歴女JK謀神の子供を産む   作:星野林(旧ゆっくり霊沙)

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1512年 京にて(大内義興視点)

「ホッホッホ……安芸の毛利はよく働くのぉ。こちらの意を汲んで有田城を攻めてくれたか」

 

「ええ、毛利家は安芸国でも有数な国人に成長しております。このまま成長するのであれば、安芸国の分群の代官を正式に認めても良いかもしれませんね」

 

 大内義興は京の屋敷で筆頭家臣の陶興房と話をしていた。

 

 大内義興は言わずとしれた西国の覇者と呼ばれ、毛利興元も参加した船岡山合戦に大勝し、京を反幕府軍から奪還し、足利義稙を支える4大名の一角として京で大きな権力を握っていた。

 

 足利義稙を支える4大名は管領の細川高国、西国の覇者大内義興(6か国守護)、畠山尚順(紀伊、河野、越中の3か国守護)、畠山義元(能登守護)達であり、錚々たる面子である。

 

 ただこの頃将軍との仲が急速に険悪になってきており、理由として最初大内義興を京の公家達は田舎者扱いをしていたのだが、船岡山合戦で大勝し、幕府及び朝廷を武力でどうにかできてしまう程の強さを見せたところ、公家達は媚を売るようになり、その流れで大内義興の事を良い話しか聞かなかった時の天皇は大内義興に従三位の官位を与えるという話になった。

 

 生前で従三位になった武士は基本足利将軍でも限られた人物だけであり、足利義稙を官位だけなら追い抜いてしまう事態が発生した。

 

 しかも武家の家格として将軍が口を利いて朝廷から官位を授けるというのが一般的なところ、今回は天皇の鶴の一声で決まった為、幕府の面子が潰れてしまったのである。

 

 大内義興と仲の良かった管領の細川高国は必死に幕府と朝廷と大内義興の仲裁をしたのだが、険悪な関係を修復するには至らなかった。

 

 それどころか、公家達が大内義興に過剰な気遣いをするようになった為、大内義興の家臣達にも守護の人達が生きているうちには成れるかギリギリの官位を守護代とかその下の家臣達にもばら撒き始めたのである。

 

 大内家に従五位、正五位の家臣がゴロゴロいるのはこのバラマキの影響が多く、この時にこの世界では毛利興元にも正六位の官位が与えられ、毛利家開祖の大江広元公(この人は従四位)から毛利家となって初めて官位を頂くに至る。

 

 毛利家の悲願でもあった。

 

 話を大内義興に戻すが、それでも大内義興は他の3名と協議して幕政に関与し続けていたが、反幕府軍の主力だった赤松家を将軍足利義稙は赦免(罪を許す)することを決定し、そこでのやり取りでもトラブルが起こっていた。

 

 足利義稙が頂点、管領である細川高国が次点であるのは分かる。

 

 しかしその次に名前が上がったのが畠山尚順、畠山義元で大内義興は更にその下に名前が書かれていたのである。

 

 赤松家は室町将軍以外で大内義興の前に唯一生前従三位になったことのある家格ある家であり、それが西国のぽっと出(歴史だけなら大内家の方が長いのであるが……)に従三位で並ばれた事が相当気に食わなかったらしく、嫌がらせをしたのだが、それに足利義稙が同調してしまい、大変なトラブルになっていたのだ。

 

 これは後々将軍出奔事件が発生するくらい根深い問題に繋がってくる。

 

 更に大内義興が従三位で昇殿が許されるようになると本物の貴族達から表向きは賞賛されるが、裏では色々な嫌がらせがされており、武士が貴族になることへのささやかな抵抗が繰り広げられていた。

 

 こんな状態なのでいい加減大内義興は国に帰りたいのに国に帰れないジレンマが発生していた。

 

 ただ約1万の軍を長期遠征していても普通に領国も遠征軍も支えられる大内家の財力は織田信長が出てくるまで日ノ本一の金持ちと言われるだけある。

 

 ちなみに大内家の最盛期は息子の段階であるが、西国5カ国の領土だけでも100万石を超えており、幕府から許されている勘合貿易の独占権で100万貫(200万石)の金銭的収入も有していた。

 

