黄金の祝祭 ~怪獣至上主義カルト教団の村にて~   作:よよよーよ・だーだだ

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3、救世主(すくいぬし)

 目が覚めると、四方が薄暗い小屋の中だった。

 

 俺の腕は後ろ手に縛られ、口の中には血の生臭さが残っている。扉を開けようにも外から施錠されているのか、縛られた身体をぶつけるだけではびくともしない。どうにか体を動かすが、激痛で意識がぼやける。しかし、ここで折れるわけにはいかない。

 ――リヴァイアーサ。つまりレヴが“生まれながらの捧げもの”だと? 彼女の笑顔を思い返すほど胸が軋む。ふざけるな。こんな非道が許されていいはずがないだろ。

 

(クソ……どうにか脱出しなきゃ……)

 

 何度か扉を蹴ってみるが、硬い板が響くばかり。息が上がり、体が震える。

 暗闇の中、俺は必死に周囲を探った。両手は後ろ手に縛られ、満足に動けない。だが、これまでの訓練で身につけた技術を思い出す。特殊工作員として、こういった状況は想定内だ。

 ゆっくりと体を起こし、壁に背中をこすりつけながら立ち上がる。闇に目が慣れてくると、小屋の中に積まれた農具が見えてきた。その中に、鎌らしき物の輪郭が浮かび上がる。

 

「これだ……!」

 

 慎重に体を動かし、縛られた手首を鎌の刃に近づけていく。切断できる角度を探りながら、少しずつロープを擦っていった。刃は錆びているらしく切れ味は良くないが、それでも確実にロープの繊維が解れていく感触が伝わってくる。

 

 何度も体の向きを変え、時には刃で手首を切りそうになりながら作業を続けた。諦めるわけにはいかない。汗が背中を伝い落ちる。焦りを抑えながらも、時間との戦いだった。レヴを救うためには、一刻も早くここを脱出しなければ。

 やがて、ロープが切れる瞬間が訪れた。

 

「よし……」

 

 手首の自由を取り戻すと、すぐさま扉に目を向ける。外から鍵がかけられているとはいえ、これまでの任務経験が役立つはずだ。

 

 小屋の中を探ると、使い古された釘抜きが見つかった。これなら扉の蝶番を外せるかもしれない。音を立てないように細心の注意を払いながら、蝶番のピンに釘抜きを当てていく。

 

 最初の一つが外れた時、外から物音が聞こえた。俺は一瞬で息を潜める。誰かが巡回しているのだろうか。足音は次第に遠ざかっていく。その隙を狙い、残りの蝶番も外していった。

 

 最後の一つが外れた瞬間、扉が内側に倒れそうになる。咄嗟にそれを支え、音を立てないように慎重に床に降ろした。

 

「……ここは、村の外れか」

 

 月明かりの下、外の様子を確認する。幸いなことに、見張りの姿は見当たらない。おそらく連中は儀式の準備に追われているんだろう。

 小屋から抜け出し、影に紛れるようにして身を隠しながら移動を始める。これからレヴを探し出し、この狂気の儀式から救い出さなければならない。

 夜闇の先には、不気味なほど紅い灯りが揺れている。まるで地の底からわき上がるような低い声の合唱が、村全体を支配していた。

 

 ――これが、俺とレヴにとっての“破綻”の始まりだった。

 

 

「……今ここに、新たなる祈りの祭壇が設けられた」

 

 村の中央に築かれた祈りの祭壇、その中心にはカルト教団『黄金の祝祭』の御神体が据えられている。

 神器、『ガルビトリウム』。

 秘宝、『ゲマトロン演算結晶体』。

 そして『古代エクシフ人:聖リヴァイアーサの不朽体』。

 特に『聖リヴァイアーサの不朽体』は、『黄金の祝祭』の根幹となる存在だった。

 考古学者エレーナ=クラウスが古代遺跡の最深部で発見したそのミイラは、数千年の時を経てなお完全な姿を保っていた。黄金に輝く長い髪、エメラルドの瞳の色さえ失われていない。屍蝋化すらしていなかった。通常なら干からびて有機物が分解されるはずの時を超え、そのミイラは驚くべき鮮度で保存されていたのだ。

