黒の中の黒   作:エンゲルス

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啓蟄

 トリニティに春がやって来た。

 

 本年度の正義実現委員会の募兵は過去数年より高い水準を要求するものとなったが、それでもなお多くの新入生、特に外部生などの後ろ盾のない者達によって賑わっていた。

 

 リサも面接官として新入生を次々捌いていたが、中には適正無しと判断される者もいる。

 

 そして目の前で執拗に食い下がる少女もリサが正実に向かないと判断した学生の1人であった。

 

「ですから宇沢レイサさん。正義実現委員会は貴方を──」

 

「どうしてですか!? 私は正義の味方として──」

 

「勧善懲悪の冒険活劇は他所でやっていただきたいものです」

 

 部下に両脇を掴まれ摘まみ出される少女がドアの向こうに消えると溜息をつく。

 

「まぁ! 職務怠慢かしら。今の娘問題なかったと思うけど」

 

 この場に居て良いはずのない人物の声が後方よりかかり、軽く頭痛を覚える。

 

 この時期は新入部員獲得のために各団体が武力行使すら辞さない。

 

 故に治安維持を任務とする正実においては採用担当者以外は専ら忙しい数日間を過ごすことになるのが恒例であり、ましてや副委員長の地位に就く両名などはその対応で休む暇もないはずだ。

 

「四角かろうと丸かろうと歯車に加工するような事はしたくないので。ましてやお姉様のように大事な物まで削ぎ落して」

 

「あらあら……同期の娘に絆されたの? 確か……そう、スズミちゃん。自警団に逃げちゃった」

 

「次その口開いてみろ……頭にもう1個増やしてやる」

 

「出来もしない癖に。年季が違うのですよ」

 

 挑発と分かっていても乗ってしまう。乗らざるを得ない。

 

 上品に口元を抑え愉快気に笑うカノンに舌打ちが零れるが、ひとしきり笑った後脈絡もなく放たれた言葉にリサは思わず唖然とする。

 

「あ、そうそう! リサちゃんのことを教育担当に推薦しておきました! ツルギちゃんもハスミちゃんも納得してくれて。信頼されているようでお姉ちゃん嬉しいわぁ!」

 

 リサちゃんも人を育てることを覚えないとねぇ。などとおどける姉。

 

 面倒なことになった。いや、それ以上に変なことを企んでるなこの女。と頭痛が深まる妹。

 

 生まれてこの方気持ちが通じ合ったことなど一度もなかったのではなかろうか。

 

「やるからには好きにやらせていただきますよ」

 

「出来るのならね」

 

 

「人間の限界は此方、貴方、彼方の3つ。それを超えれば必然的に組織が生まれるの。古来より不変の真理にして法則。それが有機的な連合による家産制か、一歩進んで公私を分離したより合理的な機械かの違いでしかないのですよー」

 

 

「私達は前進しましたし、これからも前進するの。リサちゃんもいい加減聞き分けが良くならないと、だーめっ、ね?」

 

 

 

 

 

 トリニティの繁華街、その片隅にあるラウンジにて席を囲む黒い一団の姿があった。

 

「あの蛇女の妹が早期幹部育成課程に? 納得がいかん。ツルギは弱腰が過ぎて耄碌したか?」

 

 不満をあらわにグラスを呷る長身は「上野タキナ」。

 

 ミンチメーカーとの呼び声高い叩き上げの前線指揮官であり、カノンを含めたお嬢様方とはある種の必然としては折り合いが悪い。

 

 それでも最低限寛容さを見せることができていたのは、強者としての余裕とツルギへの遠慮、そして議会や茶会でふんぞり返っている「指の白い連中」よりはマシだという妥協であった。

 

「あの捺印機共の手を借りた時点でケチがついていた……!」

 

 空になったグラスを荒々しく叩きつけると、横に侍るスタッフが傾けたボトルを奪い取り手酌で喉を再び濡らす。

 

「あなたの文章は暗号化の必要がない程難解よ。平時に読むのは勘弁願いたいわ」

 

