TS異能力古市   作:ブッタ

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あけましておめでとうございます(激遅


第52話 蒼天仰いで風は凪いだ 後編

 

「カズくーん!!今の見た!?でかいドラゴン!」

 

 騒然とする校庭を駆け足で通り抜け、藤崎は呆然と校舎を見ていた幼馴染へと興奮した様子で声をかける。

 

「びゅーんって飛んでった!!」

「校舎壊れてんのに相変わらずノーテンキだなおまえ..。ていうか俺はまだ自分の目を疑ってるよ..」

「CGかな?」

「映像じゃねぇだろ....」

 

 言葉で彼女の言葉を否定するが胸の内で理解は示す。ドラゴンという存在自体空想や物語の中だけでの話。

 今彼が見ていたまさしく神話から飛び出てきたような生物など現実に居るはずもなく信じられないものだ。何か映画の撮影か、そうでもなければ夢でも見ているかと思い込みそうになる。しかし校舎に刻まれた爪痕や風圧で割れた窓が現実であることを物語っていた。

 

「先生達もパニクってるし..何か撮影って訳じゃないみたいだな」

 

 周り見渡せば教員達が校舎から生徒を連れて校庭へ避難してきた。誰も彼も切羽詰まった表情をしている。

 とりあえず自分達も彼らに合流しようと藤崎の手を取り向かおうとするが、

 

「───ねぇカズ君」

「なんだよ。俺たちも早く先生達の方へ...」

「カラス───」

「は?今更カラスなんか珍しくねぇだろ?」

 

 いきなり何を言っているのだと困惑する山村。彼女の視線を辿って見上げれば、

 

 無数の真っ黒な眼がこちらを捉えていた。

 

 電線や住宅街の屋根を全て覆うほどの夥しい数の鴉がそこに居た。

 

 そのくせ鳴き声ひとつ立てない様子は不気味としか言いようがなく、その異様な光景に藤崎も山村もしめやかに息を呑んだ。

 

 困惑を隠せず、一歩後ずさる。すると突然全ての鴉が首を遠くの空へと向けた。ソドムが飛んでいった方向だ。

 一匹残らず同じ方向を向いた光景がさらに不気味さを増す。恐る恐る彼等も視線をそちらを向けるが珍しいものは特に見えない。

 

 彼等はその時、頬を優しい微風が撫でるのを感じた。

 

 そして、その微風に乗るように無数の鴉達は一斉に音を立てて飛び立った。先ほどまでの様子とは一変してけたたましい鳴き声が空に響く。

 

 青い空一面を黒く染めるように飛び交いながら、夥しい数の鴉の群れはまるで意思を持つようにうねりをあげてソドムが飛び立っていた方向へと飛んでいった。

 

「...ひゃー..。あんな沢山のカラス、私初めて見たよー」

「この間見たホラー映画思い出したぜ..」

 

 無数の鴉が飛び立っていったことで彼等の肩からどっと力が抜け、謎の疲労感に彼等はただただ翻弄される。

 

 鴉達が飛び立っていた上空の雲は異様に速く流れていた。

 

 

 

 

 

 ジャバウォックの貫手が古市の胸を貫いたその瞬間、彼は考えるより先に首を掴んでいた側の腕を振って彼女を放り投げていた。

 

 跳ねて力なく転がる彼女の身体は全身大火傷で傷だらけ、決して無事とは言えない姿ではあるが、彼女の胸に貫いたはずの傷がない。

 まるで蜃気楼の幻に手を翳したかのように貫手はすり抜け手応えはなかった。何が起きたのか理解はできず、されどそれだけだった。

 先ほどまでの肌を突き刺す程の殺意はこれっぽちも無く、肌を粟立たせていた圧も感じられない。所詮は死に体の人間がする最期の悪足掻き程度の認識でしかなかった。

 

 しかし、彼の身体はそれに反して死に体の彼女を放り投げてまで距離を取ろうとする。

 

 絶対的強者である己が、たかが死にかけの人間の相手に一瞬とはいえ逃げ腰の姿勢を取ったことが彼は信じられない。

 何故もう戦えない筈の人間から、何故もう何も感じない相手から、自分は逃げた。理解できない現象に困惑していると、放り投げられた古市が動き出す。

 

 放り投げられた衝撃で意識を取り戻したのか、限界に震える身体に無理を通して立ち上がった。

 