 祭壇の前で、村の司祭でもあるサイモン=クラウスは皆に告げた。

 

「さあ、神を讃えよう!」

 

 そしてサイモンはガルビトリウムとゲマトロン演算結晶体を手に取り、高々と掲げて声を張り上げる。

 

「ただ祈りを捧げ、奇蹟を信じよう! 『献身』の先に、我らの『救世主(すくいぬし)』は救済と祝福を与えてくださる……!」

 

 ……サイモン=クラウスは、かつてロリシカ国政府直下のバイオテクノロジー研究所で主任研究員を務めていた。

 サイモンは、ロリシカ国における遺伝子治療の第一人者として注目を集めていた。難病に苦しむ子供たちを救うための研究に情熱を注ぎ、その成果は医学界でも高く評価されていた。

 同じく妻のエレーナ=クラウスもまた、素晴らしい学者だった。考古学博士としてロリシカの名門デナム大学に籍を置き、超古代文明の研究に情熱を傾けていた。特に太古の昔に世界各地で出現した謎の宗教、『エクシフの宗教』にまつわる研究において、エレーナの研究成果は大きな貢献を果たすものであった。

 

 そんな二人の間には『一人娘』がいた。名前は()()()()=クラウス。

 レベッカもまた両親の研究を誇りに思い、「わたしもパパやママみたいに人の役に立つ仕事がしたい」と夢を語っていた。

 

 だが、その幸せは突如として奪われた。

 

 数年前、ロリシカ国の首都ニューカーク・シティを襲った怪獣災害。避難警報が鳴り響く中、サイモンとエレーナは必死でレベッカを探し回った。二人はレベッカの愛称、レ()の名を、声が嗄れ、喉から血が出るまで叫び続けた。

 

 数日も探し回った末。

 見つかったのは、瓦礫の下敷きになったレベッカ=クラウスの遺体だった。

 

 怪獣に踏み潰された最愛の娘レベッカ、その亡骸を抱きしめながら、サイモンとエレーナは自身の無力さを呪った。人知を超えた怪獣の前では、どれほどの文明の叡智も無力だった。

 深い悲しみに打ちひしがれた二人は、やがて新興宗教団体『黄金の祝祭』と出会う。『献身』の果てにある永遠の救済を説くカルトの教えは、喪失の痛みに苦しむ二人の心を捉えて離さなかった。

 

 『黄金の祝祭』に出会って以来、二人は変わった。

 まずサイモンは不老不死の研究に取り憑かれていった。人間の寿命という限界を超え、死そのものを克服する。そうすれば二度と愛する者を失うことはない。サイモンは研究所を止め、自分のラボに引きこもり、狂気じみた実験を繰り返すようになった。遺伝子操作による不死の可能性を追い求め、次第に正気と倫理の境界を踏み越えていった。

 エレーナもまた同じく、仕事により一層打ち込もうとした。考古学に没頭したのは、現実から目を背けるためだったのかもしれない。古代の遺物に囲まれ、失われた時を追い求める日々。そこには確かな手応えがあった。古代文明の痕跡は、人間の命の儚さとは対照的に、千年の時を超えて存在し続けているのだから。

 

 そして運命の出会いが訪れる。

 

 あるときエレーナがフィールドワークで訪れた、エクシフの宗教の古代遺跡。その最深部に安置されていた石棺から、伝説に伝わるエクシフの聖人『聖リヴァイアーサの不朽体』が見つかった。

 発見された聖リヴァイアーサの不朽体は文字通り、朽ちない(incorruptibility)遺体だった。如何なる科学的理由によるものか、黄金の髪は輝きを失わず、翡翠の瞳は生きているかのように澄んでいた。数千年の時を経てもなお、完全な姿で保存されている聖なる遺体。

 

 これは、これこそが……奇蹟!

