怪物の歯医者さん   作:寳田 タラバ

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最新話を執筆していたところ、構成的にさらに良くできそうな手応えがあり、現在「Haisha of the Dead」章を中心に大幅な改稿を進めています。

既存話についても順次ブラッシュアップ予定のため、多少の差異や揺れが生じる可能性がありますが、ご容赦いただけますと幸いです。

また、改稿に伴い伏線や描写の意味合いも強化されていく予定ですので、既読の方も「Haisha of the Dead」を読み返していただけると、より楽しんでいただけるかと思います。

今後とも『怪物の歯医者』をよろしくお願いいたします。


Haisha of the Dead Ⅳ

 

 

「痛いの、ぜっっったい嫌っすよ!!!!!」

 

 ユニットの上で足をばたつかせるフォンファ。悲鳴みたいな軋みが、もう限界です、と機械のくせに人間臭く訴えてくる。金属のフレームがわずかに歪む音。あ、これあとで営業さんに怒られるやつだ。

 てか。普通のキョンシーって、こんなに力強かったっけ? いや、そもそも“普通”のサンプルを、僕は一体いくつ知っているんだろう。ゼロ説あるな。比較対象ゼロで比較とか、だいぶ雑だ。

 

「んー。善処するよ」

 

 我ながら、善処、とは便利な言葉だ。

 やるとも、やらないとも言っていない。責任だけふわっと宙に浮かせる、現代社会の魔法。

 

 言葉の魔法で、余裕ができた。

 

 天井よりも、もう少し奥。視界のピントを現実から外して、思考だけを手元に引き寄せる。

 

 

 

 

 ——麻酔は、使わない。

 

 失活している可能性は高い。

 仮に生きていたとしても、刺入圧でキレられて八つ当たりされる未来が、わりとリアルに想像できる。いや普通に嫌だなそれ。病院送りは御免だ。

 

 ——第一、麻酔が使えるかどうかも分からない。

 

 麻酔が効く前提で話していい相手かどうかも。

 “効く”って概念、この()に適用される? っていう根本のとこから怪しい。

 

 考えれば考えるほど、前提が砂みたいに崩れていく。

 

 組み上げたはずの診療プランが、触れた端からさらさら消えていく。

 うん、こういう崩壊は好きじゃない。せめて派手に崩れてくれ。

 

 

 

 

 

 いつのまにか、ユニットの弾みが止まっていた。

 

 

 さっきまでの騒音が嘘みたいに消えて、代わりに、音のない圧力だけが残る。

 

 静寂が、宇宙に逃げていた僕の意識を、首根っこ掴んで診療室へ引き戻した。

 

 

 

「痛くしたら、ガチの、マジで」

 

 

 静寂が僕を引き戻したわけじゃない。彼女が、そうしたようだ。

 

 

「ブッ千切るっす」

 

 少女の形をした、修羅が。

 

 目を逸らしたら終わる、という確信だけが、理屈をすっ飛ばして脳に張り付く。

 

 乾いた喉を無理やり鳴らして、瞬きすら忘れる。

 

 

 

 

 見てはいけないものを見ているのに、目を閉じるという選択肢だけが消えている。

 

 

 その目。

 

 

 瞳孔が、開ききっている。

 

 極度の散瞳。

 

 光を取り込むためじゃない、何かを見落とさないための開き方。捕食者のそれ。

 

 死んでいるから、なのか。

 

 それとも、仲間になりたそうにこちらを見ている、からなのか。

 

 

 

 思考がそこまで進んだところで、無理やりブレーキをかける。

 

 今それやると、たぶん詰む。

 

 

 

 

 僕が、失活させられる。

 

 

 

 

 

「全身全霊をもって、無痛治療を敢行いたします」

 

 宣言というより、半分は遺言に近い。

 

 そういえばこの()、キョンシーだった。

 ——それも、“壊れない側”のはずだったものを壊す側だ。

 

「そうだな、どうしたら痛いかおしえて?」

 

「噛んだら痛い。冷たい、熱いものも痛い。ちなみに、今も痛いっす」

 

「咬合痛、冷温水痛、自発痛あり、と」

 

 ここまで聞けば、普通は急性の歯髄炎を疑う。

 けど、普通じゃない。目の前にいるのは、死体で動く例外だ。

 

「……神経死んでんのにどうやって体動いてんの? 痛みもどうやって感じてるのか謎すぎて——」

 

 思考が、また横道に逸れかける。もはや通い慣れた道。

 

 

「ギャルゲーの攻略というより、RPGのボス攻略に近いゆね」

 

