年内投稿ギリギリ間に合った....。間に合ったのかこれ?
校舎にも匹敵する程の体躯を持つ竜、ソドムの出現によって聖石矢魔の校舎内は騒然としていた。校舎内だけではない、巨大な竜が空を飛ぶ姿を多数の町の住人達も目撃して、動揺と驚愕は波紋のように瞬く間に広がっていく。
そんな最中、聖石矢魔の屋上では早乙女とベヘモットが熾烈な争いを繰り広げていた。一刻も早くここを離れ男鹿たちの助力へ行こうとする早乙女、だがベヘモットがそれを許さず悉く行手を阻む。
「クソッタレが..!テメェあくまでもオレの邪魔をする気か..!」
「お主が出ると色々と洒落にならんのでな。ここは一つ、事が済むまではここで押さえ込まれておくれ」
苛つきを隠せない早乙女に対してベヘモットは飄々とした態度を崩さない。
大気すら揺るがす早乙女の猛攻を老体の身でありながら軽やかに躱し、受け流していくのは流石大魔王の右腕。
攻撃に合わせて流れるように反撃の手を入れ、しかし早乙女はそれを紋章術で防ぎ、返す刀で老体の鳩尾に魔力を込めた拳を叩き込む。
攻めれば躱され、躱したかと思えば合わせて攻撃が来る。互いに譲らないまさに一進一退の攻防が繰り広げられていた。
「おっとと..危ない危ない。これでは埒が開かないの..。どうじゃ?ここは一時休戦といかんか?」
「..はぁ?何を今更訳のわかんねえことを..」
「何も冗談で言っている訳ではない」
唐突に投げかけられた停戦交渉に困惑する早乙女にベヘモットが指立てて口を開く。
「条件はこの諍いの最中何があっても手を出さないこと。お主が動かぬ限り、ワシも何があっても手は出さん。事の顛末は全てジャバウォックやそちらの男鹿辰巳に任せる」
「ふざけんな。何を勝手に進めてんだ」
「ワシとしては破格の条件を提示しているつもりなのだが...。では良いのか?ワシが本気で手を出しても。
ベヘモットの言葉に早乙女が目を細めて口を噤む。
「ワシとしてもお主と戦えるのは願ってもいないことだが、本気の出せないお主と戦っても意味はない。いやワシが出せばお主も本気にならざるを得ないだろうが...そうなればこの街は耐えきれず更地になってしまうぞ?」
「相変わらずいい性格してやがるな..クソッタレ」
早乙女は苦虫を噛み潰したように顔を顰める。しかし、ベヘモットの言っていることは事実。今1番危惧すべきことがジャバウォックとベヘモットが結託し同時に相手しなければならない状況だ。
ただでさえ1人でも手に余る存在であるのに、結託されてしまえば非常に厳しい戦いになってしまう。それに付随して柱師団が加わってしまえば勝ち筋はほぼないと言って良いだろう。
だからこそ、彼が提示してきた休戦条件はたとえ己が戦えなくなるとしても破格といって良いものだった。
「テメェがその条件を守ると信じろってのか?」
「自分で言った契約の条件を守らないほど耄碌した覚えも、悪魔としての矜持を捨てた覚えもない」
それは間違いなく本心だろう。かつての騎士が己を律する騎士道に反する行為を忌み嫌っていたように、悪魔という生き物にとって契約条件を破るという行為は死すら軽い、最も忌避される行為だ。当然目の前の男もそれを魂の奥まで刻み込んでいる筈。
その上で早乙女はすぐに同意はしない。何せこの男は己の主君のためならば喜んで禁忌を侵す男なのだから。
先の大戦でもその姿を目の当たりにしている早乙女が彼の言葉を信じられないのは当然であり、それ故にここまで警戒をしているのだ。
「お主等がワシを信じないのも無理はないが、そもそもワシは此度の人間界侵攻はさほど重要視しておらん」