「...まだ立つか。もう戦えねぇだろうが」

 

 ジャバウォックの言葉に古市は何も返さない。否、返せない。喉まで焼けたのか声を発することはおろか、呼吸の一つ一つが地獄の痛みを引き起こしていた。

 しかしその痛みに反して今にも飛んでしまいそうなくらいに身体が軽くなっていく。微風にすら吹き飛ばされてしまいそうくらいに。

 

 不思議な感覚だ。生きている心地はまったく無いのに、ふわふわと身体が軽い。まるで身体が空気に溶けていくような不思議な感覚。

 そしてこの感覚が何故かひどく懐かしい。

 

 血を流しすぎたのか思考がまとまらない。

 視界が歪み、足元がおぼつかない。

 

「お前程の奴が無様な死に方をするな..。今終わりにしてやる」

 

 何を言っているかうまく聞き取れない。それを知ってか知らずか、ジャバウォックはトドメを指す為に全速力で瞬時に距離を詰める。

 

 

────彼女にはそれが随分と遅く見えたのだ。

 

 

 

 

「───..ッ?」

 

 か細い声が血と共に吐き出された。顔面を襲った衝撃の余りの強さに意識がコンマ数秒飛び、いつの間にか蒼天を仰いでいた。

 

 倒れていたのはジャバウォック。

 

 意識を取り戻した彼は飛び跳ねるように身を起こした。

 

「..ぁ?何が..?」

 

 何が起きたか、困惑しながら呟いたが彼の胸中で答えは出ていた。そんなもの当然古市が攻撃したに決まっている。死に体の彼女がどうやって動いたのかは知らないが彼女の仕業であることは考えるまでもない。

 

 油断はしていた。慢心もあった。

 

 しかし、決して目を離していた訳ではない。今度こそ確実にトドメを刺す為にしっかりと見ていた。指の細かな動きどころか呼吸による微かな浮き沈みのリズムの変化すら見逃さないように。

 妙な動きは何一つなかった。しかし今、己は意識を飛ばされて空を仰いでいた。

 

 その時、彼の頬を背後から微風が撫でる。誘われるようにそちらへ顔を向ければいつのまにか古市がそこに居た。

 だらりとボロボロの両腕を垂れ下げて構える彼女の表情はよく見えない。しかし全身に風がまとわりついていく。

 

「..ハハッ..!まだ、やれんのか..!?」

 

 もう終わりだと思っていた相手の再起にジャバウォック牙を剥いて笑う。心が再び湧き踊り始め彼の戦意が研ぎ澄まされていく。

 

 彼女がかき集め纏う風は明らかに先ほどより遥かに弱い、ただの微風。人目で分かる、限界だ。動けるはずもない。なのに何故こんなにも心が躍る。何故こんなにも、

 

 ────背筋が凍りつくのだ。

 

 そして、まとわりついていた微風が不自然に動きが速まる。

 来る。

 そう感じとった時には既に彼の腹へ彼女の蹴りが突き刺さっていた。否、()()()()()()()()()()()()()には既にそこに彼女は居なかった。

 

「....!?!?」

 

 胃液を撒き散らし、心の底からの驚愕に身を固めてしまう。

 タイミングは完璧、動く瞬間も見えていた。なのに気づいたら攻撃は終わっていて為すすべなく叩き込まれている。

 

(疾ぇなんてもんじゃねぇ..!!来る予兆を認識していたら間に合わねぇ..!?)

 

 目で追えない、なんてものではない。認識するのすら辛く彼の鋭い野生の勘すら警鐘を鳴らすのが間に合わない。

 そして衝撃と驚愕に身を固めたコンマ1秒に満たない隙に後頭部から追撃、その威力は頭部の左半分を吹き飛ばした。

 

 右胸、首、股、脇腹、脚。

 上、下、右、左、斜め、後ろ、前。

 

 縦横無尽、全方向からコンマ1秒の間隔も無しに攻撃が叩き込まれる。速度も威力も先刻の比ではない。

近づいて攻撃、反撃をされる前に距離を取る。言葉にすればただそれだけの一撃離脱の戦法。

 それだけの戦法が、彼女の手によって必殺のものへと変貌していた。

 

 

 