 どうにかしてくれ、という同輩達の視線を受けた1人がからかうように声を挙げる。

 

「優秀な若手が新人の面倒を見る、そして見込みのある娘をそのまま上まで導く。何の問題があるの? 出自や縁故ではなく実力に拠って立つ組織。私達が望んだ社会じゃない」

 

「含みのある人事なことはお前だって分かってんだろうがよ、アルカ。端っから覚えのめでてぇ奴にはわかんねぇか?」

 

 タキナと同じ前線指揮官として名を挙げた「潮間アルカ」であるが、組織の論理に一定の理解を示していたことが幸いしたか、多数のガンシップから成る精鋭騎兵部隊を任されるなど、タキナが猛々しい女傑であるならばこちらは華々しい言葉が似合う女であった。

 

 正実のような組織において教育に携わることはその後の組織のありように大きな影響を持つことを意味する。

 

 故にその根幹に対し、旧守派残党の首魁ともいうべき人物が自らの後継者を捻じ込んできた意図など勘ぐるまでもない。

 

「ツルギは何故許した!」

 

「これ以上はツルギへの背信と受け取るわよ。もういがみ合っていたあの時代じゃない。戦争は……終わったのよ……」

 

 

 

 

 

「タキナのツルギへの忠誠は疑うべくもないさ。でもさ……もう時代はああいうのを必要としていない。残酷だけどね」

 

「我々が『ああいうの』に含まれてないと言い切れるか? 狩るべき兎がいなくなった時、猟犬の末路は悲惨だぞ」

 

 喧騒から少し離れた場所へと避難した2人が渋い顔を浮かべながら顔を近付けると、やがて紫煙が立ち昇り遠方の香りを運んでくる。

 

「『ともあれゲヘナ残すべし』。反発も多かったが、悔しいことにカノンの言ったことは正しかった。だから僕たちは銃口の向きを変え、あの忌々しい茶番を終わらせたんじゃないか。ゲヘナは我々の敵として、膨れ上がったゴミ箱の重石として必要だとね」

 

 歴史は常にプレイヤーが主観的に最善を選んだ結果でしかない。そう笠井エンリが総括する。

 

 対する朝陽サナは呆けた顔で煙を目で追いかけ、やがて溜息とともに弱々しく言葉を発する。 

 

「私は……少し働きすぎた。次は戦友か? 自力救済を是とする自警団か? 茶会に興じる貴人か? 議会の雀共か? 混乱に乗じたゲヘナか? 今はツルギがいるが、その後の世代は我々や先人以上の地獄を見るぞ」

 

「じゃあ、さっさと泥舟を降りるかい?」

 

「ごめん被る。このご時世、武官に居場所はない。かといってグリゴリに身を堕とすのもな……」

 

 

 

 

 

「終わってなどいない……」

 

 正実が所有するゲストハウスを改装して作られた事務方の牙城「ホワイトホール」。

 

 そのテラスに腰掛け小さな巻紙の数字を読みながら女は呟いた。

 

 自らの手のものからのトリニティ及びその近郊の嗜好品価格の動態。

 

 それは彼女の力の源泉の1つであり、忌むべき負の遺産。

 

「グリゴリには闇市の監視をより強化させましょう。どうせ流通を避けられないのであれば全てを私達の手中に」

 

 紙が灰皿の上で縮こまって消えていくのを眺めていると、迷い込んでしまったのであろう少女が辺りを見渡しているのが遠目に見える。

 

 手招きをしながら声をかけると、こちらへと一目散に走ってくる。

 

「あの! 私! その……昨日は風邪で参加できなくて……その……」

 

 涙目になりながら縋ってくる迷い子のなんと愛おしいことか。

 

「私、成れますか? 皆を護るカッコいいエリートに! 正義実現委員会の一員に!」

 

「コハルちゃん。あなたは本当に運が良いわ! 私の妹が教官の1人なの。特別に口を利いてあげるわ」

 

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