タキオン先生 作:カチャンコカチロホ
「「「「「はあっ!?」」」」」
連日の猛暑対策で点けられたクーラーによって冷やされたはずの空気が、相変わらずに差し込む西日でぬるま湯の様になる中、クラスの友人達の驚嘆の声が薄い窓ガラスを突き破って、二年の廊下を走り渡ったのだった。
「しっ!」
その絶叫に、僕は咄嗟に人差し指を口に当てる。
「落ち着いて。もしかしたら"先生"に聞こえちゃうかもしれないだろ」
「いや、落ち着けるわけないだろ」
けれど、僕の注意にも即座にそんな言葉が返ってきて、他の皆も同意する様に頷いている。……まあ、僕も同じ状況だったら絶叫する自信はあるけどさ。
「誰だって驚くぜ? タキオン先生の着替えが撮れたなんて」
そんな、僕の内心を裏付けるように友人の一人が口にした言葉。その視線はといえば、僕の手元にある一枚の薄っぺらい紙片。白いインスタントフィルムへと注がれていたのだった。
―――
――
―
八月も終わりが近付き、テレビから流れてくる"真夏日"という言葉の頻度が心持ち減ったような気がしないでもないこの日、僕は来月に迫った文化祭の装飾で使う、校内写真を撮るためにインスタントカメラを抱えて、えっちらおっちらと校内を歩き回っていたのだった。
とはいえ、そこまで足取りが軽かったかというとそうでもない。何せ多少マシになっただけで茹るような暑さは相変わらずだったし、撮影のために学校から貸し出されたインスタントカメラはといえば、これ自体が骨董品じみた鈍器のような代物だったのだから。
だらだらと流れる汗と、首に掛けた紐の重みでだんだん凝ってきた肩の痛みに、急降下するテンションの中、それでもようやく複数枚の写真を片手に、日陰となっていた裏庭へと辿り着いたのだった。
直射日光が途絶え、心持ちひんやりとした空気の中で一息つくと、少しだけやる気も戻ってきた僕は、ついでにとカメラを構えて裏庭から見える校舎の撮影を始めたのだった。
と、しばらくそんな作業を続けていると、不意に校舎内の一室に白い人影が入ってきたのだった。
(あ、タキオン先生だ)
その見慣れた姿に、僕は思わずそう呟いた。
タキオン先生。本名アグネスタキオン。
今年の春から臨時講師として赴任してきた、どこかミステリアスな雰囲気の美ウマ娘の先生が、あのトゥインクル・シリーズで活躍した三冠ウマ娘その人であると知ったときの学校中の反応は今でも克明に思い出せるぐらいの大ニュースだった。
正直、そんな人がどうしてなんて話もあったけれど、
―ああ、それかい? なに、最近ようやく子供達も手が掛からなくなってきてね。少し暇になったものだから、近所でパートを探していたらたまたまここが見つかったんだよ―
鮮やかな手つきで薬品を混ぜ合わせながら、事も無げに言って肩を竦めたタキオン先生の言葉に、その質問をしたクラスメイトのウマ娘は呆れとも感心ともつかない表情で「はー」と目を丸くしたのだった。
そんな先生は普段は子供を迎えに行くためか、放課後になると黒のミニバンで学校の裏口から出ていく姿が見られる。
ただ、普段はそうして早めに学校を出るタキオン先生は、時々気が向くと科学部の部室に顔を見せることがあるらしく、どうやら今日は貴重な気まぐれを起こした日だったようだ。
「……え?」
と、そんなことを考えながらしばらく裏庭の写真を撮っていると、不意にある光景が僕の目の前に飛び込んできたのだった。
薄暗い影の中でも映える、皮膚の薄そうな白い肌
埃っぽい室内でゆったりと揺れる、茶色のしっぽ
そして、白い肌の上にぴっちりと貼りついた紫色の下着
一瞬、何が起きたのか分からず硬直する僕の前で、誰かに見られているとは毛ほども思っていない様子のタキオン先生は慣れた様子で黒いタイツからむちりとした足を引き抜いたのだった。
(あ、汚れ……)
そして、持ち上げられた白衣にべっとりと付いた茶色い染みに、どうやら科学部の実験で汚れた服を着替えようとしていたらしいことを察する。が、そんな事実は今の僕にとっては些末どころか塵ほども意味をなさない情報だった。
何せ、そんな布切れから少し視線をずらした先には、レース状の紫の薄布一枚に包まれたタキオン先生の裸があるのだから。
