怪物の歯医者さん   作:寳田 タラバ

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Radiant in the Dark Ⅱ

 

 

 大小ふたつの影が一番の部屋へ滑り込む。小さな方はユニットチェアに飛び乗り、大きな方はその隣の椅子に腰を下ろした。

「ミルカラ様、今晩は。カリム様は今日はどのようなご用件でしょう?」

 僕の問いに、闇をまとった声が答える。

 

「あら先生、まず謝らなくてはならなくてよ。院内の光を奪ったのはワタクシ。ごめんなさいね。用が済んだらすぐ返しますわ」

 

 やっぱりな、という顔はきっと闇の中でばれている。フォンファが診療室の隅で、日本人形に見えなくもない何かを抱えて震えている。そのシルエットが、彼女の心情をすべて物語っているようだった。

 

「いえいえ、そんな。カリム様は光に弱いのですものね」

 努めて優しく返事をする。だが──

 

「弱くなんかない!」

 

 闇の奥から、小さな声が強く響いた。その声には妙な迫力があり、僕の喉がごくりと鳴る。

 

「そうなのよね。先日エルジェーベト家に迎えたばかりで、まだ完全ではないの。一応ね」

 ミルカラが軽く笑う。その声は、この空間を支配する絶対者のようだった。

 

「承知いたしました」

 僕が深々と頷くと、彼女は微笑んだ気がした。

 

「ありがとう、先生。やっぱりアラギ先生が一番ですわ」

「アマギですね」

 僕は小声で訂正するが、彼女の言葉に割って入る勇気はない。

 

「それで、カリム様はどうされました?」

 

「ほら、カリム。先生に言いなさい」

 ミルカラが促すと、チェアに座る小さな影が勢いよく声を張り上げた。

 

「大人の歯が欲しい!」

 

 その言葉に、室内の空気が一瞬止まった気がした。

 

「よく言えたわね、カリム!」

 ミルカラが嬉しそうに拍手を送る。

 

「へへ! 母様! ボク、ちゃんと言えたよ!」

 

 微笑ましい……はずの親子のやり取りだが、内容が全然微笑ましくない。時代が変わっても、エルジェーベト家では何かと“全肯定育児”が流行しているようだ。いや、彼らの存在自体が“全肯定”を義務づけられていると言ったほうが正確かもしれない。

 

「そ、そうなんですね。カリム様はおいくつなんですか?」

 恐る恐る尋ねる僕に、ミルカラが微笑む──ような声色で言った。

 

「カリム、いくつなの?」

 

 ……なんで逐一母親が聞くのか。

 

「うーんと、6さい!」

 

「そうですか。6歳なら、そろそろ一番目と六番目の乳歯が生え変わる時期ですね」

 

「やだ! 全部大人の歯にして! できなきゃここまったいらにする!」

 

 なんて無邪気な──いや、無邪気すぎるヴァンパイアロードだ。これがエルジェーベト家の幼子。僕の冷や汗が滴り落ちる。

 

「ダメよ、カリム。先生はママの歯も治してくれたのよ。素晴らしい方なの」

「そうなの? じゃあ先生の言うこと聞くー!」

 

 ……これが頂点の教育か。いや、頂点だからこそかもしれない。

 

「それで先生、ひとつお願いがあるの。子供の歯だと、人間の首筋を噛んでも少ししか抉れないのよね。もっとこう、喉越しよく、ドバッと血が溢れる感じにしてあげたいのだけれど」

 

 さすがの僕も、言葉を失う。

 

「え、えっと……ミルカラ様が先に噛んでいただくとか、ナイフや強化魔法を使って切れ味を補助するとか──」

 

「ダメよ! 横着を覚えたらこの子が自分で噛まなくなるでしょう? 武器や魔法に頼るなんて軟弱だわ!」

 

 ……全肯定育児もここまで来ると教育とは呼べない。

 

「わ、わかりました。お口の中を拝見しますね」

 

 カリム様の小さなシルエットが、上に持ち上がっていくユニットチェアでこっくりと頷くのが見えた。

 

 ユニットを倒し始めてから気づいた。

(こんな真っ暗な中で、どうやって口の中見るんだ……?)

 

 ユニットが倒れ切るまでのわずか4秒間、僕の脳は一瞬の判断力を求めて身体中の糖分を総動員する。

 頭の中で警告音が鳴り響く。焦燥感がじわじわと広がる中、ユニットの高さがじわじわと上がっていく。

 

(光魔法なんか使って──少しでもカリム様のご尊顔に日焼け跡なんてついたら、この医院は確実に壊滅するな……)

 

 気がつけば、ユニットは必要以上に高く、そして完全に倒れていた。

 静寂の中、カリムの整った顔のラインが闇の中で淡く浮かび上がる。

 僕は天井を仰ぎ、目を閉じ、深呼吸を一つ。

 

(どうする? 倒しておいて「見れません」なんて言えるのか……。いや、触診に切り替えるしかないか?)

 

 考えを巡らせた瞬間、僕の耳に何とも言えない小さな気配が届く。

 目を開けると、カリムが伏せた濃いまつ毛を震わせ、小さな口を可愛らしく開けているではないか。

 まるで昼間のように詳細に見えるその光景に、僕は思わず目を疑った。

 

(……えっ?)

