「やっぱりをこれを使うしかないか」
ロッドはそう言うと、彼は右目の力を解放し、ビーストの体に隠された情報を探り始めた。
「……どう、何か見えた?」
ラナが期待の眼差しで問いかける。
しかし、ロッドは首を横に振りながら呟いた。
「弱点は……ないな」
「ええっ!?弱点がなかったら、どうやって動きを止めればいいの?」
ラナの声が一層大きくなり、彼女の動揺がさらに深まる。
ロッドは険しい表情でサル型ビーストを睨みながら言葉を紡いだ。
「弱点がないってこと、サル型のビーストだってことを合わせて考えれば、人間を相手にするのと大して変わらないと思った方がいいな」
その言葉に、ラナは反射的に反論する。
「でもさ、人間の弱点って脳とか心臓とか、上半身に集中してるじゃない?それに、たとえ運良く近づけたとしても、一撃で仕留められなきゃ意味ないでしょ?」
ラナの焦りを感じ取ったロッドは、優しい声で彼女を諭した。
「ラナにしては、ずいぶん冷静さを欠いてるように見えるけど、パルの話をちゃんと聞いてたか?『敵を無視していい』って言ってただろ?」
「でもさ、無視するとか言ったって、あのペンダントを取るには、どうしてもおサルさんの行動範囲内に入らなきゃ無理だよ!空でも飛ばない限り!」
ラナは不満げに腕を組む。
そんな彼女にロッドはふっと微笑み、何かを確信したように尋ねた。
「じゃあ、ラナ。お前は自分の後ろに何があるのか、見えるのか?」
「はぁ?見えるわけないでしょ!」
ラナはキョトンとした顔でロッドを睨み返す。
「だろ?」
ロッドはさらに問いを重ねる。
「……何が言いたいの?ロディの言ってること、よくわかんないんだけど」
ラナは苛立ちを隠せない様子で、眉をひそめる。
パルリーネは岩に腰掛け目を閉じたまま、肩を小刻みに揺らしていた。まるで状況を楽しんでいるかのように、薄く笑みを浮かべている。
ロッドはラナに視線を向け、慎重に言葉を選びながら説明を始めた。
「ラナ、ちょっと想像してみてくれ。俺たちの背後に、腰くらいの高さの子供が立っているとしたらどうする?」
「背後に子供?……そんなの見えるわけないでしょ。背中に目でもついてりゃ別だけど」
ラナは首を傾げながら苦笑する。
ロッドは頷きつつ、さらに続ける。
「その通りだ。だから背中側にあるものを確認するには、腰を低くするか、頭を振るしかないんだ」
「……腰を低くして足元を見る、ってこと?」
ラナはピンときたように、ビーストの側面へと慎重に歩を進める。
そしてその大きな足元を覗き込んだ瞬間、彼女の目が見開かれた。
「あっ!?本当だ!」
ロッドは微笑みながら頷く。
「やっぱりあっただろ?」
「うん!踵のあたりにたくさん切り傷がついてる。でも、どうして正面から見えないのにそんなことがわかったの?」
ロッドは少し得意げな表情を浮かべながら、ラナに向き直る。
「まぁ、この話の続きは後だ。ほら、もたもたしているとパルが寝ちゃうからな」
振り返ると、岩に腰掛けていたパルリーネは相変わらず目を閉じたまま静かに座っていた。ただ、その唇の端がかすかに上がっているのをロッドとラナは見逃さなかった。
ロッドは再び動き出した。ビーストの巨大な尻尾が振り子のように揺れ、まるで彼の動きを読み取ろうとするかのようだ。
「今だ――!」
尻尾の先が天を向いた瞬間、ロッドは地を蹴り、全速力で駆け出す。
ビーストはその動きに反応し、尻尾を一閃させた。だが、ロッドは地面すれすれでそれを回避し、瞬時にビーストの踵にナイフを突き立てる。
ナイフがアキレス腱を裂いた瞬間、ビーストは激しい雄叫びを上げ、その巨体が膝から崩れ落ちた。
ロッドはすぐさまペンダントの方へ駆け寄り、それを壁から引き剥がす。翡翠の輝きが彼の手元で揺れた。
「取ったぞ!」
ロッドは振り返り、ラナと合流すると、ペンダントを手渡した。
そこにパルも加わり、ペンダントを慎重に確認する。
「上出来だ」
パルリーネは満足そうに頷きながら、次の指示を口にした。
