TS異能力古市   作:ブッタ

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第45話 親心子心

 

「今回は世話になったの。宿のこともそして()()()もな」

《いえいえ、こちらこそ。諫冬にも良い気分転換になってくれたようで》

 

 携帯電話の向こう、古くからの友人の住職が嬉しそうに話す。

 

《しかし...悪魔達はどうやら派手に暴れ回ってしまっているようですね》

「全くよ、ここが魔界でないことを忘れておるのか..腹立たしいことこの上ない」

 

 ムカムカと湧いてくる苛立ちを抑えるように一刀斎は湯呑みを傾けてお茶を一口流し込む。

 

「だが、これはワシの勘じゃが...次はさらにデカく動く筈じゃ。そして恐らくベヘモットの奴も出てくるだろうよ」

《...そうですか..。早乙女君にもお願いしましたが、どうか見守ってあげてください..葵の事や紬貴の事、そして男鹿君が無理してしまわないよう》

「わかっておる。無理な戦いなどさせんよ」

 

 この旧友は人格者であるが、どうも心配症のきらいもある。仕方のないことではあるが。

 そう考えていると、電話の向こうで咳き込む音が聞こえてくる。

 

「おい大丈夫か?」

《...失礼、最近少し咳き込んでしまうことが多くて》

「無理はするなよ。季節の変わり目じゃ今日は早めに休め。切るぞ」

《あ、少々お待ちください、最後に話しておきたいことがあります》

 

 咳が落ち着いたのか息を整えると住職は話し出す。

 

《ベヘモットらとの面倒ごとに備える今ではありますが、一つ気になる話を聞きました。最近アメリカで貧困街での失踪事件と殺人事件が爆発的に増えているのです》

「...それがどうした?」

《表では単なる治安悪化による事件などで捜査が続いているようですが...気になるのがその背景に多くの退魔師達も失踪しているとのことです》

「まさか悪魔の仕業だと?」

《..どうでしょう。しかしその友人が聞いた話だと、裏の界隈のある組織が関わっているという噂です》

 

 一刀斎は湯呑みを傾けながら住職の話に耳を傾ける。

 

《"ソロモン商会"..という名前が今一人歩きしている状態だそうです》

「...なんじゃそれは?」

《詳しいことはあまり知りません...。ですが向こうの国では対悪魔の道具を流通させているとして退魔師の中では有名だと聞きました》

「..対悪魔..?」

 

 悪魔と戦える武器を売買している組織など聞いたことはない。だが、それはあくまで自分の国、日本の中での話だ。

 しかしならばその組織は寧ろ退魔師側である筈、何故失踪事件と関わりがあるという噂が立つのか。頭を捻り考えるが答えを得るには情報が足りなすぎる。

 

《最近はその名前が裏の界隈で日本でも聞くようになったそうです》

「.......」

《これはただの老耄の勘ですが..これを野放しにしてはいけない気がしています。私の方で伝手を使って調べておきますので...心の片隅にでも置いておいてください》

 

 それではと挨拶をして電話が切れる。ツー、ツー、となる携帯電話を閉じて、湯呑みを傾ける。

 熱いお茶が喉を通り腹の中から身体を温めていく。そして湯呑みから口を離し、大きく息を吐いた。

 

「..一筋縄ではいかんかもしれんな」

 

 

 

 

 

 

 姫川の所有していたマンションの半分が消し飛んだ翌日、石矢魔の街ではその話題で持ちきりだった。

 表沙汰では原因不明の大規模爆発事故として片付けられたが、それでも人の想像は止められず様々な憶測や陰謀論が飛び交うことになった。

 

 それでも世間は特に変わることは無く、いつも通りの日常が進んでいく。聖石矢魔高校でもそれは例外ではない。

 登校していく生徒達は件の爆発のことから、近くなってきた後期中間テストへの対策の愚痴など世間話に花を咲かしていた。

 

 だがしかし、ここ石矢魔特設クラスは朝から異様な雰囲気に包まれていた。

 

「......」

 

 異様な空気の根源、男鹿辰巳はただ大人しく椅子に腰を落ち着けており、机に赤子が鎮座する。

 それ自体に特別変な事はない、至っていつも通りの光景だ。それだけに彼等を取り巻く言いようもない違和感、説明できない違和感に皆戸惑っていた。

 

「....ダブ」

「喋んな」

 

