怪物の歯医者さん   作:寳田 タラバ

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Incredible yet Expendable.Ⅳ

 千年の格式を積み上げてきたという石の門をくぐったとき、すでに空気が変わっていた。

 それを証明するかのように、沈黙にさえ値段がついている気がするロビーが、僕を迎えた。

 

 天井から吊るされた巨大なガラスのシャンデリアは、僕を見下ろしながら、宿泊客のランクを採点しているみたいだった。お前は満点には程遠い、と言わんばかりに。

 

 煌びやかな衣装を着た人々の波にまぎれながら、場違いな足音を鳴らしてエレベーターに乗り込んだのは──もう何日前のことだっただろうか。いや、さっきの出来事のはずなんだけど。時の感覚が、少しおかしい。

 

 僕は、学会会場に併設されたホテルの、最上階の鉄板焼き屋の──そのさらに奥の個室席に呼び出されていた。

 

 隣で霜降り肉をうまそうに噛みちぎっているのは、顕屋敷先生だ。

 一口ずつ時間を殺すように噛み締めて、赤ワインを飲み干す。

 グラスに残った空気に蓋をするみたいに、手のひらをそっとかぶせた。

 あれは、もう注ぐな、の合図だ。マナーというより命令に近い。

 

 音ひとつ立てずに忍び寄っていたギャルソンは、

 その手のひらを見て、まるで“場違いな雑音”のように静かに身を引いた。

 

 それでいて顕屋敷先生は、ギャルソンには一瞥もくれていない。

 あの人にとって、サービスは水道と同じ。蛇口をひねるまでは、ただの背景。

 

 ……とかなんとか、つい皮肉を口に出しそうになるのを抑えたところで、

 先生は、僕の前にふわりと結ばれた魔法陣越しに声を落とす。

 

「──彼女を、君のもとで数週間、臨床に立たせてもらえないかね」

 

 声が落ちた瞬間、鉄板の上の炎が一段冷えたように錯覚した。実際はそんなことない。きっと、ない。

 

 顕屋敷先生は返事を待たない。そういう問いかけって、実際は問いじゃないから。

 

「若い臨床家同士、得るものはきっと多い。……なにより、この分野、すでに君しか見えていない領域が多すぎるんだよ」

 

 笑っていた。僕を褒めながら、まるで僕の頭蓋骨の内側をチェックするような目で。

 焦点は僕の目ではなく、その奥の回路か何かに結ばれているようだった。

 ──断るなよ、さもなくば。と言われている気がした。

 

 要するにこれは命令だ。

 僕に拒否権なんて最初からない。カードは全部、彼の手の中で光っていた。

 

「……そう、ですかね。買い被りすぎですよ」

 

 皮肉くらいは言わせてほしい。人間としての尊厳の維持ラインだ。

 

「そんなことはない。君は我々にとって、かけがえのない存在だよ。支援も、惜しまないことを誓おう」

 

 そういうのを、使い捨ての部品を持ち上げる時の口ぶりって言うんだろう。

 

(セラさんを送り込んで、僕の技術を“学ばせる”。それが建前。実際のところ──目的は、もっと別のところにあるんだろう。)

 

 まあ、それくらい分かる。分かって、それでも僕は、

 

「はい。では、こちらからもよろしくお願いします」

 

 飲み込んだ。毒だって、水のふりして出されたら、喉を通る。

 

 顕屋敷先生の口角が、ぐにゃりと吊り上がる。

 まるでこの瞬間を狙っていたかのように、便器みたいな白い歯が、ぴたりと並んでいた。

 その口元に、金ピカの妙な既視感を覚えて、僕の意識は──いったん過去に逃げた。

 

 

 

 数時間前のこと。

 僕は、なんの意味もない表彰を受けていた。

 壇上では、学会の誰それが、パワフルな好人物を演じている。演技力だけなら副賞ものだ。

 

「──全ての講演の中において最も優秀であったという評価を聴講者より得られました。ここに副賞を添えて表彰するとともに、感謝の念を表します」

 

