揺るがぬ闇の帝王学   作:いなば

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ダンブルドアがグリンデルバルドと戦わなかった世界線です。



第一話:帝王の胎動

 ロンドンの空は灰色の雲に覆われ、孤児院の薄汚れた窓から覗く景色は、どこまでも暗く沈んでいた。冷たい風が窓枠の隙間から入り込み、古びたカーテンをわずかに揺らしている。子供たちの笑い声が遠くに聞こえるが、それはトム・リドルの世界とは無縁のものだった。

 

 彼は、いつものように質素な木製の机に向かい、擦り切れた本をめくっていた。ページの隙間から立ち昇る黄ばんだ紙の匂いは、孤児院の湿った空気に混じり合い、ほのかに鼻を刺激する。トムは目を細め、紙の感触を指先で確かめながら、じっと文字を追った。この時間こそが彼にとって唯一、完全な支配と静寂を味わえる瞬間だった。

 

 孤児院では、彼の「奇妙さ」が大人たちの間でしばしば問題視されていた。何もしていないのに子供たちが恐れ、避ける。奇妙な怪奇現象が起きるたびに、院長は眉をひそめ、冷たい目で彼を見つめた。

 

「またか……」

 

 そう呟く院長の声が聞こえてくるようだった。溜息と共に、いつものように医者を呼ぶのが常だった。白衣を纏った医者が繰り返しやってきて、鋭い目つきでトムを診察する。しかし、結果はいつも決まって『異常なし』だった。

 

 トムは特別聡明な子供だった。周囲が自分に向ける感情が何なのか、理屈で理解していた。彼らは決してトムの言葉を信じることはない。手を使わず物を動かせることも、蛇と会話が出来ることも、個性として自分に備わったただの才能だが、彼らはそれらを聞いてトムの気が触れているとしか受け取らなかった。

 いつしかトムは周囲に期待をすることを意図してやめた。そしてこう思うようになった。──自分は『異常』なのなく、『特別』なのだ。この世界が自分に対して劣っているだけなのだ。彼はそう確信していた。

 

 いつものように冷たく脈を測る手や、瞳の奥を覗き込む冷ややかな視線は、トムの中に静かで熱い怒りを募らせる。

 凡庸な愚者たち。母を捨てた忌まわしき父と同じ、才能を持たぬ者たち。

 そう──この怒りの源泉は父なのだ。両親のことははっきりと覚えているワケではないが、母は尋常ではない優れた才能を持っていたらしい。そんな母と自分を捨てた父は、トムにとっての『通常』を『超常』だとか『異常』としか受け取れない痴愚生物でしかなかった。

 

 孤児院の連中はどいつもこいつも、父と同じだ。

 そんな連中と自分を一緒に並べられるだけで、腸が煮えくり返りそうだった。

 

 コンコン、とノックの音がする。

 

 トムが返事をせずにいると、孤児院の重い扉が静かに開かれた。いつもなら、歪んだ蝶番が甲高い音を立てるはずだが、今回は静かだった。トムは顔を上げ、細い目を鋭く光らせた。足音が部屋に響く。静かで、しかし迷いなく近づいてくる。

 

「初めまして、トム」

 

 柔らかく、それでいてどこか厳格さを感じさせる声が響いた。

 扉の前に立っていたのは、ひとりの老人だった。彼の長い銀髪と半月形の眼鏡、落ち着いた微笑みが、部屋の寒々しさと対照的だった。

 

 トムは眉をひそめ、老人の出で立ちをじっくりと見定める。長いローブに、異国の銀細工が施された腰紐。その姿は医者のものとは程遠かった。医者ではないのだろうか?いいや、自分にそう思わせて油断を誘っているに違いない。トムは老人にすぐに疑いの目を向けた。

 

「胡散臭い奴め。僕を異常者扱いしてどこかへ連れて行く気か?」

 

「手厳しい子じゃのう」

 

 柔和に笑う老人。

 トムは無表情を装ったが、彼の声にはわずかな警戒が滲んでいた。これまで孤児院を訪れた大人たちは皆、彼を理解することなく、ただ異常者として扱ってきた。だが、この老人は何かが違うように感じられた。

 理由は分からないが──自分ともあいつらとも何がが違うような、そんな直感。

 

「わしは医者ではない」

 

「……嘘だ。お前も他の大人と同じに決まってる。僕の頭が狂ってると思ってるんだろ」

 

「思っておらぬとも。わしは君と同じじゃ」

 

 老人は穏やかに微笑んだまま、机の前に立ち止まると、ゆっくりとローブを整えた。

 

「私はアルバス・パーシバル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドア。ホグワーツ魔法魔術学校の教授じゃよ」

 

