黄金の祝祭 ~怪獣至上主義カルト教団の村にて~ 作:よよよーよ・だーだだ
カルト二世の天然少女、レヴ=クラウスによる質問攻めは毎日続いた。
「ねえアダム、今日も外の世界の話を聞かせてよ!」
昼間は畑仕事の合間や炊事当番のときに、夜はキャンプファイアのような集まりのあとに。レヴは外の世界への憧れを隠そうとせず、俺からすれば当たり前すぎて気にも留めていなかったような事柄を根掘り葉掘り聞いてくる。
始めは「カマをかけてなにか探りを入れてるんじゃないか」と警戒してはみたけれど、どう見ても芝居とは思えなかった。
「きょうはクルマの中がどうなってるか教えてほしいの!」
「車の中?」
「そう! クルマの中ってどうなってるの? 人が乗るんでしょう?」
畑に腰を下ろして休んでいると、レヴが満面の笑みで駆け寄ってくる。
その表情を見ているだけで、こっちの方がなんだか照れくさくなる。スパイの立場上、本当なら警戒すべきなのに、彼女の無邪気さが俺の気をゆるめてしまうんだ。
俺は答えた。
「車の中ねぇ……まあ、シートがあって、みんなそれに座って移動するわけさ。あとはエンジンをかけるときに鍵を回すだとか、ハンドルを回して方向を変えるだとか……説明してるとキリがないな」
「エンジンって何? なにか燃やしてるの? どんな音がするの?」
「燃えるっていうか、燃料を燃やして動力に変える仕組みがあって……あー、言葉で説明するのは難しいな。ゴゴゴゴって感じの音かな。慣れるとそんなに気にならない音なんだけど」
「ごごごご? ……へえ、すごいね! やっぱり外の世界って凄いんだなあ!」
レヴの好奇心は尽きることを知らない。車や電車の仕組みだけでなく、町並みや人々の暮らし、食べ物や洋服の種類に至るまで、「外にはどういうものがあるのか」を細かく聞きたがる。
「ねえ、パン屋さんってどんなところ? ショーケースにパンが並んでいるって本当? 好きなものを選んで買うの?」
「そうだな、たいていはガラス張りのケースにいろんな種類のパンが置いてあって、好きなのをトレイに載せてお会計をするんだ」
「お会計っていうのは、お金を渡すんだよね? じゃあ、お金がない人はどうやってパンを食べるの?」
「……まあ、そういう人たちには厳しい現実もある。そこはちょっと難しい話になるんだが……」
レヴは俺の他愛ない説明にいちいち目を輝かせ、「すごいね!」と素直に褒めてくれる。その反応が、まるで子ども番組の司会者にでもなった気分にさせてくれるんだ。
任務とはいえ、こんな風に誰かが自分の言葉に興味を持ってくれる体験は、実のところ初めてだった。
「アダム、今度は外の人たちの遊びについて教えてほしいな。テレビゲームとか、もしかして知ってる?」
「テレビゲームか、画面の中でキャラクターを動かして遊ぶやつのことだな。俺はあんまり詳しくないけど、それこそ今はスマホがあるから……」
「すまほ? それって何? あ、あの、“ケータイ”ってやつ?」
「そうそう。手のひらに入る電話機みたいなもんで……って、ああ、電話機自体、ここで暮らしてるとピンとこないか……」
「手のひらサイズの電話機で遊べるの!? うっそだあ!」
「いやいや、本当なんだって……!」
レヴは目を丸くして本当に楽しそうに笑う。こっちがつられて微笑んでしまいそうになる。そんなふうにコミューンの生活を送るうちに、ふと気づけば俺自身がかなり“肩の力”を抜いているのを感じる日が増えていった。
……考えてみれば、俺にとってある種の“骨休め”のようなものだったんだろうな。
