揺るがぬ闇の帝王学 作:いなば
「君、これからどこを回る予定?」
トムはその質問に少し考えた後、静かに答えた。
「まだ決めていないが、必要なものを一通り揃えるつもりだ」
ハリーは興味深そうにトムを見て、にっこり笑った。
「僕も何を買えばいいのか、あんまりよく分からなくて。頼れる人がいて助かるよ」
「……僕も初めて来たから、あまり頼られてもね」
トムは会話を促すようにダンブルドアに視線を向けたが、──いない。
先程まで隣にいた老人の姿がきれいさっぱり消えていた。ダンブルドアは夢や幻のような神秘的な存在感を放っていたが、本当に消えてしまうやつがあるか。
少し周囲を見回したが、それらしき影はどこにも見えない。
そのとき、背後で重い扉の音が響いた。振り返ると、背の高い男が店の奥から出てきた。ハリーがその姿に気づき、声を上げた。
「ハグリッド!」
その名を呼ばれた男は足を止め、笑みを浮かべてハリーに向き直った。
「ハリー、ここで何をしちょる? 店を見ていたら急にいなくなるから、探したぞ」
「ごめん、ちょっと外に出ただけなんだ。彼とと一緒に話してたんだよ」
ハグリッドの目がトムに向けられる。大柄な体をこちらに向け、少年を観察するようにじっと見た。
「トム……です」
先程のダンブルドアの言葉を思い出し、トムは恭しく自身の名を名乗った。──忌むべき父のファミリーネームは、名乗るには値しない。
「ほう、新入生か。よろしくな、トム」
ハグリッドは低くうなずきながらトムの方を見た。
「お前さん、一人か? 保護者は?」
「ダンブルドアという老人と一緒にいたんですが、消えてしまいました」
トムの答えに、ハグリッドは驚いたような顔をした。
「ダンブルドア校長が? 本当か? まぁ、あの人は多忙だからな……何か急用でも入ったのかもしれん」
あの老人、教授とは名乗っていたがまさか校長だったとは。トムは内心で驚きをかみつぶした。
思い返せば、魔法界やホグワーツについて色々教えてくれた割に、ダンブルドアが自分について語ったのは、魔法省の政策に触れた時だけだった。トムは校長は秘密主義なのだと理解する。
「それなら、ひとまず一緒に回ろうか」
ハリーもハグリッドの提案にそれに同意し、トムも一言だけ「いいですよ」と応じた。
三人は広場を横切り、にぎやかな通りを進んでいく。ハグリッドが前を歩き、トムとハリーが後ろに並ぶ。ハグリッドは歩きながら、ホグワーツの寮について語り始めた。
「ホグワーツには四つの寮があってな。それぞれ性格や特徴が違う。グリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー、そしてスリザリンだ。お前らも組み分け帽子を被って、自分の寮を決めることになるだろうよ」
既知の情報だったが、トムは言葉を挟まず、ハグリッドの説明を静かに聞いていた。その寮の中で自分がどこに行くことになるのか、考え始めていた。ホグワーツのみならず魔法界では伝統が極めて重要視されるようだが、事実として先日までトムはマグルの世界にいた。既にこの世界に染まっている者たちからすれば、自分は面白くない存在かもしれない。
他者と仲良くなることを望むというわけではないが、ひとまず敵を作らないことは重要だ。ハッフルパフに劣等生が多いのは、ダンブルドアの言葉尻から推測できていたので、まずハッフルパフは除外。識者の多いレイブンクローや、情報や力が最も集まりそうなスリザリンが望ましいかもしれない。
「僕はどこになるのかな?」
「ハリー、お前さんはきっとご両親と同じグリフィンドールだろうな」
「そうなんだ! えっと……トムも同じ寮になれるといいね?」
トムは一瞬ぎょっとするが、静かに頷いた。