 トムは黙ったまま老人を見つめ続けた。その名も学校名も聞いたことはなかったが、「魔法」という言葉には心を惹かれた。

 

「魔法学校?」

 

「左様」

 

 自分に備わった特別な能力──誰にも気づかれずに相手を傷付けたり、言葉以上の情報を他者から感じ取ったり、物理現象を越えた現象を生み出す能力は、なるほど確かに魔法を呼ぶにふさわしいのかもしれない。

 驚きもあった。動揺もあった。しかし確かな納得と確信が、トムの中に渦巻いていた。

 

「お前は魔法を使えると言うのか」

 

「そうじゃとも」

 

「……証明しろ」

 

 トムの冷淡な言葉に、ダンブルドアは静かに杖を取り出した。そして、彼が一振りすると、部屋にあった灯りが柔らかく輝き始める。壁に掛けられた古びた絵が滑らかに動き、まるで本物のように目を瞬かせた。さらに、彼は手を振ると、戸棚の中にしまわれていた皿が宙に浮かび、テーブルへと優雅に並べられていく。

 

 トムはその光景を目の当たりにしても、表情を崩さなかった。しかし、心の中ではこれまで感じたことのない興奮が渦巻いていた。彼は静かに思惟に耽りつつも、ダンブルドアの顔をじっと見つめた。

 

「信じられぬかもしれんが、君は魔法使いの子なのじゃ。特別な才能を持っておる」

 

 ──それは初めて得られた理解者だった。

 トムはダンブルドアの言葉が見せかけや方便ではないと納得できた。

 

「君はこれからホグワーツで、同じような才能を持つ子たちと魔法を学ぶのじゃよ」

 

「……」

 

 自分と同じ才能を持つ者が他にいるというのか。

 

「僕は魔法使いの中でもどのくらい特別なんだ?」

 

「さてのう。その答えはこれからの君次第としか言いようがないが、わしの目算では、君ほどの才能を持つ者は魔法界にもそうそうおるまい」

 

「僕は蛇とも喋れる」

 

「────」

 

 老人は一瞬だけを息をのんだ。

 

「これは魔法使いだと普通のことなのか?」

 

「……」

 

 ダンブルドアはトムに寄り添うようにふっと微笑むと、柔らかく言葉をつづけた。

 

「今の魔法界には、暗い影が落ちておる。ホグワーツはその中でも唯一光の中で輝くすべを見つけられる場所じゃ。わしの手をとればきっと君は、歴史に名を残すほどの偉大な者になれる」

 

 光の中で──などという安易な言葉選びにトムは辟易を隠せない。この老人は、トムが彼にとって何か都合のいい存在になることを期待しているのだろうか?

 トムが望むのは、光や闇などという言葉には収まりきらない壮烈な存在証明。この才能を磨き、自分を発揮することが出来る場所。例えそれが夢現のような彼方だとしても、トムはそこに辿り着く野心を絶やさない。

 確かめるように、彼は聞く。

 

「僕が行くと、何が手に入る?」

 

「知識と、仲間、そして──力じゃ」

 

 ダンブルドアの瞳が深く光る。その言葉に、トムの唇がわずかに歪んだ。

 トムは黙って考えた。そして、椅子の背もたれにもたれ、深く息を吐いた。

 

「……もっと詳しく聞かせろ。魔法について、魔法界について、ホグワーツについて」

 

 その答えに、ダンブルドアは満足げに微笑む。

 トムの瞳にはわずかな光が宿っていた。

 

 

◇◆◇

 

 

 後日、トム・リドルは、ダンブルドアに連れられて初めて魔法界の一端に触れることとなった。最初の行き先はダイヤゴン横丁──魔法界の商業街だった。

 ホグワーツへの入学に際して、必要な学用品の類はここで揃えなければならない。

 

「見ての通り、ここは魔法使いたちのための場所じゃ。何百年も前から続いておる」

 

 ダンブルドアは静かに説明しながら、トムを広場の中央に導いた。そこではフクロウが空を飛び交い、魔法の光がショーウィンドウを彩っていた。魔法薬の材料や古い巻物、奇妙な道具が並び、店主たちはにこやかに客を迎えている。

 

 トムは無表情を保ちながらも、心の中では一つ一つの光景を貪欲に飲み込んでいた。まるで本の中で読んだテーマパークのようだ。この世界が彼に与える可能性を探るように、目を細めながら観察していた。

 

「魔法界というものは、独自の歴史と伝統を持っておる。君がこれから通うホグワーツもまた、千年以上の歴史を持つ学校じゃ」

 

「千年以上……そんなに昔から?」

 

