怪物の歯医者さん   作:寳田 タラバ

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Tomorrow Never Comes Ⅵ

 

 

 

 

 

 マスターが奥さんを亡くしたように、俺らも家族を失っちまったんだ。

 人間のオスどもは悪魔だ。ああ、にいちゃんのことを言ってるんじゃねえ。ただ……いや、本当にただの獣だ。性欲がいかれてる。俺らの女房は戦闘に負けた後、連行された。村の崖下に陣取ってた人間の本隊にな。あそこから連れ去られた女たちがどうされたかなんて、俺には想像もできねえよ。彼女たちが連れてかれる姿を思い出すだけで、胸が焼けつくような気分だ。

 

 翌日の明朝、そいつらの敵国の範囲魔法が、女房たちがいる本隊に打ち込まれた。

 

 笑っちまうだろ?俺らの女房たちは、人間の戦争に巻き込まれてみんなやられちまったんだ。

 

 何にもやる気が起きなかったよ。ただの喪失感だ。もう死ぬしかない。そう思った。でも腹は減るんだ。体は生きたいって言いやがる。それがまた悔しくてさ、結局数日経ってみると、みんなマスターの店に足を運んだんだよ。あそこの酒がねえと、口の中が乾いてどうしようもなかった。

 

 店に着いたらそこにあるはずの陽気な酒場は、半壊してたんだよ。ただ軍隊の通り道だったってだけなのに、おかしな話だろ? 厨房付近だけは頑丈に作られてたらしく、そこだけぽつんと残ってたんだ。なんだかそれが俺たちみたいに見えてさ、踏みとどまってるのか、崩れ残ってるだけなのか、わかんなくてな。おまけに、マスターを呼んでも出てきやしねえ。争いから遠ざけるようにしてた娘っ子もだ。

 

 心配になって、マスターを探したんだ。そうしたら、店の裏で酔っ払いに馬乗りになって殴られてんだ。隣で娘っ子はわんわんと泣いている。どうやらマスターんとこの酒をくすねた馬鹿タレが泥酔したあげく、注意したマスターに逆上しやがったみてえだった。

 

 殴った奴の言葉も聞こえたよ。「うちの女房が連れてかれて帰ってこねえ」、「どうして俺じゃなくて女房なんだー」ってな。マスターは殴り返しも、言い返しもしなかった。ただ、顔を歪めて、酔っ払いの力の入ってないパンチを受けながら、悔しそうに泣いてたんだよ。

 

 

 俺らは娘っ子を保護して、そいつを必死に止めに入ったよ。その酔っ払いとっちめてやろうって、でもマスターはそいつを庇ったんだ。俺らぁ、マスターを見てられなかった。

 

 不器用に距離を詰めた挙句、やっとできた奥さんとの結婚式の時の満面の笑顔以降、いつもポーカーフェイスでさ。だけどあの時だけは……。もう駄目だった。見てられなかった。

 

 しばらくの間、マスターは無言だった。俺たちはどう声をかけていいかわからず、ただじっと見守るしかできなかったんだ。そうしていると、急にマスターが立ち上がった。

 

「とりあえず、お前ら飯食え。他の奴らも呼んでこい」

 

 それだけ言うと、シャキッと背筋を伸ばして厨房へ向かうんだ。まるでさっきまで倒れてたのが嘘みたいだった。

 

「え、マスター!? 無理しなくてもいいんだぞ!」

 

 慌てて一人が止めに入った。だが、マスターは振り返りもせず、無言で鍋を火にかけ始めた。その背中から漂う気迫がすごかった。鬼気迫るなんて生易しいもんじゃねえ。俺たちは完全に圧倒されちまって、手伝うどころか、呆然と突っ立ってるしかなかったんだよ。

 

 それからがまたすごくてよ。マスターは黙々と、何十人分もの料理を作り上げていくんだ。包丁の音がリズムを刻むように響き、鍋が煮立つ音が静かな厨房に満ちていた。俺らはその間、なぜか一歩も動けなかったんだ。ただ、手元を見つめるマスターの目が鋭すぎて、余計なことをしちゃいけないって感じがしてさ。

 

「おい、行くぞ。他の奴らを呼びに行くんだよ」

 

 誰かがぽつりとそう言って、俺たちはやっと足を動かした。外に出ると、いつのまにか暗くなってた。治癒魔法の光が暗闇の中で蛍みたいに明滅していた。不謹慎だけどよ、蛍火みてえで誰か帰ってきたんじゃねえかったら俺はおもっちまった。その光景の中、足を引きずる奴も、泣き腫らした目を隠す奴も、みんなで村中を回って声をかけたんだ。

 

 集まったみんながマスターの作った料理を囲むと、自然と泣きながら飯をかきこんでた。

 

「うめえ……」

「こんなにうめえ飯、久しぶりだ……」

「うめぇよマスター」

 

 そんな声があちこちから聞こえる。だけど、俺は妙に甘塩っぱく感じた。今思えば、自分の涙の塩気のせいだったんじゃねえかって思うんだけどよ。

 

 そしたら、マスターがふとぼそっと言ったんだよ。

 

「メェメェメェメェうるせえな。おまえら、本当のヤギになっちまったのか」

 

 あの無表情なマスターがだぞ? 冗談なんか言うタイプじゃねえのに、そう言ったんだ。俺ら一瞬固まった後、全員むせちまったよ。鼻水まで垂らして笑い出す奴もいた。それに釣られて子どもたちまで声を上げて笑い出してな。そのとき、ふと気づいたんだよ。

 

 マスターが、泣きながら笑ってたんだ。

 

 ただの泣き顔でも、笑顔だけでもない、その顔を見て、俺たちは初めて「ああ、俺ら、まだ生きてんだな」って思えたんだよな。

 

