書架棚   作:戒告

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秘密

 昔々あるところに――

 

 男は深い山の奥に暮らしていた。長男でこそないが名家の出身であった男にはたくさんの縁談があった。けれど、自分とその結婚相手とが家のために使われるというのがどうにも納得いかず、男は独り身を選んでいた。山奥でひっそりと狩りをして暮らしているのも、縁談を断り続けては家に居づらかったためだ。

 とはいえ、それも昔の話だ。今の男は一人ではなかった。今は同居の女が一人いる。

 彼女がやって来たのは、忘れもしない春の日。その年は、麓に住む人々にすれば、それは年中雪をかぶっていたお山から雪が消えて大騒ぎになった年だったが、男には些事である。男にすれば、彼女がやって来たこと年であった。

 どうか暫くの間居候させてはくれないかと言う女を、男は少しの間なら泊めてやった。少しすれば出てゆくかと思っていたのが、どうしたことか、何度春が巡ろうとも彼女は居候を続けた。

 気付けば夫婦のような仲になっていた。不思議と子どもができることはなかったが、男にとってはそれも些事であった。初めに、どうして自分の家に訪れたのか、その理由も聞かないままに、長い時間が経ってしまった。

 

 雪も融けたある晩、囲炉裏の火の近くに座って、男は話を始めた。

 

 

 時々お前を見ていると、昔のことを思い出すんだ。もう何年も前の出来事だ。それこそ、お山の雪が夏でも溶けなかった頃のことだ。

 真冬の狩りに出ていた俺は、吹雪に巻き込まれてしまった。山の天気は変わりやすい。そんなことは百も承知だ。少しでも変化があれば、すぐ帰るようにしていた。だのに、俺が狩りに夢中になりすぎていたのか、恐ろしく天気が急に悪くなったのか、今となってはもう分からないが、とにかく俺は吹雪の山の中に取り残された。

 死を考えた。もう北も南も分からない。ただ、当てもなく、吹雪の中をほんの少しばかりの力で彷徨っていた。

 家が現れたんだ。帰ってこれたのかと思ったが、よく見ると俺の家ではなかった。このあたりに俺以外の住んでいるやつがいただろうかなんて、そんなことはどうでもよかった。あそこに行けば、吹雪をやり過ごせる。

 必死に歩いて、その家まで辿り着いて、思いっきり戸を叩いた。かじかんで震える口で、助けてくれと叫んだ。二回叩いても返事がないから、勝手に戸を開けようとしたとき、中から声がしたんだ。

 

 これから、あなたが家に帰るまでに起こる全てを秘密にできるなら、開けて差し上げましょう。

 

 俺はなんでもいいと、分かったから早く開けてくれと叫んだ。正直、条件なんてろくに聞けてなかったんだが、家にあげてもらった後でもう一度言ってもらったおかげで、俺は条件が何かを理解できた。

 家にいたのは女だった。隅から隅まで真っ白い女だった。

 その後俺はすぐ眠ってしまって、目が覚めると吹雪は過ぎていて、その家を出てようやく、あんな場所に女が一人で住んでいることに違和感を覚えた。俺みたいに一人で住んでいる男がいるんだから、女がいたっていいじゃないかと思いたかったが、狩りやなんやをやっているようにはとても見なかった。

 美人で、髪は長く、肌は透き通るほどきれいで、ちょうどお前みたいに――

 

 

 そこまで口にして、男は絶句した。

 肌色だった彼女の肌が、見る間にも白く変わっていく。髪までも白く染まり、彼女の回りが少し光って見えた。

「秘密にして、と言ったのに」

 彼女の身体がふらりと崩れるのを、慌てて受け止めた。彼女の肌は氷のように冷たい。

「お前、まさか」

「秘密はね、大きな力があるの。私を人間に変えられるくらいに。あの年、溶けないはずの雪が溶けるほど暖かくって、私まで溶けてしまうところだったから、あなたの秘密を糧に私は人間の姿になったの。でも、あなたが一人で生きているから、秘密の意味が小さすぎて、そのままだと人間で居続けられなかった。だから、あなたと暮らそうとしたの。そうすれば、あなたは絶対秘密を意識してしまうから。そうすれば、秘密を糧に人間のままでいられるから」

 男は慌てて囲炉裏の火を消して、そして彼女から離れようとした。己の体温が、彼女を融かしてしまう前に。けれど、彼女が離してくれなかった。

「本当なら、一人で誰にも知られずに融けてなくなっていたのよ。あなたが離れたところで、もう雪は融ける季節だから意味はないし、それならこのままいさせてほしい」

 男は涙を堪えながら、彼女を抱いた。彼女の氷の肌が男の皮膚を焼いて痛い。痛いだけで済む自分が、余計苦しいのだ。

「やっぱり、罪のない秘密はダメね。永遠には守れない。今、あなたが秘密を打ち明けてくれて嬉しいの。私も秘密を打ち明けて、お互いに隠し事はなくなって、本物の夫婦みたいでしょう?」

 男は彼女と口付けを交わした。初めて、本当の彼女の舌の味を知った。堪えていた涙が流れて、男は目を閉じてしまった。

 

 次に目を開けた時、彼女はもういなかった。口の中にはまだ、冷たい霧が残っている。それも、これから何度かの呼吸を経れば外の空気へ消えてしまうだろう。服が濡れている。どこまでが自分の涙か分からない。それもまた、少しずつ乾き始めている。

 

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