壊れた世界と忘却の星 〜幼馴染がオススメするVRMMOがなんかおかしい〜 作:暁天花
どこか懐かしいあやふやな意識の中、膨大な量の数式が流れ落ちていく中でレイは無機質な機械音声を聞く。
【量子
【エネルギー量確認――規定量の確保完了。量子兵装情報を
【〈
【
【
そして。その音声を最後に。レイの視界と意識は漂白された。
意識が戻ってきた時には、レイは大自然の真っ只中に立ち尽くしていた。
風に揺らめくススキが金色の波となって陽光を煌めかせ、ざあざあと心地のいいざわめきを奏でている。少し遠くに目を向ければ、そこには紅葉に染まった美しい山並みが悠然と佇んでいた。その上には、目の冴えるような
突然目の前に現れた超美麗グラフィックの風景に、レイは呆然とする。これが、本当に3500円で買えるゲームのクオリティなのか……?
他の方角に視線を向けて見ても、その超美麗グラフィックは変わらない。ススキが森林に変わっていたり山の尾根が複雑になっていたりするあたり、同じデータをただ貼り付けただけのワールドって訳でもなさそうだ。
「…………あれ?」
そこで、レイははたとあることに思い至る。
……そういや。ボク、まだキャラメイクもチュートリアルもやってないよな? と。
キャラメイクのないVRMMOは珍しくはないからそこはいいとして……。まさかこのゲーム、チュートリアルもなしに突然ゲーム内に放り出されたりするのだろうか。
まさかな、と思いつつ、レイは右腕を横に振る。こういうゲームはたいてい、こうすればメニュー画面が出現するのだ。
案の定メニュー画面が出てきたのに少しだけ安堵し、そこに並んだ項目にレイは顔をしかめる。
「……なに、これ?」
まず目についたのは、視界の右上に二つ並んだ時計だ。上は『サーバー内時間』、下は『現実時間』と表示されている。時間の誤差は上が『14:43』で下が『15:59』。レイがゲームに入ったのは十四時過ぎなので、とりあえず上の時計を信用することにする。
視線を左面へと向け、並んだツールバーを改めて見直す。
上から『量子情報』『残存エネルギー量』『〈量子兵装〉』『〈CPCAS〉』『通信欄』『その他』と並んでいるバーは、レイにはほとんど意味が分からない。辛うじて下二つが分かるぐらいだ。
時計の下でぐるぐる回っている人型は……自分か。半透明の自分は黒いワンピース型の軍服を着ていて、左腰には
少し視線を外して見下ろしてみれば、そこには画面と同じものが自分の腰周辺にある。
「…………ふむ」
これがこのゲームの武器……なのだろうか。とりあえずそう思うことにする。
にしても。世界観を忠実に再現するためなのかは知らないが、いくらなんでも新参者に対して不親切過ぎるのではないか、とレイは思う。何の説明もなく、その上チュートリアルへと誘導する気配も感じられない。となると。フィーリングで一つずつ理解していくしかない。
まずは一番意味の理解できる『通信欄』を意識でタップし、ページを開く。そして、そこでまた、
「……はぁ?」
と、レイは顔をしかめていた。
通信欄――もといメッセージ機能欄と思われる場所には、見知らぬ名前が既に何名か登録されていた。怪訝な顔をしつつそこを流し見て――その中に『Yukine』の文字があることに気づく。
よかった。少なくとも、全く関わりのない誰かの謎のアカウントという訳ではないらしい。
『通信欄』を閉じ、他のツールバーへと意識の手を伸ばしかけて――
突然、目の前にワンピース型の軍服を着た少女が転送されてきた。
思わずそちらに意識が向き、レイはツールバーを避けるようにして上半身を右へと傾ける。見えてきたのは、綺麗な
「……雪音?」
「あれ? もう来てたんだ?」
そこにいたのは、紛れもなく月咲雪音――レイの幼馴染だった。
特にやることもなかったから、と呟き、そこで彼女の左側頭部に見慣れない白色リボンの髪飾りがついていることに気づく。
「その髪飾り……」
