布を切り裂くような音が止み、辺りがシンと静まり返る。
ヒノエの眼前に横たわる少女の身体からはピクリとも動かなくなった。
「ふぅ……」
大きく息を吐き出し、ヒノエは天井を見上げながらグロスフスMG42をそっと下ろした。
「はっは……なんとも呆気ない……が、なんとも清々しいの」
最初こそ興奮していたものの、今はとても穏やかな気持ちだ。まるで憑きものが落ちたように清々しくもある。
これで満足だ。十分すぎる程に満たされている。
久し振りの感覚だった。
同じ『化物』同士の戦いに勝利した時の充足感は何事にも変え難いものだ。
だからこそ……。
「……」
ヒノエは少し寂しそうな表情を浮かべると、小さく溜め息を吐いた。
「やはり……お主にはわしと同じ側にいて欲しかったな」
もう一度深く息を吐く。それはどこか諦めにも似た感情が込められているような気がした。
これにて終わりだ。
不死川 コトリと種島 ヒノエの戦いはここに決着を迎えた。
そう……『コトリとヒノエの戦い』は決着を迎えたのだ。
刹那、ヒノエの背後から言い様の無い『気配』が現れる。
振り返ると、そこには風紀委員会のコートを靡かせながら立つ少女の姿があった。
「……」
銀色の髪を靡かせながら静かに佇む彼女は、その手に身の丈に合わぬ銃火器を携えていた。
その銃火器こそが『終幕:デストロイヤー』であり、それを所有する人物こそがゲヘナ学園 風紀委員長『空崎 ヒナ』その人であった。
シオンの足止めを喰らい、この場に来るのが遅れてしまったヒナ。しかし、今まさに彼女はこの場に辿り着いたのである。
ヒナは床に倒れ伏すコトリに目をやり、そして彼女の手に握られた風紀委員会の腕章へと視線を向けた。
最後の最後、銃弾に身を晒されて尚、コトリは最後の力を振り絞り、腕章に手を伸ばしていたのだ。
そして、コトリの表情は何処か満足気で、安堵の色さえ浮かべていた。
ヒナはそれを見て静かに目を閉じる。暫しの沈黙の後、ヒナは静かにヒノエの名を呼んだ。その声色には感情らしいものは感じられず、ただ淡々としていた。
感情を表に出すことは無い。
ヒナは静かに目を開き、ヒノエに銃口を向ける。その瞳からは何も読み取ることが出来ない。
しかし、ヒノエは特に臆することなく微笑んだ。寧ろ待ち望んでいたとばかりに嬉々として口を開く。
「はっは……まさか、お主とも銃火を交えられるとは……」
ヒノエは心底愉快そうに笑う。それはまるで狂人のようでありながら何処か儚げにも見えた。
コトリに勝利したとはいえ、ヒノエもまた五体満足ではない。無理矢理元に戻した右肩もそうだが、八咫烏による衝撃でヒノエの身体はボロボロなうえに、グロスフスMG42を弾切れになるまで撃ち切ったことで体力も消耗していた。
万全とは程遠い状態と言ってもいいだろう。
だが、そんなこと関係ないとばかりにヒノエは不敵に笑う。
「さぁ……そこに転がる小娘の仇を討ちたくば好きにするが良い」
挑発的な態度を示すヒノエ。その手には近くに設置していたHGが握られてはいたが、明らかに火力が足らないのは明白である。
鈴懸に仕込んでいたアンカーも取り外している為、奇襲をする為の手札もない。それでもなお余裕そうな笑みを浮かべる彼女には一体どんな考えがあるのだろうか?
