時刻は二十三時、呉羽は自室の机に向かってしかめっ面をしていた。彼女の目の前にあるのは、明日提出の宿題であるプリントであった。しかも、呉羽の最も苦手とする教科である国語の宿題だ。
呉羽は国語が大嫌いであった。といっても、本を読むのは好きな方だ。ならば、何故国語が嫌いなのか。それには、とても浅い理由があった。国語の担当教師が己の従姉である石切だからである。
そりゃ、宿題をやらなきゃいけないのは分かる。面倒だけどやらなきゃだめだ。しかし、私が宿題を提出する時の、あいつの顔がムカつく。どうして私の時にだけ、あんなニヤニヤとするのだろう、と呉羽は憤慨した。
一度、その事について怒ったことがある。
呉羽と石切は同居しているのだが、夕飯後のコーヒーを飲んでいる時に、呉羽は「芽々姉、プリント提出した時ニヤニヤするのやめて」と言った。石切はカフェオレに角砂糖を入れつつ、「ごめんごめん、なんか分からないけど、勝手に口角が上がっちゃうんだよね。気を付けるよ」と申し訳なさそうな顔をしていた。呉羽はその顔を見て、なら大丈夫かと怒りを収めたのだ。後日、にやけ面は全く変わらなかったので、呉羽は諦めた。
そしてそれとは無関係に、呉羽は国語という教科、特に古典が苦手であった。古典文学自体には興味がある。しかし、あまりに言葉遣いが違いすぎるので、理解に時間がかかりすぎるのだ。そうして翻訳をしていくうちに始めたころの情熱を失って、面倒になっていく。こうして古典に対する苦手意識が強くなっていくのだ。
「あーもう!めんどい!ムカつく!」
イライラもあってか、行動が少し雑になっていた。集中が切れてしまっている。こうなってはもう駄目だ。
ストレス発散も兼ねて、運動でもしよう。呉羽ひそう考えた。といっても、時間も遅いので外には行かず、部屋の中で出来る簡単な運動だ。
呉羽は、その中でもスクワットを選択した。呉羽はスクワットがそんなに好きな方ではない。が、そもそもとして運動が嫌いな人間なので、特に問題はない。
「1、2、3……」
正しさもへったくれもない姿勢で、どこにも効いていないスクワットをしていた呉羽は、運動をしているという充実感を得ていた。全く効果はないが、しかしストレスの発散にはなったようだ。
「ふぅ、疲れた」
スクワットを終えてスッキリした呉羽は、再び机に向かった。さて続きをやるぞ、と意気込んだ時だった。
机の上に置いてあった缶に手がぶつかってしまった。そして、その缶にはコーヒーが半分ほど入っていた。缶は小さな音を立てて、プリントの上に倒れこんだ。コーヒーがプリントにこぼれていく。
慌てて缶を起こしプリントの救出作業を急いだ呉羽だったが、残念なことにプリントはもうびしょ濡れであった。文字を書くことも出来ない。今から乾かしても、明日には間に合わない。
呉羽は深夜に一人、静かに絶望した。