01_光に向かって一歩でも進もうとする限り
ウルフウッドの光線により、最後の守護者が崩れ落ちた。
それを合図にするかのように、空を染めていた朱色が薄れていく。鮮血のようだった不気味な空が、本来の青へ戻っていく。
虚妄のサンクトゥム攻略のために作られた臨時オペレータールームからは歓喜と安堵の声が上がっていた。その気持ちはよく分かる。
湧き続ける敵の尖兵たち。
立ちはだかる強力なサンクトゥムの守護者たち。
刻々と迫ってくるキヴォトス崩壊までのタイムリミット。
各々の自治区との連携、対守護者攻略チームへの指揮。
ギリギリの綱渡り、緊張に次ぐ緊張の連続だったんだ。
私も椅子の背もたれに身体を預け、緊張をほぐすように肺の奥に溜め込んでいた息を、長く、長く吐き出す。
……疲れた。脳みそがニコチンをよこせと言っている。
" ……ちょっと外の空気を吸ってくるよ "
リン達にそう声を掛け、私はシャーレのベランダへ向かう。足を動かしながら、同時にさっきまでの戦いを頭の中で反芻していた。
六つのサンクトゥムは消えた。空も戻った。でも――
(“ ……シロコもプレナパテスも、結局現れなかったな ”)
廊下を歩きながら私は考える。今回の事件は、まだ終わっていない。
虚妄のサンクトゥムを攻略したことでキヴォトス崩壊のタイムリミットは確実に伸びたのだろう。けれど、きっと、あくまで伸びただけだ。
キヴォトス崩壊という巨大な影はまだすぐそこに潜んでいる。見えないところから、こちらをじっと窺っている。
『色彩の嚮導者』がまだ残っているのだから。
そしてシロコのこともある。色彩と接触してしまったという彼女を取り戻さなければなならない。
――そういえばウルフウッドが戻ったらシロコの事で話があると言っていたな。
まだやるべきことは山積みだ。
(“ シロコ……一体どこに…… ”)
――コツリ。
その時だった。
廊下に足音が響いた。私の足音ではない。オペレーター室の誰かでもない。あの子達だったら後ろから徐々に近づいてくる音になるはずだ。でもその足音は、たった今私の近くで響いた。まるで、急に
私は足を止め、そして、その音のする方へ顔を向ける。
そこに――彼女はいた。
黒い衣服。割れた黒いヘイロー。
でもそれ以上に目を引いたのは、その瞳。
なによりも、目が黒かった。光を失った、濁った瞳。
――砂狼シロコ
“ ………… ”
時間が、止まったように感じた。ずっと気になっていた。無事でいてほしいと、何度も願っていた。なのに……
ようやく再会できた目の前の彼女は――私の知っているシロコとは、あまりにも違っていた。
その戸惑いで身体が動かない。声も出ない。
私が言葉を探している間に、シロコの方が先に口を開いた。
「……先生、ここまで来たんだ。流石だね」
その声は知っているシロコのものだった。だからこそ余計に、怖かった。
「でも、未来を変えることはできない」
静かな声で彼女は言葉を続ける。
「キヴォトスが終焉を迎えることは、決まっている」
頭が、その言葉を理解することを拒んでいる。それでも私は、どうにか声を絞り出した。
“ ――シロコ、無事だったの!? 色彩に操られてるって聞いて…… ”
「違うよ、先生」
シロコは首を横に振る。
「私は、色彩に操られてなんかない」
“ ……え? ”
何を言っている? 色彩に選ばれた。そう聞いていた。色彩に操られて、敵になったのだと。けれど、それは違うというの?