 

 見つけたときエレーナの手が震えた。この不朽体こそが、失った娘を取り戻すための鍵なのではないか。

 エレーナは『エクシフの宗教』の文献を必死に研究した。伝説の中で生前の聖リヴァイアーサが持っていたという、高次元存在との交信能力。それらを現代に蘇らせることはできないか……?

 エレーナ=クラウスの学術的な探究心は、次第に歪んだ執念へと変質していった。

 

 一方、夫のサイモンもまた、妻エレーナの発見に心を奪われた。

 古代エクシフ人は、俗説によれば宇宙人もしくはその末裔だと言われている。よもや本当に宇宙人ということは無かろうが、サイモンは不朽体を分析し、その超常的な特性に魅了された。通常の生物には見られない遺伝子配列、そして驚異的な細胞の保存状態。それはサイモン=クラウスの科学者としての好奇心を強く刺激した。

 永遠の生命。死の克服。二人は次第に『黄金の祝祭』の教えにますます没入し、狂信的な信者となっていく。

 

 バイオテクノロジーの知識を持つサイモンと、エクシフの宗教の研究者であるエレーナ。二人の歪んだ願いが重なり合い、やがて「神の依り代」を創り出すという狂気の計画が動き出す。

 

「レベッカ、見ていてくれ。父さんは、死を超えた永遠の命を作り出すんだ」

「待っていてね、レベッカ。あなたをきっと取り戻してみせるから……!」

 

 永遠の生命を得るため。失った娘の代わりを作るため。二人は禁断の実験に着手した。聖リヴァイアーサの遺伝子を組み込んだ新たな生命、リヴァイアーサ“レヴ”クラウスの誕生であった。

 

「ガルビトリウムの導きが、我らとともにあらんことを……!」

 

 エレーナの研究によれば、生前の聖リヴァイアーサは古代エクシフの宗教において高次元存在『一つにして無数』との交信を司る御子(みこ)だったという。その遺体が朽ちないのは、エクシフの聖人である奇蹟によるものなのか、あるいは失われた古代の技術によるものなのか、それは判然としない。

 

 そしてもっとも肝心だったのは、この遺体からDNA情報が抽出可能なことだった。

 

 この事実こそが、サイモンとエレーナにとって、そしてカルト教団『黄金の祝祭』にとって決定的な意味を持った。彼らは「エクシフの御子」たる聖リヴァイアーサの遺伝情報を、現代の遺伝子工学と組み合わせることで、新たな「神の依り代」を創り出せると考えたのだ。

 その結果として誕生したのが、レヴことリヴァイアーサ=クラウスだった。黄金の髪、翡翠の瞳。まさに、古代エクシフの御子の「再来」として造られた存在。

 

 そのリヴァイアーサ=クラウスが祭壇の中央へと歩み出た。

 

 黄金の髪をなびかせ、翡翠の瞳が静かにゲマトロン演算結晶体を見つめながら、リヴァイアーサ=クラウスは声を上げた。

 

「……私はエクシフの御子、リヴァイアーサ」

 

 再誕したリヴァイアーサ=クラウスの声は、かつてないほど澄んでいた。ガルビトリウムが放つ光がその周りを包み込み、ゲマトロン演算結晶体が共鳴するように輝きを増していく。

 

「私は至高(いとたかき)彼岸に住まうかの御方、一つにして無数、我らが『救世主(すくいぬし)』へ、この身を捧げます」

 

 リヴァイアーサは、今度は信者たちに向けて問いかけた。

 

「皆さんは、捧げますか? その献身を、『救世主(すくいぬし)』へと差し出しますか?」

 