 誰にも聞こえないように小さく呟かれた声。しかしそれらは()()()()()から発せられた。

 

「...いいかベル坊。お前はとにかくオレになりきれ...いつものオレのように漢らしい立ち振る舞いをするんだ...!」

「...ダ!」

「だから喋んなっつーの...!」

 

 違和感の正体、それは許容上限を超えた魔王の大晩餐会(スーパーミルクタイム)の乱用の結果起こった副作用によってベル坊と男鹿の中身が入れ替わってしまっていたのだ。

 ヒルダにとっても未知の出来事であるため対処法が分からず、最後の心当たりとして早乙女に会いにきたのだが、

 

「ちくしょう...!あのヤローなんで午後から出勤なんだ..!重役気取りかっ!」

 

 肝心の彼は未だ学校へと来ておらずお手上げ状態。そのためこうして男鹿の姿をしたベル坊を座らせて余計なトラブルを回避しようとしているのだ。

 机の上で小さくなってしまったおててをおでこに当てながら、男鹿は隣に座るヒルダを隠し見る。彼女も彼女で動揺しているのかどう接したら良いか悩んでいるようだ。

 

「おはよ....うわ、何この空気..?」

 

 そんな異様な空気が漂う石矢魔特設クラスの扉を開けて入ってくる1人の女子生徒、綺麗な銀髪のウルフカットが特徴の古市紬貴だ。

 入った瞬間に言いようもない空気に眉を顰め、自身の前の席に座る幼馴染がその原因であることを悟る。

 

「..そーいや昨夜メールでなんか入れ替わったとか言ってたっけ..?まだ直ってなかったんだ」

「古市ぃ...テメェなんで昨日オレの電話無視したんだ..?昨日どれだけオレが大変だったか..!」

「そんな小さな身体で凄んだって怖くないよ。それにワタシがいたって何も出来ないでしょ」

 

 軽口を返して席に荷物を置く古市の机に飛び移った男鹿は昨夜起きたハプニングの数々を思い出す。

 主に服を脱ごうとするベル坊(in男鹿の体)とそれを止めようとしたヒルダが家族達にあらぬ誤解を受けたことに。それを解くのに大きな苦労を労したことも。

 

「解決できるできないじゃない。オレが苦しんでいるのにお前が家でぬくぬくしているのが気に入らんのだ」

「サイテーかよ。気絶してたアンタを家まで送ってやったワタシになんてこと言うんだ」

 

 可愛い赤ん坊の身体でチンピラのような事を言う男鹿にこれには古市も遺憾の意を示す。

 

「...大体こっちだって家帰ってから大変だったんだから、近年稀に見るぐらいに母さんがバチギレててさ...まぁ何も言わずに出てったワタシの所為だけど」

「なんじゃそりゃ...」

「それよりいいの?男鹿の身体どっか行ったけど」

 

 疲弊したようなうんざりしたような表情で机に肘をつく古市が教室の出口の方へ視線を移す。男鹿も彼女に釣られて出口を見ると、ベル坊(in男鹿の身体)が妙にはしゃぎながら出ていくのが見えた。

 

「は...ちょ、おい!!どこ行くんだテメェ!!」

「ウィー!!」

「ウィーじゃねぇ!!」

「坊ちゃまお待ち下さい!!」

 

 追いかけるぞと隣の席のヒルダと古市に声をかけて小さなあんよでかけだす男鹿。しかしいつものメイド服ではなく制服を着ているヒルダに追い越され先に教室を出ていった。

 

「くそっ!動きにくいなこの身体!!おい古市抱えて走ってくれ!!」

「...はいはい。今行くよ」

 

 古市はちいさな身体でもいつもと変わらない幼馴染に椅子から腰を上げた。

 

 ちなみにこの後ベル坊の追いかけっこしたり、成り行きで協力していた邦枝とヒルダのベル坊かけた童謡ダンス対決が突如勃発したり、外から眺めていた古市も彼女らの対決に強制的に参加させられたり、何故かベル坊(in男鹿の身体)に古市が抱きつかれたり、羞恥心か一気に顔を茹で上がらせたこともあったがそれはまた別のお話。

 


 

 

 そんな騒がしい学校の1日を終えて、古市はすぐに1人でまっすぐ家に帰った。

 

