オニRF様誤字報告ありがとうございます。
ぽつりぽつりと、数メートルおきに立つ街灯が照らす住宅街の道を一つの自転車が音を立てて走る。
サドルに跨りペダルを漕ぐ男鹿は籠にベル坊を、後ろの荷台に古市を乗せて自転車を走らせていた。
「...これからどこいくの?」
「コンビニ。雑用頼まれたんだ、少し付き合え」
「いっつも急だなアンタ。..いいけど」
いつもと変わらず強引な男鹿に古市は観念して背中合わせになるように荷台に座り直す。
「おい何してんだ普通に座れよ。あぶねーだろ」
「まぁまぁ、アンタのその雑用に付き合ってあげるんだからしっかりペダル漕いでよ」
「....おい、
「..はて?
何かを感じ取り警戒する男鹿は背中越し問いかけるが、古市は明らかに棒読みの声で質問に質問で返す。
「白々しいわ!いいか、
「ちぇ、速く着くのに」
男鹿の釘刺しに唇を尖らせ、片膝を胸に抱えた彼女はペダルを漕ぐ彼の背中に身体を預ける。
薄い部屋着のせいか少し夜風に晒された身体は冷えていた。生まれ持った自身の銀髪を風に靡かせながら古市は夜空を見上げる。緩やかに走り流れていく住宅街の風景の遥か上に、ただただ三日月が悠然に浮かんでいた。
「...どうして誘ったのさ?我ながら面倒くさい雰囲気出してたと思うんだけど?」
「....オレが雑用行かされてんのにオマエが優雅に散歩してんのが気に食わなかっただけだ」
「....そ」
いつもと変わらない幼馴染の言い様。けれどその変わらない態度で側に居てくれるだけで不思議にも胸の内で蠢き渦巻いていた醜いモヤモヤが少し軽くなった気がした。
その為か、一つ素朴な疑問がふと脳裏をよぎる。
何故自分はこの男に拘るのか。
大事な友人だから...それは当然あるだろう。人生で初めて友人と思えたのは間違いなくこの男だ。長い間側で見てきたから良いとこも悪いとこも全部知っている。
だけど何故、初めて出会ったあの日、クラス替えで出会ったあの時、自分はこの男の何に惹かれたのだろうか。初めて喧嘩というものを目の当たりにした時なぜ、コイツの背中から目が離れなかったのか。
漫画でしか見なかった世界に子供心に火がついたのか、それとも暴力を好む
いくら頭を捻っても答えは出ない。空高く見下ろしている三日月を眺めても、その光は何も教えてはくれない。
だからきっとコレはそういうものなのだ。考えても仕方がない。
沈黙が続いて、ペダルを漕ぐ度に回るチェーンの音がよく聞こえる。閑静な小さな住宅街を会話もなく風を切って進む。
たとえ意味などなくとも、何も分からずとも、だけどこの空間が、時間が、今は嫌いになれなかった。
夜風に冷えた身体に預けた背中から伝わるほのかな熱がゆっくり、不思議と心地よく広がっていった。
「おし、着いたぞ」
「ウィー!」
「おー、ごくろー」
自転車を走らせること数分、夜闇の中で煌々と光るコンビニに一行は到達。
自動ドアの前に二つのバイクと2人のガラの悪い男達がたむろしていたり、酔っ払いが寝っ転がっていたり、その酔っ払いから財布を抜き取っているホームレスがいたりするが、まぁ石矢魔ではよく見る光景だ。
2人は特に気にせず自転車から降りてコンビニへと向かう。
「それで?一体なに買うのさ?」
「牛乳。ついでだ釣り銭でテメーにもアイス奢ってやる」
「マジ?やりぃ」
籠に乗っていたベル坊を抱えた男鹿の意外な言葉に古市は足取りが軽くなる。軽い足取りでいざコンビニへと足を踏み入れた。
「何食べよっかなー」
「あんま高ぇのは買うなよ」
「ダー」
「オメェが食ったら腹下すぞ、こっちのオレンジジュースで我慢しろ」
「ムー!」
不満の声を上げるベル坊とそれを宥める男鹿を横目にアイスのショーケースを眺める。豊富な種類が揃っている中で一つ、久しく食べていないアイスが目に留まった。
「小学生の頃よく食べたよねこれ...ねぇ一緒に食べよーぜ」
「あ?いいのかそれで?」
古市が手に取ったのは一袋に二つ入っているチョココーヒー風味のアイスだ。
