彼の妻は、醜かった。
いや、醜いなどという言葉は不適切かも知れない。
彼女の容姿は生まれつきのものであって、彼女の咎ではない。誰の咎でもないものに、突然美醜の概念を持ち込んでその姿を責めるのは、お門違いというものだろう。仮にその醜さの根源が刺青や耳飾り、髪型によるものであればその人の咎ともできるだろうが。
彼女の外見は年不相応にしわがれて、浅黒く汚れて、線は滑らかでなく、毛並みは揃っておらず。
それでも彼女は身を清潔に保ち、揃いの悪い毛並みはいっそのことと捨てていた。そのことを鑑みず、ただ彼女のことを醜いと呼ぶのは、それは表面だけを見すぎている。
けれど、彼女はその姿を恥と思っていた。人がその姿を醜いものとして見ていることを知っていた。
もし、自分が美しければ。
もっと彼を幸せにできるだろうか。もっと彼に愛されるだろうか。
故に彼女は聞いたのだ。
こんな醜い私でも宜しいのですか?
あなたなら、もっと麗しい人を娶ることもできたでしょう。
何故、こんな私を選び、愛してくれるのでですか?
彼は答えた。
お前の姿は決して人を惑わすものではない。
だからこそ、私の愛情はお前の心をだけ思っていると分かる。安心してお前を愛することができる。
私の愛は、断じて肉欲から来る偽りなどではないと。
私の愛は、迷いなくお前の心をのみ向いていると。
安心して、そう囁くことができる。
彼女は問う。
あなたは私の心をのみ思ってくれるのですか?
彼は答える。
そうだ。
私はお前の心を愛している。
お前のその美しい心を。
彼女は呟いた。
私の心と体のどちらもは、愛して下さらないのですね。
その一言で、彼は己の過ちに気が付いた。
己がただ臆病で、逃げていただけに過ぎないということ。
私はお前の肉体も愛している!
そう言えれば、どれだけ良かっただろう。
そう言ってくれれば、どれほど嬉しかっただろう。
けれど、彼の悟ったような沈黙が、全てを物語っていた。
私は、心も肉体もそのどちらも愛していると言える相手のもとへ行かなければならない。
そうして、私は決してあなたの肉体を求めて愛と嘯いているわけではない。心も愛していると。そのどちらをも愛せるからこそ、あなたが最愛なのだと。
己の肉欲を受け入れ、それを越えるのだと、その人のもとで宣言しなければならない。
そうしなければ、私はだれかに真の愛を語ることはできない。
そうしなければ、私は彼女に偽りの愛を騙り続けてしまう。
けれど、それを気付かせてくれた彼女に。
こんな私を今まで愛してくれた彼女を。
私は置いていくのか?
そんな不義理を、私が犯せると言うのか?
彼女のしわがれた瞳が、私を見ている。
彼は、彼女の瞳に語りかける。
私は、まだお前の身体を美しいとは思えない。
目を逸らせば、お前より美しい体の女など、いくらでも目に入ってきてしまう。
けれど、私はお前ほど私を愛してくれる人間を知らない。
お前ほど、澄んだ心で私に寄り添える人間を知らない。
それは、臆病なあなたが知らないだけですよ。
私はお前の前でさえ臆病だ。
最初に愛を口にしたのは私ではないのだから。
こんな臆病な私に、それだけのことを教えられたのは、世界にお前ただ一人だ。
私はまだ、お前の身体を美しいとは思えない。
しかし、いつかの後に、私はお前の全てを美しいと知る。きっとだ。
だからどうか、今暫くの間待ってほしい。
お前の心を美しいと言った私の愛を、どうか臆病な偽りのままで終わらせないでくれ。
別に、真実の愛を初めて知るのに、相手が私である必要はないでしょう?
お前がいいのだ。
お前であってほしいのだ。
誰かの美しさを真っすぐに見る力は、相手がお前であれば、必ず手に入れられるだろうから。
既に、その心の美しさをみせてくれたお前なら、その姿の美しさも見せてくれるだろうから。
彼女は問うた。
最後の問だ。
醜くとも?
その答えは、彼の最初の一歩となる。
慎重に言葉を選んだ。
けれど、決して臆病ではなかった。