 いつもならば男鹿と寄り道ついでに喧嘩に巻き込まれたり、花澤や谷村を誘ってゲーセンで遊んだり、邦枝や大森、もしくはヒルダを連れてスイーツを食べに行ったりするのだが、そういったことはせずにまっすぐ1人で帰る。

 

 理由は単純、母親からの罰則である。

 

 そもそも古市は外出制限を破って焔王探しに乗り出していた。その上、連続の無断外泊に学校の欠席。名目上、烈怒帝瑠の飛鳥によって急性胃腸炎として休んでいたことになっていたが、学校からの電話によって母親に発覚してしまった。

 結果、古市が帰ってきた時には今までにみたことないぐらいに憤慨する般若母親が爆誕。説教は夜遅くまで続き古市がしおしおになるまでこってり絞られた。

 そして罰として学校以外の不必要な外出は当面の間禁じられることになってしまったのだった。

 

 そもそも事の発端は古市にあることを彼女自身も自覚しており、()()()のように反抗する姿勢など一切見せず粛々と受け入れていた。説教が終わった後涙目だったようだが。

 

 基本的に古市は母親の言うことは従う。特に激しい反抗期でもなく、家事の手伝いも積極的にする。喧嘩をしたことがバレた日に小言を言われる時も素直に聞いて謝るぐらいには反抗しない。

 それくらいには古市と母親と友好的な関係を築けている。

 

 そう、非常に友好的だった筈だ。

 

「──...

「........」

 

 だがこの日の夜、リビングのテーブルで向かい合う両者の間に初めて走る緊張感に古市家が震えた。

 

「ねぇ..少し考え直してくれない..?」

「...これは貴女のことを想ってなのよ」

 

 テーブルに手をついて睨む...いや睨むと言うにはあまりに弱々しい。威嚇する子犬のような古市の目つき。

 彼女と()()()()()()を持つ母親は姿勢を崩さずに視線をその身に受ける。

 2人にとって生まれて初めてといっても過言でもない程にはっきりとした対立。その原因は2人が囲むテーブルに置かれた一枚の紙だ。

 

 転学届。そう書かれた用紙がこの対立の火種だった。

 

「今転校する訳にいかないの!」

「関係ないわ。もう決めたことだもの、近くの公立高校に転校してもらいます」

「そんな勝手に決めないでよ!!」

「...そんなことで貴女将来どうするのよ。元々受験に受かっていた高校蹴って、不良しかいない高校に進学したかと思えば毎日毎日喧嘩三昧。流石にこれ以上は看過できないわよ...親として」

 

 冷静に続く母の言葉に古市は歯噛みする。この事態となった原因も自分の非であることは理解している。いくら焔王捜索の為とはいえ母の言いつけを破って行動したのは自分だ、外出禁止だろうがゲーム売却だろうがどんな罰則も受ける覚悟だった。

 けれど転校の打診をされてしまうのは想定外であり非常に不味い。彼女自身、石矢魔自体に執着はない、大事な友人達と過ごす時間が減るのは嫌だがそれでも会おうと思えばいつでも会えるし遊べる。

 しかし今この悪魔達との抗争状態で離れれば上手く連携取れず男鹿もヒルダも、邦枝や神崎達だって命が危ない。気づいた時にはすでに手遅れだった、なんでことになりかねない。

 

 しかし母親は取りつく島もない態度で言葉を続けていく。

 

「元々中学校の頃から喧嘩して帰ってくることがあったけれど、高校入ってからは目に余りすぎるわ。部屋は壊すわ、夏休みに夜通しで喧嘩するわ、挙げ句の果てに今回の無断外泊からの満身創痍で帰ってくるなんて...ダメ、考えただけで頭が痛くなる...」

「だからって転校って...それじゃ男鹿や葵たちと離れちゃうじゃんか!!」

 

 眉間を指で抑える母親に古市が口を開く。

 

「ワタシは友達から離れたくなくて石矢魔を選んだのに...!」

「その結果がこれなら仕方ないじゃない。まぁ貴女は地頭が良いから、申し込む高校の転入試験なら簡単に合格できるでしょ。準備しておきなさい」

「話を進めないでよ!!」

 

 話は終わりと言わんばかりに締めくくろうとする母親に待ったを掛ける古市。ここで終わってしまうことはできるはずもない。

 

「今すぐ転校なんて無理だから..!!ワタシは」

「聞き分けが悪いわね、これは言うか迷っていたけれど..」

 