「も少しイイモンでもいいぞ?オレの金じゃねぇしな」
「アンタの金じゃないんかい。でもま、コレがいいな」
「そーかい」
選んだアイスを受け取り男鹿は会計を済ませる。そしてバイトの気の抜けた挨拶を背にコンビニを出る直前、突然ベル坊が震える。
一瞬ぐずり出してしまったかと考えたが、その割にはあまりにも顔に力が入っている。
「ニ゛・・・・」
「...ゲッ!?テメェまさかウンチしてーのか!?ちょちょっと待て!!今トイレに連れてってやるから!!これ持っとけ古市!!」
「あーい」
慌てた様子でアイスと牛乳の入ったレジ袋を古市に押しつけ、男鹿はトイレへと駆け込んでいった。
タイミングいいのか悪いのか、ただ自転車に乗ってからよりはマシなのだろう。いつものように騒がしい2人の様子に口元を緩ませて古市はひと足先に自動ドアを通り、彼等がトイレから帰ってくるまで自転車に腰を落ち着かせてもらおうと足を進めた。
たがその行手はたむろしていたガラの悪い2人組に阻まれた。
「よぉキミマジで可愛いね?モデルとかやってる?ここら辺住んでんの?」
「俺達さぁついさっきこの街に来たばっかなんだけど良かったらナビしてくんねぇ?とりま休憩できるとこが良いなぁ」
お手本のようなチンピラのセリフ。あまりにも典型的で面白みもない絡みにフワフワと少し軽くなった気分が苛立ちと共にドン底まで落ちていく。
隠す気のない下心と下世話な視線を引っ提げる連中を相手にする気も起きず、無視して自転車へと向かおうとする。
「おいおい無視しないでよ?けどいーねぇそういうツンツンとした子好きよ?」
「どうよ?連れの男なんざ置いて俺達と夜のツーリングしようぜ?ガチでエグいドラテク見せてやるからさぁ」
「......」
しかし逃がすまいと1人が回り込み、挟み込まれてしまった。
「なぁ?なんか言ってよ?」
「触んなボケ」
ニヤニヤと下卑た笑顔を浮かべながら男は古市の腕を掴む。すぐに腕を振って乱雑に振り払うが、揶揄うように口笛を吹いて男はその笑みを深める。
「ひゅー、俺マジで君のこと気に入っちゃった♡なぁどうせこの後暇だろ?俺と一緒にあそぼうぜ?」
「ちょ!抜け駆けすんなよ」
「ウルセェ、コイツは俺ンだ。テメェは他の女探しに行け」
「誰がいつオマエのになったんだチンカス野郎。ティッシュに包まれてくたばれ」
「おいおい口が悪りぃな..俺が丁寧に教え込んでやるよ」
「「キメェ」」
「何でテメェまでそっちに行ってんだ!?」
彼等の物言いに肌が粟立って不快感を示す。男鹿はまだかとコンビニの方へと顔を向けると、急に頬を掴まれて強引に男の方へと向かされる。
「どこ向いてんだよ?こっち向けや。どうせお前も帰るとこねぇんだろ?」
「離せや、テメェの息イカ臭えんだよ。テメェらと違って帰るとこぐらいあるわチンカス」
「嘘付くなや。そんな派手な頭染めて..どうせお前も親と喧嘩して家出してきたクチだろ?」
「....っ」
親と喧嘩という妙に勘の鋭いことを言う男に一瞬息を呑む。すぐに顎を掴んでいる男の腕を叩き落とすが、ニタニタと笑っている。
「図星だ。なら帰らなくていいじゃねぇか、アイツら大人は永遠に俺達のことなんかわかりゃしねぇよ」
「......」
「そーそーコイツの言う通りだ。お前みたいな奴いっぱい見てきたけど親がクズな奴が殆どさ。お前の親だって
同調するように話していた背後の男の言葉は、突如股間部を襲う激痛に遮られる。人並外れた力で後ろへと蹴り上げた古市の踵が彼の股間に見事突き刺さっていた。
ぐしゃりと嫌な音と共に腹の奥まで響く痺れる様な痛み、呼吸すら困難になり、両手で抑えながら膝から崩れ落ちる。
「お゛っ....ォ゛...」
「五月蝿ぇつってんだろ。耳障りだED野郎」
一段と低くそして冷えた声で蔑む古市。そしてまさしく死体蹴りとして悶える男の頭をサッカボールのように蹴り飛ばす。
抵抗もできない男は、駐輪されていた改造バイクを派手な音を立てて巻き込み吹き飛んでいった。