「……この髪飾りがどうしたの?」
「や、雪音にしては珍しいチョイスのやつだなって思って」
レイの知る限り、彼女は基本的に髪飾りの類いは付けない。つけていたとしても、黒のヘアピンだったりと目立たないものばかりだったのだ。VRMMOだからというのはあるだろうが……。それにしても、彼女がそんな可愛らしいものをつけているのは意外だった。
少しだけ長い間があって、雪音は右腕を左手で掴みながら笑いかけてくる。
「一緒にこのゲームやってる人に貰ったんだ。どう? 似合ってる?」
「うん。すごく似合ってるし、かわいいよ」
「……ありがと」
ふっと視線を逸らして、雪音は消え入りそうな声音で答えてくる。いつもと違う雰囲気にドキッとしたのもつかの間、
「あ、そうだ! レイ、通信欄って見た?」
いつもの雪音が、こちらを見つめて来ていた。
「え、あ! み、見たよ!」
気付かれたかと焦り、しどろもどろになりながらも
「知らない名前ばっか載っててびっくりしたけど」
と返す。危ない。今回のは本当に危なかった。この感情はずっと心の奥底にしまっておくと決めたのだ、絶対に悟られてはならない。
いつの間に登録されてたの? と訊ねると、雪音はあははと苦笑して、
「このゲームちょっと変わっててね。フレンドは申請するだけで相手の欄に表示されるような仕様になってるのよ」
なんだ、その意味不明な仕様は。レイは思わず首を傾げて呻いていた。
頭が痛くなってくるのを感じつつ、レイは更なる疑問を雪音にぶつける。
「じゃあ、あの『Yoka』とか『Kyoya』とかって」
「私が一緒にこのゲームをしてる人たちね。驚かせちゃってごめんなさい」
「いいっていいって。別に、何かあったって訳でもないし」
……とりあえず。これで第一の疑問は解決できた。
この際だし、他の疑問も解消しておくか。そう思って、レイは「そういや、」と言葉を続ける。
「このゲーム、チュートリアルとかはないの?」
「ないわよ」
即答された。
なんでもないふうに答える彼女の様子に何か不穏なものを感じつつ、レイは更に質問を重ねる。
「……レベル上げとか、装備とかの要素は」
「前者はなしで、後者は限定的になら」
「ステータスとかスキルとかは」
「前者はマスクデータで、後者もこれも限定的なものね」
「……」
「あ、ちなみに絶対安全区域とかもないよ。一応、この周辺は制圧されてるから発生率は極端に低いけれど」
「……」
しばし、レイは押し黙って。
「ねぇ、雪音」
「なに?」
「このゲーム、辞めない?」
満面の笑みで、レイは言い放っていた。
「え、なんで?」
きょとんとした表情をつくる雪音に、レイは両足が崩れそうになるのを必死でこらえる。
「な、なんでって……。むしろ、雪音はなんでこんなゲームやろうと思ったのさ!?」
思いの丈をありったけに込め、レイはこれまでに感じた『違和感』を全力で雪音へとぶつけにかかる。
「チュートリアルもなければ、こういうゲームじゃ醍醐味のレベル上げもないしスキルもないし。おまけにステータスも分かんないし。何もわかんない状態で放り出されるわ、VRMMOに醍醐味の要素も何一つないわ。雪音、キミ、一体このゲームの何が楽しくてやってるの!?」
「何が楽しくてって……そりゃあ、〈量子集積・位相転移理論〉を使った戦闘だけど……?」
「その理論の説明もないし戦闘のチュートリアルもないまま放り出されてるんだけど!?」
雪音の表情は真剣そのもので、冗談を言っている素振りは微塵も感じられない。まさか、本当にこのゲームがまともなゲームだとでも思っているのだろうか。
今にも接続を切りそうなレイを見かねて、雪音は笑顔を取り繕って近寄ってくる。
「ま、まぁまぁ。そこは私が教えてあげるからさ。もうちょっとだけやらない?」
その言葉を、レイは珍しいものをみたような表情で受け取る。
……ここまで言って雪音がまだ食い下がってくるなんて。初めてみたような気がする。
