怪物の歯医者さん   作:寳田 タラバ

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Not Big Mouth Ⅱ

 

 

 

 

「ウチの院長に!」

 

 叫ぶフォンファの声が響いた瞬間、私は状況を見逃さないよう、ぎゅっと目を凝らした。大口の真下に影が滑り込む。フォンファだ。何をするつもりなのか、その一瞬で理解する間もなく、彼女の声が耳を劈いた。

 

「何するんすかあああああ!」

 

 そして、フォンファの渾身の拳が大口の腹を捉える。響き渡った音は、私たちのAMDSのモットー「平和的治療」を一瞬で裏切るほどの暴力的な破裂音だった。

 

 大口が揺れる。だが、それだけでは足りない。飲み込まれた院長はまだ返ってこない。

 

 私は、自分がどうにかしなければならないと感じた。こういうときに、考えるよりも先に体が動くのは、自分でも嫌いじゃないところだ。

 

 「アマギ先生を」

 声を張り上げるわけではなく、ほとんど祈るように呟きながら、私は静かに両手を組む。自分の力を信じるのは簡単じゃない。だって、未来を予知する力なんて、今この瞬間に何の役にも立たないから。でも、これは違う。今ここで、必要なのは私自身が培ってきたの力のはずゆ。

 だから──。

 

 「返して!!」

 

 その言葉が出るのと同時に、私は両手をぱっと裏返した。その瞬間、周囲の空気がぴたりと静止する。音も、動きも、匂いすらも、一瞬止まったように感じられる。そして次の瞬間、それらがすべて破裂するように解き放たれた。目もくらむ閃光が走り、大口の巨体がごろりと裏返る。

 

 滑稽だった。まるで空気に放り出された魚みたいに、もがきながらひっくり返ったその姿を見て、勝ち誇りそうになる自分を抑えた。でも、その余裕すら失わせるものが、次の瞬間に訪れる。

 

 大口の口から、アマギ先生が唾液まみれで吐き出されてきた。

 

 「先生!」

 

 駆け寄ると、先生はぐったりしていた。でも生きてる。体温を感じる。それだけで十分だったゆ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──薄れる意識の中で、ぼんやりと声が聞こえる。

 

「アマギ先生!」

 

 誰かが叫んでいる気がした。体が急に軽くなり、ふわりと浮かび上がる感覚がする。冷たい風が頬を撫で、湿った空気が肺に染み込む。

 

 目を開けたのは、椅子に寝かされてからだった。

 

「……う、ううむ。」

 

 唇から漏れた声を聞いて、目の前の二人がほっとした表情を浮かべた。

 

「良かったゆ!」

「ほんとっすよ、先生!」

 

 キリアとフォンファが同時に声を上げる。僕が起き上がろうとすると、二人は慌てて肩を支え、ペーパータオルでベタベタの顔を拭き始めた。

 

「……何が起きたの?」

 

 思わず呟いた僕に、フォンファが得意げに説明を始める。

 

「ウチが大口のお腹殴って、先輩が魔法で大口をひっくり返して、その拍子に先生がポロっと出てきたっすよ。ウチが華麗にキャッチしてやりましたけどね!」

「そう。フォンファがほんとに素早かったゆ。」

 

 ……なんだその説明。まあ、命拾いしたことだけは間違いないらしい。

 

 扉の方を見ると、大口の姿は消えていた。湿った雨の匂いが漂ってきて、外はもう降り始めているようだ。

 

「雨だゆ」

 

 キリアが呟きながら、僕にタオルケットをかけてくれる。その手つきは、普段のふざけた態度が嘘みたいに優しい。

 

「午後はもう休診でいいっすよね」

フォンファがそう言いながら扉を閉め、「クローズ」の札を掛けた。

 

 僕は全身を押さえながら呻く。妙に体が痛い。どうやら、あのモンスターの中で揉まれたせいらしい。

 

「無理しないっすよ」

「大丈夫かゆ」

 

二人が心配そうに覗き込む。

 

「ありがとうな、二人とも」

 

 僕がそう言うと、二人は一瞬だけ目を逸らして、気恥ずかしそうに小さく頷いた。

 

 モンスターだらけの医院で、今だけは少しだけ温かい空気が流れていた。

 

「なにそれゆ」

 キリアが、僕の手元に視線を落とす。僕は右手に、長くて白い、どことなく異質な骨状のものを握っていた。

 

「なんだかさ、飲み込まれた後、あがいてたら、これに手がぶつかって。気づいたら持ってたんだよね」

 そう言って、僕はその白い物体を掲げてみせる。

 

「藁をも掴むってやつゆね。それ人骨かゆ?掴んで『助けて!キリちゃん』ってやってたゆ?」

 キリアが、さっきの叫びが僕に聞かれていたんじゃないかと恥ずかしがりながら、わざとおどけた声を出す。

 

「いやいや、人骨にしちゃあ、ずいぶんでかいだろう」

 僕はそれを軽く振ってみせる。その白い表面をなぞると、妙に冷たく、ざらざらしていた。

 