公式には存在しない非正規の隠密部隊に身を置いて、ずっと“裏の仕事”をやってきた身としては、これまで目にしてきた世界はどうしても殺伐としていた。命令の裏側にある政治的駆け引きや、汚れ役を押し付けられる不条理。
ずっとそんな現実だけを見せつけられてきたから、人間というものが信じられなくなっていたんだと思う。
「よく働いてくださいましたね、アダムさん。お疲れ様でした」
そしてそんな俺の御大層な“人間不信”を揺るがしてしまうほど、この村の空気は優しかった。
大人たちは互いを「さん」付けで呼び合い、畑仕事を終えると「お疲れ様でした」と声を掛け合う。夕食の時間ともなれば、大皿に盛られた野菜やスープを囲んで、ワイワイと賑やかに語り合う。当たり前だと思うかもしれないが、俺にとっては新鮮な体験だった。
そこに宗教的な儀式めいたものはほぼなく、唯一それらしいのは食事の前に皆が“聖印”――聞いたところだと、神への『捧げもの』を表すんだそうだ――を結んで、『
「アダムも一緒にどう?」
ある日、レヴがそう言って、食堂の片隅に俺を引っ張っていく。そこには、村で採れた新鮮な野菜を煮込んだスープが湯気を立てていて、かすかにハーブのいい香りが立ち上っていた。
「はい、これ。今日のスープ担当は私なんです」
そう言って笑うのは先日出会ったレヴの母親、エレーナだった。
気遣わしげに横目でレヴを見ながら、エレーナはレヴに言った。
「……でもレヴ、火傷だけは絶対しないようにね。あなたは“特別”なんだから…何かあったら神様に申し訳が立たないでしょう?」
「わかってるよ、ママ。切ったり煮たりはママやパパに任せるから。ただ、お野菜を洗ったり、鍋をかき混ぜるくらいなら平気だよ……」
……やっぱり過保護だ。
ちなみにレヴの父親サイモンはというと、司祭として村を取り仕切るのに忙しいらしく、ほとんど顔を合わせる機会がない。
それを訊いてみると、
「パパはいつも忙しいんだ。村のみんなにお願いごとをされるし、“儀式”の管理も全部やってるから」
“儀式”? そのことを訊ねようとした時、まるで遮るかのようにレヴは言った。
「今日はレヴが作るの手伝ったんだよ! アダム、食べてみて?」
「へえ、偉いな。ありがとう、いただくよ」
一口含むと、それは素朴でありながら優しい味わいだった。
熱々のスープが、なんだか疲れた心を溶かしていくようで――いや、いけない、気を引き締めろと自分に言い聞かせるのだが、正直、この瞬間だけは任務や潜入という意識がぼやけてしまう。
「……どう? おいしい?」
「うん、すごくうまいよ。こんなに新鮮な野菜、外じゃなかなか手に入らないからね」
「そっかあ、よかった! アダムが笑うと、わたしもなんだか嬉しくなる!」
そう言ってレヴは顔をほころばせる。この無垢な笑顔を見ていると、頭の中の“警戒”や“潜入”といった言葉がかすれていくような気がした。
夕食がひと段落して、レヴが「少しだけ外の風に当たりたい」と言い出した。
レヴの母親エレーナは「暗いから危ない」と難色を示したが、レヴがどうしてもせがむので俺からもどうにか説得して、食堂の裏にある小さな中庭へ出る。
そこになってようやくレヴは、ほっと息をつくように肩を落とした。
「……ふう。ここなら大丈夫だよね、アダム」
「大丈夫って、何が?」
そう訊ねると、レヴは周りを憚るように細心の注意で気を配ってから、俺にだけこっそり打ち明けた。
「……パパとママがね、すぐに『レヴは体が弱いんだから』って言うでしょ?」