 その瞬間だ。酒場にいつもの笑顔が戻ってきた。あの光景は俺、一生忘れねえよ。

 

 

 翌朝、俺はいつもの連中を集めて言ったんだ。

 

「なあ、俺らの有り金よ。ここに使おうぜ」

 

 その言葉に誰も反対しなかったよ。みんな同じ気持ちだったんだ。マスターの心意気に、そしてあの酒場が俺たちの生きる拠点だって気づいたからな。思い立ったら行動は早かった。復興の合間を縫って、数十キロ離れた土建屋に何度も足を運び、端金握りしめて頭を下げた。俺らも手伝うって条件付きでな。

 

 最初は門前払いの厄介払いだった。そりゃそうさ。だれがまだ戦火燻る土地で、金にもならねえし、もしかしたらまた戦争に巻き込まれるかもしれねえ。ボランティアを受けてくれるわけなかった。

 ただ、ある日、たまたまあ親方が出勤するところにでくわしてな。直談判したんだよ。

 

 そこの親方がまたすごい奴でな。すんげえデカくて強そうなオーガな上に、強面で、初対面じゃ到底話せる雰囲気じゃなかったんだが、話を聞いた瞬間、なんと男泣きだ。あんなでかい体の人が泣くのを初めて見たよ。その翌日には部下を連れてセキハオ飛ばして駆けつけてくれたんだ。

 

 もちろん、マスターには内緒だ。酒場には大きな幕をかけて「とりあえず覆っといたから」なんて適当にごまかしてな。バレたら「てめえら、勝手に何しやがんだ!」って怒鳴られるに決まってる。俺らもヒヤヒヤしながらやったよ。でも、手を動かしてる間は不思議と悲しさも悔しさも忘れられたんだ。

 

 三日三晩。土建屋の親方たちと一緒に、ただひたすら体を動かした。結果、以前よりとんでもなく立派な酒場が出来上がっちまった。酒場には不釣り合いなほどにな。親方たちの腕が良かったのはもちろんだけど、俺たちも泣くほど嬉しかったね。完成した瞬間、大の大人が抱き合ってわんわん泣くなんて、今思えばみっともねえけど、あの時は感情が抑えきれなかった。

 

 オーガの親方は、そんな俺らを尻目に代金も受け取らず帰っちまったよ。「礼なら笑顔で返してくれ」って。ほら、あそこにいるだろ。それ以来、たまにこうして酒場に呼んでご飯を振る舞うのが俺らのせめてもの恩返しだ。

 

 そんで出来上がった酒場の幕を剥がす時が来た。村中の連中を集めて、マスターを呼びつけたんだ。

 

 

 

「おい、何だこれ?」

 

 

 

 いつもの仏頂面でやってきたマスターの第一声がこれだよ。そして、幕が剥がされると、マスターはその場で硬直した。しばらく何も言わないで、立ち尽くしてたんだ。ようやく口を開いたかと思ったらこうだ。

 

 

 

「おらぁ店閉めようと思ってたんだが」

 

 

 

 そんなこと、悪びれる様子もなく言いやがった。ただ、その声は明らかに上擦ってた。目は信じられないもんを見るような、いや、夢でも見てるような顔をしてたな。

 

 俺らは静かに言ったよ。

 

 

 

「悪いけど、おれらの居場所はここなんだよ」

 

 

 

 その瞬間だ。マスターは俺たちの顔を見ないように背中を向けて、両手で顔を覆った。

 

 肩を震わせながら、ひとしきり泣いたんだ。あのマスターが、だぜ?

 

 やっと泣き止んで立ち上がると、酒場の柱を愛おしそうに撫でながら、こちらに見向きもせずこう言いやがった。

 

 

 

 

 

 

「クソ迷惑だよ。バカたれ」

 

 

 

 

 って全く。素直じゃねえよな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────と、そのお返しだと言わんばかりに、今じゃ席に着くと同時に、無料酒のエールが人数分届くんだ。まるで日課みたいにね。

 

 

「あれはもう趣味の領域だよ。ほら、不味くて飲めたもんじゃないだろ?」

 

 そう言いながら、彼は笑顔を崩さない。マスターが黙って彼の耳をひねり上げても、その表情は変わらなかった。ああ、この人たちはこうやって日々を分かち合っているんだな、と僕は思う。

 

 空いた片手で、マスターはエールを注ぎ足す。無言なマスターの代わりに常連さんが口を開く。

 

「ほら、先生。きっと奢りだぞ」

 

その不器用な優しさに、僕はとうとう耐えきれなくなった。思わず目に滲んだ涙を笑顔で隠しながら、温くなったエールを勢いよく飲み干した。味なんて二の次だ。ただ、この瞬間が愛おしかった。

 

 わざと大きなゲップをしてみせる。すると、彼らはギョッとした顔をしたあと、すぐに笑い出す。肩を揺らして、声をあげて、どうしようもなく温かい笑い声を。

 

 羨ましかった。そんなふうに心を通わせる術を僕も持ちたいと思った。だから、彼らの真似をしてみた。

 

「確かに、クソマズいっすね」

 

 マスターが軽く頭を叩いてくる。少し痛かったけれど、なぜか嫌じゃない。それどころか、その瞬間に溢れた笑い声が、僕の心をやわらかく包み込んだ。三人で笑い合う声が、店の隅々にまで響いていた。なになにどうしたとみんな集まってくる。中には寝てた者すら起き出してきた。ガヤガヤとした雰囲気がヤギ亭に戻ってくる。

 

 そのうるさくもどこか安らぐ音が、まるで彼らのこれからを暗示してくれているようで心地よかった。

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