「は..お、おい何しやがる!?」
「────..」
「..っ」
いきなりの暴挙に狼狽えるもう1人の男が胸ぐらを掴む。しかし彼女の氷のように冷たい目つきと殺意に身体が竦んだ。
だからか、男は背後に忍び寄る影に気づけなかった。
「──おい、オレの連れに何してんだ?テメェ」
「ダーブゥ...!」
ドスのきいた声が聞こえたと同時に後頭部から男の頭が鷲掴みにされる。頭蓋の軋む嫌な音が脳内に響き、指が入ってくるかと錯覚する程の強力な握力に悶え苦しむ。
「ちょ..ちょっと待て!?オレ達に手を出してタダで済むと──」
「テメェらなんぞ知らねぇよ」
男の命乞いも虚しく無慈悲に顔面をコンクリート地面に叩きつけられ、首から上が地面にめり込む。男鹿の名物詩アートの完成である。
「たくっ、少し目を離したらすぐにトラブルに巻き込まれやがって..ジャンプの主人公かオメーは」
「ワタシの所為じゃないから責めないでよ」
「つうか誰だコイツら?この辺じゃ見ねぇ格好してんぞ」
「さぁ、どこぞの田舎のゾッキーじゃない?アンタのことも知らないみたいだったし。ダサイバイクもあるし」
地面に転がる男達はどちらも見覚えのない特攻服に身を包んでいた。だが気にすることでもないとすぐに興味失い、自転車に近づいた。
「まぁいい、さっさと帰ろーぜ」
「....待って何この音?」
ベル坊をカゴに入れてサドルに跨る男鹿に彼女は待ったをかけた。遠くから多種多様なホーンの音がけたたましく鳴り響いていた。しかもそれは一つ二つではない無数の音、其れ等が段々と近づいてきていた。
そして音の正体は彼らの前に姿を表す。無数の改造バイクに跨ったガラの悪い男達と共に。
「おい、ここが待ち合わせ場所か?」
「アイツらが先についてる筈なんすけど...あ!?ぶっ倒れてるぞ!?」
「なんだと!?そこのテメェらの仕業かコラァ!!」
「オレら
「──...」
「──...」
70は優に超えている数の暴走族の登場に男鹿と古市は舌を巻いた。そして彼等は言葉もなく速やかに行動を起こす。
「「「あ!?逃げた!?」」」
男鹿は全力でペダルを漕ぎ始め、進み始めた自転車の荷台に古市が飛び乗った。
「ウオオオォォォアア!?!?」
「早く早く漕いでコイデ濃いで恋で漕いでッ!?!?」
「ウルッセェ!わかっとるわ!!」
全速力でペダル漕ぎ自転車はあっという間にコンビニから離れていく。
「ナニ!?何なのあの数!?普通に多すぎでしょ!!」
「知るか!!テメェの所為だぞ古市!!テメェが喧嘩売ったからだ!!」
「売ってねぇよ!!つかもっと早く漕いで!!相手バイクだよ!?」
「こちとらすでに全速力だ!!」
大声で言い合う2人の背後から多くのエンジン音とホーンの音が鳴り響いてきた。
「「「待てやゴラァッ!!!」」」
ドスのきいた怒号と共に。
「来たぁーッッ!!!?」
「来たぁーッッ!!!?」
「ウィー!!」
悲鳴にも似た叫び声が夜空に響き渡る。一つ歓喜の声が混じってはいたが。
「急いで急いで!!距離詰められてるよ!!」
「無茶言うな!!こっちは人力エンジンだぞ!!こちとらもう既に限界なんだよ!!」
「ピョー」
壊れんばかりにペダルを力まかせに回しまくり自転車の速度を上げるがそれでも人間の力とガソリンの力の間には埋められない差がある。どれだけ回しても、自転車とバイクの差はみるみる間に縮まっていく。
「クソッ!面倒くせぇ!!いっそのこと全員ブッ飛ばすか!?」
「いや?いやいや?そういやもっと簡単な
「ゲッ!ふざけんなオレはまだ死にたくねぇぞ!!」
「しゃーないでしょ?大丈夫、事故らないよう上手くやるからさ」
古市は抗議の声を無視して立ち乗りへと姿勢を正し、男鹿の肩に添えていた手の片方を後方へと翳す。
「オイ!聞けよ!!」
「口閉じな!!舌噛むよ!!」
「オラッ鬼ごっこは終いだ───
追い縋ってきた暴走族の手が彼女の手に触れる刹那、
───叉韋!!
