完璧主義者の天城トレーナーは振り向かない 作:黄金モルモット
トレセン学園の朝は、いつも通りの平穏に見えた。 柔らかな朝日が窓から差し込み、廊下に整然とした影を落とす。 しかしその静けさには冷たい違和感が隣接しており元の平穏には程遠い。
幾度と朝と夜を迎えて学園の警備体制は大幅に強化された。新たな警備ルートや増員、新型の監視カメラやセンサなどが各所に取付られた。
それが功を奏したのか、校内で起きていた設備の新たな破損事案は収まった。警備が刷新された事もあり生徒達は再び活動を再開し、学園にも活気が戻るはずだった。
が、しかし見えぬ影はそれを嘲笑った。
──私のハンドグリップが見当たらないです。
きっかけはある生徒からの申し出だった。
それだけなら、珍しくもない紛失の事案として処理されるだけだった。しかし同様にトレーニング器具を紛失する生徒が相次いだ事で事態は一変する。
複数名の生徒が同じものを紛失する、明らかに異常な状況に学園は混乱に陥った。一人がそれに気づけば他の生徒も自分の持ち物を調べだし、結果として紛失されたものが数多くある事が判明した。
調査が進むにつれて通常であれば紛失されないだろう物まで浮上してきた。水筒のボトルやハンドタオル、ジャージなど明らかに犯罪性の疑いが出てきたのだ。
状況はさらに悪化していく。
ロッカー内に入れていた私物が無くなったのだ。もはや盗難は疑いようもなく、学園からは賑やかな空気が消えうせた。その消えた私物がリップクリームである事も恐怖に拍車をかけるばかりだ。
生徒達は貴重品を肌身離さず持ち歩くようになり、トレーニングを自主的に休む者も現れた。
当然カメラ等はチェックされたが不審な者の姿はどこにもなく、センサも疑わしい影を捉えることは出来なかった。
警備員の巡回でも発見には至らなかった。
不安を抱えた生徒達を守ろうと立ち上がった職員やトレーナー陣と学園や生徒会、警備室、そして今回の機器設置に協力したシュガーライツへ疑念や抗議の声が持ち上がるのは至極当然だっただろう。
学園の大講堂には生徒を除いた大人達が集結し議論を重ねていた。しかし、建設的な話し合いは開始当初に破綻し、犯人がどこに所属しているのかを責め合い擦り付け合う時間が始まった。
「警備体制は強化されたはずじゃなかったのか」
トレーナーの一人がそう叫ぶと過信体質の警備室長は苦々しい顔を浮かべてマイクを握った。
「ええ、はい、それは確かな事です。人員の増強や巡回路の更新を行いました。また、カメラやセンサも増設し、その全てはこちらの管理下にあります」
「でもそのカメラに何も映っていなかったのよね?」
職員からの疑問に対してシュガーは冷静に受け答えをするが、事態の収拾には至らない。結果、いつの間にか非難の声はシュガー個人へ向けられていた。
性能が悪いのでは、故障しているのでは、そんな声が何度も何度も浴びせられる。
天城は発言する事も一切なく最後方から会の推移をじっと眺めていた。シュガーが責められる展開になった際にも不服そうな顔つきと圧を強めはしたが、擁護はせず見守った。その程度の事は必要ないと考えたからだ。
天城はシュガーの強さを誰よりも間近で見てきた。余計な手出しをするつもりはない。
しかし、犯人に手引きしたという濡れ衣がかけられようとしたら話は別だ。誰がそう言ったかも分からないほどの喧騒だったが、その中で天城にはシュガーを疑う声がはっきりと聴こえていた。
──大いに下らない猜疑心だな。
と、声を上げたいのを抑える事が出来たのは壇上に理事長の秋川やよいが飛び出たからだ。
「静粛にッ! そこまでだ!」
鶴の一声。小さな子供の理事長が作る迫力にざわつきは静まり、会場はシンと波を打って落ち着いた。
「皆の不安はよく分かる。生徒を、ウマ娘を想う気持ちは痛いほどに分かる。私もそうだからだ。だが、そのために刃を向ける相手を間違えないでほしい! 今重要なのは生徒達を守る事だ、犯人探しではない!」
空気が打ちのめされ、震えていた。
そのまま第一回の説明会・情報交換会は幕を閉じて各々が自分の持ち場へと戻っていった。