それを知る由はない。
だが、ただ一つだけ断言できることがあるとするならば、それはこの戦いの結末だけだろう。
「……そうね。始めましょう」
ヒナが静かに頷くと共に、終幕を告げる音が鳴り響く。
布を切り裂くような轟音。それと共に建物が横一文字に両断され支えを失った建物が音を立てて崩れ始める。
崩れる音が周囲に響き渡るなかで、ヒノエはその光景をただ眺めるだけで微動だにしていない。
ただそこにいるだけで圧倒的存在感を放つヒナを見つめながら微笑むだけだった。
そして……。
「はっは……素晴らしい……」
ヒノエは目の前の景色に感嘆の声を漏らした。
崩れ落ちる建物の中、ヒナは銃を構えたまま静かに佇んでいる。
「なるほど……これが空崎 ヒナ。ゲヘナ学園 風紀委員長……噂に違わぬ実力だと言うことか」
ヒノエが感心したように呟いている間にも建物全体が崩壊していくが、ヒノエは微動だにしない
もう既に勝敗は決しているようだった。
彼女の手から零れ落ちたHGは床を転がっていく。
それと同時に、ヒノエの周囲に設置されていた銃火器全てが破壊され、崩れ落ちていった。
「……」
ヒナは無言のまま銃を下ろす。するとヒノエはその様子を見てクスクス笑い出した。
まるで面白いものを見つけた子どものような無邪気な笑顔を浮かべながら言う。
「はっは。もう終わりか? 呆気ないものじゃ。まさか、何もする事なく負けるとは思わなんだぞ」
揶揄う様に、煽る様に言った。
その口元からは血が溢れ、口の中に錆臭い匂いが広がっている。
咳込むと吐血したが気にせず続けた。
「だが、悲しきかな。お主からはコトリのような気配を感じぬ。つまらぬ……あぁ、つまらぬな。お主からはコトリのような……『化物』のような……けは……ぃ……っ」
その瞬間、ヒノエの身体が揺れる。
糸が切れた絡繰人形のように突然膝をつき、その場に崩れ落ちたのだ。
そして床に突っ伏すとそのまま起き上がることができなくなってしまった。
ヒノエの頭上でヒナが見下ろしている。
彼女の目は冷たく鋭く光り輝いており、その奥底には殺気にも似た感情が宿っているようだった。
「……」
ヒナは無言のままヒノエを見つめていた。
そんなヒナを見上げた瞬間、ヒノエは己の過ちを理解した。
気配を感じない?
なんと愚かな。
空崎 ヒナこそ、コトリという『化物』を遥かに凌駕する『化物』である事に、何故、今の今まで気付かなかったのだろうか?
彼女が纏う雰囲気はまるで別世界の住人であり、触れることすら憚られるような神聖さすら感じさせる存在であった。
そう。まるで。
「はっは……あぁ……なるほ…ど……」
ヒノエはポツリと呟いた。
空崎 ヒナという『化物』。
『人』の皮を被った本物の『化物』を前にして。
「……はっは……こんどは……ぬし……と…………っ」
最後まで言い切ることは叶わず。
ヒノエの意識は暗闇の中に落ちていく。
「……」
ヒナは倒れたヒノエを見下ろしながら銃口を下ろした。
そして静かに息を吐くとヒノエの胸倉を掴んで建物の外へと放り投げると、踵を返し歩き始めた。
瓦礫が崩れ落ちる音が周囲に響き渡る中でコトリに近づくと、しゃがみ込んで彼女の手を握り締める。
その手は温かい。脈拍もあり、ちゃんと生きている証拠だった。
安心したように小さく微笑むとヒナはコトリを抱き抱え、立ち上がると彼女を病院へ運ぶために歩き出すのだった。
崩れ落ちる風紀委員会本部。
粉塵が舞い上がり、視界を遮るが、ヒナは構わず歩いて行く。
コトリとヒノエとの間にどんな遣り取りがあったかは定かではない。
しかし、コトリは最後に自分の意思を貫いたのだ。
ヒナはそれを信じている。
最後の力を振り絞ったであろう彼女の行動は、きっとそういう意味なのだと。
こうして、種島 ヒノエと松永 シオンの両名による事件は幕を下ろすのであった。
今回の事件でゲヘナ自治区の市民と生徒が数百人規模で負傷し、更に風紀委員会に所属する生徒の約7割が負傷。
風紀委員会本部も全壊となり、新しく建物が建つまでは活動拠点を変更する必要があった。
そして、事件を起こした張本人である二人の内、シオンはヴァルキューレに身柄を拘束され矯正局送りとなり、ヒノエは事件後消息を絶つのであった。
そして……。
「……遅かったな。ヒノエ」
「はっは。主人殿、遅くなり申し訳ございませぬ」
「いや、構わぬさ。それで、楽しめたかえ?」
「それはもう」
「ならばよいのじゃが……否、どうやらまだ満足しておらぬようじゃな」
「……主人殿には隠し事など出来ませぬなぁ」
「其方との付き合いが長い故な……それで、ならばこそどうする?」
「……戦場を。新たなる戦場を」
「懲りぬ奴じゃ。しかし、それがヒノエの本質じゃからな。良い。許す。とく許そう。妾は其方の全てを許し、そして認めよう」
「ありがたき幸せ」
「では、行くとしよう。供をせよ。ヒノエ」
「御意のままに」
数日後、シオンもまた矯正局から姿を消すのであった。
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