 いつのまにか横に生えてきたキリアが、しゃかしゃかと麻酔を組み上げて僕に渡してくる。

 

「やかましいわ。こっちは初見ノーデス縛りだぞ」

 

 受け取った注射器が、妙に重い。

 いや、違う。さっきまでより、状況が重い。

 

「ややこしいっす! 早く麻酔うちゃいいんすよ! もう、自分でうつっす! これ、借りるっすよ!」

 

 

 軽くなった。

 

 手の中のはずのそれが、急に。

 

「ちょッ——」

 

 止める間もない。

 

 フォンファは麻酔器を引っ手繰ると、ためらいもなく、折れた歯へ針を差し込む。

 

  ——ブチン。

 

 カートリッジの薬液が、抵抗を破る音。初めて聞いた。

 

 躊躇が、ない。

 

 ——髄腔内麻酔。それも0秒で。

 

 人間の歯科でいう、最後の手段のひとつ。

 何をやっても効かないときに使う、強引な突破口。

 

 そして、最悪に痛い。

 

 今までの痛みが前座だったと錯覚するくらいに。

 

 それを、無麻酔で。

 自分で。

 直接。

 

 理解が、現実に追いつかない。

 

 中世なら、「騒ぎすぎだ。後31本あるぞ」って執行官がいうやつ。

 

 残念ながら僕は執行官ではなく、ただのしがない──歯牙はあるが──歯医者だ。この時点では、敗者でもある。喧しいわ。

 

 

 ……ああ。

 

 さようなら、フォンファ。

 そして、巻き添えで、さようなら、僕。

 

「いっっっっでえええええええええええ!!!!」

 

 爆発した。

 

 比喩じゃない。ほぼ爆発だ。

 

 ユニットが跳ねる。空気が歪む。

 人間なら崩れ落ちるはずの反動を、そのまま垂直に叩き返している。

 

 飛び上がり五回転半捻り、とかいう意味の分からない軌道。

 フィギュアスケーターに怒られろ。

 

 やめてほしい。ガチで。ない。

 

 僕は一歩、いや半歩だけ後ろに下がる。

 それ以上下がると「逃げた」判定を食らいそうなので、あくまで誤差の範囲で。

 

 背景に徹しよう。

 存在感を消そう。

 空気になった。

 

  ……なれたらいいなあ。

 

 フルプレートアーマーが、妙に頼もしい音を立てた。

 重ねがけされたバフの威光が鎧で乱反射して、視界の端で陽キャみたいにチラついている。絵面がうるさい。

 

 ——謀ったか。

 

 誰がかは知らないけど、もう流れ的にそういうやつでしょこれ。

 

 フォンファはひとしきり跳ねた後、腕を垂らしたままピタリと止まった。

 

 動かない。

 

 音もない。

 

 こっちも動けない。

 

 本日、何度目かの不穏な静寂。

 

 

  死を受け入れるに相応しい時間だよねこれ。明鏡止水ってこういうこと? いや望んでないけど、この流れでパワーアップとか来ない?

 

 

 どれくらい経ったか分からない。

 

 家鳴りと時計の区別がつくくらいには、時間が進んで——

 

 

 ふと。

 

 いや、待てよ。

 

 

 これ。

 

 

──チャンスか?

 

 

「ふぉ、フォンファちゃん」

 

 フォンファの頭上からできる限り親しみを込めた声色を、嫋やかな木漏れ日のように慎重に投げかける。

 

 反応は、ない。

 

 けど、続けた。

 

「た大変だったけどさ。麻酔、効いたんじゃないかなあ。カチカチ噛んでみたら?」

 

 返事の代わりに音がした。

 

 カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチ

 

 異様に速く、細い。

 歯がタッピングされる音が響く。

 ハムスターの歯切りのような早さとか細い音。

 

「いてえっす」

 

 振り向いた目は、さっきまでの捕食者のそれじゃない。

 攻撃色が抜けて、代わりに、ただの“痛がってるやつ”の色が濃い。

 

 ……それはそれで、色々と厄介だ。

 

 深く同情しながら、同時に考える。

 

 そんなはずがない。

 炎症が強すぎる?

 刺入が甘い?