 

 横を見ると、フォンファが受付を指差している。

 視線の先ではキリアが得意げにサムズアップしていた。おそらく世界が真昼間のように見えるようになったのはキリアのバフ、暗視魔法だろう。

 

「キリちゃん、あんたって人は──できるなら最初っからやって?」

 

 僕は透視魔法etcを全力で展開し、カリム様のお口を慎重に点検していく。

 

「何を最初からやるの? ねぇ先生、カリムはどこか悪いのかしら?」

 突然、ミルカラがその場の空気を一変させるような冷たさを放つ。

 その瞬間、僕の背中に冷たい汗がつたう。

 

「いえ。こちらの話でして。歯並びはとても綺麗です。虫歯も歯周炎も見当たりませんね」

 

 そう言い切った瞬間、ミルカラの殺気がすっと引いた。

 

「あら、それならよかったわ」

 

 何がよかったのかは、この場にいる全員が無言で理解していた。僕はただ、全力で肯定するしかない。

 

 僕は透視魔法を通して、小さな牙の生えた口元を丁寧に観察した。

 清らかな歯並び。まるで宝石をはめ込んだような輝きだ。これが吸血鬼の宿命か、ただの天性の美か、どちらにせよ僕には関係がない。

 

「虫歯も歯周炎も見当たりませんね。カリム様の歯は完璧です」

 穏やかな口調で告げると、ミルカラの殺気がすっと消えた。

 

「じゃあ、ボク、噛み切れるかな。首筋」

 無邪気な声に、僕は口を閉ざす。これ、歯科医の専門外じゃない? けど、ここで「知りません」なんて言おうものなら、それはそれで医院ごと消し飛びそうだ。

 

「僕からはなんとも言えないですけど」

 曖昧な言葉でお茶を濁す。が、カリムはムッとした気配を漂わせる。急いで僕は追加でフォローを入れる。

 

「ですが、カリム様がその尊いお体に慣れてきたら、徐々に苦労されずに済むのではないでしょうかね」

 

 一瞬の静寂。僕は内心でガッツポーズを決めたが、その刹那、ミルカラが微笑みながら言葉を発する。

 

「それはつまり、先生。カリムはまだ未熟ってことかしら?」

 

 ……やっちまった。

 背中にじわじわと冷たい汗が滲む。しかもこの問い、完全に誘導尋問だ。

 

「そうっすね」

 視界が晴れたからか気が大きくなったフォンファが空気を読まずに即答する。え、ちょっと待て。ここでそんな簡単に答えるな!

 

「ボ、ボクがまだ弱いってこと……!」

 カリムの声が震える。おやまあ、順当にエルジェーベト家の感受性を継承されているようで。

 

「そうではありません、カリム様!」

 僕は全力で否定しつつ、次の言葉を考える。焦るな、言葉巧みに流せ。言葉巧みに──!

 

「未熟というのは、成長の可能性に溢れているということです。今でも十分お強く魅力的ですが、一層エルジェーベトの誇り高き血を濃く受け継がれることで、より洗練された存在へと進化される。その伸び代がカリム様の中に無限に広がっているのです」

 

「わぁ! ボク、まだまだ強くなれるってこと!?」

 

 カリムの声がぱっと明るくなる。よし、なんとか乗り切った!

 

「そうですとも。焦る必要なんて全くありません。今はその成長を楽しんでいただければと」

 

 隣の席から大きな感嘆の溜息が漏れる。

 

「やっぱり素敵ね。アロンギ先生、ワタクシ達、ずっとあなたについていくわ」

 

 微笑むミルカラ。その眼差しには鋭い光が宿っている。完全に僕を試していたようだ。

 

 

「恐縮です。では、仕上げに歯を強くする薬を塗っておきますね」

 

 そうして静かに手を動かす僕を見守る二人。その姿に、どこか神聖な空気が漂っていた。

 

 

 全てが終わり、ミルカラとカリムが受付で支払いを済ませる間、僕はふと天井を見上げた。

 透視魔法を繰り出したキリア、闇に紛れたフォンファ、そして無茶な要求を寄せるエルジェーベト家。

 

 ここAMDSは異常な場所だと、改めて思う。

 

「先生、よゆーだったゆ?」

 キリアが笑顔で僕に近づく。

 

「次回からもう少し早くやってね人魚ちゃん?」

 キリアの髪の毛を強めに撫で付けていると、たたきに立ったミルカラがカリムと一緒に振り返り、最後にこう言った。

 

「先生、ばいばい!」

 

「先生、またお世話になりますわ」

 

 言うや否や、彼女たちはその場から切り取られたようにいなくなる。と同時に目の前が真っ白になった。医院の灯りが戻ったのだ。

 

「眩しっ!!!!」

 僕が叫び声を上げる中、遠くの方でも「うがぁ!」とフォンファが悶絶する声が聞こえる。

「落ち着けゆ。解除するゆ」

 白かった瞼の裏が元に戻った。恐る恐る目を開けるといつものAMDSの姿がある。

 その瞬間、僕は確信した。この医院がある限り、世界は今日も平和なんじゃないか、と。少なくとも彼女たちエルジェーベト家の癇癪で消え去る街は無くなったんじゃないか、と。

 それが救いなのか、不幸なのかは、きっと誰も知らないだろうけども。

 

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