爆発でもしたかと錯覚するほどに強力な颶風が辺りに吹き荒ぶ。後方を走っていたバイクらが玩具のように軽々と吹き飛んだ。
そして彼等の乗る自転車は後方へと吹き荒ぶ颶風を推進力に暴走バイクよりも遥かに速い速度で走り抜けていった。
「うおおぉおぉぉぉああぁあッ!!!」
「ヒョーーーーー!!!」
野太い男鹿の悲鳴とベル坊の楽しそうな絶叫。自転車のタイヤは火花を散らしながら回り続け、周りの景色が目で追えない高速で走り流れていく。
「───はは」
息が、声が漏れた。
景色は流れていく。夜空に浮かぶ月にも既に背に向けた。
だから今は、今この夜だけは、煩わしい抑圧も、鬱陶しい理不尽も、心に巣食う苛立ちも何もかも。
「おい!!古市この先は急な降り坂だぞ!!速度を...!」
「ブっ飛ばそう!!!」
「はぁッ!?」
「ダーー!!!」
更に自転車は推進力を増し、タイヤは悲鳴を上げて回り狂う。走りながれる景色はやがて幾つもの線へと変わっていく。
狂気的なスピードのまま自転車は降り坂へと突っ込んだ。
そして勢いのあまり地面から遠く離れ宙を舞う。
「アアアアァァァァァアアッッ!?!」
「マーーーーー!!!」
そして3人を載せ宙を舞った自転車は物理法則に従うことなくそのまま夜の空へと飛び上がっていく。
不良娘は重力にすら抗い、地上の星々を眼下に眺めた。
風を纏って夜空を疾るこの瞬間。
この瞬間だけ、悪魔のことも、学校のことも、将来のことも全て、彼女は何もかも置き去りにして。
「アッハハハハハハハハッ!!!」
掌に収まってしまうようなちっぽけな自由に追いついた気がした。
古市家のリビングは静寂が支配して、時計の針が時を刻む音だけがよく響く。その静寂の中、テーブルの上で母親が1人で突っ伏していた。
「......」
「..はい、母さん」
ことり、突っ伏していた母親へほのかに湯気の立つココアの入ったマグカップが優しく置かれる。そして対面の席に父親が腰を落ち着けた。
「......何よぅ..。怒りに来たの?どうしてあんなこと口走ったのって」
「...まぁ..らしくはないとは思ったけどね」
卑下するような声に苦笑を浮かべて、父親は自身のコーヒーを口に含む。熱いコーヒーを飲み込み、呼吸を一つ。
「...別に僕が何か口出そうとは思ってないよ。僕としても母さんの考えや心配が痛いほどよくわかるから」
「.....」
「けどね、それと同じくらいあの娘が友人達を大事に思っているのも分かったんだ」
バリトンの声音で穏やかに話し始める。
「君が正しいとか、あの娘の想いを尊重すべき、とかそういう話じゃなくて、きっと互いに言葉が足りなかったんだ。言葉よりも先に大きな感情が表に溢れてしまったから、ああなってしまったんだろうさ」
「.....そうね」
突っ伏したままくぐもった力無い声で肯定の意を示す彼女の姿が少し可笑しく見えた。
「大丈夫だよ。君の愛情はちゃんとあの娘に伝わっているさ」
「...そうかしら」
「そうさ。じゃなきゃ、あの年頃の子供が普段あんなに仲良くできないだろう?まぁヤンチャが過ぎるけど」
その言葉で漸く突っ伏していた顔を僅かに上げ、珍しく不安げに揺れる瞳と目が合う。娘達にすら見せようとしない彼女の弱気な姿、まだ自己嫌悪に陥っているようだが少しだけ機嫌を直せただろうか。
父がそう考えていると、母親は
「..色落ちてきたわね...。また染め直さなきゃ」
「それはそれでオシャレだと思うけどね。あの娘も好きそうだし」
あの日は今でも昨日のように思い出せる。なにせ紬貴が小学校に入学した日だ。
今まであの娘は先祖返りの影響で幼稚園や保育園にもまともに行けなかった。関わってきたのは私達両親とお寺の住職さんやお坊さん達と、大人の人達ばかり。賢い子だったからたまにお家でお留守番を頼んだこともあったけれどそれでも常に私達大人と過ごす時間が多かった。