 いや——

 

「ニューロディアクティベーションされているのか──」

 

 もっと、前提の問題か。

 

「パーセルチュアルファクターへは、ソウルギャザーによる形骸への深部同期化よるものだとしたら」

 

 仮説を、口に出す。

 

 思考の内側で回しているだけだと、どうしても“それっぽい妄想”で終わる。

 外に出して、言葉にして、音にして、初めて“検証可能なもの”になる。

 

 ——あり得る。

 

 少なくとも、“効かない理由”としては、筋が通る。

 

 死体が動いているんじゃない。

 魂が、動かしている。

 

 なら——痛みの経路も、そこにあるはずだ。

 

「キリちゃん」

 

「あいあいゆ」

 

「僕とフォンファのパーセルチュアルをシンクロナイズして」

 

「急に厨二かゆ」

 

「確認後、浸潤麻酔を僕に」

 

「もうそういう年頃でもないゆのに、恥ずかしいゆ」

 

「いい格好させてよお」

 

「ふんゆ。朝飯前どころか寝起きゆ」

 

 軽口みたいなやり取りの裏で、言っている内容はわりと綱渡りだ。

 

 痛覚の“経路”を物理から切り離して、魂側をオペレーターに同期させる。

 

 つまり——

 

 痛みだけを、僕が、引き受ける。

 

 分配じゃない。肩代わりだ。

 

 クァ、とあくびを噛み殺しながら、キリアが片手を持ち上げる。

 

 気の抜けた仕草のくせに、展開される魔法陣はやけに精緻だ。

 幾何学的な光が何層にも重なって、僕とフォンファの間に“見えない回路”を描いていく。

 

 遅れて、膜のような光が落ちてきた。

 

 やわらかい。

 

 水の中に沈められたみたいな、輪郭の曖昧な感覚。

 境界線が、溶ける。

 

 どこからが僕で、どこまでが彼女なのか、ほんの一瞬だけ分からなくなる。

 

 ——来る。

 

 予感だけが、やけに鮮明だった。

 

 喉の奥が、じわりと熱を持つ。

 

 まだ何もしていないのに、痛みの“予告編”みたいなものが、先に流れ込んでくる。

 

 嫌なシステムだな、と他人事みたいに思う。

 

 でもまあ、選んだのは僕だ。

 

 視線を落とすと、フォンファがこちらを見ていた。

 

 さっきまでの捕食者の目じゃない。

 ほんの少しだけ、不安そうな、——患者の目だ。

 

「……それで、今度は、ちゃんと、痛くねえんすか」

 

「たぶんね」

 

 たぶん、で命を張るのが、僕の仕事だ。

 

 僕は息をひとつ吐いて、器具を持ち直す。

 

 指先の震えは、見ないふりをした。

 

「じゃあ、いくっすよ」

 

 フォンファの口癖が僕にうつったと共に、根管へ、リーマーがぬるりと刺し入っていった。

 

 その瞬間。

 

 ——感触が、違う。

 

 歯質じゃない。

 象牙質でも、壊死した組織でもない。

 

 もっと、柔らかい何か。

 

 粘つくような、逃げるような、掴みどころのない手応え。

 

 ほんのわずかに、手元が遅れる。

 

 その“遅れ”が、致命的だった。

 

 次の瞬間、痛みが走る。

 ——いや、走ったんじゃない。

 入り込んできた。

 

 フォンファから

 

 僕へ、だ。

 

 焼けるような痛みが、口腔から脳天へ一直線に突き抜ける。

 

「——っ、が……!」

 

 呼吸が詰まる。

 

 同期は、成立している。

 

 だから痛い。

 

 理屈は合っている。

 

 ——なのに。

 

 リーマーの先が、微かに震えた。

 

 僕の手じゃない。

 

 もっと内側。

 

 触れている“向こう側”で、何かが動いた。

 

 あり得ない。

 

 歯の中は、そんな構造じゃない。

 

 知っている。

 知っているはずだ。

 

 なのに、今、確かに——

 

「……なんか、変っす」

 

 フォンファの声が落ちてきた。

 

 さっきまでの強がりじゃない。

 かといって、捕食者のそれでもない。

 

 中途半端に正直な、患者の声。

 

「ウチの痛みがそっち行ってるのは、分かるっす」

 

 そこまではいい。

 

 僕も同じ認識だ。

 

 問題は、その先だ。

 

「でも、それだけじゃない気がするっす」

 

 言葉が、曖昧に濁る。

 

 でも、嘘じゃない。

 

 分からないから、分からないまま出てきた言葉。

 

「なんか——混ざってる、みたいな」

 

 ぞわり、と背筋が粟立つ。

 

 同時に、リーマーの先に、もう一度“それ”が触れた。

 

 さっきより、はっきりと。

 

 今度は、逃げない。

 

 むしろ、こちらをなぞるように——

 

 触り返してくる。

 

 思考が、そこで止まった。

 

 止めたんじゃない。

 

 止まった。

 

 これ以上進めたら、たぶん、よくない。

 

 そんな確信だけが、妙に鮮明だった。

 

 

 

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