 更にこの数年後には世界の3分の1の銀が産出される石見銀山が領内で発見され、それが100万石の利益と言われているのであと5年もすれば400万石の経済力を有する事になる。

 

 400万石の経済力がどれほどなのかと言うと関東に移封となった徳川家康の所領が約450万石、豊臣秀吉最盛期の所領が400万石、関東最大の北条氏の最大版図が250万石、四国を統一した石高が75万石……信長最盛期750万石……これでだいたい凄さが伝わるだろうか。

 

 ちなみに大内家滅亡後に勘合貿易は途絶えるので中華ブーストが使えるのは大内家のみで織田信長でもできていないのである。(なんで中華ブーストの無いノッブが750万石を有したのでしょうか……異常性が際立つ……)

 

 そんな西国の覇者大内義興の右腕が今喋っている陶興房である。

 

 陶家は代々異常者を輩出する家系であり、陶興房の父親は16歳で大内家の家督相続で起こった内乱……周防守護代だった陶興房の父親対他全ての大内家みたいな1国対4国くらいの国力差だったのに、鬼神の如き活躍で調略一切無しの武力だけで敵対勢力を全て鎮圧するという大活躍をし、西国最強の武士の渾名が与えられた。(なお数年後にこの時の反乱の敵方だった人物に暗殺される)

 

 その三男だった陶興房も兄2人が早世してしまったが、陶家当主として確かな力量を持ち、船岡山合戦では陣頭指揮を彼が行い、大勝に導いていた。

 

 更に政にも深く精通しており、京で公家との接待を取り持ったり、周防の守護代としての仕事を一切のヘマ無くこなしていた。

 

 なおこの陶興房の息子……では無く、嫡男が早世して親戚から養子になったのが皆大好き西国一の侍大将、陶隆房(陶晴賢)である。

 

 ちなみに大内義興時代の家臣達は文武共に西国ところか細川家や幕府含めて質、量共に最強であり、甲斐の武田家が武将クラスが39人のところ、大内義興時代……ちょうど今であるが、武将クラスが142人も居るトリプルスコア以上をつけていた。

 

 なので大内家は京への出兵、北九州戦線、安芸戦線、石見戦線と各地に戦線を抱えながらも崩壊するどころか最強の名を欲しいままにする巨大な家臣団を形成していた。

 

 伊達に戦国時代最初の天下人と呼ばれていない人物と家臣団を持つのが大内家である。

 

 なおこの大内家にも欠点があり、代替わり毎に家中騒乱が発生しており、大内義興の時も含めて遡ること6代前から毎回大量の死傷者を出していた。

 

 なので大内直系の男児が異常に少ない欠点を抱えていた。

 

 大内義興も幼い嫡男が居るが、子供はその子だけである。

 

 閑話休題。

 

「武田の動きを抑え込めることができましたが、尼子が伯耆平定が完了すれば安芸に攻撃を仕掛ける可能性が高いです。そうなりますと武田、尼子に挟まれた毛利家も危ういかと」

 

「ほうほう……安芸鏡山城の蔵田房信に連絡を入れよ。安芸国人衆を率いて毛利家を援護せよとな」

 

「しかしそれでは山名の備後が危うくなるのでは無いでしょうか」

 

「山名に応仁の乱の時のような力は無かろう。それに欲深い尼子経久のことじゃ。山名と手を組んでいようといずれ破綻する。その時に余が助力することで盤面は動こうぞ」

 

「そうなりますとなるべく早く領国に帰る必要がありますね」

 

「将軍のお守りも大変よのぉ頃合いを見て領国へと帰るが、厳島を片付けなければならんのぉ……ふむ、いかがいたすか」

 

「厳島の対岸にあり、安芸と周防の出入口である桜尾城には内藤殿(大内家重臣 過去の少弐氏攻めで方面軍大将をした実績あり)が踏みとどまっておりますが、周防より後詰めを送り、戦線を維持するのが限度かと」

 

「ふむ、内藤には引き続き桜尾城を守備するように伝えよ。毛利には尼子に気をつけるように文を、吉川には陣抜けの罪は許す故に毛利と協力するように文を送れ」

 

「は!」

 

「鏡山城さえ落ちなければ安芸の盤面を覆すは楽ぞ」

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