同僚と付き合いの薄い天城は、人込みを避けて扉のそばでじっと待った。やがてモータの駆動音が近づいて大きくなり、そのタイミングで扉を開ける。
焦燥した様子のシュガーは天城の顔を見つけるなり安堵したように口元を緩ませた。一方の天城も目線を敢えて向ける事はしないが、その様子に安堵した。
二人は並んで歩きだした。あくまで、車椅子の介助をするためという建前のもとに。
「あまり、見られたくない所を見られてしまったな」
「だが、流石に気丈だな」
「そんな事は無いさ。大勢から責められるのは慣れているが……これでも必死に気を張っている」
どう言葉を紡げば良いのか分からず、天城は躊躇いながらも沈黙を選んだ。そんな時、その扉を開くのはいつだって切れ長の瞳が細く閉じる笑顔である。
「ありがとう、駿介」
「どうした、突然に」
「ふふっ、他意は無い。ただ言いたくなっただけだ」
「そうか」
足が長く大股の天城は、車椅子の速度に併せて同じ方向へと歩を進めていった。時折横を見ては歩幅を緩めて前を向く。そして会話に答える。
そんな背中姿を遠めに観察し、特有の長い耳を立てるマヤノの存在は、シュガーだけが知っていた。
☆ ☆ ☆
警察の捜査が正式に介入したのはそれから数日後の事だった。学園の各所では制服を着た警察官の姿があり、いつもと異なる景色に日常は遠く笑っている。
窃盗として正式に受理されるに至ったのは、学園で紛失された物品がオークションサイトに出品されている事が判明したからである。
一度外れた空気は二度と戻らなかった。
きっかけは学園に寄せられた通報だった。御校の校章が入ったタオルがオークションサイトで売買されているが、認知しているか。というものだ。
情報を受けたシュガーはすぐさま最新の解析AIを駆使して同様の文言や出品画像を調べた。その結果複数のサイトで不審な出品物が確認されたのだ。
該当の生徒に確認を取り、それが紛失物もとい盗難物である事が確定とされたが既に取引完了されている物まで見つかった。
学園としては購入者から返還を求めたいが既に金銭的なやりとりが発生している事や対象のサービスが複数ある事から、警察に相談もしているが交渉は難航していた。
流出先が明らかになり、誰が横流しをしたのか或いは盗んだのは誰かが捜査線上に浮上するのは時間の問題と思われた。
不安や緊張は残るが、これによって悪は成敗されてまた平和な学園が戻ってくる、と。
その日、緊急の情報展開による会が開かれるまでは誰もがそう思っていた。恐れていた事態が二つ判明して学園が恐怖の底に沈むまでは、だ。
誰も声を荒げない。
誰もが沈黙している。
すすり泣く声すらする。
生徒に怪我人が出たという報告がなされた。犯人と遭遇して階段から転落した、という報告がされると一時的に騒然となった。
しかし詳細は覚えておらず怪我をしたのは夜間という、それだけが手掛かりだった。
生徒が負傷したとなれば学園の警戒レベルは最高のものを用意する必要がある。
だが、その警備が犯人に嘲笑われている現状が否定しようもなくあった。
そしてもう一つ、警察の担当より慎重なトーンで説明された事実が会場を地の底に落とし込んだ。
「盗撮や盗聴と思われる、生徒さんの情報やデータが流出しており、売買の実態が確認出来ました」
悲鳴すら上がらなかった。
誰の、何が流出しているのかは生徒の心理的負担を考慮して公開されなかった。またどこで撮影されたかも特定されていない。
シュガーライツが自ら警察に協力し動画や音声データの削除を行うと申し出た事で、僅かに暖かな溜め息の輪が広がった。
会議の終了後、また扉の前で待っていた天城のもとに現れたシュガーは耳を貸すように要求してきた。
「この後、私の部屋に来てくれ」
いつもであれば天城は表向きは怪訝にしつつも不器用に従うだろうが、この日はただならぬ雰囲気があり天城も鉄面皮を全く崩さずに耳を貸した。
「何かあったのか」
「マヤノトップガンもその中にいた。それで理解してくれないか。それ以上は私も言いたくない」
天城の理解力であればそれのみで必要充分だった。目の前が暗くなる間隔と共に静かな怒りが湧き出る。
