書架棚   作:戒告

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法術

「どうやらお前は、魔法を何か万能の力か何かと勘違いしているようじゃな」

 

 先生は、ううむと唸った。

 

「まあ、この手の誤解は少なくない話だ。一度、魔法とは何か、ちゃんと教えてやろう」

 

 先生は、長話になるかも知れんから、とココアを少年に渡した。

 そして椅子を二つ持ってきて、一つを少年に与え、もう一つに自身の腰を預けた。老体には、立っているだけでも辛いのか、少し落ち気味に椅子に座り、ふうとため息をついた。

 先生に倣うように、少年も椅子に座る。

 

「さて、どこから話せばよいものか‥‥。魔法――いや、ここは正しく法術と呼ぶべきじゃな、法術はその名の通り、法を操る術じゃ。法は万物を記述する言葉であり、その法を操ることで世界に干渉を図る――。まあ、このくらいはお前も理解しているところじゃろう」

 

 少年も、うんうんと頷く。

 

「自在に法を操れるなら、世界を思うがままに改変できると思うのも無理はない。しかし、現実の法術は万能ではなく、その力には限界はある。なぜだか分かるか?」

「‥‥法を自在に操れない?」

「まあ、今の話からそこまで答えが出せれば上出来じゃ。今のは、わしの誘導に悪意があったからな」

 

 先生は一度言葉を置いた。

 

「法を操ることなどできないのじゃよ、たとえ、どれ程優れた法の司であってもな」

 

 

 

 法術を使えば、必ず法陣が表れる。そこには、これから行われる世界の干渉の内容が、法の言葉で記されている。

 多くの者は、法陣は術師が描いているものだと思っておる。それは大いなる誤解じゃ。

 

 法を記しているのは常に世界。それは、法陣も例外ではない。

 法陣は、術師の思い描く改変を、世界の規則に"例外"としてはめ込むために生み出されておるのじゃ。

 

 万物にはそれを記す法があり、磁力や熱にもその法則を宿した法がある。それと同じものなのじゃ。ただ、例外は世界に馴染むまでに時間がかかる。多くの法は人の目に見えないのに、術師の使う法陣は見えるというのは、新たに生み出された法陣が、まだ世界に馴染んでいないからなのじゃよ。

 

 世界は例外を際限なく認めているわけではない。世界に許される"例外"の範囲には制約がある。これがすなわち、法術に課せられた制約なのじゃ。

 

 

 

「お前の思い描く改変に、世界が応えない時は、それはお前に法術の才能がないからではない。ただ、その改変が許される"例外"の範囲を超えてしまっただけなのじゃよ。故に、上手くいかなくとも焦るでない。わしにできることは、お前にもできるはずじゃ」

 

 話が一区切りついて、先生は椅子に深く座りなおす。

 

「この際じゃ、聞きたいことがあれば何でも聞きなさい」

 

 少年は少し悩んだ。

 悩んだ末に、切り出した。

 

「なら、法術の才能の違いとは、なんなのですか? 世の中には、法術を扱える人間とそうでない人間がいて、法術を扱える中にも、その力の大きさに違いがあります。魔法を使うための魔力には生まれつき量の違いがあって、それによって才能が決まるのだとか言われていますが、当然、違うのですよね?」

「うむ、良い質問じゃな。しかし、あまり伝えたくもない質問でもある」

 

 先生はまたも唸ってしまった。

 答えるべきか否か、その迷いが声に漏れている。

 

 ふうと息をつき、再び視線を上げる。

 

「しかし、伝えなければならないことには違いないからの。答えるしかあるまいな」

 

 先生は、迷いと諦めの混じった眼差しで少年を見据え、語り出した。

 

 

 

 よいかの、法術とは、世界に"例外"を受け入れさせる力じゃ。本来それを必要をしない相手に何かを受け入れさせるには、交渉をしなければならん。相手が世界であろうと、それは変わらん。

 

 全ての生き物は、自らの力と世界の規則を越えた願望を強く抱いた瞬間に、実は世界を相手に交渉のテーブルについておるのじゃよ。法術を扱える者、扱えぬ者に関わらず、さらには人の括りにさえ囚われずにの。

 

 世界は人と違って無欲な存在じゃ。望みの改変が"例外"の範疇を越えぬ限り、全て受け入れてくれるし、その改変を実現するために、特別な見返りを要求することもない。ただ、世界は必要な経費を払いさえすれば、その願望を叶えてくれるのじゃ。法陣を書くための法さえ支払えば、の。

 

 世界と言えど、何もないところから法を書くことはできん。紙に文字を書くのにインクが要るのと同じように、世界が新たな法を書くのには、その分の法が必要となるのじゃ。

 

 改変を行うために自らの法を支払えるか否か、払えるならどれだけ払えるか。それが才能と呼ばれるものじゃ。

 

 魔力量など、全く片腹痛い。同じ人であるのだから、個々人の持つ法の長さに、そこまでの違い、あるわけなかろうて。

 

 法は物の性質を決めるものじゃ。僅かでも法を差し出せば、その分の性質はお前の身体から失われる。

 法術の才能とは、いわば命をどこまで差しだせるかとも言えるな。

 

 なに、そこまで怯えることじゃない!

 

 生き物はみな法を複製する力を持っている。だからこそ、かさぶたの下には同じように皮膚が生えるし、毛が抜ければまた生えてくる。

 

 子どもを産むのだってそうじゃ。新たな法を書き、それを自身から切り離し、子どもに与える。だから、出産を終えた後に法術の才能が芽生えることも多い。

 

 男児であれば、精通後に多いと言われていたりな。

 

 

 

「‥‥しかしの、複製を繰り返せば、そのうち誤りがあらわれる。誤りは命を蝕んでいく。故に、偉大な法の司たちはみな短命なのじゃよ。老化も早く訪れる」

「先生は偉大な術師ですが、長く生きていますよね?」

 

 すると、先生は少しびっくりしたように目を見開いた。

 

「わしか? わしは‥‥ただ、臆病だっただけじゃ。命を削る恐怖に勝てず、法術の才能を持ちながら、ほとんど法術を使う事なく生きてきた。不思議じゃろう? 法術の才能とは命を差し出せるということのはずなのに、それに恐怖を抱いているとは」

 

 思わず聞き入っていて、少年はしばらくぶりに手元のココアの存在に気付いた。

 少し力の入らない手で、それを口に運ぼうとした時、てが滑った。

 

 あっ、と声を出すこともできないうちに、マグカップは床に落ち、ココアは床を汚す――ことはなかった。

 代わりに床には、小さな法陣が光る。

 

「先生‥‥いいんですか?」

 

 法術の力でマグカップは正しい向きで、ゆっくりと床に落ち、一滴のココアも零すことなく着地した。

 

「わしは、少々臆病に生きすぎた。少しの願いも叶えなければ、生きている意味などないというのにな。ましてわしは幸運にも、人より少しばかり多くの願望を叶える才能を持っているというのに」

 

 先生は床のマグカップを拾い上げ、少年に手渡す。

 

「せっかく用意したココアをお前に味わってほしいという願望さえ叶えられないなら、しょうがないじゃろう」

 

 手の中のココアの液面を眺め、それから口に運ぶ。

 先生のココアは、少し甘く、そして温かかった。

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