さて、診療方法が決まった以上、原因を探るしかない。さもなくば「モンスターの歯医者」の看板が嘘になってしまう。でもその代償に僕の命が危うくなる可能性は、まあ、否定できない。
「あががが?(もういける?)」
ヴァルミラアスが発光しているAMDSにがっしりと齧り付きながら、なんとも微妙な目つきで僕を伺っている。即席の診療装置だとしてもなんとも滑稽な光景だ。地上最強ドラゴンがなんて格好をしてらっしゃるの。
僕は深く息を吸い込み、ドラゴンの顎下に位置する分厚い鱗をつかんでよじ登り始めた。この時点で自分が何をしているのか、冷静に考えるのをやめたほうが良いと悟る。ドラゴンの顎をよじ登るなんて、まともな人間のやることじゃない。
人間で言うと下唇の真ん中あたりにたどり着いた僕は、恐る恐るその口の中を覗き込んだ。前歯と前歯の隙間に足をかけ、全身を緊張させながら一歩ずつ中へ進む。どこかでやったことのあるワニの歯を押すゲームを思い出してしまい、噛まれたらひとたまりもないな、と思わず足が震えた。
とりあえず透視を試みた。透視用の魔法陣を手のひらで描き、右目に写す。右目の前に魔法陣が現れ、それを通して口腔内全体を診察する。すると、明らかに左下の一番奥の歯の中に黒いものがある。これはかなり深い虫歯っぽそうだ。しかし、妙だ。ヴァルミラアス──レッドドラゴンは完全肉食性で、糖分が無いものしか食べないはず。虫歯菌はモンスターの大小問わず、糖分がなければその場に定着しないし、つまり完全肉食の生物は、理論上虫歯になることはないけどなぁ。
と、観察しながら虫歯の原因について考えをめぐらせていると、虫歯と思しき黒い影が素早く動いた。
虫歯が『ある』んじゃなくて、──『いる』のか?
動悸が激しくなり、助けを求めて振り返る。
が、そこには僕の期待していた「頼れる仲間」なんていなかった。
代わりに、ラミアさんがどこからともなく現れ、スマホを構えている。インカメだ。画面越しにこちらを覗き込む彼女の目がキラキラ輝いている。
「何してるんですか……?」と尋ねる暇もない。
さらにキリアとフォンファがドラゴンを背景にギャルピースを決め、自撮りを始めていた。観光地かよ。しかも、僕の間抜け面までしっかりとフレームインしている。いやいや、誰がシャッターチャンスをあげたんだ。
「何してんだアンタら」と呆れた声を出して、再び透視に集中する。が、彼女たちはまったく気にしていない様子で、「イェーイ!」とか「奇跡の一枚撮れたっす!」とか叫んでいる。
僕は歯科医としての自信と同時に、チームの真面目さにも疑問を抱き始めた。でも今さら降りられない。降りたところで、下には再び顎の鱗が待っているだけだ。仕方ない、僕はこのまま突き進むしかないのか?いや、あれが仮に生き物としたら、戦闘力皆無の僕一人じゃ無理だ。もはやダイナミックな自殺だ。25歳歯科医師、ドラゴンの虫歯を治すために自ら口の中に入り虫歯に食われる。こんなニュースの一面が出たらダーウィン賞にのってしまう。僕は意を決して再び振り向いて叫んだ。
「ねえ!! 厄介そうなことに、僕一人の力じゃ治せそうにないんだ! 誰かが命綱を引き上げて! 誰かが一緒にきてほしいんだけど!」
さっきまで写真を撮っていたラミアさんは僕の声を聞いた途端煙のように姿を消す。そしてそこにはまさかの自分たちがいくハメになると思いもよらなかったであろう観光テンションの二人が指ハートのポーズのまま振り返って笑顔を引き攣らせている。ラミアさん、あなたの母の愛とは一体なんですか。
「ゆゆ……私が二人を引き上げるのは無理ゆ」
キリアの声は小さく、どこか震えていた。彼女の表情を見れば一目瞭然だ。目には「私にはそんな力ない」と書かれていて、口元には「その役目はフォンファにお願い」とささやくような無力感が漂っていた。
「じゃあ、フォンファに僕らのサルベージしてもらうとして、キリちゃんは戦闘員として一緒に来てね。さあ、そうも決まったら善は急げだ!」
僕は淡々とそう告げた。これ以上の議論は無駄だからだ。
「一緒に探検したかったけどしゃあないっすね! 了解っす! うらやましいっす先輩!」
フォンファの声は明るく快活に言い、その後にちらりとキリアを見てウィンクした。
「ゆ?」
キリアは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。その声色には、不安、困惑、そして若干の怒りが混ざっていた。
「縄を連続して2回引いたら引き上げて、一回引いたら止めてね」
僕は引き続き指示を出した。けれど、そのたびにキリアの顔が真っ青になっていくのを感じる。
「ゆ? わたし、先生と一緒に踊り食いされるゆ?」
さっきまで微かに残っていたキリアの冷静さが、この一言で完全に吹き飛んでいることを察した。なんで食べられる前提なんだよ。
「お願いだよキリちゃん。あ、そうだ。オリハルコンのドリルをポータブルエンジンにつけないと」
と、僕が独り言のように呟くと、フォンファが待ってましたとばかりに訪問セットから機材を組み立てて僕に渡してくれる。
「しっかしでっかいすね!! 先輩くらいあるっす!」
僕はキリアとほぼ同じ大きさのドリルを背負った。存在感が凄すぎる。万が一として買ったが意外と登場機会があって嬉しい。
「頑張ってくださいっす! 二人とも!」
