「貴女は……ヒノエさん。何故此処に?」
突然現れたヒノエに、コトリはレンを背中に隠すよう前に立つ。その様子に、ヒノエは小さく笑みを浮かべた後、両手の掌が見えるように腕を上げた。
「はっは。そう警戒するでない。わしが此処にいるのは湯治の為じゃ。恥ずかしい話、主と空崎 ヒナの両名との戦で身体は未だにボロボロ故な」
湯気のせいで身体を隅々と見る事は叶わないが、ヒノエの言う通り、身体の至る所に傷があるように見える。
というより、タオルを巻いていないので色々と見えてはいけないものも見えてしまう。
「それはそうと……なんでタオルを巻かないんですか?」
「ふむ、湯に入るのにタオルを巻く事自体、わしには理解しかねるがの」
「色々と見えてしまっているのですが」
「はっは。見られて恥ずかしいものなどない」
堂々と胸を張るヒノエ。普段の山伏姿では身体のラインが殆ど分からなかったが、こうして改めて見ると、ヒノエは着痩せするタイプのようだ。
絶壁のコトリに対し、ヒノエは女性特有のラインをはっきりと感じさせる。コトリはそれを見て、『ぐぬぅ……』と小さく唸った後、ヒノエに問いかける。
「それで……その傷の具合は?」
「ふむ……完全に治るには未だ時間が必要じゃな。とはいえ、万全の状態でなくとも、その時の気分次第でどうとでもなるものさね」
ヒノエはコツンと自身の胸を叩き、腰に手を当てる。身体の至る所にコトリとの戦いでついた傷が散見するが、最も目を引くのが胴を絶つように横に伸びた赤いライン。恐らくMGの速射で抉られたのだろう。
傷自体は殆ど塞がっている。それでも十全に動くとなれば、暫くは時間がかかるのだろう。その間は面倒を起こさないと良いが、ヒノエの事だ。また何かしでかすかもしれないとコトリは警戒する。
「はっは、安心せい。暫くは大人しくするつもりじゃ。自衛を除いてはな」
そんなコトリの考えを見透かしたヒノエがくつくつと笑う。その言葉に嘘はない。ただし、自衛であれば正当防衛として暴れる事はやむなしと考えている事から、ゲヘナで湯治している理由は、その手の不良生徒達をリハビリ代わりに相手にしているのだろう。
そして、その点については、本人としては物足りないと不満に感じている事も事実だ。
ヒノエの場合、無差別に襲い、誰でも良かったと言うような質ではない。誰でも良いと言いながら自分より弱そうな相手を選ぶような質でもない。
彼女は人を選ぶ。それも、自分と同等かそれ以上の相手を選び、挑む事を史上の喜びとしている。言わば狂人の部類だ。とはいえ、絡まれたり喧嘩を挑まれれば喜んで買うし、必要とあらば誰かを傷つける事も辞さない所も狂人故のものだろうが。
と、そんな事を考えていると、ヒノエが苦笑を浮かべながらチラリと視線を湯煙の中へと向けた。
「では、そろそろ湯船に浸かりたく思っておるのじゃが、主はどうする? 暫しわしとの語らいに興ずるか?」
「いえ……。私もそろそろ上がろうかと思っていたので」
「そうか、それは残念じゃの。しかし、それも仕方なかろうて。タイミングが悪かったようじゃしな」
タイミングというのは、恐らくもう少し早くに入っていれば一緒に湯船を堪能できたという事だろう。しかし、レンが思いの外はやくに湯にあてられた事もあり、ズレてしまったようだ。
「では、最後にほんの少し時間をいただきたい」
そう言ってヒノエはコトリに身を寄せながら耳元に口を寄せる。そして、ボソボソと数字を呟いたと思ったら、それが彼女の携帯番号だと気付くのにさほど時間はかからなかった。
「……何故?」
「なに、折角こうして知り合えたのじゃ。一期一会の関係ならばそれまでじゃが、こうして再び会う事が出来た。出会いとは、巡り合わせとは、大切にするものじゃよ」
そう言ってニヤリと笑みを浮かべるヒノエ。その態度からはいつかまた遣り合おうという意思が込められている事に、コトリはほとほと呆れ果ててしまう。
「私は嫌ですよ。貴女と戦うのは。疲れるので」
「ふふっ、そうかそうか。その程度の認識であれば問題なさそうじゃな」
何をどう捉えたのか知らないが、満足したのかヒノエはコトリから離れる。すると、カタカタと蜘蛛の形を模した絡繰人形がヒノエに近付き、彼女の腕に絡みつく。ヒナから話を聞いていたが、あれはヒナを襲ったシオンという絡繰演舞の部長の人形だろう。
人形を暫し見つめた後、ヒノエが再びフフッと笑う。
「コトリ殿、今すぐ上に上がる事をお勧めするぞ」
「その心は?」
「風紀委員長殿が文字通り羽を伸ばして寛いでおる」
「レンちゃん今すぐ登りますよ!! ヒナ委員長が羽を伸ばしているとかラッキードスケベイベント案件じゃないですか!!!!」
「羽って、コトリも伸ばしてたじゃ……」
「羽の種類が違うんです!! ヒナ委員長が羽を伸ばすだなんて、最悪何人か鼻から出血多量で死ぬかもですがその人生に一生の悔いなし案件なんです!!」
レンを小脇に抱え、階段をかけるコトリ。その姿を横目に、ヒノエは脇に抱えられたレンに視線を送り、フッと笑みを浮かべ、そして湯船に足先からゆっくりと浸かっていく。
不思議な感覚だ。ヒノム火山に来たのは本当に偶然だった。そして、コトリやヒナの訓練を遠目に観察していたが、今回の訓練で、コトリは一皮も二皮も剥けて育ってくれた。いい傾向だ。再び挑戦者として挑むに値する程に。
「しかし、あのちっこいの。中々に……はっは、中々に見事なものじゃった。あの年であそこまで練り上げたのは、素直に感心させられる」
ヒノエがレンに抱いた印象。それは『異常』だ。それも、あんな小さな子供に抱くにはえらく物騒な形容だ。
「なら何故あれだけの力を制御出来るのじゃ? アレはある意味『呪い』のようなものじゃろうて」
コトリもヒナと相対していた際もその片鱗をのぞかせていたが、レンの場合、それが常に垂れ流しの状態だった。あれは、溢れているのだろう。本人の意思に関係なく、常に溢れ出してしまう類いの力が、レンの内に内包されている。
それ故に、惜しいとも思った。
力に恵まれていながら、レン自身はクソ雑魚というのが本当に惜しい。
そう思いながら、ヒノエは湯船に肩まで浸かりながら『ほぅっ』と息を吐くのであった。
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