 フォンファが「あ!」と声を上げて、手をぽんと叩いた。

「あれっすよ!それ、ブロードホーンの角っすよ!マニアには超人気で、裏マーケットだとヤバい値段で売られてるっす!」

 

「ブロードホーン?」

 キリアが眉をひそめる。「初めて聞くゆ、それ。角が人気ってことは、鹿っぽいの?」

 

「要するに超デカい鹿みたいなやつだな。しかも、気性が荒い。ナワバリ意識が強くてさ、赤いものを見るとすぐ突進するんだ。落ちた角とか毛も、普通は手に入らないんだよ。だって、近づくのも危険だからさ」

 僕は、自分の体をさすりながら答えた。

 

 毛とか角も超硬い。生息地が限られてるせいか、近年は密猟の問題もあるらしい。だからこそ、ブロードホーンを食べるなんて命知らずな行為ができるのは、大口くらいのもんだ。

 

「まあ、大口も大変だよね」

 僕がつぶやくと、フォンファが鼻で笑った。

「どこが大変っすか。好きなもん食ってるだけっすよ」

 

 でも僕にはわかる。大口にとっても、獲物を探すのは命がけの仕事なんだろう。

 

「じゃあ、あの大口のやつ、その珍しくてクソ硬いブロードホーンなんか食ってたんすか?」

フォンファが、笑いを堪えながら言った。

「そりゃ、あいつも罰当たるっすよ。いい気味っすね」

 

 

 フォンファの視線は、扉のほうに向いている。さっき大口が消えた方向だ。

一方で、僕も同じ扉のほうを見たが、表情は違った。

 

「いや、あの子たちは──」

 

 僕が言いかけたその瞬間、雷の音が轟き、窓が揺れる。強まる雨音が僕の声を掻き消した。

 

 近くにいた二人には僕の声が聞こえたようだ。キリアとフォンファが、同時に僕の方に振り返る。その目には驚きが宿っていた。

 

 

──────────────

 

 晴れた日のAMDSは、まるで戦場だ。まさに野戦病院って感じ。とにかく忙しいの一言に尽きる。

 

 この前の大騒動が落ち着いても、天井にはまだ大口の唾液が乾いたまま張り付いている。

 あの天井、いつ掃除するんだろうな……と思いながら上を見上げると、なんか唾液が乾燥して割れてる。床に落ちたら割と本気で危ないんじゃないか?

 

「ねえ先生、天井、やばくないっすか?」

 フォンファが一言ぼそっと言ったけど、僕はあえて聞こえないフリをした。いや、忙しいし無理だろこれ。

 

「で、なんでこいつら、こんなにいっぱいいるゆ」

 キリアが待合室を指差す。そこには、大口たちが所狭しと並んでいた。

 待合室に並んだ大量の大口。

 ほんとに、なんでこんなにいるんだ?僕らの医院、何か特殊な魅力でもあったっけ。

 

 でっかい口を閉じたまま、じーっと座ってる彼らは、なんだかペットみたいだった。いや、ペットにしてはデカすぎるけど。

 「おい、なんかしゃべれよ」って言いたくなるけど、どうやら彼らは、いっさいしゃべらない。

 それにしても、この異様な光景、近所の人が見たらどう思うんだろうな。今朝、近くのおじさんが庭先で立ち止まってたけど……まさかクレーム来ないよね?

 

 大口たちは本当に無口だ。そして、実は人を食うことは滅多にないらしい。

 そもそも彼らの狩りのスタイル的に人間を襲うのは効率が悪いし、それに知性も高いから人間を怒ったら報復を恐れるはずだ。それに、一度大きな口を使ったら、しばらくは消化のために使えないという致命的な弱点がある。

 

 何より、彼らの主な獲物はブロードホーンだ。赤いものを見ると突進してくるブロードホーンの習性と、大口のサイズ感が絶妙に合致しているからだ。

つまり、大口にとってブロードホーンは最高のごちそうなんだな。

 

 先日やってきた彼──彼か彼女なのか分かんないけど──あの大口は、口の中に刺さったブロードホーンの角に困り果てた挙句、僕らの医院にやってきたらしい。

 ただ、大口は話せない。だから、僕を飲み込んで角の部分まで誘導し、なんとか取り除いてもらおうとしたわけだ。結果的に、僕はその「治療」に巻き込まれた形だったけど、ま、無事だったからよしとするか。

 

 しかも、お詫びとして、彼らの主食であるブロードホーンの角を大量に持ってきてくれた。巨万の富を得られそうな量だ。これを売って、市場価値が下がらなければ。

 

「よかったっすね、先生。ほら、行列できてるっすよ、大口の」

 フォンファが待合室を眺めながらニヤニヤする。

 

「よかったのかなあ?僕はこれから、何回死ぬ思いをすればいいんだろうね」

僕はため息をつく。「やっぱり、もっとレベルを上げないと駄目かな……」

 

 僕のボヤキはふわりと空気に溶けて、大口たちの巨大な口の前を漂う。

誰にも拾われることなく、待合室を出て、ドアの外に並ぶさらに大量の大口たちの間をすり抜けていった。

 

 

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