カセットコンロの上に置かれた土鍋の中には、グツグツと沸騰した熱湯がなみなみ張られている。その熱湯の中には豆腐が四丁、人数分入れられている。
その豆腐を一つでも多く手にせんとばかりにギラギラ目を光らせているのは、鬼のシキ。背が低く体もあばらが浮き出る程に細いのだが、とんでもない怪力の持ち主だ。争ったら間違いなく勝てない。
対面に座してテレビを見ているのは、美世という少女。学生でもないのに、真っ黒なセーラー服を年中着ている変わり者だ。今はサブスクなるもので借りたドラマを見ている。表情の変化に乏しい美世だが、慣れてくると分かりやすい。ドラマに感動しているのだろうか。
美世の右隣、即ちシキの左隣に座る少女は由良という。俺も含めたこの四人の中で一番のオシャレ番長。出会った頃は美世にそっくりだったが、今では一番感情豊かになった。今はファッション誌を読んでいる。お気に入りのファッションは大正ロマンらしい。
そして、台所で熱燗を作っているのが、酒井阿月。つまりは俺のことだ。ごく普通の男子大学生。強いて特徴を言うなら、二年ほど留年している。高校卒業後の自分探しの旅で遭難した結果、この様だ。皆も自分探しの旅は十分気をつけてやったほうが良い。
「はぁ、もっと豪勢な鍋に出来なかったかな」
読んでいた雑誌をカラーボックスに入れながら由良は言った。手を床について足を伸ばし寛いでいる。
「仕方ない。貧乏なのが悪い」
いい感じに温まった燗を火傷しないように持ちながら俺は答えた。いやしかし本当に熱いな、これは大層旨いに違いない。
「君らが酒を減らせばそれだけ余剰が出るんだから、それをご飯に当てればよくない?」
ヘラヘラとした由良が言った。
「ならお主の服を売り払えばよかろう?」
シキが反論した。俺はお猪口を忘れて急いで台所へ向かった。
「何?」「やるか?」売り言葉に買い言葉。オシャレ番長の由良とシンプル番長のシキは、仲が悪いわけではないが喧嘩が多い。しかし一番恐いのはこの二人ではなく、美世だ。
「うるさい」
冷たい一言に二人は顔を青くして大人しく座った。
「んじゃ、いただきますか」
俺が言った。皆も合掌した。
箸で器用に豆腐を掴むシキだが、体が小さいからか取り出すのにとても苦労している。お玉を持って豆腐を掬う美世は、崩れ去った豆腐を見つめて悲しんでいる。由良はポン酢をお湯で割って飲んでいる。それは最後にやるやつだろうに、分かってないな。
俺はこの賑やかな日常を眺め、熱燗を呷った。熱々の日本酒が食道を通るのを感じた。胃の中でも熱いものは熱いな。
飲み会も盛り上がり始めた頃に、美世が部屋を漁ってDVDを見つけてきた。我が家はDVDプレイヤーが現役稼働している。
「これ見よう」
それは、恐らくは俺の物だろうこと以外全く分からない代物だった。真っ白なディスクの表面に『阿月』と書いてある。しかし俺には一切の覚えがないし、俺の字と違うような気がするが、しかし字というのはコロコロと変わり続けるものだ。
「どれ、見てみようよ」
由良は興味津々といった様子でプレイヤーにディスクを入れた。しばらく読み込みの間があり、中古屋で投げ売りされていたテレビの画面が切り替わった。
「ん?なにこれ」
由良が呟いた。俺もポカンと口を開けて呆然としていた。しかし、こんな反応になってしまったのは無理もない。写し出されたのは、高校時代の俺だったからだ。
高校生の俺が誰かと会話している様子が、しっかりと撮影されている。こんな動画撮った覚えが無い。これを撮っているのは誰だろうか、と疑問が湧いたが、しかしその解はすぐに出た。窓に反射している顔に覚えがあった。
「ね、ねぇこれって……」
震える声で問う由良に、俺はこくりと頷いた。
そこに映っていたのは、ここの家主である木島花火だった。高校生の木島が、俺を盗撮していた。その事実を脳が理解を拒む。……こともなく、俺はそれをつまみに酒を飲んでいた。
「あいつ、こんなことしていたのか。全く気付かなかった」
「いや軽っ!?もっとこう、なんかないの!?」
「いや別に。あいつはこういうことするやつだぞ」
「えぇ……?」
困惑する由良。やはりマトモなやつだと思ったのも束の間。
「どれ、もっと見てやろうじゃないか」