「..理解できねぇな。テメェの
「ただ指示を聞いて行動するだけならば誰でもできる。言葉の真意を考えて最善を尽くすのが忠臣というものよ」
「真意?んなモンあんのかよアイツに」
あまりの物言いではあるが早乙女の言葉も当然とも言える。適当という言葉が形となったような存在である大魔王が思いつきで始めたこの侵攻に大きな意味などあるようには思えなかった。
「まぁ無いじゃろうな。いつもの思い付きよ」
淡白なベヘモットの言葉に早乙女の肩がずり落ちた。
「無ぇんじゃねぇか!」
「無い。..だが焔王坊ちゃまはどうやらそうではないようでな。
眼鏡の奥に映るベヘモットの瞳が細まる
「ワシは良い機会だと考えた。坊ちゃまの成長とワシの倅、後進の育成の機会にな」
「.....」
「だから、此度の諍いにワシは口も手も出す気はない。お主が動かぬ限りな」
細まった瞳はしめやかに早乙女を見据えた。何もかもを見透かすように。そして彼の背後に虚空が広がる。
「どうするか、よく考えるといい早乙女禅十郎」
「待て!」
やがて虚空はベヘモットを飲み込んで消え、早乙女だけがこの場に残される。
怠惰のはずの焔王の変貌ぶり、その背景には権力争いに精を出す魔界の貴族共が絡んでいるとベヘモットは踏んでいた。王族の嫡男に吹き込むなど万死に値するが彼はそれすら成長の材料にしようとしているのだ。
だが背景には権力争いすら比較にならない悍ましい思惑であることは、誰も知る由はない。
所変わって空を飛ぶソドムの背の上。ジャバウォックは無尽蔵な風の斬撃に襲われていた。
不可視の斬撃はいかに彼といえど避ける術はなく、避ける必要もない。
コンクリートも鋼鉄も容易く断ち切る斬撃はジャバウォックの骨はおろか、肉を浅く切り付けるだけだった。
「俺に攻撃を通すか..!」
無数の切り傷を作りながら彼は獰猛に笑う。出来た傷は瞬く間に再生している為ダメージは無しに等しい。だが悪魔でも契約者でもない人間が己の身体に傷をつけた事実は、彼を昂らせた。
「──ッ」
すると突然、ジャバウォックは背後へと拳を振るい、いつの間にか背後に回り込んでいた古市が叩き落とされた。
「身を捩って直撃を避けたな。良い反応だ」
「ふざけろ...。ちっとも本気を出してないクセに」
彼の言う通り振るわれた裏拳を古市は辛うじて躱せた。しかし額に掠っただけで深い切り傷が刻まれ、彼女の額から少なくない血が垂れ始めた。
身体を転がしつつ距離をとった古市はゆらりと身体を起こして目の前の
悪魔野学園で戦ったオドネルの様な防御の魔術を使った形跡は無く、ただただ異常なまでの耐久性と果てしない膂力のみで彼は古市に思い知らせた。
次元が違う。技術や戦略のどうこうで勝てるような相手じゃない。
圧倒的で埋まることのない種族差がそこにあった。
「良いな...もっと来い。俺を楽しませろ」
「ワタシはアンタのピエロじゃない。いくら格下だろうが、油断してたら痛い目見るぞ..」
「見せてみろッ!」
強がりの言葉に応えるようにジャバウォックは予備動作のない驚異的な速度で古市へと肉薄する。
「───ちぃッ!?」
辛くも目で追うことが出来た彼女が反射的に飛び下がって拳を過剰なぐらいに大きく躱した。理由は明白、彼の振るう拳はその風圧だけでも恐ろしい威力となるからだ。
大気を揺るがすその剛腕に彼女の背筋に冷たいものが走る。
「逃げるだけかぁッ」
飛び上がった古市を追いかけてジャバウォックは突進。しかし、すでにそこに彼女はいない。