 死に体だった筈の彼女の突然の変化。

 アメリカのスポーツドクターがある日突然雷に打たれて死の淵を彷徨ったのち、突如ピアニストとしての才能が開花した事例があるように、全身を貫いた膨大な魔力の奔流の灼熱と衝撃によって瀕死の彼女もまた奇跡に見舞われていた。

 退魔の札を持っていなかったこと、ジャバウォックに大して激しく憎悪を抱いたこと、死に際で物心ついた時から制御してきた妖力がその手を離れたこと、そして外部からの大量の魔力を浴びたこと。

 数々の条件が重なり、生み出された奇跡は彼女の能力と身体を一瞬だけ完全なる妖怪の状態へと押し上げていた。

 

 だが、まさか奇跡的に押し上げられた能力が都合よく身につく訳でもなく瞬く間に死に際の人間の身体へと引き戻されていく。

 

 ────しかし、古市紬貴は天才である。

 

 神に愛され生まれ持った天凛と、16年間住職によって物心つく前から続けていた妖力制御の修練の結実がただ一度、一瞬の奇跡の交錯をもって彼女の世界を数段階広げたのだ。

 

(今なら分かる..。あの時爺さんが言っていた、風はワタシの味方だって話の意味が...)

 

 攻撃はより熱と苛烈さを増していき、されど彼女の頭の中は氷を突っ込まれたように冷えていく。

 

(けれど、人間である爺さんの感覚の言葉は少しズレてた。──風は味方というより、()()()()()。手足がワタシの意思に裏切ることがないように、風はワタシの意のままにしか動きはしない)

 

 冷えていく脳内で彼女は思考に更けていく。

 

(風は操るものじゃなかった...。あの溶けていく感覚の..、この解釈の向こう側にきっとあのすり抜けた能力の真髄がある)

 

 独自の解釈と道筋を経て、彼女の術式はより効率化が成される。操るという感覚を捨てた彼女の速度は常識も理も追い抜いて、

 

「良いぞッ!!俺も本気をォ───ッ」

 

 

────やがて音すら遥か彼方へ置き去りにした。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 結果、ジャバウォックは彼女を捉えることが出来ず息つく間も無く襲い来る攻撃の嵐と超速で通り過ぎる際に発する衝撃波に一方的に打ちのめされていく。

 

 だが彼とて案山子のようにただ打ちのめされるほど素直であるはずなく、当然反撃を試みる。どれだけ疾かろうと、目では追えなかろうとその速度故かどれも直線的な動き。魔力を身体に巡らせ防御に徹し、予測を立てる。

 

 だがその魔力を巡らせる前に業風が彼の身体を抉る。

 予測すら間に合わせない、魔力も練らせない、出を全て潰し彼には何もさせない。

 すり抜けたあの現象、あれは今では出来ないことは研ぎ澄まされた感覚で確信している。なによりジャバウォックを相手に未確認の受け身の技術使うなど大きすぎるリスクは取れない。

 

(コイツには何もさせない..!行動の出は全て潰す..!!今ここで、この感覚が消えないうちに終わらせる!!)

(化け物め..!迅すぎる!!本気を出すどころか息すら出来やしねぇ!)

 

 劇的な変化と常軌を逸した速度に翻弄され舌を巻くことしか出来ないジャバウォック。しかし古市も優勢に運べている様に見えるが命懸けな綱渡りの状態である。

 そもそも彼女は才能を開花させたとはいえ生死を彷徨っている状態には変わりはない。全身の重度の火傷に両腕の複雑骨折、鎖骨に肋、頭蓋骨の損傷や脳震盪など動けることは当然意識を保てていることすらおかしいのだ。

 

 だからこそ彼女は限界を振り切って攻撃の手を緩めない。ここで少しでも緩めれば身体が動かなることくらい想像に難くないから。

 全身の激痛を無視して繰り出される無数の一撃達はジャバウォックの腕を吹き飛ばし、腹に風穴を開け、次々と深傷を作り出していく。

 

(拙い!再生が間に合わなくなってきやがった..!?いや、それ以上に俺の魔力の消耗が明らかに激し過ぎる!!)