天城はシュガーと共に足早に研究室へと向かった。そのような緊迫した状況だった故に、同じウマ娘のであるシュガーは背後にいたマヤノに気付く事が出来なかった。そしてマヤノは天城が部屋に誘われた事のみに舞い上がり、ただならぬ雰囲気を掴み取れなかった。
「シュガーちゃん、トレーナーちゃんを部屋にお誘いしてた? いつの間にそんな関係になってたのかな」
二人の目的がパンドラの箱とも知らずに後を追う。
部屋に着いたシュガーは手早くパソコンを操作して当該のWEBサイトにアクセスした。下品なデザインや広告に満ちたサイトには数多くのウマ娘の姿が確認出来る。
そのサムネイルからして健全な匂いは全くしなかった。天城がマウス操作でページを変移させていくとそこには、自分の担当が健気に走る姿があった。
健気な姿が食い物にされていた。
サンプル、と英語で書かれたボタンにカーソルを合わせると小さく口汚く言葉を漏らした。
「おぞましく、下劣な奴らだ」
「最初、私はこれらの悪質極まりない動画や音声のどれもがフェイクであればいいと思っていた。だが、その反応を見る限りでは違うようだな」
「値段がバラバラだな」
天城は先に目に入っていたウマ娘の動画と比較してマヤノの値段が高いことに着目した。
「これは推論だが、恐らく彼女達の競走成績によって変動するらしい」
「低俗な付加価値にするとは許せんな」
天城は再び口汚く小声で罵った。
「辛いものを見せて申し訳ない」
「責めるつもりはないが、なぜ俺に見せた」
「本物かどうかを確認してもらうのが半分、そして半分は私にとってもマヤノが大切な存在になっていて、だから、私情として許せなかった」
「俺がこれを見ても取り乱さないと信用したうえで、何か手掛かりが掴めないかと託した。でいいか?」
シュガーはこくりと頷き、強く膝を叩いた。その剣幕には驚くと同時に、無暗に脚を傷つける行動に天城は思わず心配の声を漏らした。
「俺を信用してくれた事に感謝する。掴めた」
「ほ、本当にか?」
「前に起きた校内設備の破損事件だが、改めて傷や穴が見つかった場所を捜査すべきだろう」
「……まさか、そうか、そういう事か」
「犯人はサンドバッグに機器を仕込んでいた。そう考えれば自然と辻褄が合うと思うが」
ウマ娘が全力で殴りつけても破れない丈夫な素材につけられた切り傷、それは明らかに人為的なものだが機器を隠し仕込むためだったと推論すれば不自然な数の多さや場所の違和感にも説明がつく。
更衣室の壁やフィットネスバイクのそれも全て線でつながった。
「駿介、これを報告しに行こう」
「構わないが、パソコンはどうする」
「心配及ばないさ、電子ロックをかけたこの部屋に入れるのは関係者だけだからな」
「分かった。行こう」
二人が部屋から出て行くのを確認して、もう一人の関係者が部屋の中に潜り込み物色を始めた。オレンジ色の髪が揺れて、興味深げに周囲を見渡す。
「んー、なんかドキドキする感じじゃないかも」
暗い部屋の中に輝くパソコンのモニター。
マヤノトップガンは吸い込まれるように近寄った。
今なら後戻り出来る、引き返せる、だがしかしそれは叶わない願いとして無情にも好奇心は高まりゆく。
「遊園地デートのプランニングでもしてたの──」
これは見てはいけないものだ。本能的に理解した。一目でその醜悪さを感じ取れた。なのに、気が付いたらサンプルというボタンめがけクリックしていた。
「あれ、なんで、あれ、なんで、マヤがいるんだろ」
ジャージ姿でパンチンググローブを付けた、恐らくサンドバッグ練習をしている自分。
タオルで汗を拭いている自分。
ランニングマシンで胸元がはだけた自分。
フィットネスバイクに跨ろうとしている自分
休憩中に水分補給をしている自分。
食事中に談笑する自分。
口いっぱいにほおばる自分。
上から見下ろして体が隠れた、シャワー中の自分。
そして、レースで勝利して笑顔の自分。
モザイク処理された着替え中の自分。
自分、自分、自分、自分、自分。
全部自分だった。
胸がぎゅっと締め付けられるようで、呼吸をしようとするたびに喉の奥が焼けるように痛くなった。
「はは、うそ、なんで」
画面を閉じようとしても、マウスを掴む手が震えて操作が出来ない。目を閉じようとしても涙が滲んで瞼がいう事を聞かない。
震える指は正確にコメント欄を表示させた。