「これで試験は終わりだ。場所を移して結果を申し渡そう」
だが、ラナはビーストの方を見つめたまま動かない。
「どうした、ラナ?」
ロッドが心配そうに声をかけると、ラナは口を開いた。
「あのビースト、このまま放置されちゃうの?」
彼女の言葉にパルが冷静に答える。
「あれは検定用に用意されたものだ。後で会社から派遣されたヒーラーが治療に当たる。ラナが心配する必要はない」
「ヒーラーが来るのはいつ?」
「二、三時間後だ」
「そんな……二、三時間もあの状態で放置するなんておかしいよ。だっておサルさんだって生きてるんだよ!痛みを感じて苦しんでるんだよ!」
ラナの声には強い怒りと悲しみが混ざっていた。しかし、パルリーネはその感情をまるで切り捨てるかのように冷たい言葉を放った。
「ビーストに私情を挟めば、命がいくつあっても足りない。あれはもはや死ぬまで暴れ続けるしかない哀れな機械なんだ。そんな生物に情けをかけていれば、仲間を危険に晒すことになる」
ラナはその言葉に目を伏せた。だが、視線の先ではビーストが痛みに呻きながらうごめいている。
ロッドは無言を貫きつつも、その右目はどこか悲しげな光を帯びていた。
「ロディはどう思ってるの?」
ラナが問いかける。
一瞬、ロッドの足が止まる。だが、彼は答えを口にしなかった。
ラナは苦しみもがくビーストを見つめて、拳を握りしめた。
「ワタシには……例えビーストであっても、ただ黙って見過ごすことなんてできない」
その決意を口にすると、ラナはロッドの制止を振り切り、ビーストに向かって走り出した。
「ラナ!勝手なことをするな!」
パルリーネの怒声が森に響く。だが、ラナは止まらない。
ラナはビーストの足首近くにしゃがみ込むと、傷口に手を添えて治癒魔法を放った。
「これって結構ヤバいんじゃないか……」
ロッドは不穏な空気をラナを引き戻そうと歩み寄る。しかし、その腕をパルリーネが冷たく掴む。
「待て。中途半端な行動は状況をさらに悪化させるだけだ」
一瞬の沈黙――そして、ラナの手の下で傷の癒えたビーストが、低く唸りながら立ち上がった。
「ラナ、今すぐそこから離れるんだ!」
パルリーネの声は鋭く響いたが、ラナは恐怖に足がすくみ動けない。
「ラナ!」
ロッドの叫びが届いたその瞬間、ビーストが巨腕を振り上げた。
――間に合わない。
そう思った瞬間、鋭い金属音が空気を裂いた。
目にも留まらぬ速さで動いたのはパルリーネだった。彼女はロッドの腰に差されていた剣を引き抜き、一瞬で間合いを詰めると、ビーストの胴体を横一閃に切り裂いた。
「……ッ!」
ビーストは声を発する間もなく、その巨体を地面に崩れ落とした。ラナは震える手でその光景を押さえ、ロッドは呆然と立ち尽くす。
パルリーネは剣の血を軽く払うと、冷ややかな瞳で二人を見下ろした。
「これは君たちが招いた結果だ」
その声は、鋭く、そして冷徹だった。
「命を救うという自己満足が、結果としてさらなる危険を生む。これでもまだ、ビーストにも施しを与えよとのたまうつもりか?」
パルリーネの言葉に、ラナは何も言い返せなかった。彼女の瞳には涙が浮かんでいたが、その涙が罪悪感によるものか、それとも怒りかは、誰にもわからなかった。
ランクCの検定を終え、ロッドとラナは緊張の面持ちで結果を待っていた。しかし、パルリーネは険しい表情でバインダーの書類を睨みつけている。空気は重く、誰も口を開けないまま時間だけが過ぎていく。
やがて、パルリーネが二人の前に立つと、書類を閉じ、冷静な声で切り出した。
「これより二人に結果を申し渡す」
まずはロッドの方を向き、彼に小さな合格証を手渡した。
「ロッド、君は合格だ。剣の扱いはまだまだ未熟だが、ナイフをあれだけ使いこなせていれば冒険者として十分な資質があると評価できる。おめでとう」
「ありがとう、パル!」
ロッドは嬉しそうに合格証を握りしめ、ほっとしたように微笑んだ。
次に、パルリーネはラナに視線を移した。ラナはすでに落ち込んだ顔でうつむいており、肩を震わせている。パルリーネはそっと彼女の肩に手を置いた。
