「道祖様、怪しい者をお連れしました」
押し殺した声で、彼らは道祖にそう告げた。
連れてこられた男からは、猿轡をさせられてなお反抗するような呻き声が聞こえる。体中に赤く真新しい傷が目立つ。彼のものと思しきものの中には、銃など物騒なものがちらほら見える。
「猿轡は外してやりなさい」
「しかし...」
「その者は害のない者です。剣を持っていようと我々にそれを突きつけはせず、銃を持っていようと我々にそれを向けはしません。少しばかり声が大きいだけです。そして、私は彼を知っています」
そうして猿轡を外させると、道祖は他の者を下がらせた。彼らは足音一つ立てず引いていった。
「久しぶりですね、久科」
傷だらけの男はくしなと呼ばれた。
「これはどういうことだ、野乃場!」
くしなは彼の道祖をののばと呼んだ。
「なんのことでしょう?」
「お前は、彼らに”あれ”を神と呼ばせているのか!?」
久科は野乃場の胸ぐらを掴んだ。
「そうですよ」
とだけ野乃場は答えた。それが殊更に久科を刺激した。
「あんな...ただ他のやつらより多く血に濡れただけの怪物を、お前は本気で神と呼ぶのか!」
久科は咆えるように野乃場に迫った。がしかし、野乃場は顔色一つ変えずに逆に久科に問いかける。
「なら、どんなものならば神と呼ぶのに相応しいのですか?」
久科の心に神はいない。科学だけが、彼の中の絶対だった。故に、この問いは久科を黙らせた。
「人の声を聞き、時に人に罰を与えながら、人々を導く存在、なんてものを考えているなら、あなたの考える神は少々人間に都合が良すぎませんか」
野乃場の指摘は、久科から回答の能力を奪い去った。彼の思いつく最低限を、否定しきってしまったからだ。
「違いますよ。そんなところから神は生まれません。神は祈りによって宿るのです。祈りとは最後の手段です。祈る以外に術のない、不条理から生まれるのです。原初の神とは、不条理への祈りによって宿るのです。あなたの知る神は、それを都合よく書き換えた文明の神に過ぎませんよ。血に塗れたあの怪物は、私たちにとって最大の不条理です」
その時だった。大きな揺れだ。怪物の足音だった。
久科は銃を手に取った。生きた厄災に対する絶対的な回答の一つだと、久科は信じていた。
ズンと一際大きな音が壁の向こうでした直後、天井は取り払われた。怪物の一薙ぎで、壁は盾でなかったことが明らかにされた。鉄筋の隙間から、瓦礫が零れ落ちる。
久科は引き金を引いた。銃口から閃光が迸り、怪物に銃弾が飛ぶ。直後、怪物の二薙ぎ目が久科を襲った。銃声が響くことはなくなった。
倒れた久科に野乃場が音もなく歩み寄る。久科はもう血だらけで、四肢があらぬ方向に曲がり、ぷかーぷかーと音をたてながらなんとか息をしている。それでもまだ目だけは正しく野乃場を捉えている。
野乃場は押し殺した声で、久科に聞いた。
「なぜたくさんの教義が必要か分かりますか」
久科は視線を左右に振った。さらに小さな声で野乃場が答えを告げる。
「音を立てなければ、あれに襲われることはありません。だから、一つ目の理由は生き残るためです」
野乃場はちらりと”あれ”を振り返った。
その後、野乃場はもう声を押し殺すのをやめた。
「どうやら、これでもうるさかったようです。本当に本当に、たくさんの教義が必要なのです。絶対に全部を守り切るのは不可能だというくらい...。その二つ目の理由は、生き残れなかった時の言い訳のためです」
怪物の三薙ぎ目が、二人を襲い、蹴散らした。