はぁー、と大きくため息をつき、頭を左右に振って、
「……わかったよ。雪音がそこまで言うんなら、もうちょっとだけ付き合うよ」
「ありがと」
正直、今のレイにはこのゲームの良さがさっぱり分からないが。こうも食い下がり、そして嬉しそうに微笑む雪音を見てしまっては、断れない。
「それで。まずは雪音が心酔してる『量子集積…………――が何なのかを教えて欲しいんだけど」
「〈量子集積・位相転移理論〉ね。…………レイ、『量子』とか『位相』って言葉の意味、分かる?」
「や、全然知らないな。聞いたことはあるなってぐらい」
「じゃあ、まずはそこから話そうかな?」
「あれ、もしかして今から青空教室始まる?」
げ、と身構えるレイに、雪音は苦笑を漏らす。
「そう身構えなくても、なるべく簡潔に話すから」
ボクの理系音痴っぷりを舐めないで欲しい。内心そう思いながらも、雪音がうきうきしだしたのを見ると何故だかこちらまで楽しくなってきてしまう。
「『量子』はまぁ、簡単に言うと原子より小さな物質のことね。そのぐらい小さいものになると、普段私達が知ってるものの動きとは全然違った動きをするから」
「違う動き?」
うん、と雪音は頷き、
「代表的なのは量子
「エンタングルメント……? このゲームの題にもなってるやつ?」
「そうよ。複数の量子が互いに影響を及ぼし合う状態のことでね。EPRペアとか呼ばれたりもするんだけど、これが凄くて――」
「ま、待って雪音。ボクの脳が既にパンクしかけてる」
「え? もう?」
レイはこくこくと頷く。高校入試で理科100点数学98点をとった雪音と違い、レイは理科33点数学4点という恐るべき数字を叩き出したのだ。理系科目が壊滅的な人間を舐めないで欲しい。
「うーん……。即興となると、教えるって思ったよりも難しいわね……」
呻くように呟き、しばし押し黙って、
「この話は一旦終わりで! 後日、リベンジさせて!」
「……う、うん。楽しみにしてるよ」
悔しそうに、けれども目をきらきらと輝かせて言ってくるのに、レイの中で拒否という選択肢は消え去っていた。
とりあえず一旦の難局を乗り切り、レイはひと息をつく。……まぁ。こういう時の雪音は、レイにも分かりやすく解説してくれた実績があるのだ。今回もそれに期待しよう。
不意に雪音が虚空に腕を振るのを目にして、レイはひょいと彼女の隣に立つ。
「なにかきたの?」
「戦闘
ちらりと綺麗な
「……そうだね、ボクも行くよ」
「了解」
このゲームの醍醐味は戦闘だと言っていたし、丁度いい。そんなことを考えていると、
「じゃあ、行こ!」
思わず視線を上げて――そこには、半透明の翼を背に煌めかせて宙に浮かぶ雪音の姿があった。
「行こって……それ、どうやるのさ!?」
目を見開くレイに、雪音はニコッと笑みを浮かべる。
「頭の中に意識を集中させて、空を飛ぶのを想像してみて!」
「え、えぇ……?」
半信半疑になりつつ、レイは言われた通りに意識を集中させる。空を飛ぶ様子を脳内に浮かべ――
【〈
【加速度を五に設定。飛行状態:巡航状態】
どこか懐かしさを感じる機械音声が脳裏に響き渡った。
直後、身体にかかる重力が軽くなるような感覚。驚いて目を開けると、視界がいつもよりも高いところにあった。
「え……?」
恐る恐る下を見る。足は地面についていない。視界の右端に小さく表示された半透明の自分には、雪音と同じ形状の羽根が表示されている。ちらりと背後を見ると、やはり雪音と同じ半透明の羽根が煌めいていた。
「そうそうそんな感じ。レイ、意外とこのゲームの才能あるかもね?」
「そ、そうなのかな……?」
なにかのコマンドを打つわけでも道具を使う訳でもなく、ただ念じるだけでこんなことができるとは。魔法みたいでなんだか不思議な感覚だ。
「他のも今と同じようにやれば出てきてくれるから。……じゃあ、着いてきて!」
「え? あ、待って!」
なんだかいつもより強引な雪音を、レイは慌てて追うのだった。