「ラナ、君の結果だが――」
「言わなくてもわかってる」
ラナが言葉を遮るように顔を上げた。その瞳には涙が浮かんでいる。
「説明はいらない。自分のしたことはちゃんと理解してるから」
しかしパルリーネは首を横に振り、真剣な声で告げた。
「ダメだ。説明はちゃんと聞くんだ。また検定を受ける機会があるはずだからな。その時に同じミスを繰り返さないためにも」
その優しい声に、ラナは静かに頷いた。
「……ワタシね、人間も動物も癒せるヒーラーになりたいの。それに、ビーストを元に戻せる方法を探したくて、冒険者になりたいの」
彼女の言葉は、揺るぎない決意に満ちていた。
その瞬間、ロッドが口を開いた。彼は手にした合格証を握りしめたまま、ラナを真っ直ぐ見つめた。
「ラナって動物の怪我だけじゃなくて、治療薬を使わずに病気も治せるんだよな。治療薬を使わないヒーラーって、少ないんだろ?」
ロッドの問いに、パルリーネは軽く頷いた。
「ああ、その通りだ。ヒーラーは基本的に治療薬を使わない場合、外傷しか治せない。それに加えて病気の治療はほぼ不可能だ。だが――」
パルリーネはラナを見つめ、その声にわずかな感嘆を込めた。
「ラナには特別な才能があると言っていい。治療薬を持たずに病気を治せるとなれば、これほど頼もしいことはない」
「ねぇ、ロディはどうしておサルさんの弱点がわからなかったのに、アキレス腱が弱点になってるって気づいたの?」
ラナはずっと気になっていた疑問をロッドにぶつけた。その言葉に、近くで話を聞いていたパルリーネも微笑みながら首を傾げる。
「私も君の力に興味がある。是非、詳しく聞かせてほしい」
「あんまり注目されると恥ずかしいだけど……」
ロッドは頬を赤らめ、困ったように頭を掻いた。しかし、すぐに気を取り直して真剣な表情になる。
「改めて説明するとさ――俺の右目、知ってるだろ? 嘘や弱点を見た時、その部分に黒い靄がかかるんだ。でも、今回のサル型ビーストにはどこにも黒い靄が見えなかった」
「……つまり、弱点がなかったってことだよね?」
ラナが首をかしげると、ロッドは軽く頷きながら続けた。
「そうだ。でも、ここからは俺の推測になるんだけど――たぶん、相手に罪悪感や苦手意識がなければ、それは弱さにならないんじゃないかな」
「罪悪感……苦手意識……?」
ラナが眉を寄せると、パルリーネが納得したように頷きながら口を開いた。
「なるほど。実はこのサル型のビースト、検定を受けた者たちにひたすらアキレス腱を狙われ続けた過去がある。そしてその度に、私たちの会社から派遣されたヒーラーが麻酔を使って動きを封じ、怪我を治癒している」
「ってことは……」
ラナの瞳が輝きを取り戻す。
「そっか!麻酔から目覚めたおサルさんは、自分が治った理由を理解してなかったんだ!だから、自分のアキレス腱が弱点になってるなんて思わなかったってことだね!」
「たぶん、そうだろうな」
ロッドは少し照れ臭そうに笑いながら答えた。
ラナはその場でポンと手を叩き、大きく頷く。
「ねぇ、ロディって本当に頼りになるよね!ちゃんと推測もできるし、しかもそれが当たってるんだから!」
「そ、そうか?」
突然褒められたロッドは耳まで赤く染めながらも、どこか嬉しそうだった。
そんな二人のやり取りを見て、パルリーネは小さく微笑み、静かに呟いた。
「……ただの検定のつもりだったが、二人にはいい経験になったようだな」
その声はどこか満足気で、どこまでも優しかった。
検定を終えたロッドとラナは、パルリーネの案内で来た道を引き返していた。森を抜け、最初の指定場所まで送り届けてくれるという彼女に、二人は心から感謝している。
「ロディ、ランクCを合格したから、これでギルドに登録できるんだよね?いいなぁ~」
ラナが大きなため息をつくと、ロッドは彼女をちらりと見て笑った。
「俺さ、ラナがランクCを合格するまでギルドに登録するつもりないよ。だから気にすんなって」