打って変わって今度はワクワクとした様子の由良が、実に楽しげにニヤニヤしながらビデオを再生した。切り替えが早いは良いことだ。弱みを探すのは楽しいから仕方がないが、それが俺のだとすると全く状況が変わる。俺はリモコンに手を伸ばした。
パシンと手を叩かれた。それはシキの手だった。実に分かりやすい小さい手だ。
「何をするシキ。俺の手は猫じゃらしではないぞ」
「いやいや。面白そうなことになってるから邪魔しないでおくれよ、阿月よ」
なんと、シキもビデオを見たいらしい。仕方ない、平安時代の鬼には珍しい代物だろうからな。俺は妥協することにした。美世を見れば、どことなくワクワクしているような印象を受けた。
「だが、そんな面白いものではないと思うぞ。つまらない学生時代だったからな」
「いいっていいって。私達にとっては現代のことを知るまたとない機会なんだから」
由良は手を振り言った。そっちが構わなくともこちらが困るんだが、まぁ別にいいか。
俺は諦めて渋々頷いた。テレビを見れば、俺が間抜けな寝顔を晒していた。
「間抜け」
美世が呟いた。俺は「たしかに」と答えた。しかし学生時代の俺は随分と気の抜けた男だった。髪は寝癖なのか、あちこち跳ねている。大口開けて眠る様は、いっそ愛らしく思える程だ。いやそれはないな、あり得ない。大体この腑抜け野郎はいつまで寝ているつもりだ。腹が立った俺は、冷蔵庫からビールを取ってきて飲んだ。その時ついでにシキの分も取ってきたのは、英断だったと後世で語り草に違いない。
「サンキュー」
一丁前に横文字を使う鬼は、麦酒をゴクゴクと飲み干した。もっと味わいたまえと言いたくなったが、俺はその言葉をビールと共に飲み込んだ。貴重な500缶は、ものの数秒でシキの胃に消えた。
「ただいまー」
更に酔いが回り、夜も更けてきた頃に、木島が帰ってきた。俺たちは今、木島探偵事務所に暮らしている。厳密には、その居住スペースに。
家主の帰宅に俺達は大いに盛り上がった。何せ酒が入り、更には話の種もあるのだから、盛り上がらねば無礼というものだ。
「ようよう、家主様のお帰りであらせられるぞー」
俺は空の瓶を掴んだ右手を高く突き上げ、声高に言った。長く生きただけの愚物が、やんややんやと騒ぎ立てた。その無様を、木島は冷ややかな眼差しで見つめている。その目線に負けることなく、俺は宣言した。
「老害ども!酒を持てい!乾杯をする!」
俺の一升瓶を奪い取ろうとシキが掴みかかってきた。
「やかまし小童!音頭は家主様がとるんじゃ!」
「小童だと!?何をいうか、俺はこれでも二十は生きているぞ!」
「くはは、立ったそれだけかいな。儂は千年は下らんぞ?」
ぐぬぬ、と俺は歯噛みした。千年とは、到底敵う相手ではない。そもそもとして、こいつらは百年以上を生きる奴らだということを失念していた俺の敗けだ。
「うるさいな、もう!」
木島が叫んだ。あまりの大きさに、天井が飛んでいってしまった。月明かりが部屋に差し込んだ。静まり返った我々。そんな中、美世が言った。
「おかえり、仁美」
しまった、挨拶を忘れていた。酔いに身を任せ暴れ散らしていた我々は、夜の空気で頭を冷やし、「おかえり」と口々に言った。そして、飛んでいった屋根が戻ると、再び飲み会の熱気が蘇ってきた。
「すまんかった。挨拶を蔑ろにするとは、なんたる無礼か。家主に対する敬意が足りんかった」
俺は頭を下げた。下げた頭を、何故かシキがグリグリと踏みつけた。俺は無性に腹が立ち、勢いよく頭を上げた。シキはそのまま尻餅をついて、「ふぎゃ」と情けない悲鳴を上げた。全く情けない。
「まったく、もっと静かに飲めないの?」
それはまるで反論の余地のない正論であったがために、我々はすっかり黙り込んでしまった。黙ってちびちびと酒を舐めるしかない。
「あぁもう、私も飲む!」
俺の酒瓶をひったくって豪快に飲む木島を見て、俺は感動した。その飲みっぷりたるや、まさに女傑と表現する他ないだろう。
「いよっ、流石は探偵だ」
「探偵関係ある?」
「どうでもよかろう。今夜はとことん飲もうぞ!」
阿呆集まれば祭りが始まる。我々は夜通し酒盛りを続け、俺と木島だけが二日酔いでグロッキーになった。俺はこの世に対するありとあらゆる呪いの言葉をトイレに吐き出した。