……たしかに。
最初会った時は単に過保護なだけだとも思ったけれど、料理の手伝い一つにまであんなに口うるさく言うなんて、ちょっと行き過ぎていると俺は思う……あるいはこれも親がいないことによる“僻み”かもしれないけれど。
レヴのぼやきは続いた。
「あれ、正直ちょっとウンザリしてる。たしかに小さい頃はひどい熱を出して大変だったらしいけど、今はそこまで弱いわけじゃないし……」
いつも明るく振る舞っている分、こういう弱音を聞くのは初めてだった。
とはいえ、これは各ご家庭の教育方針だ。俺が口を挟むことじゃあない。俺はそれを尊重することにした。
「でも、ご両親が心配するのも分かるよ。こないだ、少し走っただけで息が上がってたじゃないか」
「うん。でもそれくらい、みんなだって息は上がるんじゃない? それに最近、夜中にパパとママが『地下室』にこもってるの。わたしが何か手伝うって言っても、『危険だからダメ』って。中を見ちゃいけないって言われたし……何をしてるんだろうね?」
そう言ってレヴは苦笑を浮かべた。
「……ごめんね、なんだか暗い話しちゃって。せっかくアダムは外の世界の話をしてくれるのに、うちの両親はそれを聞くだけで顔を曇らせるし……」
「いや、気にしなくていい。むしろ、そういう本音を聞かせてもらえて嬉しいよ」
そう答えながら、俺は少し胸が痛むのを覚えた。
レヴの不満はもっともだが、親の過保護には俺には分からない“事情”があるのかもしれない。少なくとも、あの両親はレヴを大切に思っているようには見える。
そんな中、レヴは不意に呟いた。
「……ねえ、アダム」
このときだけはいつもの好奇心いっぱいの口調と違って、少しだけ沈んだ声だった。
「もしも、この村の外に大きなビルがあって、車とか、電車とか……そういうのがいっぱいある外の世界で生きられるとしたら、みんな幸せになれるのかな?」
「外の世界は……」
素朴な疑問に答えようとして、思わず口籠る自分がいた。
……外の世界。レヴと話していると、自分が潜入工作員だという立場や、外の世界で見てきた汚い裏事情なんかがバカバカしく思えてくる。彼女の素朴な疑問に答えるたびに、忘れかけていた子どもの頃の気持ちが蘇るような気さえした。
このコミューンの人たちと同じように目を細めて、夕暮れに照らされた畑の風景を美しいと思う瞬間が、いつの間にか増えていく。夕飯の支度を皆で手分けして行うのも、悪くない。レヴが隣で笑っていると、なんでも話してやりたくなる。
そんなことを考えつつ、俺は答えた。
「……いろいろだよ。便利なものも多いし、自由に見えるかもしれないけど、その分、大変なこともあるんだ。貧しい人もいるし、犯罪だってある。きれいごとだけじゃない」
「そっか……」
……さて、スパイとしては大問題だろうが、次第に俺はこの場所に対してある種の『安心感』を覚えるようになっていた。
今になって思えば、それは既に“自分自身が壊れかけていた”兆候だったのかもしれない。
軍に、特に“2018”に入ってからはずっと、俺にとっては『命令を疑わずに実行すること』だけが生きる術だった。孤児だった自分を拾ってくれた組織に報いるには、とにかく命令を完遂する他に選択肢はなかった。だから汚れ仕事にだって手を染めてきた。それこそ任務をこなしている間は、自分の心がどれだけ損なわれようが構わないと思っていた。
そしてレヴとの交流も、その『安心感』をさらに後押しした。
(……俺は、そんなに人恋しかったのか?)