 

 いくら悪魔が桁外れの再生能力を有している種族とはいえ不死身ではない。再生能力は魔力の消耗が激しく、そして魔力量は悪魔の生命力に比例する。しかしいくら再生能力が魔力の燃費の悪い手段だとしても、あまりにも消費が釣り合って無さすぎるのだ。

 

 その時彼は気づく。彼女に負わされた傷口から不自然な風と共に魔力が漏れ出していることに。

 

(コイツ..!自身の術式を傷口に埋め込んで直接俺の魔力を散らしてやがった!!)

 

 彼女のその発想は、一度ヘカドスの槍に貫かれた際の経験から来ているものであった。絶え間なく攻撃を続ける傍らで彼の体内に術式を埋め込みで魔力の消耗増大と制御妨害を図っていた。

 それ故気付かれることなくここまでジャバウォックを追い詰める。

 

 これ以上無尽蔵に作り出される深傷を再生していては何も出来ず魔力が尽きてしまう。狙って反撃をするには疾すぎて当たらない、それ以前に通り過ぎる際の暴風と衝撃波に身体が取られて上手く動かせない。

 

 彼は今、生まれて初めて命の危機をその肌に感じていた。

 

「が...あ゛あ゛ァァっ!!!!!」

「───ッ!?」

 

 血を吐き出して吼える。同時にジャバウォックを中心として無差別に魔力の奔流と激しい熱が吹き荒れた。

 

 苦し紛れとしか言いようもないとは言え予備動作も何も無いそれは古市にとってされたくない嫌な手であった。灼熱に身体が更に焼かれていく、突然の衝撃波に吹き飛ばされしまう。

 限界をとっくに超えていた身体には最早痛覚が鈍くなり意識が揺らぎ始めてきた。

 

(まだ..!!)

 

 揺らぐ意識を自身の舌を思いっきり噛んで繋ぎ止める。すぐさま体勢を立て直し再度突撃の姿勢を取るが、その時点で既にジャバウォックも迎撃の姿勢を取っている。

 

 傷の再生は無い。今の苦し紛れの攻撃にもかなりの魔力を消費が強いられたか、否、それ以上に彼が再生に魔力を回している暇は無いと気付いたのだ。

 

 隙はない。魔力の流れが彼の眼に集中しているのが感じる。魔術か何かで動体視力を上げているのか、他の何かか。

 どうであれ古市は彼を相手に真正面から挑む他はない。なにより1秒でも時間をかければ相手に準備させてしまう。

 1秒にも満たない思考に答えを出し、古市は大気を切り裂いて突撃する。

 

「来い...!!」

 

 ジャバウォックも決して目を離さない。

 音を置き去りにする彼女の動きを限界を遥かに超えて強化した動体視力で捉え続ける。

 それでもはっきり見えている訳ではない。気配と嗅覚、持ちえる全てを駆使してただ一瞬、カウンターのタイミングを伺い続ける。

 実際の時間にしては1秒に満たなくとも彼には無限にも近い感覚だった。

 

 そしてその瞬間を完璧に捉えた。

 

 思考は存在せず、力任せに拳を振るう。大気を揺るがし、豪風を作り出す悪魔の拳。

 

 

 だが、

 

「────ッ!?」

 

 タイミングが完璧だとしても拳が彼女を捉える事はなかった。

 

(躱した!?いや、当たる寸前に風で無理矢理身体を押し下げやがった!!)

 

 魔術で音速を超える彼女の動きを認識できる動体視力を手に入れたとしても、()()()()はその目に捉える事はできない。

 完璧にタイミングを合わせた拳は彼女の顔面に叩き込まれるかに思われたが予想だにしない突然の不自然な軌道変化に対応出来ない。

 

 結果、彼の拳は彼女の顔面を掠めるのみだった。顔の右半分が大きく裂け派手に鮮血が舞い上がる。

 しかし左眼だけを力強く開いて彼女は狙いを定めている。

 

(潜り込まれた..!!だがこの体勢からは脚は使えない!両腕も死んでいる筈..いや左腕か!!)

 

 彼女の左腕はぐちゃぐちゃの右腕に比べれば未だ傷が軽い。しかし腕の骨は握りつぶされており普通はうごかせるものじゃない。

 

(コイツなら動かす!!だが..!さっきの隙の内に心臓には既に魔力を集中させている!!届くことはあれど貫かれることは無い!!)