なのに、いやだからか...入学式前日、あの娘はすごく興奮して、全然眠ってくれなかったな。
私もだけど夫やお坊さん達が紬貴にずっと小学校が楽しい場所だと、友達が出来ると楽しいと言いつけてきたから。前日で既に大きな目を光らせてウッキウキ。
興奮のあまり溢れ出た風で部屋中を散らかしてくれたのは勘弁して欲しかったけど。
あの娘はすっごく楽しみだったんだ。友達ができるのが。
私もその笑顔見て、まだ前日だったのに涙込み上げそうになったのも覚えてる。
ずっと不安だった。
初めて生まれてきてくれたあの娘が普通の人間とは違って、何が正解か、何が最適か、何も分からなくて。
怖くなって夫に泣きついた日もあった。住職さんに相談した日もあった。
だけどその笑顔を見て、私は安心できたの。曲がりくねって大変だったけれどこの娘は幸せに育ってくれているのだと。
新米母の私にそう教えてくれたんだ。
なのに、入学式を終えてから数日間、学校から帰ってくるあの娘の笑顔が徐々に曇っていってしまった。
キラキラと煌めいていた瞳にも落胆の色が濃く映っていた。
どうして、あんなにも楽しみにもしていたのに。
どうして、入学式の時も元気にこっちへ手を振ってくれていたのに。
理由を問えば、周りの子供達と上手く馴染めないのだと。
早熟なあの娘と女の子達とは話が合わなくて、生まれ持った銀色の髪を男の子に揶揄われて。
イジメや嫌がらせとかじゃない。
けれど外見と内面も同年代の子達と
そして、それは子供だけの話じゃない。
教師達大人にとってもこの娘は異質な存在なのだ。
『地毛証明書...』
あの娘のランドセルから渡されたおたより中にその一枚が入っていた。
当然あの娘の頭髪が普通と違っても染めることを強要したり理不尽に怒鳴りつけるような、ドラマみたいな悪徳教師なんてその学校に1人もいない。
私も夫もそれが求められることも常識的に考えて理解していた。
そして早熟なあの娘もそれが理解できていて、だけどその紙でさらに誰にも認めてもらえないような疎外感に苛まれていた。
周りに馴染めない孤独感に、夫やお坊さん達と聞いていた楽しい話との激しい落差による失望。入学してからたった数日であの娘にとって学校は自分を隠して過ごすつまらない場所になってしまった。
誰が悪いとか、そんな単純な話じゃない。解決できるような問題じゃない。学校の過ごし方や友達の作り方も私達親に出来ることなんてない。
だけど、私はあの娘には笑っていて欲しかったから。1人じゃないって分かって欲しかったから。
『紬貴っ!じゃーん!』
『──..わぁ...!』
できることは全部やった。
『いっしょのかみぃ!』
『ふふっ私達お揃いね」
『おそろーい!!』
そう、私はあの娘が幸せになってくれるなら、なんでもするわ。
だってそれ以上に貴女は私に幸せをいっぱいくれたんだもの。
返したくても返せないくらいいっぱいに。
「..ちゃんと話さなきゃね....」
「できるさ。君達なら」
夫の淹れてくれたココアを口に含む。
喉を通る熱と甘さがひどく胸に沁みた。
「はー..良い眺めだ」
目下には満点の星空が広がっていた。
何処のビルも灯りが付いていて、道路には無数のヘッドライト達が流星の様にあちこち忙しなく動く。
太陽は沈み、夕飯時もとっくに過ぎたというのにも関わらず石矢魔の街はまだ眠る様子を見せない。
暴走族からの逃亡を果たした後、古市達は自転車ごと空を疾って街中に聳え立つタワーマンションの屋上に降り立っていた。
関係者以外立ち入り禁止の場所ではあるが空からやってくる彼等に気づくものは1人とて居ない。
「.....フン゛ッッ!!」
「み゜ィッ!?」
夜景を楽しんでいた古市の頭頂部に鈍い音を響かせて拳骨が叩き込まれた。脳の奥まで響く威力に古市は頭を抑えてしゃがみ込むが、下手人の男鹿は鼻を鳴らす。