 祭壇に集まった信者たちは、畏怖の念に打たれて身を低くする。サイモンとエレーナの顔には、狂喜の色が浮かんでいた。

 そんな一同を見渡しながら、リヴァイアーサ=クラウスは穏やかに微笑んだ。

 

「よろしい、ならばその名を呼びましょう……来たれ黄金の救世主(すくいぬし)、その名は“ギドラ”!」

 

 信者たちも熱狂した。リヴァイアーサの祈りへ重ねて、声を張り上げる。

 

「来たれ、ギドラ! 終焉の翼!」

王たる(キング)ギドラ、来たれ黄金の終焉!」

「来たれ、ギドラ! 終焉の翼!」

王たる(キング)ギドラ、来たれ黄金の終焉!」

「来たれ、ギドラ! 終焉の翼!」

王たる(キング)ギドラ、来たれ黄金の終焉!……」

 

 リヴァイアーサ=クラウスに従って唱和を再三繰り返したそのとき、ゲマトロン演算結晶体が激しく明滅し始めた。結晶体の内部で何かが蠢くような異様な光が渦巻き始める。

 

「時は、来たれり……!」

 

 リヴァイアーサが高らかに呼びかけた瞬間、結晶体の光が異様なうねりを伴って天へと弾け飛ぶ。まるで太い光の柱が虚空を突き破るかのようだ。光の柱の先からは、にじむように金色の裂け目が生まれていく。

 まばゆい閃光の中、空間が避け、そこから“何か”が蠢いているのが見えた。祭壇を取り囲んでいた信者たちは歓喜と恐怖の入り混じった表情で跪き、絶叫じみた祈りを声高に繰り返す。

 

 ブゥゥ――ン……!

 

 重低音の衝撃が空気を揺らし、地面すら微かに振動する。そこに紛れるように、異様に低い、まるで次元のずれた唸り声が響き渡る。何かが“こちら側”に押し出されるたび、空間が悲鳴を上げるかのように歪むのがはっきりと感じられた。

 

 そして、金色の閃光がひときわ激しく爆ぜた瞬間、三本の首が結晶体の裂け目からゆっくりと這い出てきた。

 

 まずは細長く蛇のようにくねる一つの首、続いて左右に大きく広がる二つの首が周囲を舐め回すように姿を現していく。その鱗はまるで黄金を溶かして流し込んだかのように滑らかで、祭壇に灯る緑や赤の光を鏡のように反射している。

 結晶体から立ち上るのは、金色に輝く三つ首の蛇。

 高次元存在『黄金の救世主(すくいぬし)』、王たる(キング)ギドラの降臨だった。

 

「ああ、なんという美しさ……!」

 

 その姿を見上げながらエレーナは両手を広げ、涙を流しながら叫んだ。信者たちなどは感涙し始めた。

 確かに、そこにあったのは比類なき威厳を持つ存在だった。茨のような黄金の鱗は祭壇の緑の灯りを反射して神々しく輝き、三つの首は優雅に宙を泳ぐように動いていた。

 

「これこそが、私たちの求めていた救済!」

 

 サイモンもまた、歓喜に震える声を上げる。

 

「万歳……! 万歳、ギドラ……!」

 

 信者たちは酔ったように歓声を上げる。混乱と興奮の入り混じった声が絶え間なく響き、村の広場は一瞬にして狂喜の渦と化した。

 ああ、今度こそ、今度こそ我々は救われる。サイモン、エレーナ、そして信者たちは皆一様に、その荘厳な光景に魅了されていた。

 

 ……だが。

 

 高次元怪獣の三つの首が、一斉に信者たちを見下ろした瞬間、空気が凍りついた。

 紅い複眼の奥に宿るのは、慈悲深い神の眼差しではない。そこにあるのは、獲物を見る捕食者の冷徹な視線だった。

 

 最初の悲鳴が上がったのは、祭壇の端にいた信者たちからだった。

 