[美味しそう]
[誘ってるとしか思えない]
[こういう娘のお腹は犯罪]
[いつも応援していたから助かる]
画面に並ぶ無責任で下卑た言葉たちが、まるで自分の肌をえぐるように刺さる。ひとつひとつの文字が、画面から輝いて、頭の中で響き渡るように感じた。
「みんな、そんな風に見ていたんだ」
マヤノの呼吸は急に荒くなり本来のリズムを失い、胸を押さえながらその場に崩れた。額から滝のような汗が流れて手足が氷のように冷たくなっていく。耳鳴りも酷く、何も聞こえなくなって激しい頭痛に蝕まれる音だけの世界に取り残されたようだ。
足音の振動は伝わるが、その方向を向けなかった。
「頑張って走ってきたこと無駄だったのかな。これがトレーナーちゃんの言う無駄な努力なのかな」
空気が重くなり呼吸の仕方が分からなくなる。
「マ ヤ ノ ト ッ プ ガ ン !」
遠く聞こえる声も混濁した意識では耳に届かない。
「気を確かに持て。こんなものに負けるな」
普段使わない直感が働き異変を察知して駆け戻った天城は、西日の中で海に沈んだ月のように崩れ落ちたその姿を目にした。異常な多汗、呼吸困難、手足の狂いや目眩を起こしており緊急性の高い状態だった。
「見て、しまったんだな」
普段の明るく飄々とした姿からは想像も出来ないような様子に天城も思わず焦りを飛ばす。PCを閉じるがもう遅いのは自分自身が理解していた。
肩を叩いて声をかけるが、反応が鈍く自分の事を認識しているかも怪しく上辺ごとしか聞こえない。
「駿介! ……っ、そんな。マヤノをこっちに運んでくれ。私の膝の上に乗せてほしい」
モータを最大まで駆動させ追いかけてきたシュガーは一瞬で状況を把握した。天城は素早くマヤノを抱き上げると、鋼鉄のゆりかごに座る上に折り重なるようにして腰掛けさせた。
「シュガーちゃん……? トレーナーちゃん……」
「いいかいマヤノ、私を見るんだ。私だけを見てね」
視線を向ける、という意識のプロセスを脳から切り離すためにその方向を一転に固定させる。いつもと違い弱弱しく濁った瞳と目が合ったのを見て優しく微笑んだ。不安な要素を取り除く、それには親しい相手の笑顔が効果的だ。天城も震える肩にそっと手を置く。
「私と一緒に呼吸出来るかな。ゆっくりでいい、私に合わせて息を吸って吐くんだ。吸って、吐いて……」
シュガーが柔らかく包み込みなだめて、数分してようやくマヤノは呼吸を元に戻した。光が消え去った空間はどこまでも続いているようであり、マヤノの肩に手を置いて言葉をかけ続ける天城の中では強い怒りと自己を責める思いが滞留していた。
「ご、ごめ……、ごめん、なさい」
項垂れる、マヤノの声は細く力が無い。涙がこぼれているのか抱きすくめるシュガーの手が滲んだ。
「謝るな。お前が非難される謂れは無い」
「そうだよマヤノ、謝るのはこっちだ。とても不快なものを見せてしまって本当にごめんね」
「絶対に、この世のどこにもお前が間違っていて否定されることなど無い。お前は無駄じゃない」
自分を責め自分が悪いと罵るループに陥りかけているマヤノの手を二人は離すまいとしっかり握った。
盗撮盗聴された方が責任を負うなんて事はあってはいけない。それを守るのが役目だと、大人二人はまだ子供で脆く崩れやすい小さな肩と手を掴む。
その後マヤノはシュガーと一緒に保健室へと向かった。天城はいかなる処分も受けると言い放って学園側に保険室での休養を認めさせたのだ。
下衆の手が未知数の寮よりも念入りな調査で危険が無い事がすでに確認されている保健室の方が休息出来るという判断だ。
その時にふと、思い出す。
「負傷した生徒が既にいたはずだな……」
確認をと想い、天城はシュガーに連絡を取った。
そして、その名を聞いて目を瞬かせた。
「保健室にいる生徒の名はノーブルライズ、だと?」
☆ ☆ ☆
保健室のベッドに横たわるマヤノは天井をぼんやりと見つめていた。耳には時計が刻む音だけが響いており静かで落ち着いた空間だった。
「マヤ、どうすればいいんだろ」
大好きなトレーナーも、姉のように慕っている存在のシュガーライツも、自分を励まして必ず事件を解決し胸を張って走れるようにすると約束してくれた。