グリフィンドール──無意識に、選択肢から省いた唯一の寮。ある意味ではハッフルパフ以上に自分には不適切なのではという直感的が疑念があった。そして、その可能性を迎合するハリーとも、トムはどこか理解し合えることはないのだろうなという予感があった。
理由はない。
ただ『致命的に違う』とそう思ったのだ。
やがて、ハグリッドが立ち止まり、向かい側の小さな店を指さした。
「よし、ここだ。オリバンダーの店だ。杖を買うにはここしかない」
三人は扉を押し、薄暗い店内へと足を踏み入れた。奥から杖の山が見え、整然と並べられた箱の中に、未知の可能性が詰まっているように感じられた。
すると、店の奥から老紳士がゆっくりと現れた。背筋を伸ばし、片目を細めながら三人を見渡す。
「ああ、新しい生徒たちですな」
「オリバンダー、この二人に杖を選んでほしいんだ」
オリバンダーと呼ばれた老人はトムとハリーをじっと見つめた。その眼差しはまるで二人の内面を探っているかのようだった。
「なるほど……君たち、兄弟ですな?」
「兄弟? なぜそう思うんですか?」
オリバンダーは微笑みを浮かべると、軽く肩をすくめた。
「そう見えるからですよ」
それ以上の説明はせず、オリバンダーは棚に並んだ箱の一つを取り出し、トムに手渡した。
「試してみなさい」
トムが杖を握った瞬間、店内の空気が微かに変わるのを感じた。杖が手に馴染む感触と、腕の奥に力が流れ込むような感覚に、トムは自分が選ばれたような気持ちになった。
「……これはどういった素材で作られているんですか?」
トムが尋ねると、オリバンダーは満足げに目を細めた。
「その杖はヒイラギの木で作られ、芯には不死鳥の羽が使われています。ヒイラギは保護と強い意思を象徴し、不死鳥の羽は極めて稀少で、非常に強力な魔力を持っています。ただし、この組み合わせが全ての人に適合するわけではない。杖が持ち主を選ぶとよく言われますが、この杖は君を選んだと言えるでしょうな」
不死鳥という単語が心地よく耳に入る。恐らくは魔法界の生物だ。まだあまり造詣があるわけではないが、オリバンダーの説明を聞いた限りでは不満はない。
トムは手の中の杖を見つめながら、さらに質問を続けた。
「複数の杖を持つことはできますか?」
それを聞くと、オリバンダーはしばし考えるように顎に手を当てた。
「理論上は可能ですが、実際には望ましくない。杖は主と繋がりを持ち、相性の良い杖と共に成長していきます。複数の杖を持てば、力の分散や不安定さが生じる可能性が高く、結果として使い勝手が悪くなることが多い」
「なるほど。では、やはり杖の芯や素材によって、使える魔法や特性に違いが出るんですか?」
「その通り。芯や木材の種類は杖の特性に大きく影響を与えます。不死鳥の羽は多才で力強い魔法を生み出す傾向がありますが、扱いには熟練が必要です。他の芯、たとえばドラゴンの心臓の筋は力強い魔法を得意としますが、やや粗暴な特性を持つことが多いです。一方、ユニコーンの毛の芯は安定した魔法を生み出しますが、非常に忠誠心が強い。杖木の種類によっても特性は変わります。例えば、イチイの杖木は非常に個性的で、持ち主の魔法に独自の力を付与することがあります」
トムは黙ってその説明を聞いていたが、目を細めながら手の中の杖を凝視した。この杖には、自分がまだ知らない潜在的な力が隠されているように感じた。もし異なる素材の杖を使ったら、何が変わるのだろうか。もし複数の杖を持てたら、それらを組み合わせることでより強い力を引き出すことができるのだろうか。
オリバンダーはその視線に気づいたのか、微笑みを浮かべながら言葉を続けた。
「しかし、どれほど良い素材であれ、杖そのものだけでは魔法を発揮することはできません。杖はあくまで道具であり、君自身の魔法力と知識が伴って初めてその力を引き出せるのです」