 

「ォアアアア゛ア゛ア゛っ!!!!」

 

 古市は死力を尽くすように焼けた喉を駆使して咆哮を上げ、壊れてた左腕を振りかぶる。風が纏わりついた拳は彼の心臓へ、

 

 ではなく顎先へ叩き込まれた。

 

「────ぁ゛」

 

 声が漏れた。脳を揺らされ意識が刈り取られる。

 

 壊れた拳を振り抜いた古市はその勢いのまま通り過ぎるように既に距離取っており、直ぐに身体を翻した。

 

()った!!心臓に集中してた魔力が消えている!!狙うなら今!!)

 

 如何に再生能力があろうと意識を失えばそれまで。抵抗することなく落下していくジャバウォックに向けて最高速度で翔んでいく。

 

 大気を切り裂き、音を置き去りにして、韋亥沙(イイズナ)を纏わせた脚で蹴りを放つ。

 

 穿つは心臓。

 

(これで、最後!!!)

 

 超速の蹴りが無防備のジャバウォック胸を貫き、心臓を破壊する

 

 

 

 ことなく古市の腹に風穴が空いた。

 

 

 

「────!??」

 

 不意を突かれた魔力による光線の攻撃に古市が反応出来ない。せり上がる血を吐き出し、驚愕に身を染めながらも気絶していた筈のジャバウォックを睨み上げる。

 

 だが彼は依然意識を失っている。彼の仕業じゃない。

 すると空を飛んでいたソドムが突然虚空に呑み込まれて姿を消していく。

 何が起きているのか狼狽を隠せずにいれば、落下していく彼の直ぐそばにまた虚空が突然開かれた。

 

「まさか..これほどまでに追い詰められていたとはの」

 

 虚空から手が伸び、意識のないジャバウォックを掴んで乱雑に引き摺り込んだ。その際に虚空から覗かせてきた姿に古市は見覚えがあった。

 

「..朝の腐れジジイ...!!」

「また会ったの古市紬貴。それとワシはベヘモットじゃ」

 

 まさか朝に出会った老爺が敵対組織の親玉だった驚愕とか、あと少しでトドメをさせたのに横槍を入れられた苛立ちだとか、この土壇場での新手の登場という絶望的状況だとか。

 胸の内に浮かんできた多くの物を彼女は一瞬で彼方へと吹き飛ばした。

 

 その隣に見た見慣れた友人の姿が見えたのだから。

 

「ヒルダッッッ!!!」

 

 ベヘモットの腕の中で捉えられたヒルダの姿を目にした瞬間には既に古市は行動へ移っていた。風を手繰り寄せて()()()高速でまっすぐ突撃していく。

 最早ジャバウォックもベヘモットも眼中の外に置いて、ただただ彼女を取り返すためだけにボロボロの手を伸ばす。

 

「させんよ」

 

 しかし、ベヘモットが放つ無数の魔力光線の弾幕がその行手を阻む。

 

「返せッッ!!!」

「お主もおかしな事言う。こやつは元々ワシらの物じゃ」

 

 身体を捻り横へ迂回、急上昇に急降下、掻い潜り、潜り込む。

 縦へ横へ後ろへ前へ上へ下へ、激しく動き回り、妖力を込めた脚で躱し切れない光線を蹴り散らす。

 いくら前進しようとしても圧倒的な物量攻撃を前に後進を余儀なくされてしまう。

 

 だがそれ以上に明らかに自身の速度が先刻より格段に落ちている。

 

(視界が..!!血を流しすぎた..!?)

「ここらが限界じゃろう。もう既に先程までの領域にお主は居ない..大人しく引け。ワシとしてはお主を殺したくはない」

 

 彼の言う通り古市の感じていた風と一体となるような感覚は既に無く、残されたのは搾り滓の妖力だけ。

 

 だからなんだ。

 

 たとえ身体が思うように動かなくとも、動かせ。今、ここで動け。目の前に..手を伸ばせば届く距離にいるんだから、たとえ壊れていようと届くまで手を伸ばし続けろ。

 

(それだけが!ワタシの戦う意味なんだからッ!!)