 トムは淡々とした声で聞き返したが、心の中ではそれ以上の興味を抱いていた。こんなにも長い間、知られることなく魔法が存在し続けてきたのかと。

 その疑問を先回りするように、ダンブルドアは「ふぉふぉふぉ」と笑い答える。

 

「トム、魔法界は単なる学びの場ではない。ここには社会があり、秩序があり、法もある。魔法省と呼ばれる機関がその中心にあるのじゃよ。彼らは魔法界全体を管理し、マグルたちに魔法が漏れないよう取り計らっておる。マグルが何かはもう知っておるな? 魔法を持たぬ人々のことじゃ」

 

「知っている。この前聞いたばかりだ」

 

「では雑談ついでに、最近の政策についても少し触れておこうかのう。魔法界では、才能ある若者に十分な教育を提供し、魔法族の生活を向上させるための支援が進められておる」

 

 その言葉にトムは思わず顔を上げた。

 

「支援?」

 

「そうじゃ。君のような才能ある子供たちが、どのような環境からでも学ぶことができるよう、金銭的な助けが提供されておる。よって今日、君は無償で新品の学用品を揃えることができるじゃろう。しかし──」

 

 ダンブルドアの声が少し低くなった。

 

「わしは、魔法族だけがその恩恵を受けることには疑問を感じておる」

 

「どういうことだ?」

 

「ホグワーツには、魔法使いや魔女の血を引かぬ子も入学してくるのじゃが、魔法省の支援にあやかれるのは魔法族の血を引く者だけでのう」

 

 トムはすっと目を細めた。──内心では、自分のような選ばれた存在のみが優遇されるのは当然だという感情を抱いていたが、それを口にするほど彼は知性の欠けた子どもではなかった。

 

「才能を持つ者に学びの場を提供するのは素晴らしいことじゃ。しかし、同時にマグルとの共存の道を閉ざしてしまうような偏りがあるのではないかと懸念しておる」

 

 トムはダンブルドアの言葉をじっと考えた。魔法界が何百年も隠され続けてきた理由、それを守ろうとする魔法省の役割、そしてダンブルドアが抱く不満。それらが少しずつトムの中で形作られていく。

 

「では……あなたは、魔法省のやり方に賛成していないのか?」

 

「すべてに賛成というわけではない。何事もそうじゃが、良い面もあれば悪い面もある。魔法界が自分たちのためだけに閉じた世界を作ることになれば、いずれは新たな問題を生むかもしれん」

 

 トムはダンブルドアの声に耳を傾けつつ、自分がその世界でどのような役割を果たせるのかを考えていた。そして、魔法界が単に楽園ではないことを、彼なりに理解し始めていた。

 

「……何故そんなことを僕に話した?」

 

 言外に、トムは「子供に話すような内容じゃないだろう」と苦言を呈す。

 常識的に考えれば、先日あったばかりの子供に政治の話をするのは大人として品のある立ち振る舞いとは言えない。トムはダンブルドアの常識外れの言動が、自分を何かに染めようとしているように聞こえてならなかった。

 

「君に考えて欲しいからじゃよ、トム。魔法族とマグルにどれほどの差異があるというのか。マグルの世で生きてきた君にのう」

 

「論外だ、アルバス・ダンブルドア」

 

 トムはここで初めて、苛立ちを露わにする。

 

「忌々しくもマグル──あの凡弱な愚か者たちが僕の周りを取り囲んでいただけのこと。それは僕が望んだ生き方じゃない。あちらの生き方や考え方を、こちらに持ち出すのは下品ではないか?」

 

「……品格のことを言うのであれば、君はまずその言葉遣いを治すべきかもしれんのう」

 

 簡単に言い返してくるあたり、ダンブルドアも存外子供なのかもしれない。

 トムは更に反論しようとするが、その思いをぐっと胸の中でこらえる。

 

 するとその時、近くの書店から、一人の少年が飛び出してきた。黒髪にメガネ、額には丸い眼鏡があった。あまり魔法使い然とした出で立ちではなく、むしろどこかこの空間に馴染んでいないような印象を受けた。

 彼はトムにぶつかりそうになると、咄嗟に一言謝り、続いてトムの身なりを確認して驚いたように声をかけた。

 

「あっ、もしかして君も今年からホグワーツに行くの?」

 

 トムは一瞬彼を見つめ、わずかに口角を上げた。

 

「まぁ、そうみたいだな。君は?」

 

「僕はハリー・ポッター。初めて来たんだ、すごいところだね!」

 

 ハリーの無邪気な言葉に、トムは内心で軽く嘲笑したが、それを表に出すことはしなかった。

 

「僕はトム・リドルだ」

 

 こうして二人は、形ばかりの会話を交わしながら、互いの存在を確認するのだった。

 




つづく…?
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