トムは小さく頷いた。自分の中の力と、この杖の力をどのように組み合わせれば最大限に引き出せるのか。それを理解するには多少の時間がかかりそうだったが、その挑戦は彼にとって非常に魅力的だった。
ハリーとハグリッドが待つ中、トムはまだ質問したいことが山ほどあった。たとえば、杖によってどのように魔法が変わるのか、なぜ不死鳥の羽が特別視されるのか。しかし、彼はそれを胸の内に留めることにした。今はもっと知りたいと思う気持ちを抑え、後で自分自身で調べることを決意する。
オリバンダーは優雅に頭を下げた。
「よい杖を持った者が、その力を正しく導けば、魔法の可能性は無限大です。今後、君がどのような魔法使いになるかを楽しみにしています」
「──ふむ、上等だ。気に入った」
トムは好戦的に微笑んだ。
「ね、ねぇ、そろそろ僕も選んでいい?」
ハリーが杖を選ぶ番になった。オリバンダーはハリーをじっと見つめ、慎重に箱を取り出してテーブルに並べ始めた。その動作はどこか自信に満ちているようだった。
「さあ、これを試してみなさい」
オリバンダーは微笑みながら、一本の杖をハリーに差し出した。
ハリーは恐る恐るそれを手に取り、軽く振った。だが、何も起こらない。
「どうやら違うようだ」
オリバンダーはすぐに別の杖を取り出し、ハリーに渡した。
「ではこれを」
しかし、またしても何も起こらない。杖を変えるたびに、オリバンダーは慎重にハリーの反応を観察し続けた。トムの時とは違い、時間がかかっている。ハリーは徐々に自信をなくしていくようだったが、逆にオリバンダーは何かを確信を得ていくように頷いていた。まるで、最初から今紹介したどの杖もハリーに適さないと、知っていたかのように思えた。
何本か試した後、ついにオリバンダーは棚の奥から特別な箱を持ち出す。
「これだ……これなら合うだろう」
オリバンダーは小さな笑みを浮かべながら、箱を開けて中から美しい杖を取り出した。
ハリーがその杖を握った瞬間、店内の空気が変わった。温かい光が杖から放たれ、ハリーの手に馴染む感覚が伝わる。
「ほら、やっぱり思った通り。これが君の──君たちの杖だ」
「?」
意味深に語気を弱めていく老人を怪訝に思うトムを余所に、ハリーは驚きと喜びが入り混じった表情を浮かべた。
オリバンダーは満足そうに頷きながら言う。
「やはり君たちは兄弟のようですな」
先程と同じ、根拠のない妄言。どうしてしつこく兄弟だと勘違いされるのか、トムには不思議であり不快でもあり、奇妙な期待を禁じ得なかった。──きわめて低い可能性だが、実際にトムは幼少期に家族と死別しているため、本当にハリーと生き別れの兄弟という可能性もある。
「……先程も聞きましたが、どうして僕らが兄弟だと?」
トムの目はオリバンダーを鋭く見据えていた。その視線に、老人は微かに微笑むだけで、直接の答えを避けた。
「君たち二人の杖は……どうも似通った特性を持っているようです。それだけです」
「それだけ? この杖が僕に、そして彼の杖が彼に合うのは理解します。でも、どうしてそれを『兄弟』と呼ぶ必要があるんですか? 単なる偶然では?」
トムの言葉には冷静な分析が混じっていた。彼はこの場で何か隠された真実があるのではないかと感じていた。そして、それが自分自身の出生や過去に関係している可能性を考えた。
「……ミスター・オリバンダー、あなたは僕の杖について、何かを隠しているのでは──」
トムがそう問い詰めようとしたその時、後ろからハグリッドの大きな声が響いた。
「おい、トム、ハリー! そろそろ次に行かねぇと、時間がなくなるぞ!」
トムは一瞬言葉を飲み込み、オリバンダーの反応を窺った。しかし、老人はただ微笑みながら「どうぞ、気をつけて」とだけ言った。
ハリーがトムに「行こう」と声をかけ、二人はハグリッドの後について店を後にした。