マヤノは全く悪くない。だから負けるなと鼓舞してくれた。その想いが嬉しく、温かく、力強い。だから余計に自分がここまで落ち込んで不安になってしまっている現実に打ちのめされてしまう。
ああ、こんなにも自分は弱かったんだと。
穏やかな空間でまどろみも出来ない。目を閉じれば見ず知らずの相手に食い物にされていた事が蘇ってしまいそうで、ずっと眠りたくなかった。
「さすがトップスターね。アンタみたいな有名なウマ娘は、どこにいても目立つんだ」
静寂を破ったのは、隣のベッドで寝返りを打った同居人だった。マヤノは反射的に目を向け、そこに横たわるノーブルライズの姿を認めたのだ。
「ノーブル、ちゃん?」
彼女の脚には包帯が巻かれ、額にも青あざが浮かんでいる。何があったのかを語るその傷跡は、明らかに痛々しいものだった。
「どうしてここにいるの」
「有名人さんには関係ないでしょ。今学園を貶めている奴らに遭遇して、それでこうなったのよ」
「悪い人達に出会ったの? ノーブルちゃんが?」
貶めている奴ら、それが自分の盗撮映像を公開して金儲けしている悪党の事だとすぐに勘づいた。
「そうよ。怪しい影があるから追いかけたら……この様よ。マヤノトップガンみたいに才能があって努力も無理なくこなせるトップウマ娘が羨ましいわ」
その言い方には鋭い棘がまとわれており、近づくものを全て拒絶するようだ。しかし、既に痛みの中にいるマヤノはその棘すら掻き分ける事が出来る。
「……そんなこと言わないでよ」
「だって、あんたはみんなに注目される。それに比べて私は……誰も私なんか見ちゃいない」
「注目なんて、いらないよ。私が見られてるのは、気持ち悪い人達を喜ばせるだけだもん」
「気持ち悪いヒト達……?」
強気じゃいられない、と布団を顔まで被る。
「私がトレーニングしてるところ、着替えてるところ、笑っているところ、そういう写真や動画が売られていたんだ。それが、どうして羨ましいの?」
ノーブルは目を伏せ、しばらく何も言わなかった。彼女の表情には後悔と気まずさが浮かんでいるように見える。賢くないわけじゃない。自分の身に起きた事と、学園で起きている事と、そして元トレーナーの現担当ウマ娘が語った事を合わせれば一つの答えくらい導き出すことが出来た。
だが、それを認めたくないと思った。
そうしたら、自分が悪になってしまうから。取り返しのつかない、悪者に。
ただ、あのマヤノトップガンが泣いている。
布団の中は寒くなくて独りになれる。生まれて初めて実感する感覚だった。孤独を味わいたい、なんて。
守ると言われた。何とかすると言われた。じゃあ気持ちをリセット出来ない自分はまだまだ子供なのか。
本当は、そういう目線がある事は知っていた。仲の良い他のウマ娘とする配信のコメント欄、その端っこにいる人達の存在を認知していた。
その人達が言う言葉はいつも一瞬で消えていなくなる。だれか見張っていて怪しいコメントをすぐに消すからだ。表向きはそういう人達の相手はしなかった。
だがCDのジャケット撮影会、勝負服のお披露目、写真集のイベント、テレビ番組。沢山のお金が動く時はそういう人達が前の席にいる。見られている。
[いつも応援してたから助かる]
そういう人達もファンの中だと思ってきた。思うのが当たり前で、そうしないと皆いなくなってしまうのだと思っていた。思わされていた。
でも結果はこうだった。
そういう人達はコーナーでの駆け引きとか、直線での追い上げ勝負とかには興味が無かった。かといえばライブでのパフォーマンスを喜んでくれているのでもなかった。誰でも良かったんだと気が付く。
女の子がそこにいれば、何でも良かったんだと結論が出てしまう。そういう役目をだったのだと。
閉じこもりたかった、自覚したくなかった。
けれどもノーブルライズは、その否定を拒否した。
「綺麗ごと抜かさないでよ」
マヤノトップガンの布団を剥いだノーブルは痛む足に重心をかけてしまい声を漏らした。
突然言われた台詞にマヤノの理解は追いつかない。
「アンタみたいな一流のウマ娘さんはそりゃあお行儀のいいファンだけ相手にしてて生きていけるわよね」