「何呑気なこと言ってんだゴラァ..!」
「ぐおぉぉッ...!割れた、絶対二つに割れてるよコレ..!」
「割れろ。割れていっぺん生まれ変われ!」
痛みに悶える古市に冷たく言い放つ。
「たくっ、無茶苦茶やりやがって..」
「いッたぁ..でも結構楽しかったでしょ?ね、ベル坊?」
「ダ!」
「楽しくねぇよこれっぽちも」
テンション高めに返事を返すベル坊の様子を見て大きく溜息を溢す。これ以上何を言っても仕方がないと悟ったか、男鹿は気だるげに屋上のフェンスに寄りかかる。
「はぁ...今日は疲れた..」
今日だけじゃない。ベル坊を拾ってから目まぐるしく変化して過ぎていく日々に、さしもの男鹿も疲労は感じずにはいられない。
こうしてぼんやりと街を眺めればふと俯瞰的視点で最近の出来事が脳裏に浮かぶ。
夏休み前まではただの不良高校生だった筈が、何故か魔王の親に任命されて、東邦神姫を倒し、古市も倒し、石矢魔の頂点に立ち学校を破壊。夏休みが開ければ旧友と再会し、己の退学を賭けてバレーボール対決。
かと思えばいきなり魔王の子供達の権力争いに巻き込まれ悪魔に襲われて殺されかけて、修行して逆に返り討ちにして。
あれ?オレホントに高校生か?不良つっても度を超えすぎじゃね?
と男鹿が脳内で自らを省みてしまうくらいには濃すぎる日々がこの1ヶ月と少しの日々に詰め込まれていた。
すると黄昏ていた男鹿の頬に突然冷たいものが当てられる。
「ほい、一緒に食べよ?」
横を向けば頭頂部に大きなタンコブを作った幼馴染がコンビニで買ってきたアイスを突き出していた。
それは小学生の夏の頃、よく2人で食べていた一袋に2つ入ったアイスだ。
「よっと」
「おい落ちるぞ」
「空飛べるから大丈夫」
古市はフェンスの上に腰掛け足をぶらつかせながらアイスを食べる。男鹿もフェンスに寄りかかりながら同じくアイスを食べ始め、肩までよじ登ったベル坊はパックジュースのストローを咥える。
そして3人は各々手元の甘味を楽しんでいた。
「...男鹿はさ、将来はどうすんの?」
「あ?」
しばらくの沈黙を破る唐突な質問に片眉をあげる。
「高校卒業した後の..もっと先、大人になった後。何かやりたいことないの?」
「....さあな。知らね」
男鹿の返答に肩をガクッと落とす古市。男鹿は言葉を続ける。
「ただでさえ悪魔がどーとかで手一杯なのに、その先の事なんか想像できねーよ」
「はは..それは確かに」
乾いた笑いが出た。その言葉とても切実で悲しいほどに事実だった。
まさか2人とも悪魔に命を狙われることになるなど半年前の彼等に話しても鼻で笑われるような現実に振り回されているのだ。
「オマエはどーなんだ?大学にいかねーのか?」
「...わかんね」
「オマエも同じじゃねぇか」
瓜二つの回答に男鹿も半目になる。
「ま、先のことなんざわかんねぇからよ。だからオレは"今"に集中するさ」
「...それって後回しにしてるだけじゃ?」
「水差すなよ...。それに先のことは先のオレがどうにかすんだろ。先のオレの為に今のオレが苦しむなんざまっぴらゴメンだ」
「ふぅん。よくわかんないや」
「おい」
男鹿の言葉は古市の胸によく刺さらなかったようだ。小首を傾げる彼女の様子に男鹿は軽く睨みつける。
「でもま、そうだね。ワタシも"今"が大事だ」
「......」
「ゆかちーと千秋と一緒にゲームする"今"も、葵やヒルダとスイーツ食べに出かける"今"も、アンタとこうして寄り道する"今"も...ほのかと父さんと母さんと夕食を囲う"今"も、全部大事なんだ」
まるで男鹿ではなく自分に、そしてこの場にいない誰かに言い聞かすような声を彼はただ静かに耳を傾ける。
「....だから、ワタシはこの日常が明日も明後日も...いずれ大人になってみんなが別々の道に行っても、続いて欲しいんだ」
「..そりゃわがままだな」