"
────しかしそれは空を切った。
完全な死角、そしてなにより早乙女ですら初見で対応できなかった"
「マジか..!?」
「ハハッ..速ぇなぁ!!」
心底楽しそうに凶暴な笑みを深めるジャバウォックは躱した動きから流れるように攻撃へと移る。
体勢を立て直し直撃を避けるが、直ぐに襲いくる強烈な余波に耐えきれず古市は吹き飛ばされた。
揺れる意識を気合いで保ち、吹き飛ばされながらも10振りの"伊太刀"を撃ち放つ。されど、どれも致命傷にもならず肉を浅く切り付けるのみ。そして瞬く間に再生された。
理不尽。その言葉を形にしたような目の前の存在に古市は血と共に冷や汗を流し、ただただ舌を巻く。
そしてその驚愕は図らずとも隙となる。
「ぁ───」
気づいた時には力強く握られた拳が鼻先寸前にまで迫り、
───爆発にも似た炸裂音と鈍い骨の砕ける音が空に響いた。
「今のも反応できるのかッ..!」
「───〜〜..ッッ!!!」
顔面に剛拳が叩き込まれる寸前、彼女は右腕を差し込み急所に当たることを防いだ。しかし驚異的な威力の拳は差し込んだ右腕を容易く叩き折り、防御の上から強引に頭部を殴り付けた。
殴り飛ばされた古市はひしゃげた右腕と血が止まらない額からのあまりの激痛に言葉にならない苦悶の声を漏らしてしまう。
倒れ伏し、激痛にもがき蹲る。瞳からは意思とは関係無く勝手に涙が零れた。
だが、整った顔を歪ませながらも、揺らぐ意識を繋ぎ止めて彼女は立ち上がる。
折れ曲がった右腕、顔上半分を紅に染めながらも立ち上がり、彼女は目の前の龍を見据えた。
「立ってくれたか...。諦めてくれるなよ?まだ出来るだろ..出来るはずだ」
「...う..るさい..!」
苦痛に喘ぎながら、されどその瞳は死なず。それどころか戦意はより研ぎ澄まされていく。
ジャバウォックも悟る。この類の相手はたとえ首だけになろうと喰らい付いて戦い続ける。狂気的とも言える強靭な精神、それを悟り彼は心からの歓喜に震えたのだ。
「つくづく残念でならねぇな..。お前が悪魔じゃなく人間であることが。人間のままにしておくには勿体ねぇぜ」
「..勝手なこと言ってんな....!はよヒルダ返せ!」
ぶらりと垂れ下がった右腕を隠すように半身で構え、左の拳を握りしめる。
「ハッ..そんなもん俺にとっちゃどうでもいい、下の契約者次第だ。もう俺の興味はお前にしかねぇよ古市紬貴」
「......」
ジャバウォックから目は離さず、古市は風を手繰り寄せて下の男鹿たちの様子を伺う。男鹿は未だ救助に手こずっているようでヒルダを取り戻せていないようで、まだ時間がかかりそうであることを感じ取る。
この男を前にどれだけ時間を稼げるのか、最悪のケースすら脳裏をよぎった。
「..おいおい、この期に及んでまだ下の奴らに気が逸れるのかよ。仕方がねぇ、お喋りは趣味じゃねぇが..やる気が出せるようにクソガキとオヤジがあの女を狙う理由を教えてやる」
「..ああ?」
ボリボリと後頭部を掻きながら何故か突然話し始める姿に古市は困惑。だがジャバウォックは気にかける様子もなく話を進める。
「簡単な話だ...この間の失態で元々の侍女悪魔共をオヤジがクビにしてな。代わりに優秀らしいあの女を側に置こうって話だ。クソガキも渋ってたがオヤジの話に乗せられて今じゃ完全にその気だ」
「...ついでに邪魔な弟の勢力を削ぐ..ってワケ?陰湿だな」
「オレもくだらねぇと思うぜ。優秀な者は弟より兄へ..権力争いなんざ心底くだらねぇ」