 母親は一瞬迷う素ぶりを見せ、だがすぐにまっすぐ古市の目を見て口を開いた。

 

 

「貴女、もう男鹿君とつるむのをやめなさい」

「────..」

 

 

 今なんと言ったのか。

 古市は理解出来できず呆然とする。

 だが母親は追い討ちを掛けるかのように言葉を止めない。

 

「金輪際男鹿君のトコに近づくなと言ったのよ」

 

 頭を思いっきり殴られたような、それこそ悪魔に殴られた時よりも大きなショックに頭の中が痺れる。

 

「もちろん私もあの子がいい子なのも知ってるし、家族の皆さんにもお世話になったこともいっぱいあったわ。けれど良くも悪くも人付き合いから受ける影響は計り知れない..」

「───..なんで」

 

 震える喉から弱々しくもか細い声を搾り出す。

 

「あの子と関わり始めた頃から貴女は度々怪我をして帰ってくるようになった..。最近は特に酷いじゃない、その肩の傷だって明らかに普通じゃないわ」

「────...」

「もう15歳..今年の11月で16歳、貴女も将来を考えないといけないのにいつまで喧嘩だ不良だなんてくだらないことをやっているわけ?言いたくはないけど私には男鹿君が貴女を強引にトラブルに巻き込んでいるようにも」

 

 続く母親の言葉を遮るように古市は椅子を倒して勢いよく立ち上がる。両手を力強くテーブルについて母親の目を真っ直ぐに見る。

 

「アイツは関係ない...!ワタシが自分の意思でやってることだ」

「...だとしたら尚更つるむのはやめなさい。もうお互いのためにならないわ」

「ワタシの交友関係に口を出さないでよ...!」

「出すわよ、母親だもの。貴女が不幸になってしまう関係ならたとえ貴方に嫌われてでも引き離すわ」

 

 珍しく感情的な古市を真正面から見返す母親。その瞳は血の繋がりを感じさせるほどに両者同じく強さを孕んでいた。

 しかし娘の方の瞳は僅かに揺れ動き、母の瞳は静かにされど揺れずに見据えていた。

 

「絶対に嫌!」

「聞き分けのない子ね...不良ごっこはもうおしまいだと言ってるの!」

 

 母親も立ち上がり互いに睨み合う。古市家の史上初ともなる母と娘の親子喧嘩。それは当事者以外の者たちも恐れ慄かせた。

 そう当事者ではない妹ほのかと父はリビングの入り口から顔半分を覗かせていた。

 

「..な、なんて恐ろしい戦いなんだ..!」

「お父さんどうにかしてよぉ。これじゃいつまで経ってもテレビ見れないよー」

「そ..それもそうだな、これ以上拗らせてしまっても良くない...。ぼ、僕が2人の仲を取り持って見るよ」

「頑張れー!足が震えてるけどお父さんならできる!」

 

 生まれたての子鹿のように脚を振るわせながら、一家の大黒柱は戦場へと赴く。

 

「うぐぐぐッ....」

「ふぬぬぬッ...」

「ふたりともぉ?ほら取り敢えず一旦落ち着いてはな」

「「アナタ(父さん)は黙ってて!!」」

「はい。」

 

 一気に空気が抜けていく風船のように凄い勢いで入り口へと戻っていく。

 

「ほのか。テレビは諦めなさい」

「よっわ...」

 

 古市家の大黒柱、その背中には悲しい程に父の威厳は無かった。

 

「とにかくワタシが誰と付き合いを持つかはワタシが決める!母さんが口出すことじゃない!!」

「何が決めるよ!今のままじゃ大人になってから貴女が困るに決まってるわ!!将来まともな職に就けないわよ!!」

「それがどうしたのさ!!アイツと離れる理由になんかならないよ!!」

「この...!!」

 

 父の情けない背中を末っ子に晒している隙に、母と長女の喧嘩は熱を帯びていく。

 古市とて将来を考えていかなければならないことは分かっている。喧嘩や遊びにいつまでも精を出しているわけにもいかないことも当然理解している。

 けれど友人達や親友と過ごす今は彼女にとって何にも代え難いほどに大事な物だ。放課後寄り道で買い食いした事も教室で喧嘩で拳を交えたことも、それこそ焔王を探す為の日々を過ごした事も、彼女にとって家族と過ごす時間とも甲乙付け難い大切な時間だ。