「さっきまでの紅い空、このキヴォトスを崩壊させること――」
私の知っているシロコの喋り方で、その抑揚で、言葉が続く。
彼女が自分の言葉で語っていることがわかってしまう。
「この世界を、その定められた未来へと導くこと。それは、私自身の『
――彼女の意志がそう告げる。
「色彩は、そのための手段に過ぎない……そういう意味では、私の方が色彩を利用しているのかも」
シロコはほんの少しだけ笑った。それは笑顔と呼ぶには、あまりにも寂しいものだった。
“ シロコの役割って……? ”
彼女は浮かべていた笑みを消して、再び淡々とした抑揚で答える。
「私の役割は、すべての命を『
まるで、それが当たり前のことであるかのように。
「そしてそれは、砂狼シロコが、この世界に存在した時点で確定した未来」
“ ……何を言っているの、シロコ? そんなわけ―― ”
「……そう、定められているの。その運命を変えることはできない。それが、この世界のルール」
否定。明確な、彼女の意志での、否定だった。
「……でも、私は先生を傷付けたくない」
シロコの瞳に悲しみが宿る。ほんの僅かに。けれど、確かに。
「だから、キヴォトスからいなくなって欲しい。そうすれば、先生に銃を向けなくて済む」
それは私を害することの予告。でもその声は今にも泣き出しそうに聞こえた。
だからこそ、わかることがある。
“ ――それはできないよ ”
正直、まだ彼女の言葉の内容を理解しきれてはいない。それでも、これだけは分かる。
みんなを置いていくことなんてできない。ましてや目の前のシロコを置いていくことなんて、もっとできない。
私の意思にシロコが目を伏せた。
「……やっぱり、先生なんだね。だったら、先生の最後は私が見送ってあげる」
その声は震えているように思えた。
「――最初に先生を『
最初に導いたという言葉。
その言葉を聞いて私は、ようやく気づくことができた。彼女が何を間違えているのか。いや、彼女自身が、何を間違えさせられているのか。
“ ……違うよ、シロコ ”
「……え?」
“ それは……そんな『役割』は、シロコの『本質』じゃない ”
「何を言って……」
“ シロコ ”
彼女の目を見つめて、告げる。
“
シロコが目を見開く。その表情を見た瞬間、やはりと確信した。
そうだ。やっぱり、そうだったんだ。
――『
あの時から可能性としては考えていた。けれど今の会話で確信した。
目の前にいるシロコは――この世界のシロコではない、別の世界のシロコ。
何かがあった。その何かで、そうなってしまった彼女。
それが、目の前にいるシロコなんだ。
だから、伝えなければいけない。
“ シロコ、本当に君の役割が『それ』だというのなら――私は最初にシロコに会っているはずだ。でも、そうはならなかった。……だから、運命なんて決まってないんだ。シロコの『役割』だって、決まってなんかいない。まだ、シロコには―― ”
「――だったらッ‼」
彼女の叫びが、私の言葉を叩き潰す。
「だったら、じゃあなんで……ッ!」
シロコの顔が歪む。怒りではない。憎しみでもない。もっと別のもの。
ずっと耐えていたものが、とうとう堰を切ってしまったような。
――苦痛
その二文字が、彼女の表情を説明しているように思えた。
「なん、で……ッ」
その時、廊下にアラームが鳴り響いた。けたたましい警報音が、シロコの声を塗り潰す。
通路の奥から、複数の足音が聞こえてくる。誰かがこちらへ駆け寄っている。きっとリン達だ。
「先生、問題が発生しました! 現在、キヴォトス全域でエネルギー反応が再び――ッ⁉」
リンの視線が、私の前にいるシロコを捉えた。
瞬間、リンは反射的とでもいう速度で腰のホルスターからハンドガンを抜く。
そこに躊躇は無い。その銃口はシロコを捉えていた。
複数の乾いた銃声が廊下に響く。
シロコはそれに反応していた。リンの弾丸が発射される直前、後方へ跳んでいた。
リンの弾丸はさっきまでシロコが居た壁にめり込んで終わる。
「今の発砲音、侵入者ですか⁉」
その音に反応した声がリンの後ろから届く。この声はアヤネだ。
アヤネがリンの後ろから姿を表わす。そして、固まった。
「……し、シロコ、先輩……?」
「…………ッ」
シロコは応えなかった。ただ苦虫を噛み潰したような顔をして、さらに距離を取る。
アヤネは明らかに混乱していた。無理もない。
探していた先輩が、ようやく見つかったと思ったその人が……変わり果てた姿で、目の前に現れたのだから。
シロコはその隙にとでもいうように、何もない空間に手を伸ばす。そして空間が歪み、空中に『穴』が出現した。まるで
シロコが逃げ出すようにその『穴』へと飛び込んだ。
“ 待って‼ ”
考えるより先に、身体が動いていた。
「先生⁉」
「先生、待ってください!」