冷たく吐き捨てる古市。目の前の男は嫌いだが彼も吐き捨てた言葉に共感してしまう。
「..ヒルダはベル坊を心から敬愛してる。捕まえたとしても素直にガキンチョに従うはずがない」
「そうだろうな、だから従うようにする」
────女の
「────..」
「侍女悪魔ってのは仕える相手に命が尽きるまで何があろうと従い続ける。だがな、記憶を消せばその忠誠を無かったことにして新たな主人に従わせることができんだよ」
まるで物を扱うようなその物言いが、
己と彼女の繋がりを消えるという現実が、
ベル坊とヒルダを引き裂くその企みが、
「───ブッ殺してやる..」
到底許せはしない。
能面のように表情は抜け落ちていた。血まみれの瞳はどす黒く濁り、溢れ出た濃密な殺意が辺りに吹き荒れる風に乗ってこの場の空気を犯していく。
「いい殺意だ...漸くやる気になったか..。俺もらしくねぇことしたんだ、もっと楽しませてくれよ?」
対してジャバウォックもその濃密な殺意を受けて獰猛に笑い、圧倒的な闘気を隠さない。
最初に動くのはやはり古市。"
対するジャバウォック四方八方から雨の如く襲いかかる攻撃をどれも完璧に対応していた。躱し、防ぐ、反撃こそする間もなく飛び去っていくが何一つ彼にとって脅威とならない。
「...さっきより遅ぇな。斬撃すら一つも来ねぇし動きも直線的....この期に及んで俺を舐めてんのか..」
殺意に反して温い攻撃に眉を顰める。側から見れば苛烈な攻撃であるがそれでも明らかに先ほど比べて温い。
速度も、重さも、威力も、何もかもが一段と弱いそれが何より彼女の圧倒的な殺意とちぐはぐだった。
怒り故か、直線的な動きとなった攻撃はいくら速かろうが、
「タイミングが掴みやすいぜ」
背後から襲い来る次の攻撃を読み切りカウンターを合わせた。位置もドンピシャ、確実に彼の剛拳が彼女に叩き込まれる。
寸前、姿が消えた。
剛拳は空振り拳圧が遠くの雲を散らす。
「..だよなぁっこのまま終わる訳がねぇ...!!」
背後に回り込んだ古市へと首だけを向ければ左腕に螺旋を描くように3振りの斬撃がまとわり付いていた。
────
貫通力を恐ろしく高められた拳がジャバウォックの鳩尾目掛けて振り抜かれた。確かな手応えと血飛沫が舞い、
そして直ぐに骨の砕ける音と激痛が彼女を襲った。
「良い一撃だ..だが終いだな。捕まえたぞ?」
わざと反撃の隙を見せ翻弄し、逆に作り出した彼の大きな隙に叩き込んだ必殺の拳は彼の腹部を抉った。
だが、それでもギリギリで躱され逆に腕を掴まれ握り潰される。恐るべき握力に彼女の腕が鉛筆のようにへし折られ、血が吹き出した。握る彼の腕も風に切り刻まれるがそれでも再生されてしまった。
だからなんだという。大した問題ではない。
「..あ?」
腕なぞくれてやる。動きを封じられるのは狙い通り。
本命は左じゃなく右だ。
「────..!?」
叩き折った筈の右腕の掌に
それは今まで彼が永く生きてきた中で初めての経験であった。
意思とは関係なく身体が勝手に魔力を全身に張り巡らせ、回避の姿勢を取り始める。しかし避けるにはあまりに近づきすぎ、気づくのがあまりに遅すぎた。
なぜ気づけなかった。古市紬貴に収束していた風は先刻の比では無かった筈なのに速度も威力も格段に落ちていた理由に。
怒りに呑まれたあの表情も感情的な動きもこの技に気付かせない仕掛けにしていたことに。
燃え盛る激情を腹に据えながら、それでも尚この女は冷静に虎視眈々と狙い続けていたのだ。
確実に仕留められる大きな隙を。