輝きを失った目と、元から輝いてなどいなかった目が交錯する。元来交わるはずの無かった、目が。
未完成な完璧主義のノーブルは、傷つくマヤノに哀れみや悲しみの感想を抱かなかった。初めから敵意も復讐心も抱いてはいない。
むしろ憧れや羨望の方が強くあった。自分が上手くやれなかった相手と付き合って結果を出して華々しい同級生なのだ。
だから、身勝手に我慢ならなかった。
「アタシみたいな、頭打ちでくすぶっているウマ娘は誰でもなんでも自分を見てくれるなら受け入れてやってきてるのよ。そりゃ、犯罪は犯罪でしょ? でもそうならソイツ等が拝んできた脚で魅せてやりなさい!」
一気に言いまくって、荒くした息を整えて、驚き目を丸くするマヤノを認識したノーブルは静かに何事も無かったかのようにベッドへ戻った。
正確には、何事も無かったかのようにしたくて、隣のベッドへ戻ったのだ。そして布団を被った。
「ノーブルちゃん、マヤを励ましたの?」
「違う」
脚も、手も、顔には傷の無いマヤノはお返しにと布団をめくり返した。そこにはノーブルの背中がある。
「マヤはノーブルちゃんの境遇は分かんないよ」
布団の中にあった背中が小さく丸まった。
「でも、そういう人達に負けたくない。とは思えた」
「アンタって、本当に明るくて……うるさい」
疲れたマヤノは目を閉じる。瞼の裏には晒される自分ではなく、それに夢中な人々が浮かぶ。そしてその人達に気弱な姿を見せるのは余計にご褒美を与えてしまうのだと気づいた。
ショックを受けて動転した時にかけられた言葉は上手く聞こえていなかった。しかし思い返すとある言葉が力強く染み込んでくる。
『マヤノトップガンなら、こんなのに屈するな』
不器用な台詞が心に力を与える槍に思えた。
そして、少し遅れて隣にいるノーブルライズが別の件で重要な役割を持っている事にも気が付いた。
「ありがとう、ノーブルちゃんて良いウマ娘だね」
「な、なんなの急に」
「ううん、ただのお礼だよ。それに、悪い人達を追いかけたんでしょ? 夜の校舎で」
返答は無かった。
「ねえnさん。今度はどんな悪戯するつもりなの?」
再び返答は無かったが、大きく震えた背中で全てを察する事は出来た。予想外だったらしい。
「なーんだ、バレていたのね」
「うん」
「だって、あの人は何もアクションしないから」
バレていないと思っていたのは天城の読み通りだ。
「トレーナーちゃ……天城トレーナーはこう言っていたよ。『この程度で俺は揺らがない』て」
「揺さぶったつもりだったのに、最悪ね」
「ポスター貼ってるだけじゃ、そんなに気にしない人だと思うけど。前は違ったの?」
ノーブルは寝返りをして天井を向いた。視線は隣のマヤノへと向けられている。
「でも、私にはすぐに辿り着いて、それですぐにコンタクトをとると思ってた」
マヤノは改めて思う。この〝先輩〟はトレーナーに本当によく似ているのだと。不器用さ、まで。
「もっとさ、悪い人達みたいにマヤが直接傷つく事したら違ったかもね。天城トレーナーてほら、自分が第一優先なようで肝心なところ抜けてるでしょ?」
「それは確かに……。髪の毛へのこだわりを気にしすぎて雨の日は必ず屋内トレーニングにしていたわ」
「そうそうあの髪の毛! 前にオシャレな雑誌の特集を見せて同じようにしたらいいんじゃない? て聞いたら、カッコつけは求めてないって言ったんだよ?」
「あー、言いそうかも。あの髪はさ、あの人が目指す完璧の体現なんだって」
それはマヤノも知らない事実だった。
「あの人が言う完璧は、追い求めるものじゃなくて見せるもので。自分の髪の毛は初めから完璧なはずだから、永遠にその完璧を維持できるように、だって」
でもそれがアタシには理解出来なかった、と続けて呟くノーブル。しかしマヤノは、天城が言いたい事を理解する力に長けていた。
ノーブルライズが天城駿介と似たようなウマ娘なのだとしたら、マヤノトップガンはむしろ正反対だ。
だから、平行線ではいられなくても平気だった。反対を向いては互いに向きを変えて、どこかで交差してはまた反対を向く。同じ方向へ進めど、目線は違う。
「天城トレーナー、こう言いたかったんじゃないのかなてマヤ思うよ。完璧を目指す時点でその手前に自分がいる事になっちゃうけど、本当はそうじゃなくて誰もが完璧なはずであとは自信次第なんだ、てね?」