 そんな友人達と離れろと最愛の家族である母の口から言われるのが彼女にとって身を引き裂かれる程に辛く、そして悲しい。

 

 母親も古市が友人達を凄く大事にしていることは知っている。それこそ度を超えていると言っても良いほどに。それでも、我が娘の将来を考えた。ただでさえ人と違う娘が社会で生きにくくなってしまわないように、嫌われてでも道を示す。それは間違いなく娘を思う母の気持ちだ。

 

 友人達と過ごす今と人として生きていく将来。どちらも大事なことだ。だからこそ話はどこまでも平行線でどちらも折れることが出来ない。

 

 だからだろうか、どうにもならないもどかしさが口を滑らしてしまうのは。

 

 

「いい加減にしなさい!!どうして言うことを聞いてくれないの!!家族(私達)よりもお友達ごっこ()()()が良いなら今すぐここから────!」

 

 

 咄嗟に口を塞ぐ。

 

 初めてとも言える娘との対立に感情が昂り、選ぶことなく一瞬だけ脳裏に浮かんだ言葉が飛び出てしまった。

 途中で止めたが何を言うつもりだったのか分からない程古市は鈍くはない。先ほどまで激しく言い合っていたリビングは打って変わって静寂に包まれていた。

 

「........ちが..」

「....少し...頭冷やしてくるよ..」

 

 古市はそう言って慌てる母親に背を向け、リビングを出ていく。その背中を止めようと手を伸ばすも母の手は届くことなく扉は閉められる。

 

「......」

「..お姉ちゃん..?」

 

 玄関口で気怠げにサンダルを履く古市の背中にほのかが声をかける。

 

「お母さん..、あんなこと言っちゃったけど..ほんとはそんなこと思ってないと思うよ..?だから」

「...すこし1人にさせて」

 

 背中越しにそう伝えて古市は玄関の扉から外へ出た。そして玄関の扉に背中を預けて溜息一つ。この時期の夜はもう夏の暑さはすっかり消え、冬の気配を感じさせるような寒さがそこに在る。

 薄い部屋着のまま出てきたからか、余計に強く感じるその寒さが彼女の肌を刺す。

 

 見上げた夜空は腹立たしいほどまでに澄み渡り、綺麗な弧を描く三日月はその優しい光で街を照らしていた。その月の光が己の心に巣食う醜いところまで照らし出そうとしているようで、今は少し疎ましく感じる。

 

「.....サイッテー..」

 

 その呟きは誰の耳に届くことなく夜の虚空に消える。

 そして古市は部屋着のポケットに両手を隠し、その場を後にする。いく宛などない、しかし動かずに居られず、ただ1人で静寂に包まれた夜の住宅街を歩き始めた。

 


 

「あ゛ぁ゛...今日は散々な目に遭った。稀にあるひでぇ一日だ」

 

 晩飯も食べ終え、疲れた身体をベッドに放り投げた。今日はまったく酷い1日だった。まさか魔王の大晩餐会(スーパーミルクタイム)の反動でベル坊の身体と入れ替わることになっちまうとは...。

 ただでさえこっちは小さくて不便な身体なのに、オレの身体に入りやがったベル坊はすぐにズボンを脱ごうとするわ、勝手にどっか走り回るわ...いかん思い出しただけでイラついてきた...!

 

「マー」

「呑気なツラしやがって..こっちはテメェのせいで疲れたんだぞ?もう少し大人しく出来ねぇのか?」

「マ゛ー!!」

「無理だな」

 

 相変わらず無愛想なのかヤンチャなのかよくわかんねぇツラしてオレの胸に乗ってくるコイツに愚痴ったが、まぁ愚痴るだけ無駄か。

 それに今日特段に疲れたのはコイツだけの所為じゃねぇ、ヒルダと邦枝の奴が何故か急に勝負始めやがったし...いやまじでなんでアイツらが勝負し始めたんだっけ?思い返しても訳わかんねぇ。

 

 古市のヤローも、アイツらの勝負見て熱くなったのかオレを抱えてた腕に力入れやがって、苦しいったらありゃしねぇ..!

 ....そーいや、普段は毛ほども気にして無かったがアイツ意外と...