「そうだね、我儘だ。だからワタシは今この日常を
古市はアイスを持つ手とは逆の掌を見る。緩やかで小さな風を纏わせ、掌サイズの小さなつむじ風がそこに生まれた。
「きっと、この力はその為の物だ」
「.....」
その横顔見て男鹿は魔二津で出会った住職の言葉を思い出す。
怒りや怨みに呑まれれば妖怪化が進む。そうなれば彼女の末路は悲惨であることも、そこを憂う住職の葛藤も。
「ならオレの"今"やりてぇことは、オマエをさっさと追い抜くことだな」
「..追い抜く?」
「今日、身体が元に戻ってからあのバンダナに会ってきた。ムカつくことにアイツはオレよりオマエの方が遥かに強いなんて言いやがった」
思い出しただけでイラついたのか少し語気が荒くなるが、一拍置いて続く言葉は反対に静かだった。
「だが、それ以上にオレは何も言い返せなかったことがムカついた」
男鹿の独白に古市は目を見開いて驚いた。
こんな、弱音というか弱い部分を他人に見せることは今まで彼女は見たことがなかったからだ。
事実、彼が似たような独白したのは以前邦枝を送っていた時だけだ。
「スーパーミルクタイムなんぞ大層な名前をつけたが、実際オレは半分気絶して肩に乗ってるコイツに半分預ける技。それまでやってようやくオマエと勝負になるかならないかだろ」
「...いや最後の羽生えてた奴は無理だよ?逆立ちしたってワタシは勝てない」
「アレはコイツに完全に身体をあけ渡してた。それはもうのオレの力じゃねぇ」
男鹿は拳を握る。
「さっさとこの技を完成させて全部自分のモンにする。そんで次はその力込みのオマエに勝てるぐらい強くなってやる..
「...そっか」
その言葉を聞いて、古市は何を言うでもなくアイスを咥えて視線を夜景に映し、会話が途切れる。
静寂が場を支配するが、そこに気まずさはなく2人とも不思議と心地良さすら感じていた。
そこで男鹿は盗み見て気づく。
アイスを食べながら夜景を眺める古市の横顔が、面持ちが気持ち軽くなっていたことに。
「...少しは気晴らしになったかよ」
「..え?」
言う気のなかった言葉。
男鹿には彼女に何があって落ち込んでいたのか、そこに踏み込む気などこれっぽちも無かった。無かった筈なのにその横顔を見て、不思議と己の胸も軽くなって、口が勝手に動いてしまった。
己の口を責めるように口をアイスに集中させる。
そんな彼の様子を見て古市は僅かに口元を綻ばせた。
「うん。スッキリした」
「..そーかい」
ぶっきらぼうに答える。
「何も聞かないんだね?気になんないの?」
「聞いてどうするよ。気の利いたアドバイスとか慰めが欲しかったか?そりゃお門違いだ」
「そらそうか」
男鹿の言葉に古市は理解を示す。隣で佇むこの男がそんな気の利いたことが出来ていたら今まで恋人の1人でも出来ている筈だ。
「オマエが何考えてんのか今までわかったことなんざ一度もねぇからな。そんなこと出来る筈もねえ」
それ以前の話だ、デリカシーがなさすぎるこの男。ムスッと頬膨らませる古市だが男鹿の言葉は続く。
「それにどうせ、オマエが何すべきかなんて答えは端から知ってんだろ、言うことなんざありゃしねーよ。愚痴も聞く気もねぇ。ただ..まぁ」
気恥ずかしそうに言葉を濁らせ、男鹿は顔を背ける。夜風が吹き彼等の髪を、頬を撫でる。
「..偶にならまた、気晴らしに付き合ってやる」
「───...」
風が吹いた。全身を叩いて通り抜けていった。
そして、古市は勢いよくフェンスの上に立ち上がり、仁王立ちでアイスを一気に頬張った。
喉を通り抜ける甘さと冷たさが胸に沁みる。
突然の彼女の行動の意図が分からず男鹿は困惑する。
「お、おい..」
「よし!現実逃避しゅーりょー!!」
音を鳴らして飲み込み、古市は元気よく声をあげる。フェンスから飛び降りて男鹿の隣に足をつけた。
「さ、帰ろっか。夜も遅くなってきたし」