そう、ここにはまるで兵役や諜報の現場で積み重なった“汚れ”を、真綿でふんわり包むような心地よさがあったんだ。危険な任務で神経を尖らせたままの心を、ここの連中は「大丈夫?」と優しく撫でてくる。
……最悪だ。こんなところに長居すれば、仕事を忘れちまいそうになる。実際、早く報告書をまとめて“任務終了”の合図を送るべきだってわかっていながら、「もう少し情報を収集する必要がある」なんて言い訳を自分にして、ここに留まり続けた。
(……考えるのは辞めよう)
そうしているうちに気づけば俺は“スパイの仮面”をつけたままでも、半分は本気でこの場所に馴染もうとしていた。
悪い意味で言えば“仕事を忘れかけている”状態だ。スパイ失格だろうね、まさに。
「まあ、いつか君も、外に出てみるといいと思うよ」
「……ありがとう、アダム」
……まさか、そんな心の緩みがこの先、どれだけ残酷な結末を招くことになるかなんて――あの頃の俺には、見当もつかなかった。
ある晩のことだった。
翌朝が早いという理由で、普段より少し早めに床につきかけたところへ、通用門のほうで大きな物音がした。どこか慌ただしい気配を感じて身を起こす。村の中央あたりから低く押し殺したような声が聞こえたのだ。
(……なんだ? この時間に何があった?)
コミューンに来てから、村人たちの生活リズムは極めて平穏だという印象しかない。夜な夜な騒ぎが起こるなど、よほどのことがない限りあり得ないはず……そこまで考えて、俺は無意識に「外部への連絡手段」を探そうとした。
が、この村にはそもそも電話すらない。軍の通信装置は俺の偽装身分では持ち込めないし、潜入任務だからこそ発信機の使用は制限されている。
しかたなく、夜着のままそっと部屋を出た。足音を殺しながら、声が聞こえる方角――村はずれにある、半ば封鎖された小さな納屋のような建物へと向かう。
――すると、中から聞こえてきたのはレヴの父親、サイモンの怒鳴り声だった。
「……だから言っただろう? 外の世界に興味を持たせすぎるのは危険だ。能力の覚醒が近いんだぞ! “御子”の身になにかあったら取り返しがつかない!」
低く怒気を孕んだ声は、あの穏やかそうなサイモンのものとは思えないほど荒々しい。続いて聞こえたのはレヴの母親、エレーナの声だ。
「わかってるわ。でも、あの子だってずっとここに閉じ込めておくわけにもいかないでしょう? 今のところ身体に不調はないし、彼女自身が幸せだと感じていれば問題ないわ」
「いや……それだけじゃ済まない。もし余計なことを村の外に漏らしたらどうなる? 我々の研究も、儀式の準備も台無しだ。何より、神への捧げものである“我らが御子”に傷がついたら……」
一瞬、理解が追いつかなかった。
……“研究”? “儀式の準備”? “捧げもの”? コミューンの連中が普段口にする「儀式」という言葉は、正直なところ、俺は今まで大して気に留めていなかった。せいぜい神への祈りや収穫祭のような、ありきたりな宗教的行事かと思っていたのだ。
(だけど、今のは……)
サイモンたちが立ち去ったあと、俺はそっと足を引き、回り道をして納屋の裏手へ回り込んだ。あれこれ考える前に、見て確かめないと。
納屋の壁には小さな出入り口があり、簡易的な掛け金がかけられているだけだった。鍵はかかっていない。ひび割れた木の扉をそっと押して、俺は中へ潜り込む。中は薄暗く、かすかに土と血のような生臭い匂いが漂っていた。