そして、激痛を無視して折れた右腕を動かし、ガラ空きとなった顔面へと掌を全力で振り抜き、掌の球状の風の塊を彼の口元へぶち込む。
掌にかき集められた風は幾重にも重ねられ圧縮を繰り返しただけの単純な事。幾重にも重ねて重ねて、やがて目に見えない筈の風が可視化させるるほどに圧縮を極めた。
その圧縮をやめれば当然、掻き集められた風は一気に膨張し、
悉くを破壊し尽くす。
大気を震わし、空を割らんばかりの衝撃を間近で受けた古市はなす術なく吹き飛んだ。受け身すらまともに取れずソドムの背を転がりながらも、なんとか体勢を取り直した。
その拍子に電流のように痺れた痛みに顔を歪ませ、目を右腕に向ける。
「...もう右腕は元に戻らんかもな」
折れていた右腕は衝撃によってさらにぐちゃぐちゃ折れ曲がり、最早真っ青に染まっていた。
両腕は死に肋骨や鎖骨も損傷したが、そこまでして漸く倒せた。視線の先で倒れ伏す彼は、頭部はおろか肩にかけてまで吹き飛んでいる。
「どれだけ再生しようが..頭が吹き飛んだら流石に終いだろ...」
自傷覚悟の一撃がもたらした結果をその眼に刻み、胸の内に不愉快なざわめきが湧き出てくる。悪魔とはいえ初めてこの手で命を絶った。この事実がどっと身体に重くのしかかり、そのくせ胸の内から湧くざわめきは不愉快にもヘカドスを相手にしたときと似た高揚感に似ていた。
退魔の札がない故か、また少し気質が傾いた。
内心で住職に詫び、古市は痛む身体を無理に動かして背を向ける。
「男鹿の方は手こずってるようだな..。早く手を貸しに行かないと」
下からくる風を感じ取り男鹿達の様子を伺う。どうやらソドムは先程の男鹿の一撃により警戒を高め、なかなか口を開かないようだ。
戦っている最中でも下から何度も爆発音が聞こえてきていたことからかなり苦戦しているのがわかる。
ならば例え両の腕が死んでいても早く己も助力にいき口をこじ開けるべきだ。古市はすぐに尽きかけの妖力を駆使して風を作り出す。
「───どこ行くんだ?」
彼女の声ではない。
聞けるはずのない声を、終わらせた筈の声が耳に届いた瞬間、彼女の身が強張った。目をまん丸と見開いて動揺する。
そしてゆっくり、恐る恐ると振り返れば、倒れていた筈の遺体が立ち上がり吹き飛んだ傷口から大量の黒い靄が立ち上っていた。
「..お、おいおい..。冗談きついぜ..」
頬が引き攣り信じたくない物を見るような視線を向ける。だがしかし信じたくなくとも現実は非情で、立ち上る靄から肉体が再生し始めてゆく。
徐々に靄が晴れていけば、肩が出来、やがて顔が作られていく。
「色々覚悟を決めた一撃だったんだぞ...」
「誇れ。何せ俺がここまで手負を負わされたのは初めてだからな。ただお前は俺の首を狙ったのが失敗だっただけだ」
靄が晴れていけばそこには傷一つないジャバウォックが不敵な笑みを浮かべていた。
「確かに大体の悪魔は首を吹き飛ばせば死ぬが、そうでもない奴だって珍しくねぇ。俺のようにな..。狙うべきは首じゃなくて
悠々と語る様は戦いが終わったと言わんばかりで、猛獣のように研ぎ澄まされていた圧倒的な闘気もなりを潜めていた。
だが、態度とは裏腹に彼の右の掌に魔力集まり始めていく。
「本気を出すまでじゃあなかったが...かなり楽しめた。礼に俺の得意で終わらせてやる」
そう言うと彼は極限まで魔力を集めた掌を無造作に向け、
───古市は激しい光に呑み込まれた。
「───..ん」
ヒルダが目を覚ました時、辺りは何も見えない暗闇に覆われていた。身体を動かそうにも何かが絡みつき動かすことができず、何より怪我の再生が阻害されていた。