後ろから制止する声が聞こえる。それでも止まれない。
私はシロコの後を追い、そのゲートへ飛び込んだ。
世界が反転する。イメージが私に流れ込んでくる。
銃を向けるシロコ。白づくめの男たち。アロナのような銀髪の女の子。
――『色彩』
それを越え目を開くと、無機質な空間が広がっていた。その景色の先に、彼女がいる。
“ シロコ!! ”
シロコに向かって、私は駆け出す。
けれどその進路に――黒い影が立ちはだかった
黒いコート。鉄の仮面。その姿を見た瞬間、喉から名前が漏れる。
“ お前は……プレナパ…… ”
最後まで言えなかった。世界が、ひしゃげた。
顔面を巨大なハンマーで殴られたような衝撃が走る。
視界が回転する。身体が吹き飛んでいた。
私は、くぐってきたゲートの方へと叩き戻されていた。
その一瞬。
吹き飛ばされる視界の端で捉えていた光景。
私が受けたのは、プレナパテスのデコピンのようだった。彼の右手がその形をしていた。
そして、吹き飛ぶ私に向けて、仮面を外し彼は何かを告げていた。その声は聞こえなかったが、しかしその口の動きを読むことはできた。
“ ――お前だけではだめなんだ ”
「――先生ッ!!」
意識が覚める。私はシャーレの廊下へ転がり出ていた。廊下に身体を叩きつけられ止まっている。
「い、いま救急箱を持ってきます!」
アヤネが慌てて駆けていく姿が視界の端に映る。
私は仰向けになったまま、しばらく天井を見ていた。
白い天井。見慣れたシャーレの廊下だ。
……帰ってきた。
そう認識した瞬間、額に激痛が走った。
“ ――ッ! ”
指先で触れる。ぬるりとした感触。血だ。どうやら額が裂けているらしい。白いコートにも赤い染みができていた。またクリーニングに出さなきゃ、なんてどうでもいい考えが浮かぶ。
「先生ッ! 大丈夫ですか⁉ 意識はありますか⁉」
リンが私の状態を確認している。その顔には、いつもの冷静さがない。
私は安心させるように少しだけ笑ってみせた。
“ ……大丈夫。ちょっと切っただけだよ、リンちゃん ”
「ちょっとって……額からかなりの血が⁉」
“ 頭は血が出やすいんだ。傷自体は大した事ないよ ”
血流を操作して止血する。それを確認してから、ゆっくりと身体を起こした。
痛い。けれど、それだけだった。立ち上がれる。意識もある。手も動く。足も動く。
――そう。私は無事だ。
デコピンですら、
その気になれば、私の顔なんてその指一つで簡単に粉々にできたはずだ。
なのに、なぜ、殺さなかった?
あの一撃は、明らかに手加減されていた。なぜだ?
“ ――お前だけではだめなんだ ”
あの言葉がなにか関係しているのか? 警告? 忠告? それとも――
“ ……お前だけではだめなんだ ”
同じ言葉を呟く。自分と同じ顔をした男の言葉を。
彼は、敵のはずだ。彼にとっても、私達は敵のはずだ。
だというのに、なぜ? なぜだ?
敵とすら思っていない? だとしても手加減する理由にはならない。
ならば私を生かしておくことに、何か別の意味があるとでもいうのか?
“ 私だけでは……何がだめなんだ? ”
考えようとする。けれど……
「先生?」
額がズキリと痛んだ。
“ ……っ、クソ ”
今はこれ以上考えられない。痛みが思考を邪魔する。それでも、あの男の言葉が頭から離れることはなかった。
――プレナパテス。色彩の嚮導者。……欺く者。
(“ ……まさか彼は、シロコがそうだったように――彼もまた、
◇ ◇ ◇
「なんで戦場に出てないおんどれが怪我しとんねん?」
“ ちょっとプレナパテスにやられちゃって ”
「はぁ⁉」
ウルフウッドの声がシャーレに響いた
「どういうことや⁉」
“ 後で話すよ。多分、君の話にも関連することだから ”
「……また厄介ごと増えたんか」
ため息。
それからウルフウッドは煙草を取り出そうとして――周りの視線に気づき、棒付きアメに切り替えそれを咥えた。
「――ほんで、今はどういう状況や?」
彼の疑問に答えるように今後の対策会議が始まった。
集まっているのは、私とウルフウッド。リン、モモカ、アユム。虚妄のサンクトゥム攻略戦でオペレーターを務めてくれていた、カヨコ、アコ、アヤネ、ハナコ、ユウカ。そして、ウルフウッドの要望で通信越しに参加しているアビドスの生徒達。
みんなの顔には疲れが浮かんでいた。無理もない、ついさっき激戦を終えたばかりなのだ。まともな休憩だって取れていない。
しかしそれでも、この会議はしなければならない。
リンが立ち上がる。
「では、まず私から」
モニターにキヴォトスの地図が映し出される。その上にいくつかの光点が浮かんでいる。場所は……レッドウィンターの氷海、廃墟化した遊園地の地下、ゲヘナのヒノム火山、トリニティのカタコンベ、だろうか?