 

 魔力光線が古市の身体を貫き鮮血が舞った。だがそれは致命傷を避けた被弾であり古市の勢いは止まらずひたすらに真っ直ぐ翔んでいく。

 致命傷になり得るもの以外の被弾は投げ捨てヒルダ奪還へひた奔る。

 

「狂犬めが。本当に死ぬぞ」

 

 いくら致命傷を避けているとはいえもともと彼女は死に体の身。これ以上受けてしまえば本当に命の危機である。

 古市という逸材に可能性を見たベヘモットにとってうっかり死んでしまうのは避けたい事態だった。

 

 彼女の狂気的な精神性を目の当たりにしてしめやかに舌を巻いたその時、意識を失っていたヒルダが微かに動いた。

 

「...ぅ..、気を..失っていたのか..?何故、坊ちゃまは......ッ!?」

「目を覚ましたかお嬢さん」

 

 目を覚ました彼女が困惑し辺りを見回し、自身がベヘモットの腕の中で囚われていることに驚愕した。

 だが、それ以上に彼の視線の先で此方へと手を伸ばす古市の姿に更に衝撃を受ける。

 

「ツムギ!?何故ここに..!?」

「お主を助けに来たに決まっておる」

 

 ヒルダの言葉にベヘモットが答える。視線は古市から背けず攻撃の手は緩めないまま言葉を続ける。

 

「悪魔と人間、本来ならば捕食者と被捕食者のような関係である筈の二種族。だが、坊ちゃまと契約者を見た時にも思ったが、お主とあのお嬢さんの間にも特別な繋がりが生まれておるな..なかなかに興味深い」

 

 彼の言葉を聞いてヒルダの肝が急速に冷えていく。

 何度も言うがベヘモットという男は恐ろしい男なのだ。ヒルダも主人の為ならば何でもする覚悟はあるが、彼はそれすら凌駕するほどに常軌を逸した忠誠心を抱いている。

 そんな男が興味を持つということに並々ならぬ危機感が彼女の胸の内を埋め尽くした。

 

「───何故ここへ来たツムギ!!」

「...ッ」

 

 声荒らげるヒルダの言葉に古市は辛うじて開いていた左眼を見開いて驚く。

 

「お前も分かっているはずだ!!たとえどれだけ仲を深めても私とお前の道が交わることはない!!私達は人間を滅ぼす為に此処へ来て、お前には大事な物や人が人間界(ここに)溢れている!最後には敵となる私の為に...!!何故お前は、お前達はここへ来たんだ!!!」

 

 力強く、珍しく感情のせて突き放すように叫ぶ。

 

「もういい!!坊ちゃまと男鹿を連れて逃げろ!!これ以上私なんぞの為に傷つく必要は無い!!頼む...!私は見捨てて、坊ちゃまを...!!」

 

 

 

「ざけんじゃねぇッッ!!!」

 

 

 

 遮るように感情任せで古市が吼えた。焼けた喉から迫り上がる血を吐き出しながら、激情を声に乗せた。

 基本的に身内や友人達に怒りを向けたことのない古市が溢れる激情を隠さずにヒルダの言葉を遮った。

 

 その激情に身を任せて古市は再度突撃していく。()()()()()()()()()()に、泳ぐように滑らかで自然な妖力操作で、ベヘモットの弾幕の間を超速で翔けていく。

 

(────疾い!?コヤツ..さっきまでの領域にまた無理矢理踏み込んで来た..!!)

 

 目で追えなくなった速度に背筋を凍り付かせたベヘモット、だが慌てず冷静に弾幕の密度を更に増やして彼女を自由に翔ばせない。

 空一面を覆い尽くすほどの物量と密度の弾幕すら今の古市に一つも当たらず、されどその物量によって近づかせないことは出来ていた。

 

 全ての弾幕は躱せるのに、まるで未来が見えているかのように置いてくる弾幕に上手く近づけず古市は音を立てて歯噛みする。

 

「拙い...。このままでは虚空を閉じるのに十分な魔力を割けん。じゃが少しでも攻撃を緩めればあの圧倒的な疾さで閉じる前に一気に奪われてしまう..」

 

 ベヘモットの頬に冷えた汗が流れる。

 

「死に体の今の奴ならば一発でも当てれば殺せる..しかしいくら坊ちゃまの命とはいえ侍女悪魔なんぞの為にあの逸材を殺すのは些か...」

 

 数瞬思考を巡らせる、その隙に古市は目にも止まらぬ速度で翔け巡り徐々に距離を詰めて来る。

 時間はない。ベヘモットは意を決したように突然片手を空中に翳した。

 

「両方持って帰れれば良かったが...。お主に選択肢をくれてやる古市紬貴」

 