ソドムに呑み込まれてからどれだけ経ったのか、何故自分が狙われたのか、様々な疑問が湧き出てくるがそれよりも大きな懸念が一つ。
「...坊ちゃまは無事に逃げられただろうか」
愛しき主人の安否である。こんな事態ではあるが、ベヘモットやジャバウォック達にベル坊と男鹿を狙う気が無かったのがせめてもの救い。
捉えられた彼女は依然自分の身よりも主人のことだけを案じていた。
この非常時に主人の下に居られないこと未熟さただただ腹立たしく、自分なぞのために危険に晒してしまったことが赦せない。
「..男鹿の奴が上手くやっているといいが」
今はただ信じることしか出来ない。主人の選んだ男が上手く逃げ切れていることを。
そう考えたその時、地震にも似た大きな振動に襲われる。
「な、なんだ?」
ソドムが暴れているのかと警戒するがすぐにその考えを打ち消す。その振動は竜自身ではなくその上からであり、激しい戦闘の余波であることをすぐに察知していた。
「なにが起きている..?この魔力に似た気配は..ツムギ!?何故アイツここにいるんだ..!」
いるはずのない友の気配に困惑するヒルダ。
そしてすぐにその気配を途方もない魔力の奔流が呑み込み、先ほどより激しい揺れが襲い来る。
状況がわからず、身体を動かすこともできない彼女はただ歯痒く狼狽することしか出来ない。
すると驚愕していた彼女の耳にくぐもってはいるが聞き慣れた声が届いた。それは閉じられたソドムの牙の向こうからだった。
「──こんのッ!!いい加減口開けろや!!クソドラゴン!!」
「ダーブッ!!」
何故。何故愛しい主人の声が聞こえてくる。この危険極まりない死地にわざわざ戻ってきたのか。
片足が折れているのに、勝てないと思い知った筈なのに、何故戻ってきた。心底からくる驚愕の後、
理解できない行動への怒りが湧いてくる。
それ知らずに牙の向こうで男鹿は思いっきり拳を何度も牙へと叩きつける。退魔の札を握りしめ、魔力を込めた拳を叩きつけていく。
それを嫌がるかのようにソドムは乱暴に首を振って振り落とそうとしてくれば離されまいと必死にしがみつき拳を叩きつける。
何度も魔力と退魔の力で殴りつけられたソドムの牙は耐えきれず亀裂が走り始めた。
「大人しくしやがれ!!あと少しで───」
「馬鹿者!!!何故戻ってきた!!」
「うぉ!?」
腹の奥まで響く怒号に驚き、掴んでいた手をうっかり離しそうになる。なんとか耐えて体勢を安定させるのに努めた男鹿にヒルダはさらに畳み掛ける。
「私のことはいいと!!坊ちゃまを連れて逃げろと言ったはずだ!!私なぞの為にこれ以上無闇に危険を犯す必要はない!!」
「....」
「お前に託したのに...!!何故」
「ごちゃごちゃうるせぇッ!!!」
叫んで突き放そうとするヒルダをさらに大きな声で男鹿が怒鳴りつける。
「な..貴様何を..!!」
「テメェが何と言おうが知ったことか!!いつもいつもエラソーに指図ばっかしてきやがってうっとおしいんだよテメェは!!」
「今はそんなことを言っている場合か!!」
「テメェの言うことなんざ知るか!!黙って助けられてろバカ!!」
強腰の言葉と共に力強く拳を殴りつけ、牙の亀裂が更に広がった。
「毎度毎度俺の目の前で俺を庇ってやられやがって..!挙げ句の果てにいつもテメェは自分の身体の状態なんざ二の次で!!寝覚めが悪ぃんだよ!!」
更に強く殴りつける。
「テメェを省みねぇでいつも
更に亀裂が走り、破片が飛び散る。
「俺を父親と認めようがなんだろうが!!