 高次元怪獣の中央の首が稲光のように素早く伸び、蛇が餌を飲み込むように、一群の信者たちを丸呑みにした。悲鳴は断末魔へと変わり、血しぶきが夜空に舞い上がった。

 

「な……何を……!」

 

 サイモンの声が震えた。

 これは、彼らの想像していた救世主(すくいぬし)ではなかった。左右の首も獲物を求めて信者たちの上を這うように動き、次々と人々を食い殺していく。死の恐怖に支配された信者たちの悲鳴が、夜の闇に響き渡る。

 

「逃げるのよ、サイモン!」

 

 エレーナは夫の腕を掴み、祭壇から引きずり降ろした。二人は村の外れへ向かって必死に走り出す。不老不死への夢も、神との交信も、すべてを忘れて逃げ出そうとした。

 

「待って! こっちよ!」

 

 サイモンは妻の手に引かれ、近くの納屋の陰に隠れようとした。

 しかし、その時、背後からピロピロケタケタイヒヒヒと奇怪な嘶きが響く。

 振り返ると、高次元怪獣の三つの首が、まるで逸れた獲物を見つけた獣のように舌なめずりしながら彼らを見下ろしていた。

 

「違う! これは違う! 私たちは永遠の命を……!」

 

 エレーナは叫んだ。不老不死への渇望に憑かれ、我が子さえも犠牲にした二人の前に、容赦のない裁きが下される。

 最初に狙われたのはエレーナだった。高次元怪獣の右の首が彼女を捕らえ、地面から持ち上げる。

 

「サイモン! 助け――」

 

 叫び声は途中で途切れた。高次元怪獣の歯が、彼女の腰から下を千切り飛ばしたのだ。鮮血が滝のように降り注ぎ、エレーナは自分の下半身が地面に落ちるのを眺めることしかできない。

 

「エレーナ! エレーナァッ!」

 

 サイモンが絶叫する。だが、高次元怪獣は彼の目の前でゆっくりとエレーナを引き裂いていく。考古学者として死者の遺骸を扱い続けた彼女は、今や自らが生きながら解体されていく恐怖を味わっていた。

 中央の首が今度はサイモンに襲いかかる。

 

「ぎゃああああ……!」

 

 高次元怪獣は、絶叫するサイモンの両腕を噛み千切りながら、超常的な力でもってなおも彼を生かし続けた。バイオテクノロジーの権威は、自らの肉体が八つ裂きにされてゆく過程を、科学者としての冷徹な目で観察することを強いられた。

 

「レベッカ……私たちは……永遠の命を……」

 

 サイモン=クラウスの断末魔は、高次元怪獣ギドラの顎が彼の首を毟り取るときに途絶えた。

 

 

 地獄だった。

 

 目の前で繰り広げられる光景は、まさに地獄そのものだ。降臨した高次元怪獣が信者たちを次々と喰い殺してゆく。

 サイモンとエレーナの断末魔が夜空に消えた後、俺は瓦礫の陰から身を起こした。血の匂いが充満する広場に、月明かりだけが冷たく照らしている。

 そこにはただひとり“彼女”がいた。

 祭壇の上で黄金の髪をなびかせ、まるで天使のような姿で立っている。その背後では、あの金色の化け物、高次元怪獣の三つの首が不気味に蠢いていた。

 

「…………。」

 

 祭壇の上で、“彼女”は全てを見ていたはずだ。唖然としているのか、呆然としているのか、両親の最期を目の当たりにしながら、その表情は不思議なほど静かだった。

 俺は“彼女”の名を叫んだ。

 

「レヴ!」

 

 俺は死体の山を乗り越え、必死に祭壇へと駆け寄る。

 

「あ、アダム……!」

 

 レヴが振り向いた。その顔には、俺の知るあの無邪気な笑顔が浮かんでいた。まるで何事もなかったかのように。

 そして口にする、決定的な『一言』を。

 

「見て見て! みんな“救われた”よ!」

 

