聞いちゃだめだ。と。
脳の奥で、誰かが警鐘を鳴らす。
「あなたは。いらない。さようなら」
呼吸が止まった。
あんなに苦しかったのに。
気配が遠ざかっていく。
必死に視線を上げると、ドレスの女が背を向けて、どこかに去ろうとしてる。
キリエとの集合時間まで、マイナス2秒。イベントクエスト終了まで、あと1分34秒から33秒の間だった。
「-----------------ミーシャちゃん。どうしたい?」
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「ミーシャちゃん、どうしたい?」
気が付いたら、キリエが肩を抱いていた。
空間移動で予定通りわたしを回収しに来たんだろう。ということは、キリエは首尾よく宝玉を手に入れたことになる。
せめて顔を見られないようにうつむいたまま、なるべくいつも通りに口を動かす。
「……どうって、作戦どおりだろ。『小宇宙』は手に入れたんだよな?よくやった、逃げ---------」
言葉は最後まで続かない。
台詞の途中でキリエが両肩をがっしと掴んで、大きな瞳でまっすぐのぞき込んでくる。やめろ見るな。酷い顔だぞ。
「ぶっぶー、却下でーす!ミーシャちゃん、あと1分くらいしかないの。わかる?」
「…………、逃げ、」
「ミーシャちゃーん?おこるよ?」
「えぇ……」
客観的に見て、わたしたちの作戦はすべてうまくいっていた。今のイレイナ戦ですら、結果だけ見れば成功だ。なぜって、『小宇宙』を確保しに行ったキリエと怪物イレイナの遭遇を阻止し、終わってみれば勝ち逃げ確定の秒数まで、失格にならずに生きているんだから。
冷静なわたしなら、迷わず逃走する。
そして、イベント終了まで瞬間移動を繰り返すキリエに掴まりつつ、キラザに向かって舌を出していただろう。
これでいい。これでいい、はずなんだ。だけど、それでも。
目のまえの少女が、無意味に形のいい眉をきりりと寄せて、笑っちゃうくらいに自信満々な顔で、こんなにもまっすぐに見つめてくるから。
だから。
「………………悔しいよ……!」
「うん、わかった!」
キリエが太陽みたいに力強く応えて、立ち上がる。
あぁ、作戦ミスだ。これは酷い。
だけど、それが本当に。心の底から。
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キリエが自分の身体の調子を確かめるかのように、とーん、とーんとその場で軽くジャンプする。
二度、三度と跳んで、軽い音を立てて地面に降り立ってから、
「すみませーん!そこのドレスのお姉さーん!!」
なんて、快活な声で、そう呼びかけた。
「……?わたし?」
イレイナが不思議そうな顔で振り返る。
「はいっ!おはなしするのは初めてですね!!イレイナさん、ですよね!【キラザのパーティ】の!」
「……?わからないけど、どこかで、会った?」
キリエはそれには答えず、ただにっこり、と人懐っこい笑みを浮かべて、
ふっ、と、なんの前触れもなくその姿がかき消える。
すごい、今まで見てきたキリエの瞬間移動の中で一番スムーズだ。
はじめからそういう術式とわかっていなければ、本当に消えたように見えるかもしれない。
「え?」
事実、一瞬。
一瞬だけ、怪物の反応が遅れる。
だが、瞬間移動相手にはその一瞬が致命傷だ。
イレイナがわずかに傾げた首が倒し切られるより早く、滅茶苦茶拳を振りかぶった状態のキリエがイレイナの正面に出現し、
「うちの子に何してんじゃこらぁーー!!!!」
嘘みたいな掛け声とともに、その鼻っ面に右ストレートをぶち込んだ。
身体強化術式を十分に積んだキリエの全力パンチだ。イレイナといえど、さすがに声も無く吹き飛ぶ。
すごい、人間がきりもみ回転してるところ初めて見た。
派手な音を立てて数回地面をバウンドしたイレイナが、広場の花壇に突っ込んでようやく動きを止める。
「へっへん!見たかぁ!」
ぽっかーんと口を開け散らかすだけのわたしを横目に、その場で憤懣やるかたないと言った感じで肩をいからせるキリエ。
数秒遅れて、花壇の中から真っ黒な魔力が噴水みたいに溢れ出る。
花壇の生け垣からイレイナ(木属性)がずぼりと顔を出し、立ち上がる。
立ち上がって、よろけた。
「うわ、効いてる!?」
驚いた。本気モードのイレイナは、その纏う魔力が濃すぎるせいで、物理攻撃は基本通らないはずなのに。そういえばキリエの攻撃、森の死霊にも効いてたっけ。なんなんだ。
が、イレイナも伊達にAランク冒険者をやっていない。殴られた顔面を片手で抑えたまま、キリエに震える手を伸ばす。なにか呪文がつぶやかれ、ほぼ同時に、漆黒の枝が高速で飛来する!