 手を翳した所為か僅かに攻撃の手が緩む。この好機を逃さない為に古市が速度を更に上げようとした刹那。

 彼女の視界の端、弾幕が張られていない空に虚空が開かれたのが見えた。新しい攻撃か、警戒し射線を外れよう身体を動かした古市は、出てきたものに目を見開いて驚愕する。

 

「この侍女悪魔か、その契約者どちらを取るか選ぶが良い」

 

 気を失っている男鹿とベル坊が出てきて、地上へと真っ直ぐ落下を始めた。この高さから落ちればどちらも必ず命を落としてしまう。

 

 古市は一瞬で思考を巡らせる。未だベヘモットが攻撃に戻れていない今ならば、感覚を取り戻した今ならば、ヒルダを奪い取り、地上に叩きつけられる前に2人を救出できる筈。選択する必要はない、総取りだ。

 そこまで考えてその考え打ち消す。

 

(気づいたな?ワシがベルゼ様を危険に晒す策は使わん。お主が契約者狙うならば侍女悪魔を貰う。逆に侍女悪魔を取るならばその隙にベルゼ様のみを貰う。その場合は契約者が必ず死ぬぞ..!両方は無い!)

 

 ベヘモットの狙いに気付き血の気が引いていく。大切な友人2人、どちらかなど選べはしない。

 しかし早く決断を下さねば両方失う。

 

 ヒルダか、男鹿か。ベル坊も助けなくてはならない。

 

 本当に両方助ける術はないのか、ベヘモットが虚空を閉じる前に..否いくら感覚を取り戻したとはいえ限界を超えた身体では無理だ。

 

 どっちか。

 いやだ。

 でも選ばねば。

 

「ぁ...ああああああああああああッッッ!!!!」

 

 慟哭。

 そして古市は急旋回をしてベヘモットとヒルダへ背を向けた。

 

「英断じゃ」

 

 彼女の選択を見届けたベヘモットはヒルダを捕まえたまま虚空を閉じる。

 

「──ツムギ..」

 

 その呟きは古市に届くことはなかった。

 

 

 

 

 落ちていく男鹿の首根っこを口で捕まえ、そのまま地上へと高度を下げていく。地上へ近づき着陸する際には限界にてもう上手く減速ができずに転がり落ちてしまう。

 男鹿を放し、アスファルトの上を転がり身体を打ちまくる。痛覚の鈍くなったうつ伏せの身体をすぐさま起こして上空を見るが、既にそこにヒルダの姿もベヘモットの姿も無い。

 

「────〜〜ッッ!!!」

 

 唇を噛み血を流した。

 

 すると突然身体の言うことが聞かなくなり、鉛のように重くなり地に沈む。当然だ、何度も言うが彼女の身体はもうとっくに超えているどころか生きているのが不思議なくらいの重体だ。

 瞼が下りていくのに抗えない。意識が霞んでいく。

 

────それを額をアスファルトに叩きつけて防いだ。

 

 頭が割れたのか更に血が流れるが意識を保つには痛みが足りない。古市は再度叩きつける。アスファルトが割れる程の桁外れの威力は妖怪としての気質が更に傾いたことを表していた。

 

 まだくたばるな。

 

 何も取り返せて居ないぞ。

 

 意識を保て。魔力を感じろ。奴等の拠点は割れている。虚空から出てきた瞬間を狙えばまだチャンスはある。

 

 だから、身体を動かせ、早く取り返せ役立たず。

 

 くたばるなら全部取り返してから死ね。古市紬貴。

 

 何度も叩きつける。しかし意識が霞んでいくのが止められない。更に強く叩きつけようと力を振り絞って頭を全力で振りかぶる。

 

 そして、

 

 その額は間に差し込まれた手によって叩きつけられることは無かった。

 

「もういい。これ以上無茶するんじゃねぇ..クソッタレ」

 

 タバコ臭い、ゴツゴツした手の感触と妙に優しさの含んだ聞き覚えのある声を最後に古市の意識は暗闇へ沈んでいく。

 

 

 煩わしい程に澄みわたる青空の下で、風は鳴りを潜めていった。

 





 古市ちゃんがジャバウォックを一方的に追い詰めれた理由。
・2割人間界デバフ
・1割不意打ち
・1割戦闘狂故の性
・5割慢心&油断
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