「六つの虚妄のサンクトゥムの攻略は完了しました。空もそれに合わせ元の状態へ戻っています。しかし――未だにキヴォトス全域で、超高濃度エネルギー体が観測されています」
“ ……まだ残ってるんだ ”
「はい」
確かにまだ終わっていないと予想はしていた。ある意味予想通りではある……あるのだが……こうして事実として突きつけられるとやはり意気消沈してしまう。
リンの説明は続く。
「このままでは、再び虚妄のサンクトゥムが出現する可能性があります。しかも、前回よりも早く」
“ なんだって? ”
「今回観測されたエネルギー値が前回の観測値よりも約三十四パーセント高いのです。前回は空が紅く染まる現象が発生してから、およそ二十四時間後にサンクトゥムが出現していました。つまり今回残されている時間は――おそらく、それより短いでしょう」
皆がその事実に息を呑んだ。
「アレのおかわりがあるっちうことか。そら、しんどいな」
ウルフウッドですら眉をひそめている。
「しんどいなんてもんじゃないよ」
モモカが反論するかのようにそれに返した。その声にはいつもの気だるげさはない。真剣な声だった。それが既に状況の深刻さを語っているように見えた。
「戦闘を終えた各自治区は、今も整備中。しかも相手の尖兵がまだ残っている場所だってある。みんな、まともに休憩すら取れてないんだよ。今の段階で二回戦目なんて無理。だからーーサンクトゥムの再出現は、絶対に阻止しないと」
皆が押し黙る。それは無言の肯定だった。
皆も無理だと理解していた。
“ ……やっぱり、相手の本丸をどうにかするしかないのかな ”
少しでも気まずさを払拭するように、私は呟く。
“ さっきプレナパテスに出会った場所。そこを見つけることができれば…… ”
「出会った場所? どういうことや?」
ウルフウッドが反応を示した。やはり気になっていたらしい。私は、ついさっき起きたことを彼を含め皆に話し始めた。
シロコがシャーレに現れたこと。
彼女が作ったゲートの先でプレナパテスに出会ったこと。
そして――攻撃され、額の負傷を負ったこと。
そして補足する。
黒服からもたらされた、シロコが色彩に接触され反転しているという情報。
だが反転しているのは――『あちらの世界のシロコ』なのだということ。
「……ワイが貰った情報とも合うな」
ウルフウッドが腕を組みながら呟いた。
「ちうと、あれも本当か」
“ どういうこと、ウルフウッド? ”
「あっちのホシノのメモリーが教えてくれてな。あいつが言うにはセンセの言った通り『反転しとるのはあっちのシロコ』で、『こっちのシロコ』は敵が預かっとるっちうらしいわ」
<シロコちゃんは無事なの!?>
通信で割り込む声。それはホシノだった。
いつもの彼女らしくない切羽詰まった声だった。
ウルフウッドが少しだけため息をつき、そして落ち着かせるように答える。
「少なくとも命に別状はあらへん。それに、多分……危害も加えられたりしてへん思うで」
<なんでそんなことが言えるのさ?>
「勘やけどな。きっと――
その言葉にアビドスの生徒達は困惑しながらも、しかし彼への信頼からか静かに言葉を飲み込んでいた。
彼はその様子を確認してから続きを話す。
「あっちのホシノにお願いされとんねん。『シロコを助けてくれ』ってな」
――その言葉を聞いて。
私は、さっきのシロコを思い出していた。
あの黒い目。
光を失ったような瞳。
私は、あの目を知っている。
見覚えがあった。
あれは――過去の私だ。
私の最初の生徒、キリエが
あの時の、光の見失っていた僕と同じだ。
何もできなかった無力感と絶望。
何を信じればいいのか分からなかった。
どうすればいいのかも分からなかった。
K・K姉さん達という光と出会う前の僕だ。
あの時の私と、シロコの目が、重なった。
――きっとあのシロコには、光が必要なんだ。
“ ……相手の本丸を探す理由が、増えたね ”