「....はぁ、まったく今度何か奢れよオマエ」
「何かバイト探さなきゃ」
自転車に向かって歩く古市に男鹿はガシガシと後頭部を掻き、後を追うように歩を進める。
そして先程と同じように男鹿がサドルに跨り、籠にベル坊にちょこんと座り古市が荷台に腰を落ち着ける。
「それじゃ、アトラクションの方出発します!お手元の安全レバーをぐぅーんっとお下げください!」
「安全レバーなんかねぇよ。いいか、変なことしねぇで安全に地上に降ろせよ..!」
「はいはい分かってるよ。遊び心のない奴だねぇ」
「ブン殴るぞ?」
テーマパークのスタッフの様な声掛けに男鹿は釘を刺すが背後に腰掛ける彼女は飄々と聞き流す。
彼等の腰掛ける自転車の周囲を渦巻くように風が疾り始め、車輪がゆっくりとビルの屋上から離れ始めた。この感覚に未だ慣れない男鹿はハンドルを握る手に力が籠る。
そんな強張る彼の腰に背後から腕が回り、背中に柔らかな感覚が密着した。優しい香りが彼の鼻腔をくすぐり、
「行こうかスペーストラベラー!素晴らしい宇宙の旅へ!!」
「は...!お前それ────!」
その言葉が彼の背筋を凍らせた。
制止の声虚しく浮いた自転車は急スピードで三日月が浮かぶ夜空へと飛び立った。
この日、石矢魔の夜空に野太い悲鳴が高らかに響き渡ったという。
「いやー楽しかった楽しかった!」
「楽しかぁ..ねぇよ!!..この..ドアホ!」
男鹿の家の前、彼は息も絶え絶えに古市を睨みつける。先程よりも大きなタンコブを頭頂部に膨らませる彼女は呑気に笑う。
「ダーブ!!マー!!」
「ベル坊も楽しかった?じゃまたやろうね!」
「やるか!!」
はしゃぐベル坊の様子に古市が次の約束を取り付けるが当然男鹿に断られる。
「それじゃ
「...送んなくて大丈夫か?」
「だいじょーぶ」
そう言って古市は手を振って帰路に着く。歩く彼女の背中はいつものように芯が入ったかのように真っ直ぐだった。
男鹿はそれを見て一息つき、肩に乗せたベル坊と共に門扉を通ろうとした時、
「男鹿!」
背中を向けて歩いていた筈の古市がこちらへと振り向いて声かけてきた。後ろに手を組んで、珍しくほのかに顔が紅潮していた。
「アンタが
初めて見るにこやかで屈託のない笑顔。
それじゃ!と古市は照れ臭さそうに足早に背中を向けて走り出す。夜闇の向こうまで走って行く古市の背中を眺めて、男鹿はただ後頭部をポリポリと掻き、息が漏れた。
三日月の優しい光はただ街照らすだけ。
足取りは軽くなっていた。
不思議な高揚感が胸を支配する。
この高揚感はなんなのか分からない。けれどこの感覚を知っている。あの日初めてアイツと出会った日と同じだ。
初めて出会った日になんであんなにアイツの事を知りたくなったのか、アイツが周りと違うと思ったのか、いくら考えても分からないけど。
けどきっとこの不思議な高揚感が理由。今はそれでいい。
アイツと居るといつだって気が安らぐ、よく理不尽に巻き込まれたりするけれどそれすら楽しくなるから。今はそれでいい。
だから、ちゃんと話そう。
ワタシの気持ちも。何がしたいのかも。
ちゃんと聞こう。
母さんの胸の内も。何を望んでいるのかも。
だってワタシはこの日常を好きで、愛してやまないのだから。明日も明後日もこの日常が続く為にいっぱい言葉を交わそう。そうすればきっと互いに納得できる答えが出る筈だから。
そしたらきっと、この気持ちが何なのかいずれ分かる日が来るだろうから。
そんな想いを、決意を胸に、ワタシは家の玄関の扉を開いたのだ。
「──ただいま!」
「──おかえり」
「ちょっと辰巳!?なによこの牛乳!!ボッコボッコで中身溢れてるじゃない!!」
「オレのせいじゃねぇ、ジェットコースターが悪ぃ」
「はぁ?」
石矢魔コソコソ噂話 ここの古市ちゃんは暗闇を急上昇急降下急旋回急停止するスリリングなアトラクションが大の好物です。