タキオン先生の肉付きは、先生が赴任してきたその日のうちに、学校中で噂になるほどだった。
何せ、白衣を上から羽織ると、前裾部分が明らかに身体を離れてぷかぷかと浮いているのだ。或いは生徒が質問する都度に先生が身を乗り出してくると、縦目のセーターに包まれた胸元がゆったりと目の前で揺れるほど。おかげで、先生が赴任してきて以降、理科の時間だけは生徒の質問が二倍に増えたなんて噂もあるくらいだ。もっとも、そんな分かりやすい男子生徒達の反応に気付いているのかいないのか、タキオン先生本人はいつものミステリアスな微笑を浮かべるだけで、それ以上何かを追求してくることは一度も無かったのだった。
そんな、ゆったりとした服の上からでも分かる豊かな体型をしたタキオン先生の裸は、僕の、或いは他の同級生の想像以上。いや、時々親にばれないように視聴するエッチなサイトの女の人なんかよりも遥かに綺麗で、何よりむっちりとしていてエッチだった。
薄いレースの端が、ぴたりと肌に吸い付いて微かに食い込むのも気にせず、タキオン先生は変えの服を探すつもりなのか、ごそごそと愛用のリュックサックに手を入れていた。と、
パシャリ
そんなタキオン先生の後ろ姿に僕が思わず身を乗り出した瞬間、裏庭の中をそんな軽い音がやけに大きく響いたのだった。
「え?」
思わず手元を見下ろすと、古いインスタントカメラの前でビーッと吐き出される真っ白な四角いフィルムの姿があった。
(あ、シャッター)
突然の光景に、思わず手を握りしめたせいで、知らず知らずのうちに僕はシャッターのボタンを押し込んでしまっていたらしい。ペッと手に零れ落ちた小さな紙片をどこか他人事の様に感じながらも、僕は思わずその小さなインスタントフィルムから目を離せないでいた。
ジワリと端から色を帯びる暗い理科準備室。そして、その中心で浮かぶ白い影。思わず生唾を飲み込む僕の耳に、不意に「ん?」という声が届いた。
咄嗟にバッと顔を上げると、リュックサックから着替えを出したタキオン先生が後ろを振り返る雰囲気を見せているのが目に映った。
「!」
その姿に、僕は思わずその場から駆け出していた。旧式のインスタントカメラの重みもこの瞬間は気にならず、僕はウマ娘にでもなったかのように、裏庭から逃げ出したのだった。
―
――
―――
そうして、今に至る。
一通り僕の話を聞いたクラスメイト達は興奮した様子で口々に「やべーやべー」と呟いていた。
何せ、タキオン先生は学校どころか全国に名を轟かせる美人だ。三冠路線のころから歌にダンスと国民的アイドルの一人と言っても良い。
しかも、引退した今はといえば、肉付きもよくなって、こう……おっぱいもすごい大きいのだ。
そんなタキオン先生の着替え姿が納められたフィルムなんて、男なら見ずにはいられないだろう。
僕もさっきの光景を反芻しながら、浮かび上がってくる写真から目が離せないでいる。そうして、男子数人でちっぽけなインスタントフィルムをもどかしい思いで凝視していると、とうとうその中に納められた小さな光景が克明に浮かび上がったのだった。
それは、一言で言えばエロスの化身だった
遠目からでも分かる白い肌に浮かぶ、わずかに差し込んだ陽の光を反射して、しっとりとした艶めいた質感は、理科準備室の暗闇とのコントラストにより、よりくっきりと克明に姿を映し出している。
どこか気だるげで、それでいて悪戯っぽいミステリアスな流し目は、なんていうか同級生からは感じられない色気みたいなものを感じる。
そして、均整が取れていながらも、現役時代の写真に比べてむっちりとした肉感は、少し小さめの下着に食い込まれて、きゅっと微かに搾りだされているようで、なんて言うかこう……ただただエッチだった。
「でっか……」
仲間の誰かの声に、誰ともなしに僕達は頷く。
「これ、三桁とかあったりすんのか?」
たっぷりとブラジャーを満たしながら、今にも溢れ出しそうな先生の胸元を指さして、別の誰かがそう言う。
「おや、そんな数字が気になるのかい?」
「当たり前だろ?」
僕の隣の友人が勢い込んで頷いた。
……ん?