その言葉は理想の完璧を追いかけ続けて自分を壊したノーブルに深く突き刺さった。
天城の言う無駄な努力とは、穴の開いたコップに水を注ぎ続ける意味ではなく、穴の無いコップに水を注ぎ続けていたとしても水は溢れていくという意味だ。
例え、そのコップが完璧だとしても。
「あーもう、じゃあそう言ってくれればいいのにね」
傷だらけの両腕を天井に向けて伸ばして、落とす。
雰囲気が変わる瞬間をマヤノは見逃さなかった。
「ノーブルちゃんも、言えば良かったのにね」
「それは……分かってる」
悪戯なんかで気を引かずに直接言いたい事を言えばいい。そんな簡単な事は初めから理解していた。
これでは復讐にも嫌がらせにもならないだろうとは理解していた。むしろ、本当に誰かが傷ついたり不快な思いをしないように気を配っていた。そういう目的なら、もっとはっきりした手段がいくらでもある。
ノーブルは気づいてほしかった。わがままにも、自分の苦しみを、辛さを、自分自身を。
振り向かない男に振り向いて見てほしかった。
「体の傷は目に見えるけど、心の傷は自分から話さないと分かんないよ」
「……そんなふうに思えるなんて、強いのね」
「強くないよ。ただ、みんなに支えられてるだけ」
小さな笑い声が漏れた。少し哀しげな笑い声。
マヤノは耳を立ててノーブルの方を向いた。
「あの人にちゃんと気持ちを伝えられなくて迷惑だけかけて、それでこんな怪我までしてさ。天罰だね」
「だってさ、トレーナーちゃん」
保健室のドアは躊躇いがちに開かれた。室内を伺うように立つ天城と、ほっとした顔のシュガーライツにマヤノも少しだけ笑みをこぼす。
ノーブルライズだけは笑顔になれないが。
「嘘、いたの……」
「お前達の様子を見に来ただけだ。たった今の今にな」
「でもさ、なんでバレたんだろて顔してるね」
「ウマ娘は耳が良いからだろ」
天城は背後の車椅子に目をやった。その行動に納得がいかないとシュガーは頬杖をつく。
「盗み聞きはしていない、と断言しよう。それに存在がバレたのは駿介のせいだと思うが?」
「この俺は物音を立てるよな歩き方はしない」
だから、車椅子の動作音のせいだろう。と天城は言いたげだが、残りのウマ娘達は否定の顔色をする。
その突き刺さる視線に天城は理解不能だった。
マヤノは自分の鼻を指差した。
「整髪料の匂いだよ」
「匂い? 俺には感じられないがな」
天城は日常生活において匂いを追求しない。部屋にアロマを置いたり衣服に匂いをつけたりもしない。それが己には不必要だと考えているからだ。
しかし、必要な物の匂いにも無頓着だ。
「駿介、自分の匂いは分かりづらいものさ。特に我々はウマ娘で駿介は人間。嗅覚にも差がある」
「トレーナーちゃんの匂いて、整髪料の匂いだからね。ヒトが沢山いても、あ~近くにいるなあて分かるもん。もうね、すっごい分かりやすいよ」
天城は思わず髪の毛を手の甲で撫でて鼻に近づけたが、やはり自分では麻痺しているのか分からない。
最終的に視線はノーブルへと向いた。ノーブルの方もうどう言えばいいのか、言っていいのか分からないようだったが、隣のマヤノが笑っているので勇気を振り絞って言いたくて言えなかった事の一つを叫んだ。
「あの、別に不快な匂いじゃないんです。でも、強すぎるというか。もう少し無香料のものがいいです」
「なんで、それを言わずに黙っておくんだ」
天城の言葉は呟きのようで、口にしてしまったのを後悔するかのように口に手を当て別の方を向いた。
流石に追撃は出来ないと委縮するノーブルに助け舟を出したのは、当然の如くマヤノの役目だ。
「トレーナーちゃん、自分が皆から気軽に話しかけて貰えるような空気づくりしてる?」
「待って、アタシそこまでは思ってないわよ」
天城はもう沢山だと太ももを叩いた。反論し辛い所を叩かれ続けたために、すっかり威厳が無くなりいつもの気高く近寄りがたい雰囲気は無くなっていた。
マヤノはベッドから出ると……いつものように飛び起きたりはまだ出来ないが、ここぞとばかりに歩み寄るとノーブルの手を取った。そのままでは立ちづらいだろう、と肩を貸すつもりだ。