「えっ、本気で言ってるの?」
ラナが目を丸くする中、歩いていたパルリーネが「ギルド」という言葉に微かに反応する。
「パルもギルドに登録してるんだよね?」
ラナの問いに、パルリーネは一瞬だけ間を置いてから答えた。
「あ、ああ」
するとロッドが興味を示したように話を続ける。
「ギルドに登録してパーティーを作っても、俺一人じゃラナを守りきれないだろ。だから、もしパルみたいな腕の立つ冒険者に出会えたらいいなって思うんだよ」
「またまた~。どうせパルみたいな綺麗な女の人と冒険したいだけなんでしょ?」
ラナはわざとらしく笑いながら突っ込むと、さらに言葉を続けた。
「三年前の騎士団のパレードの時、ロディ、ずっと先頭にいた女性の騎士を目で追ってたもんね」
「ち、ちげーよ!」
突然の暴露にロッドは耳まで真っ赤になり、大声で否定する。
「そんな不純な理由で冒険者になるわけないだろ!」
ラナが「ホントかなぁ?」とからかい続ける中、三人はようやく最初の指定場所まで戻ってきた。パルリーネは表情を崩すことなく、淡々とした口調で話し始める。
「見送りはここまでだ」
その言葉にラナは少し寂しそうな顔をする。
「パルとはここでお別れだね。でも私がまたランクCを受ければ、また会える可能性があるんだよね?」
「……検定の担当者は指名できない決まりだ。それに次も私が担当するとは限らない」
パルリーネはそう言いながらも、どこか言葉を濁しているようだった。
ロッドが一歩前に出て、頭を下げる。
「でももしまた担当がパルだったら、ラナのことよろしく頼むよ。こんなお調子者でも負けず嫌いだからさ」
パルリーネは一瞬だけロッドを見つめ、少し間を置いてから低い声で呟いた。
「正直なところ、君たち二人が冒険者として旅立つことに、不安を抱かずにはいられない」
その言葉に、ロッドとラナは自然と耳を傾ける。
「君たちの力は、戦況を劇的に変えるようなものではない。どちらかと言えばサポートに特化した力だ。それだけでこれから先、厳しい現実に直面した時、それを乗り越えるのは困難だろう」
その手厳しい指摘に、ラナは少し肩を落とすが、ロッドは明るい声で応えた。
「それでも、俺はこの目で色んな人に出会って、その人たちのために力を使いたいんだ。世の中の役に立つことが、育ててくれた両親への恩返しになるって信じてるからさ」
真っ直ぐな目で語るロッドに、パルリーネは一瞬だけ目を泳がせたが、すぐに視線を戻した。
「だから、ワタシたちを止めても無駄だよ。二人だけでも、冒険をしながら夢を叶えるんだから」
ラナも力強く言葉を重ねると、パルリーネはしばし黙考し、静かに頷いた。
「そうか……なら、私は最後の役割を果たすとしよう」
そう言いながら、彼女は手元のバインダーから合格証を取り出し、ラナに差し出した。
「えっ……?」
困惑するラナの手に、パルリーネは無理やり合格証を握らせる。
「君たちは己の力で世の中の役に立ちたいという、強い想いを抱いている。その正しい心を理解している者を燻らせるのは、私としても大変心苦しい」
「でも、こんなことしたらパルが……」
ラナの不安げな声に、パルリーネは小さく微笑みながら首を横に振った。
「私の仕事は、ただ冒険者としての資質を見極めるだけじゃない。受検者が正しい心で世の中を生き抜いていけるかを見極めるのも試験官の役目だ。だから、この合格証はラナに相応しいと判断した。受け取ってもらえるか?」
ラナは目を潤ませながら、ゆっくりと頷いた。
「……パル、ありがとう。ワタシ、頑張るね」
パルリーネはそんなラナを一瞥すると、静かに背を向けた。彼女の去っていく背中はどこか寂しげで、言葉にはできない感情が滲んでいた。
その様子を見送りながら、ロッドが呟く。
「また、どこかで会えるといいな」
ラナはその言葉に小さく頷き、手の中の合格証をぎゅっと握りしめた。その小さな紙切れは、ただの証明ではなく、彼女たちにとって新しい冒険への希望そのものだった。