ウルフウッドとホシノ達に向けて言う。
“ シロコたちも助けなきゃ ”
「まあ、そこが分からないから、どうしようもないんだけどね~」
モモカから冷静な突っ込みが入る。
はい、その通りでございます。ぐうの音も出ない。
私を含め皆が黙り込む。機器から発せられるピッピッという音がメトロノームのように無機質に響いていた。
「……モモカ」
その沈黙を破ったのは、リンだった。
「キヴォトス全域で探知されたエネルギーの流れを、検知できますか?」
「エネルギーの流れ?」
「はい」
リンが機器を操作し映し出した画面を指差す。
「最後のサンクトゥムを攻略する際、全サンクトゥムのエネルギーが一か所に集中する現象を、こちらで観測していたでしょう?」
「……あ」
モモカの顔が変わった。
「ちょっと待って」
コンソールに向かい、モモカは高速で指を走らせる。
一つ、二つ……大量の何かを示すデータが画面を埋め尽くしていく。
部屋にいる全員が、モモカの手元を見つめていた。
やがて、その指が止まる。
「……見つけたかも」
画面が切り替わる。表示されていたエネルギー反応から線が延びている。その全てが、ある一点で交わっていた。
「全部のエネルギーは、この一つの場所と繋がってる。おそらく、ここがエネルギーの出発点。――つまり、ここが虚妄のサンクトゥムを生成している中心」
「それは……どこなのですか?」
リンが尋ねる。モモカは画面を拡大しつつ、それに答えた。
「――空の遥か彼方、キヴォトスの上空――七万五千メートル」
◇ ◇ ◇
「――なるほど」
黒服はいつもの笑みを浮かべていた。
いや、実際彼の顔は半壊していてその表情は読み取れないのだが、その声は確かに嗤っていた。
「それでお二人は、私の下へ訪ねて来たわけですか」
“ 黒服は、なんだかんだこういうこと詳しいからね ”
「そんで、お前は何か知っとるんか? 知らへんのか?」
ウルフウッドが黒服を睨む。その圧力に動じる素振りも見せず、黒服は顎に手を添えた。
「キヴォトスの遥か上空にいる敵へ対抗する手段を知っているか知らないか――そう問われれば、知っていると言えますね」
相変わらずその声は嗤ったままだ。ウルフウッドの眉間に皺が寄っている。
「せやったらちゃっちゃと吐けや」
喧嘩腰の一言。相変わらず、この二人は相性が悪い。
「フフフ、では、交渉に入りましょうか」
黒服は楽しそうに答える。そして、
「この情報の対価に、あなた達は私にどのような『代償』を支払っていただけますか?」
「鉛玉でええか?」
ウルフウッドが額に青筋を浮かべながらハンドガンの銃口を黒服へと向ける。
まあ、気持ちはわかるよ。でも駄目だ。
私は彼の腕を掴んだ。そして黒服の方を向く。
“ 黒服 ”
ウルフウッドの手を止めたまま、私は言う。
“ 『代償』は私が払うよ。言い値でいい ”
「センセ!」
「クックック……なるほど、先生は既に覚悟を決めておいででしたか。ふむ……」
黒服の様子は、まるで遠足のおやつでも考えているかのようだった。そしてお気に入りのお菓子を見つけたかのような態度で私に告げる。
「では――『ゲマトリアへの加入』なんていかがでしょうか?」
「ええ加減にせえよお前」
ウルフウッドが私の手を払いのけ、黒服に再び銃口を向ける。黒服は相変わらずの態度のまま両手を上げていた。
「おお、怖い。冗談ですよ、フフフ……既にゲマトリアは解散していますしね。今回は特別に、教えて差し上げましょう」
ウルフウッドと黒服は同時に腕を下げる。そして、黒服の声色から笑みが消えた。
「ただし――その前に、一つ警告を」
黒服は半壊した顔を私に向ける。その視線の先はわからないが、確かに私の目を見ている様に感じた。
「先生の肉体は、『この方法』を使用した瞬間、取り返しのつかない被害に遭うでしょう。二度と、以前の状態に戻ることはできません。死に至ることさえ、あり得るーー」
黒服は、そこで一度言葉を切った。