……地下室があるのか? そういえば、レヴからも奇妙な話を聞かされていたのを思い出す。
「それに最近、夜中にパパとママが『地下室』にこもってるの。わたしが何か手伝うって言っても、『危険だからダメ』って。中を見ちゃいけないって言われたし……何をしてるんだろうね?」
聞いたときは何処のことを言っているのかわからなかったけれど、どうやらその『地下室』というのは此処のことらしい。
意を決して扉を開け、階段を数段下りる。静かに闇を掻き分けると、どういうわけかそこには照明設備が設置されていた。ランプだけではなく、電気式の蛍光灯が薄ぼんやり灯っている。その光が映し出すのは、明らかに「納屋の地下」とは思えない光景だった。
――白い壁。
無機質な金属の机やキャビネット。
廊下の奥には研究装置とおぼしきガラス製の器具。
まるで医療施設か研究所のようだ。古い地下空間を改造し、科学設備を持ち込んでいるらしい。
(こんな場所があったのか……)
静かに足を進めると、廊下を挟んだ両側にいくつも小部屋があった。
何も知らぬまま、俺はドアノブに手をかけて部屋へ足を踏み入れた。そこにはパソコンなのか解析装置なのか判別しづらい機器がいくつも並び、棚の上には資料が山積みにされている。壁際にはタンク状の容器や試験管のラックがあって、“農村の地下”というより完全に軍のバイオ研究施設だ。
身を隠しながら進んでゆくと、机に置かれたファイルが目に留まった。
「Project:
「遺伝子抽出:古代エクシフ人“不朽体”」
……リヴァイアーサ、古代エクシフ人の
不朽体といえば『聖人の聖なるご遺体』のことを指す言葉だが、『古代エクシフ人』なんてのは聞いたこともない。さらに紙には難解な専門用語が並び、化学式や遺伝子配列のメモがびっしり書き込まれている。
一段と奥へ行くと、そこだけは整然とした棚があった。ファイルがきちんと並べられ、背表紙には「研究記録」「儀式準備」「生育データ」など不穏当な文字が躍っている。
思わず固唾をのんだ。ここが何らかの“研究拠点”だということは間違いない。けれど、この村は本来「のどかなコミューン」でしかなかったはずだ。
(……一体、何を研究している? まさか、本当に『ただのカルトじゃない』のか?)
胸騒ぎを覚えながらページをめくってみると、冒頭からいきなり目を疑う単語が並んでいた。
「被検体:リヴァイアーサ
古代エクシフ人“聖リヴァイアーサ”因子との組み換え実験
出生時:XX年XX月XX日、女性
外傷回避の徹底管理を要する……」
被検体? 組み換え実験? 読めば読むほど悪い冗談のような記述が続く。さらにページをめくると、遺伝子配列の図や論文めいた文章が並んでいた。
俺は声も出せず、ページを繰る。見出しには「受精段階での遺伝子組換え」「エクシフ人因子の導入」「神への捧げものとしての適性」など、不気味な文言がいくつも躍っている。
「リヴァイアーサは、再誕された“エクシフの
「遺跡から採取されたエクシフ人“聖リヴァイアーサの不朽体”の遺伝情報と人間の融合実験に成功」
「最終的には儀式により、高次元存在たる『
背筋に冷たいものが駆け抜ける。
……遺伝子操作で誕生させた子ども? どうやら、この“リヴァイアーサ”なる存在は生まれながらにして、神である『黄金の
冗談じゃない。カルトで子供を犠牲にするケースは耳にしたこともあるが、「神に捧げるために子供を創る」なんて常軌を逸しているだろう。そう思った。
(おいおい、生まれながらの生贄、だって……?)