ノーブルはマヤノにだけ聞こえるように唇を動かした。橙色の耳が二回だけ細かく揺れる。
「天城トレーナー!」
逡巡した天城は、狭い保健室の事もありシュガーに軽く断りの声をかけて部屋に入り扉を閉めた。それを見送ってシュガーもその場をあとにする、はずだったのだが、直後に背後で扉の音がして躯体を反転させると腕組みをする天城の姿があった。
「一番気を揉んでいた者へ既に誤っているならそれでいい。後日、今のトレーナーも交えて三者協議だ。言いたい事はその時に言え」
「四者だよ。マヤを仲間はずれにする気?」
「それでいい。好きにしろ」
あり体に言えば謝罪されても困るのに反応を求められるのはより困るので避けたい、だろう。
そういうヒトだ、とシュガーは声を押し殺して笑ったが、天城が近寄るのを察知して袖元で口を覆った。
「頭を冷やしに行くんだろう? 付き合うさ」
「心病者と負傷者に飲み物を用意するだけだ」
それから、と床に向かって言ってから天城は背を向けたままノーブルに話しかけた。
「その夜の事を聞きたい。細部まで思い出しておけ」
二人が遠くへ離れたのを確認してマヤノは保健室の扉を閉めた。部屋には再び時計の音が響く。
「今の、なんだったのかしら」
「トレーナーちゃん心は複雑だもんね」
沈黙の裏拍が静寂に重なり合って、布団の衣擦ればかり大きな音に聞こえる。再び口を開いたのはマヤノだった。その眼には興味が渦巻いている。
「なんかね、箱を見た時だけはトレーナーちゃんが凄く慌てていたんだけど、あれ何だったの?」
「え? えーと……」
「お願い! なんだか凄い秘密があるんでしょ?」
ノーブルは強い躊躇いを見せたが、マヤノにほだされてつい口を滑らした。それくらい、あの天城の姿はマヤノからして貴重なものだったのだ。
「あれね、アダルトビデオ」
「え?」
大きな瞳がさらに大きくなってぱちくりと瞬く。余りにも意外なワードで、天城とはミスマッチにしか思えなかったのだ。天城のイメージには似合わない。
ノーブルは本当に室内にいるのが自分達だけなのかを確認してから言葉を続けた。
「天城トレーナー、お酒飲まないでしょ? それって弱いのもあるんだけど酔うと自分を制御出来なくなるんだって。と、いうかそれを見たんだもん」
それもマヤノが知らない天城の姿だった。今の天城は極端に飲酒を控えている。またそうした場にも参加はしていない。それをただ付き合いが面倒なだけだと考えていたが、実は違ったのだ。
「で、でも、それってトップシークレットなんじゃ」
「画面開いたまま酔いつぶれてて、そこに注文画面があったの。それをメモしてから、画面を消したわ」
「ああもう、トレーナーちゃんてば……」
ここまで察しがいいとノーブルも話しがいが無いがセンシティブな話題に関しては便利この上ない。
天城がノーブルライズを指導していた当時、その終わりの方に学園へやって来たのがシュガーライツだ。
それらの情報を合算すれば、そして箱に書かれていた【切れ長】と【車椅子】の字にも合点がいく。
「その前からライツ博士を目で追ってたし、まさかとは思っていたけど。意外とあの人も男だったみたい」
「うわーちょっと引くかも」
嫌悪感ではない。ただ余りにも下手すぎるので異性への目線として〝ない〟の烙印を押そうか迷うのだ。
「後日注文商品が届いて、溜め息吐きながら箱の上からテープでグルグル巻きにして廃棄予定と書いてた」
お互いにわーだの、あーあだの好き好きに呟く。
「それでそれを、こっそり貰ったの?」
「そうよ。この上ない弱みだと思って捨てずにとっておいたの。流石に無視出来ないわよね」
「狼狽えてた。確実にこれでバレたと思うけど」
「まあ、それが目的だったし」
「そこでそれを掲示板とかに貼ったりしないのがさ、ノーブルちゃんのいい所だよね」
にへへと笑うマヤノにノーブルは話しすぎたと、背を向けて布団を被った。天城に聞かれるであろう、その日の記憶を痛みの中から引きずり出すために。
続きは明日午前6時半に第四章とエピローグを公開します
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