私に近づき、改めて尋ねる。
「――それでも、よろしいですか?」
“ ……くどいよ、黒服。覚悟は示していたはずだよ ”
そう答える。最初に言ったじゃないか。
代償は言い値で払うと。
「……そうでしたね。失礼しました」
黒服は軽く頭を下げながら元いた距離へと離れた。そして――
「では、お教えしましょう。その『方法』は――アビドスにあります」
黒服は長い前フリを終え、情報を語り始めた。
遥か彼方の天上に鎮座する敵の要塞の名は、『アトラ・ハシースの箱船』
それは、アリスと同じ『名も無き神』の遺産。
それに対抗できる唯一の手段は、アビドスに眠り、カイザーコーポレーションが発掘していた超古代兵器――その名を『ウトナピシュティムの本船』。
そして、それを扱えるのは『シッテムの箱』の所有者……私だけだと。
「――先生」
黒服が言う。
「『ウトナピシュティムの本船』であれば対抗できるとは申し上げましたが、しかし……私は、この破滅から逃れることはできないと考えています」
その言葉は、当たり前のことを告げるように淡々としていた。
「これは、古より定まっていた事象である。それが、私の結論です。そう――砂狼シロコ。彼女がこの世界に存在した瞬間から、決定されていた結末」
決定されていた――その言葉に私は拳を握りしめる。
「時間は連続することなく、決まりきった因果を繰り返すのみ。我々を含めた全ての存在は、そうした決定論の下にある布石でしかないのです」
ふざけるな。それは誰が決めたんだ。
「……これを防ぎたいというのであれば――」
黒服は嘲笑いながら持論を述べる
「あなたは過去に戻って、彼女を殺すべきでした。クックックック……」
“ ……違うよ、黒服。少なくとも、私の考えは違う ”
我慢ならなかった。
声を上げて否定したかった。
黒服の言っていることは……あのシロコが言っていたことは、誤りだと。
“ 因果は決まってなんかいない。運命だって、役割だって、未来だって、何も決まってなんかいないんだ。まだ私達の手には――シロコの手には、白紙の切符は残されているんだよ ”
それを証明してくれた友人が、隣にいる。
私をキヴォトスに案内してくれたのは彼だった。
もしかしたら別の世界ではユウカだったのかもしれない。
ハスミだったかもしれない、チナツだったかもしれない、スズミだったかもしれない。まだ会ったことの無い誰かだったかもしれない。
シロコだったのは、たまたまなんだ。決して『決定されたこと』なんかじゃない。
黒服が再び声から嗤いを消して、言う。
「……あなたは以前、私に、己を理解できないだろうとおっしゃいましたね。――ええ、私は今もなお、あなたという存在を理解することができません」
その声には、珍しく本気の困惑が混じっていた。
「何故、この破滅を目の前にして――その未来へ、あえて突き進むのでしょうか? なぜ、あなたは歩みを止めないのですか?」
静かに、彼は問い続ける。
「今一度、お聞きします。……何故?」
私は目を閉じた。
生じた暗闇に様々な経験が映し出される。
それは僕を形作ってきたものだ。
目を開き、問いに答える。
“ ――昔、どぶ泥の底にいた僕に、白紙の切符をくれた恩師の姿を知っている。
絶望的な差を前にして、それでも折れず人理を守り続ける人たちを知っている。
何度倒れても、何度傷ついても、大切なものを守るために意固地に立ち上がり続けた男を知っている。
その人達から、僕は学んだんだ。
光に向かって一歩でも進もうとしている限り、人の魂が、真に敗北することなど断じてないんだって ”
一呼吸置く。改めて黒服と目を合わせる。
“ ――ましてや、僕は先生だ。光を見失っている生徒がいるなら、その光を見せてあげなくちゃいけない。何かに絶望して、挫折して、立ち上がれなくなってしまっているのなら――先を歩いてきたものとして、寄り添ってあげるべきなんだ ”