あまりの異常さに頭がくらくらする。さらに、奥のページをめくった瞬間、目を疑うような一文が飛び込んできた。
「本個体は幼少期より身体が弱く、常時投与が必要。
だが金髪・緑眼の特徴は遺伝子組み換えによる優性発現の賜物であり、
“外世界への関心”が強い傾向も報告される……」
身体が弱い、金髪と緑色の瞳、外世界への関心が強い。そんな子供がこの村にいただろうか。
……いや、いる。
まさか、と思いながらさらに読み進めると、リヴァイアーサが何歳の時に何の注射を受けたか、どの栄養剤で体を維持しているか、細かい年表が続く。最後のページには日々の成長記録が書き込まれていた。
「リヴァイアーサ=クラウス。両親:サイモン=クラウス、エレーナ=クラウス……」
……金髪でエメラルド色の瞳、この村でサイモンとエレーナの娘、
それは一人しかいない。
リヴァイアーサとは、間違いなくあの天真爛漫な少女、レヴのことだった。
この俺、アダム=ビンデバルトに「外の世界の話をたくさん聞かせて」と目を輝かせていた子。彼女の本名が“リヴァイアーサ”なのか。
この小さな部屋で、あの子の人生は最初から“捧げもの”として設計され、管理されてきたというのか。ふと、「子どもの頃、熱を出して大変だった」というレヴの言葉が脳裏をよぎる。あれは単なる病気ではなくって、遺伝子操作の……。
「嘘だろ……」
声にならない呻きがもれ、俺は思わず口元を押さえた。気づけば、胃の奥から押し寄せる吐き気が抑えられない。
洗いざらいにされた事実が胸を締め付ける。レヴにあの笑顔を向けられるたび、俺はどれだけ救われたか。そんな純粋な子供が、実は“神への捧げもの”として生み出されたなんて。
激しい嘔吐感がお腹の底から込み上げてきて、一歩も動けずに膝をつく。そして堪えきれず、その場に戻してしまった。
(くそ……なんなんだよ、これは……)
悪寒が止まらない。歯を食いしばろうにも、体が震えて仕方ない。
何分かそうしていたのだろうか。ようやく吐き気がおさまってきたとき、背後で硬い靴音が響いた。
「――いけませんね、アダムさん。そこを見られるわけにはいかなかったのですが」
不意に背後でドアが開く音がした。
振り返ると、そこにはサイモンが立っていた。いつもの落ち着いた顔はすでにそこになく、ひどく冷たい目をしている。両脇には屈強な男たちが二人、火花を散らすスタンロッドを構えている。
サイモンはため息をつくように言った。
「あなたには余計なことは知らずにいてほしかった……だが、これで分かったでしょう? 私たちは“娘”を
言葉を失う。
“捧げもの”――その単語がサイモンの口から自然に出てくるのが狂っていた。どうやら罪の意識などまるでないらしい。むしろ“計画どおり”とでも言わんばかりだ。
唇を震わせる俺を見据えながら、サイモンは淡々と語り続ける。
「私と妻はもともと研究者でね。人ならざる神との“橋”を作るため、あらゆる方法を試したのです。やがて導き出された最適解が、〈リヴァイアーサ〉という御子の再誕だった――『黄金の
その一言一言が、鈍器で殴りつけるように俺に重い衝撃を与える。
エレーナも、この地下室のどこかにいるのだろうか? あんなに優しそうな笑顔をしていながら……いや、優しさではないのか。あれはただの、神への奉納品を大事に扱う手つきだったというのか。
「ふざけるな……っ!」
声がうまく出ない。喉の奥が震えている。そんな俺を、サイモンはニヤニヤ笑みながら見つめている。
「そもそも、あなたは何者なんです? まさかこの村に潜り込んだだけの一般人ではないでしょうね……まあ、どうでもいいのですが」
そしてサイモンの背後で、村人たちがじりじりと距離を詰めてくる。どこか憎悪すら感じる眼差しで、俺を威圧するように睨んでいる。ここで騒げば袋叩きにあって終わりだろう。
サイモンは、俺に『宣告』した。
「あなたは気づくのが早すぎた。“儀式”まであと少しなのに……でも安心してください、殺すつもりはありません。我々は不必要な流血を望んでいるわけではない」
サイモンが手振りで指示すると、男たちが一斉に動いた。
逃げようとした瞬間、背後から鈍い衝撃が走る。奴らの誰かが棍棒のようなもので俺の後頭部を打ちつけたのだ。視界が揺らぎ、そのまま膝を突いた。
(クソッ、こんなマヌケな……)
倒れ込む間際、サイモンの形のいい靴が視界に入った。男の声が遠のく意識の中で、ひどく澄んだ響きで耳に残る。
「もう時間がない。リヴァイアーサを完全なる依り代に仕上げよう。『黄金の祝祭』は近いぞ……」
そこで視界が途切れた。
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