フォンファのエールは力強かった。だが、どんなに元気よく言われても、これで元気になれるほど僕も単純ではない。
「心の準備時間が欲しいゆ。一回ゲームしていいゆ?」
キリアはスマホを取り出し、画面をタップし始めた。ドラゴンハンターという文字が画面に出てくる。いやいや、ゲームしてる場合じゃないぞ? そもそも今からドラゴンを救いにいくのに、ドラゴン狩ってどうすんの。こんな緊張感漂う場面でアクションゲームを始められる心臓の強さは、むしろ尊敬するレベルだ。
「ここで迷ってたらさ、キリちゃん」
僕は努めて冷静に言葉を続けた。だけど、自分でも声が少し震えているのが分かる。
「君のゲームコレクションがAMDSごと噛み砕かれるか燃え尽きるかのどっちかだワヨン?」
その瞬間、完全に失敗したと思った。語尾がヴァルミラアスの口調そのままだ。二人が僕を白い目で見ているのが痛いほど伝わる。
「……じゃあ行くゆ」
しばらくの沈黙の後、キリアが静かにスマホをポケットに押し込んだ。その仕草には諦めと覚悟が混じっていた。
彼女が小さく一歩を踏み出す。その姿を見て、僕は心の中で安堵の息を吐くと同時に、小さな感謝の気持ちを抱いた。けれど、遠目から見ても彼女の手元が震えているのを僕は見逃さなかった。彼女がどれだけ怖がっているか、それがよく分かる。
僕はそれを指摘しなかった。ここで余計なことを言えば、彼女だけでなく、僕自身の心も折れてしまう気がしたからだ。ただ、静かに「ありがとう」と言いかけて、口を閉じた。言葉にするには、この場の空気は少し重すぎた。それよりも、診療モードに切り替えなければ。
キリアの手をとり、彼女も無事ドラゴンの口──正確にはその洞窟のような入口に立った。二人、交互に自分のハーネスに取り付けた命綱が固定されているか入念にチェックする。目の前には赤い峡谷と化した口内が広がり、僕は無意識に一歩引いた。オリハルコンのドリルを杖代わりについて、歯の隙間から中を覗き込んだ。深すぎる。暗すぎる。そして、タマヒュン感がヤバい。
「これ、降りるの? どこ歩いてくのが正解だ?」
僕の独り言にキリアが返事をする代わりに、小声でなにやら唱えている。手元から小さな光が浮かび上がった。バフだ。ぶつぶつ呟いきながら僕の手をしっかり握って話さない彼女の横顔はいつもより凛々しく見える。彼女が光を飛ばすたびに、僕らの体が一瞬だけぼんやりと輝く。たぶん、すっごく強化してくれているのだろう。
それでも僕の足は動かなかった。いざ進もうとしたその時、ヴァルミラアスの心の声が耳の奥に響いた。これもバフの効果か?それとも、恐怖のあまり脳内の変なスイッチが押されたあげく、幻聴が聞こえているのかもしれない。
「あばばばばば(アタシがベロ先で持ってってあげる! 乗りな!)」
声だけではなく、巨大な赤い舌がこちらに伸びてくる。ぬらぬらと輝くそれは、見た目だけでもう遠慮したい気分になる。普通、ドラゴンに「乗りな」なんて言われたら胸をときめかせるものだろうけど、今回は違う。だって背中じゃない。ベロだ。
僕は反射的に後ずさりしてしまったが、キリアはそうでもなかった。むしろ、真剣な顔で腕を振って僕を促している。
「あばばーば?(アタシ、ベロの扱いはジョーズなのヨ?)」
そんな自信満々な自己アピールをされたところで、こちらの不安が消えるわけではない。それどころか、不安が倍増する。誰も聞いてないし、知りたくもなかった。
キリアは僕の手を支えに、べろに向かって一歩踏み出した。その足取りは恐る恐るではあるものの、どこか覚悟が決まっているようにも見える。そして、僕も彼女に続く。
「……意外と乗り心地は悪くないゆ」
滑りそうな表面を心配していたけれど、意外にも舌乳頭(舌表面にある突起みたいなもの)がしっかりしていて、グリップ感があった。いや、こんなところに感心してどうするんだ。
ふとキリアを見ると、驚くほど楽しそうな顔をしている。
「ふわぁ。なんだか新感覚ゆ……!」
目を輝かせ、口角を上げて。あれは、間違いなく遊園地のアトラクションに乗っている顔だ。僕はその表情に引き込まれ、つい考えてしまった。メリーゴーランドに乗る娘を見守る父親の気分って、こんな感じなんだろうな──と。
しかし、それも束の間のことだった。
「あばわよ!(いくわよ!)」
ヴァルミラアスが高らかに宣言するや否や、べろが急加速した。まるでジェットコースターだ。
僕らは必死に舌にしがみつく。滑り落ちたら終わりだ。風圧が顔を叩き、目を細めながら隣をちらりと見る。キリアも同じようにべろにしがみついていたが、彼女の表情は……壮絶だった。目玉がひん剥かれ、唇が裏返り、歯茎が全部露出している。その顔には、完全に「恐怖」の二文字が貼り付けられていた。
「んうゆううぶぶぼぼぼ!!」
叫び声がドラゴンの口内に吸い込まれていく。その声が、僕の内心を代弁しているように思えたのは気のせいだろうか。僕も叫びたかったが、声を出す余裕は全くもってない。やっぱりモンスターの歯医者として今日まで大きな事故なくやってこれたのは、単なる運の良さだったんだなと僕の頬を伝っていく涙に気付かされた。今はただ、この未曾有の絶叫マシンに耐えるしか、僕らに残された術はなかった。
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