 

「フンッッ!!」

「ニョ!?」

 

 部屋に響いた破裂音と共に両頬が痺れたが代わりに気持ちの悪ぃ考えを打ち消せた。何考えてやがんだ俺は...駄目だ疲れてる、どうしようもなく疲れてるなオレ。

 

「ダ?」

「気にすんな...もう寝ようぜ、疲れたろお互いに」

 

 両頬がひりついているオレをベル坊が不思議そうに覗き込んでくる。こーゆー時は寝て忘れるに限る。そう考えて枕元に置いた電気のリモコンを手に取った。

 

「辰巳ー!!」

 

 だが、面倒なことに一階から声が聞こえてくる。無視だ、無視しよう。オレはもう寝るんだ。

 そう言い聞かせて電気を消して布団に潜り込んだ。だがしかし、またオレを呼ぶ声が聞こえてくる、しつけぇな静かにしろよ寝れねぇだろ。

 そう考えた時、扉の向こうから階段を駆け上がってくる足音が聞こえてきた。それに気づいた時にはもう遅く、

 

「何度も呼んでるじゃない!!返事ぐらいしなさい!!」

「入ってくんじゃねぇよ!?せめてノックしろ!!」

 

 オレの部屋の扉を無遠慮に開けてズカズカと入って来やがった。オレが言うのもなんだが、ウチの家族はエチケットという概念がねぇ...!!クソがッ!

 ボリボリ後頭部を掻きながらオレは上半身を起こして入ってきた母親に顔を向ける。

 

「なんだよ、見てわかる通りこっちはもう疲れて寝るんだよ」

「ちょうど良かった!ちょっとアンタ牛乳買ってきて」

「今オレ日本語話してなかったか?」

 

 今の会話の中のどこにちょうどいい要素あった?

 

「若い男が何老人みたいな時間に寝ようとしてるのよ。私はまだ家事しなきゃいけないし、アンタ代わりに買ってきなさい」

「なんでだよ、ヒルダに行かせりゃいいじゃねぇか」

「あの子は今美咲と一緒に昼ドラの録画を見てるから無理よ」

 

 何がどう無理なんだよ。

 

「それにアンタはともかくベルちゃん全然寝なさそうじゃない」

「マー!」

 

 ベル坊は寝ているオレの胸の上で両腕を掲げて高らかに声を上げやがる。いつも飯食べ終わったら寝る癖に..今日に限って..!!

 

「牛乳買ってくるついでにベルちゃん連れて夜のお散歩に行ってきなさい」

「ニョー!!」

「..メンドクセー....」

 

 こうなってしまえばオレがいくら反論しても無駄に時間がかかるだけだ。非常に..ひっじょーにメンドクセーがさっさと行って終わらせて帰ってこよう。

 今は何故か元気なコイツもその時には眠そうになんだろ。

 

 牛乳買ったお釣りでアイスでも買ってこいと千円札を受け取り、元気の有り余るベル坊を抱えて部屋着のまま玄関を出る。

 そしていつも通りチャリの籠にコイツを入れ、サドルに跨った。

 

「おし、落ちねーよしっかり掴まってろよ」

「ダー!」

 

 言葉に元気よく返事をするベル坊の声を合図にオレはペダルを漕ぎ始める。

 キコキコと音を立てて穏やかな夜風を切る。

 

「ブー..」

「あ?何だよその目。スピードなら出さねえぞ」

「ダーブー!!!」

「出さねえつってんだろ!大人しくしてろ」

 

 まったくなんだってんだコイツは。

 不服そうに頬を膨らませるコイツを気にせずペダルを漕いで夜の住宅街を進む。確かにいつもならもっと早く走らせるかもしれないが今日はもう疲れてるのだ。許せ。

 そう考えていつもより緩やかな速度を維持していく。

 

 

 

 

 

 今日は随分と夜の空が澄み渡っていた。綺麗な弧を描く三日月が暗い夜の空に浮かんでいた

 

 だからだろうか

 

 近くのコンビニまで行く道中、1人で歩く幼馴染の背中を見つけた時、

 

「...あ?アイツ..」

「ニョ?」

 

 何かいつもと違うことに気づいてしまったのは。

 

 いつもの彼ならば見なかったことにして通り過ぎた筈なのに、今日は何故か放っておく気にならなかった。

 

「おい!何1人でしょぼくれてんだ!」

 

 自転車を進めていた足を止めたのも、そのいつもより小さく丸まった背中につい声をかけてしまったのも、

 

「....男鹿?」

 

 それはきっと夜の月明かりのせいだ。

 

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