「────..」
「その鬱陶しい前髪上げて!!しっかり見ろ!!コイツが今!!どんなツラしてんのか!!」
大きく振りかぶり、全力で拳を叩きつけ、
「────コイツが何考えてんのか!!!」
ソドムの牙が砕けた。
全力で拳を振り抜いた男鹿が勢い止まらずソドムの口内へと転がり入ってくる。
「うぉぉ!?足イテェ!?骨折れてんだった!!つか臭っさ!」
「ム゛ー..」
転がり入ってきた男鹿はすぐさま身体を起こし折れた足を抱えて痛がり、かとおもえば直ぐに獣特有の口臭さに鼻をつまんだりと忙しないリアクションを繰り広げていた。
肩に乗るベル坊不快そうに眉を顰めている。
その姿をヒルダは見た。さっきまで強気な言葉とは似つかわない緊張感のない姿。
それでも彼女は見た。侍女悪魔たる己の為だけにここまで助けにきてくれた愛しい主人の姿を。いつもと変わらない仏頂面、それどころか眉を顰めている分さらに可愛げがない。
それでも。その奥の何かに気づけないほど、彼女の目は節穴じゃない。
「うわ、なんだその絡みついてるキモイの?剥がすぞ」
呆然とするヒルダから拘束していたものを男鹿は力づくで引き剥がす。なかなかに固くくっついているところは退魔の札を貼り付け燃やし、そしてヒルダを解放する。
「おら行くぞ」
「....」
手を差し伸べるがヒルダは動かない。ベル坊の想いも見て、それでも彼女は手を伸ばせない。ただでさえ彼自身も狙われているのに己まで近くにいれば無用な危険に晒してしまう。
ただの一介の侍女悪魔にそこまでする価値はない、ここで切り捨てるべきだと彼女は考え、しかしそれではベル坊の想いを裏切ることになる。
ぐるぐると思考が巡り動き出せないでいる彼女の両頬に、
小さな手が添えられた。
「..坊ちゃま?」
「アーイ」
むにむにと、男鹿によって突き出されたベル坊は彼女の頬をこねくりまわし上機嫌に声を漏らす。意味がわからずヒルダは唖然とする。
「ぐだぐだ考えてねぇでさっさと帰るぞ。俺だけにコイツの面倒押し付けようなんざ許さねぇからな」
「...私は」
男鹿が差し伸べた手へ、意を決したヒルダが手を伸ばす。
そして彼女の背後に突如虚空が開いた────
「上手くいなしたな..」
感心を隠さずに呟くジャバウォックが掲げる右腕の先には、全身重度の火傷を負った古市が首を掴まれていた。
意識がないのか四肢はだらりと力が抜けていて、どこも無事と言える場所がない。しかし微かに呼吸の音が聞こえる為生きてはいた。
「俺の放った魔力の放出を最大限風へと変換して散らし、本来骨すら残さない威力をここまで弱めた..。並の技術じゃ到底出来ねえ。絶技といっていい」
彼にとって惜しみない心からの称賛だった。例え本気を出すまでもなかろうと、彼にとって彼女との戦闘は退屈な侵略行為から心から奮える喧嘩にまで昇華したのだ。
「テメェと会えただけで
彼の言葉に古市は反応を示さない、示せない。焦点すら合っていない彼女に語りかけていたジャバウォックは首を掴んでいた腕とは逆の手を構える。
「あの世で誇るといい、俺もテメェの名前を覚えてやる」
そして彼の貫手は、
「じゃあな。古市紬貴」
彼女の心臓目掛け、胸のど真ん中を容赦無く貫いた。
────しかし、
血飛沫は一つ上がらず。手応えは何一つない。
「────ぁ?」
理解できない現象にさしものジャバウォックも困惑隠せない。外した訳でも、腕を切り落とされたわけでもない。
彼の目には確実に腕が貫いているのが見えている。だが何も手応えがない。
立ち始めた静かな風は、嵐の予感を孕んでいた。
この作品投稿初めてほぼ一年。色んな人に見てもらい嬉しい限りの一年でした。また来年もよろしくお願いします!
良いお年を!