わたしの青色術式を蒸発させた黒い屈曲光線だ。精々参加証の防御くらいしかないキリエが触れるのはまずい。
が、キリエはそれを避けようとすらしなかった。
一瞬遅れて、私にもその意図が伝わる。黒い枝の先端がキリエの鼻先まで届いたところで、
それはもう長閑な音楽が、町内放送に乗って、わたしたちの雰囲気をぶち壊した。
…………。
これはたしか、この街の5時のサイレン。すなわち、イベントの制限時間を知らせる合図だ。
「はい、終了!イベント終了でーす!!!イレイナさん、キリエさん、双方納めてくださいっ!!」
「あ、チハルさん!はい、お疲れさまでしたっ!イレイナさん、次はちゃんとやりましょうね!!」
「………………、あ、」
遅れてなにやらイレイナがばっと懐に手を当てて、顔色を変える。
あれだ。家の鍵無くした人みたいな動きだ。
滅茶苦茶焦っているらしい、それでも黒の枝はキリエの眼前2センチでびたりと停止している。律儀か。
「っ、あ、あの、それだけはだめ、返し-----------」
なにか言いかけたイレイナを無視して、キリエがこっちに駆けてくる。
「どうだった!?ミーシャちゃん!!」
私の前で急停止すると、えっへんとばかりに胸を張って、それはもう鼻高々に聞いてくる。
あぁもう、なんてドヤ顔だよ。こっちは落ち込んでるってのに。なんというほめてオーラ。
なんというかもう、なんでもいいや。
「……っく、ふふ、あっはっは!!やるじゃん!キリエ、最高っ!!」
「へへ、よかった!」
見つめあって、それから笑う。爆笑だった。わたしは無様に負けたはずで、キリエが殴ったからってわたしの心身はずたずたのままのはずで。だけど、それでも、救われた。
キリエの背後から幽鬼のような足取りで、イレイナが近づいてくる。
「あっ、あの、他のアイテムなら全部あげるから、お金も全部、だからその杖はっ」
が、わたしがそれに反応するより先に、
「……ミーシャちゃん!逃げよっか!」
「へっ?あ、え!?」
返事を待たず、キリエがわたしを軽々と肩に担いで走り出す。わたしは米俵か何かか。
「ちょ、待、うわぁぁぁ!!速い速い速いって!!あああああああ!!!!!」
人ひとり担いだ状態でのダッシュなんてと思うかもしれないが、身体強化術式のかかった冒険者の膂力を外見だけで判断するのは危険だ。
そして、キリエはナザングル全体で見てもかなり身体強化術式が得意なほうである。
瞬間移動なんて使わなくとも、その辺の駿馬くらいには速いキリエの肩に乗せられたまま、わたしは絶叫する。
「あっはははは!!ミーシャちゃん面白いねっ!サイレンみたい!」
「なんで!?なんで笑うの!?ちょっと一回!一回止まって!というか瞬間移動でいいだろ!!!ねぇ聞いてる!?」
「まぁまぁいいじゃない。若いうちは太陽に向かって走ってこそだよ!」
「どういう観点から!?あ!というか、『小宇宙』はちゃんと手に入れたんだろうな!?」
「あぁ、あれ……うん、遠くに投げてきた!」
「投げてきた!?」
「うん!ごめんね!」
「いやまて、捨てたってことだよな!?」
「うん!でも、多分間違ってないと思う!」
驚いて思わず問いただすわたしに、キリエがよどみなく返す。
言葉を失って、金魚みたいにぱくぱくと口を動かすわたし。結局、何を言えばいいのかわからなくて、周りの景色が流線形に流れていくのをしばらくただ眺めた。
まぁ、でも。事情はよくわからんけど、
「、後悔はしてないんだな?」
「うん、してないよ。むしろ、それよりおっきいものを手に入れた、って感じ!あとでちゃんと説明するよ!」
いや、わからん。わからんけど、なんというか、こいつらしいな。
キリエがざざざ、と土ぼこりを上げて、止まる。
いつのまにか、ナザングルのギルド正門前まで来ていた。
わたしは少女の肩から降りて、埃を払ってから呼吸を整え、
「ふぅ。じゃ、いいや。なんやかんや、クリアもできたしな」
「うん。……ミーシャちゃんは、楽しかった?」
「あー……まぁ」
まっすぐのぞき込んでくるキリエに、何となく照れくさくて、目線を逸らす。
悪いところを見れば、色々ある。
イレイナには歯が立たなかったし、結局キラザのパーティともわだかまったままだ。
それでも、思う存分魔術を使って、走り回って。最後に、こいつがいてくれて。不思議と晴れやかな気分なのは、間違いない。
「気晴らしにはなった……かな」
キリエはそれを聞いて、その日一番、表情を明るくして。
「そっか、よかった!」
と、笑ったのだった。
毎日投稿予定です。
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