 その一言に、俺の思考が完全に凍りついた。

 目の前で展開される光景が、まるで悪夢のように現実感を失っていく。血に染まった広場、散乱する肉片、そしてその中で無邪気に笑うレヴ。

 

「お、おい、何を言って……」

「ギドラのおかげで、みんな天国に行けたの。わたしが橋になれたから!」

 

 レヴは血に染まった祭壇の上を軽やかに歩き回りながら、ダンスでもするように両手を広げた。その背後では依然として、ギドラとかいう高次元怪獣の三つの首が不気味に蠢いている。

 

「ねえねえ、分かる? こうやって、みんなを繋げられる橋になれて、わたし、嬉しいんだ!」

 

 レヴは血に染まった広場を指さして、嬉しそうに語り出す。その様子は、まるで遠足で見つけた珍しいものを教えてくれる子供のようだった。

 

「パパが言ってたの。わたしは『特別な子』なんだって。みんなを導く『御子(みこ)』なんだって」

 

 ほら見て、とレヴは陶酔したような表情でゆっくりと腕を上げる。

 すると高次元怪獣どもの三つの首も、まるで操り人形のように同じように動き、心地よさげに喉を鳴らして身を摺り寄せようとさえしていた。

 ……今まさに目の前で沢山の人間を喰い殺した、あの人食いの化け物が。

 

「これでわたしたち、本当の家族になれたの。もう誰も独りぼっちじゃない。みんなみんな、永遠に一緒だよ!」

 

 ……言葉が出なかった。

 目の前で踊り狂うレヴを見つめながら、俺の思考は完全に停止していた。これまで特殊工作員として、どれだけの非道を目にしてきただろう。どれだけの血生臭い任務をこなしてきたことか。

 だが、これは違った。

 

「レヴ……君は、君は……っ!?」

 

 聞きたくなかった。あの無邪気な少女が、あの純真な目で俺に話しかけてきた少女が、こんな狂気を内に秘めていたなんて。いや、違う。これは狂気ですらない。もっと純粋な、もっと根源的な何かだ。

 さっき空っぽになったはずの胃の中が、再び反転しそうになる。

 目の前でレヴは相変わらず血の上を跳ね回っている。その仕草は、まるで雨上がりの水たまりではしゃいで遊ぶ子供のようだった。けれどその足元に広がるのは、おぞましい血だまり。そしてレヴの両親である筈のサイモンとエレーナの肉片が、今も散らばっている。

 吐き気を堪えながら、俺は祭壇に手をつく。すると、レヴが屈み込んで俺の顔を覗き込んできた。

 

「……どうしたの、アダム? 具合でも悪いの?」

 

 その声には本物の心配が滲んでいた。俺のことを気遣う純粋な優しさが。レヴのエメラルド色の瞳には、かつて俺が知っていたあの無垢な少女の面影が確かにあった。

 

「お腹でも痛いの? 大丈夫、もうすぐ楽になるからね。ほら、ギドラが――」

 

 俺は反射的に後ずさった。あまりにも異質な優しさに、本能が警鐘を鳴らしている。

 レヴの背後で、高次元怪獣の三つの首が不気味な影を落とす。高次元怪獣どもの紅い複眼が、まるで獲物を品定めするように俺を見つめていた。

 レヴは俺の反応を見て、子供を諭すような柔らかな表情を浮かべた。

 

「大丈夫だよ。確かに最初は痛いかもしれないけど、でもね——」

 

 レヴはくるりと踵を返し、両手を広げて月を仰ぐような仕草をした。その姿は、この惨状の中でも、まるで天使のように美しかった。

 

「……ねえ、アダム。一緒に天国に行こう?」

 

 振り返ったレヴの瞳が、月明かりに輝いていた。その腕は、まるで古くからの友を迎えるように、優しく広げられている。

 

「大丈夫、わたしが導いてあげるから。これでアダムも、救われる」

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