 ひどい笑顔だった。笑顔というより、笑い顔のパーツだけを貼りつけたみたいな。

 それに見合うように、手渡されたトロフィーも、また悪趣味だった。

 

 金ピカの、いやらしいほどツヤのある、口の形を模したオブジェ。どこがどう“副賞”なのかは不明だ。

 台座のプレートには小さく「モンスター歯学の貢献に対して」と刻まれていて──

 その下にでかでかと、「中央歯学学会」と、太文字で刻まれていた。こいつは人間側だぞ、と。

 何がどう感謝なのか、僕には理解できなかったし、したくもなかった。

……いや、ほんとに、そもそもどこに置けばいいのこれ。誰か正解教えて。

 

「先生! こっちに目線くださいっすー!」

 

 金髪ギャルと黒髪ロングが、学会会場に不自然なくらい馴染んで騒いでいた。僕の理性が「知りませんよ、あんなの」と白旗を上げている。

 黒髪ロングは見覚えのある日本人形を小脇に抱え、金髪ギャルはカメラは持っていないのに、指で作ったカメラのポーズだけは一丁前だった。想像力で押し切ろうとしてるのか? ちょっと待て、色々待て。

 

「はい、撮るっすー!」

 

 キュイーン、という轟音と共に、目が潰れた。

 閃光の規模が、もはやストロボを超えて物理攻撃の域に到達していた。僕の網膜は、さぞ面白い具合に焼け焦げただろう。

 

 会場がどよめいた。無理もない。あれは絶対、カメラじゃない。レーザー兵器か何かだ。

 

「あ、出力最大にしちゃったみたい!!……ゅ」

 

 語尾が逃げた。責任も逃げた。

 

 ざわつきはおさまらない。つまり僕のターン。

 やるしかない。ここはひとつ、トロフィーに罪を擦りつけてみよう。

 

「トロフィーが光を倍増させちゃったんですかね! あは! あはははは!」

 

 ざわつきは止まった。が、それはたぶん、好意的な意味ではなかった。

 この静けさ、知ってる。滑った時のやつだ。

 誰かがどこかでレール外したんだ。僕のではないと信じたい。

 

 進行役が、助け舟というよりは応急処置のように、拍手を打ち鳴らす。

 パチパチパチという音が、もはやドラムロールにすら感じられた。彼の手のひらの赤みを想像して、僕はちょっとだけ泣きそうになった。大きくなってきた拍手にホッと胸を撫で下ろす。

 

 金髪と黒髪は、満足げに笑って拍手している。

 僕もそれに笑顔で応じる。とりあえず形だけでも。

 でも、唇の端だけ、少し痙攣していた。これが真の笑顔だって言い張るには、ちょっと無理があった。

 

 

 拍手が収束し、壇上から降りた僕は、無意味な金塊をぶら下げたまま、出口の位置を目だけで探していた。記念撮影? 二次会? やめてくれ、僕はただ静かにこの場から消えたいだけだ。

 

 ──そんな僕の願いとは関係なく、舞台袖では、別の話が静かに始まっていたらしい。

 

「……見てこい」

 

 低く抑えた声が、暗がりに響く。

 

「ヒトを食わず、ヒトに懐き、ヒトに馴染む“異物”が、本当に『味方』になりうるのか。潰すべきか、引き入れるべきか。……いや、そもそも、“それ”は『ヒト』なのかどうか」

 

 問いに応える声はなかった。ただ、ひとつ頷く影があるだけ。

 

 少女だった。整いすぎていて、逆に記憶に残らないような顔。黒でも金でもない、曖昧な色の髪が肩にかかっていた。

 

 その瞳には、光も、迷いも、疑問もなかった。ただ、命令の内容だけが、静かに焼きついていた。

 

 ──もちろん、僕はそんなやりとりがあったことなんて、露知らず。

 舞台袖で誰が何を話していようと、知ったこっちゃない。

 けれど、胸の奥が、うっすらと冷える気がした。

 わずかに残っていた拍手の音は、何かの始まりの合図にも聞こえた。

 

 ……嫌な予感だけが、やたら正確なのは昔からだった。

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