赤く染まった空に不安がっていた生徒達が目に浮かぶ。
そして、目から光を失っていたあのシロコの姿が目に浮かぶ。
“ それが大人の責任……いや、私の『先生』という在り方だから ”
「……それが理由だと?」
理解できない、そんな感情が黒服からありありと見える。
「そのために、生徒を助けに行くと? まさか、
私は頷く。
「それがどのような方法であろうとも、いかなる代償を払おうとも、ですか?」
“ そうだよ ”
即答だった。
最初からそうだと決めてここへ来た。
黒服はしばらく黙っていた。
そして、ゆっくりとウルフウッドへ視線を移す。
「……ウルフウッドさんも、ですか?」
「ワイがこんなガキと同じなワケないやろ。逃げれるんやったら逃げ出したいわ」
ウルフウッドは鼻を鳴らしながら答えた。若干、僕を忌々しそうに睨み付けながら。
――まあいつものことだけど。
「ですが――」
黒服が納得できていないように問い続ける。
「あなたも先生と共に征くのですよね? 破滅が待ち受けている未来へ。死ぬかもしれない場所へ。それでも、何故……?」
ウルフウッドは面倒臭そうにため息をつき、少々の沈黙の後に答えた。
「あっこに兄妹がおる」
短い言葉で、上に指を指しながら、
「せやったら――迎えに行かないかんやろ」
さも当たり前のように言いきった。
半壊して表情が読めないはずの黒服の顔が、困惑を深めているように見えた。
「……あなたと砂狼シロコに血縁関係はありませんが?」
「おんどれとは兄弟の定義がちゃうねん。とにかく、絶賛家出中の
「……あなたも
その言葉を受けてもウルフウッドは飄々としていた。そして黒服の言葉を掃き捨てるように言い切る。
「知るか。まあ、大方想像はつくけどな。――せやから、なおさらや」
顔を上げる。どこか少し遠くをみながら彼は言った。その眼はなにかを懐かしむように。
「――なおさら、ワイらが『おかえり』言うてやらなあかんねん」
その言葉には不思議なくらい、迷いがなかった。
黒服は黙った。しばしば沈黙が続く。
「――そう、ですか……なるほど、なるほど、なるほど……やはり、理解できません」
やはりと首を振る。しかしその声に笑みが戻っていた。
「……理解できませんが、あなた達のような不可解な人間だからこそ、見出せる可能性があるのかもしれませんね」
私の端末が鳴った。黒服から情報が届いていた。
それは『ウトナピシュティムの本船』の位置情報。
「ゲマトリアは解散してしまいましたが、ええ、私の個人的な興味として――物語の行く末を観測させていただきます――ご武運を」
ウルフウッドが踵を返す。
「ほな征くで、センセ」
“ ……そうだね ”
私も黒服に軽い会釈をしてから、ウルフウッドの後に続いた。
建物から出ると日の光が目を刺した。
敵は、遠い。あの雲よりも遠い場所にいる。
――あまりにも、遠い。
私達が踏み出した一歩なんて無いにも等しいぐらい、それは遥か彼方だ。
たとえたどり着けたとしても、待ち構えているのは絶望かもしれない。
――それでも、一歩前へ。
生徒達の未来がかかっている。
『光』を届けなければいけない生徒がいる。
だから、たった一歩でも、前へ征く。
光のある方へ。
例え希望が那由多の彼方しかなくても、歩みを止める理由にはならない。
それは僕が『先生』であるための、最後まで譲れない、たった一つの信条なのだから。
ウルフウッドの活躍ばかりだったので、先生にもカッコイイ所を見せてもらいました。
こんな決意を秘めている大人がイオリンの足ペロして卒業アルバムを闇市で買ってるなんて温度差で風邪ひくで。
あんまりこの小説で描写を描けていませんが、ウルフウッドにとって記憶が無くて空っぽだったシロコは特段気にかけている兄妹じゃないかなと。
だからシロコが例えその手を汚してしまったとしても、故郷の家族たちがウルフウッドに言ってくれたみたいに、「おかえり」って言ってやらなと思うんじゃないでしょうか。