「なるほど。実に興味深いフェチズムだ。文章において実際の数字が具体化するということはあるが、どうやら視覚的情報を十分に得ながらも、情報がさらに興奮を掻き立てる場合があるということか。これは初めての発見だ。何せ、彼はどちらかといえば"実測"の方が好きだったからねえ」
聞き慣れた、或いは今だけは聞きたくなかった声がペラペラと鼓膜を打っていることにようやく気付いた僕達は全身の血の気が引くのを感じながら顔を上げたのだった。
振り返ると、そこにはニヤニヤと心底愉快気に微笑を浮かべるタキオン先生の姿があったのだった。
「な、なんで?」
「さて?」
意味ありげに首を傾げるタキオン先生。教室と廊下の間の窓から身を乗り出していたせいか、その仕草に合わせて、先生の大きな胸元がゆったりと揺れた。
その光景に思わず目を奪われる僕達の前で、白衣に包まれた先生の手が伸びて、ひょいっと僕の手から小さなフィルムを取り上げた。
「しかし、学校にあった旧式の備品ずいぶんと綺麗に撮れたものだねえ。光の差し込み具合か、焦点の関係か。方角と角度を考えると……」
そして、取り上げた写真を矯めつ眇めつしながら、考え込むように何かをぶつぶつと呟き始める。そして、一頻り首を捻っていたタキオン先生はやがて納得がいったようにうんうんと頷いた。
そんな先生の様子を茫然と見つめる僕達の視線に、ようやく気付いた様子のタキオン先生が写真をひらひらと振りながら、クスリと小さく笑みを漏らす。
「まさか、こんな写真をわざわざ見たいなんて子供が居るとは。流石に四人も産んだし、肌の露出がサービスになる年齢はとうに過ぎたと思っていたんだけどねえ」
「来年になれば三十の立派なおばさんだ」と付け足して、先生はくっくっくと含み笑いをする。
「ま、こういうのは特定のパートナーとだけにしておくことだ。一応"先生"として忠告しておこう。私はすでに売却済みなのでねえ」
タキオン先生の言葉に、僕達は「うっ……」と呻いて小さくなる。
それでも悲しい男の性か、隣の友人が思わずといった風に目の前で揺れるタキオン先生の胸元にちらりと視線を向ける。その視線を受けた瞬間、タキオン先生の口端がニヤーッと持ち上げられた。
「"これ"がお望みなら、君自身も精進をすることだ。もっとも、彼と争うには今一歩努力が必要といったところだろうねえ」
そんな言葉と共に注がれたどこか虚ろなタキオン先生の視線が、僕達のズボンのファスナーの上を舐めるように撫で上げたのに気付いて、皆思わず前かがみになってしまう。
と、その情けない光景が、不意に鳴り響いた無機質なアラーム音によって途切れさせられた。見ると、その音の源らしいスマートフォンを白衣から取り出したタキオン先生が液晶画面を見つめながら「おっと、いけない。迎えの時間だ」と呟いて画面をタップしている。
「それでは私はこれで。文化祭の準備。頑張り給え」
そう言って、一瞬前の空気が嘘の様に、あっさりとこの場を後にするタキオン先生。徐々に小さくなる先生の後ろ姿を、僕達はただの陽炎の様に感じながらいつまでも座り尽していたのだった。
―しかし、こんな年から熟女好きの人妻趣味に目覚めてしまうとは、中々難儀だねえ―
最後に聞こえた言葉は、本当に先生が口にしたのかも分からなかった。
―後日談―
そんな、夢とも現実ともつかない出来事があった数日後のこと。
「ええ、臨時講師でしたタキオン先生ですが産休に入られるということで、そのままご退職されることが決まりました」
突如開かれた全校集会での校長先生の説明だけを残して、タキオン先生はまるで嘘の様にミステリアスな先生のまま、僕達の前から姿を消したのだった。