外界から閉ざされた砂漠国家「ネフカ王国」。
その国の民はモンスターワールドの存在を古来から知り、信仰心の強い一部の者は、その異世界を生身で見通すことができるという。
地球に向かっている「悪星神」と呼ばれる隕石型モンスターを打ち破る方法を探すため、なんでも屋Nextの4人と、ニーズヘッグCEOオスカー、デュエリア政府のアリシアはこの地へ降り立った。
神官「ムルシド」の手引きにより彼らが出会ったのは、金縁の眼鏡をかけ大きな古文書を抱きかかえる「トト」という少女だった。しかし彼女は禁忌に触れたことで、暴君「アスラナク」に命を狙われていた。
アスラナクは絶対派と呼ばれる過激思想を持ち、モンスターを人間よりも上位の存在であると考えている。そのため、モンスターワールドの神である悪星神に立ち向かおうとするデュエリアには協力しない可能性が高い。世界を救う方法を探すためには、アスラナクを倒さなければならないと遊次たちは考え始める。しかしアリシアは国際問題になることを恐れ、まずはアスラナクとの謁見を目指すことに。
しかしそんな中、突如としてネフカ王国の兵士達が談話室へと突入。トトを匿っていた罪でムルシドは捕らえられてしまう。遊次達はトトを抱え地下道から逃げ出すも、兵士はその後を追う。逃げきれないと判断したイーサンは一人身を翻し、兵士の現場指揮権を持つアザン軍副指揮官「セヘジュ」と対峙。一時はピンチに陥るも、相手の動きを無意識下でコントロールし、見事勝利を収める。それにより、軍は一時的ではあるが機能を停止し、遊次達を追うことができなくなったのだった。
陽の届かない路地裏には、肌にまとわりつくような湿気と淀んだ空気が満ちていた。イーサンは鋭い視線で周囲の気配を警戒しながら、薄暗い道を足早に駆け抜けていく。視線の先には市場が広がっている。軍が遊次たちを追って動き回った余波が残っており、人々の間に渦巻く混乱は未だ収まる気配がない。
ふと、前方の建物の角から影が覗いた。遊次だ。イーサンはすぐさま彼のもとへと駆け寄る。
「イーサン!灯たちが待ってる。とりあえず市場から離れよう」
イーサンは頷くと、遊次の先導に従って市場の喧騒の中へと足を踏み入れた。
「遊次、イーサン!」
雑踏の向こうから駆けてくる遊次とイーサンを見つけ、灯が手を振った。その傍らには、オスカーの黒いロングコートを頭から被ったトトが身を寄せている。合流するなり、遊次は焦った様子で周囲を見回した。ただでさえ外国人の容姿は人目を惹くうえに、つい先ほどまで兵士の追っ手を撒いてきたばかりだ。彼は声を押し殺して告げる。
「ここに長居はできねえ。とにかく市場を出ようぜ」
「それは賛成だが…一度どこかに身を隠さないと話し合いもできないぞ」
イーサンの言葉に、灯の隣から黒いコートが押し上げられ、トトが少しだけ顔を覗かせた。
「私、ギルドがどこにあるか、なんとなくは聞いています。ですが詳しい場所はわからないのです。とにかく、ギルドの方へ向かってみませんか?仲間がいるかもしれません」
その提案に、怜央が疑問を口にする。
「ムルシドも言ってたが、そのギルドってのは何だ?それと仲間ってのは?」
「話は後だ。まずはここを離れるぞ」
アリシアは周囲へ鋭い視線を送ると、市場の奥へと走り出した。一同も遅れまいと彼女の背中を追う。
王国の中心に鎮座する、ネフカ王宮。巨大な砂岩で築かれたその姿は、青や金の装飾が施された丸屋根といくつもの尖塔が重なり合い、圧倒的な存在感を放っている。アーチ状の正門へと続く大階段の下には、幾何学模様の描かれた広大な広場が広がっていた。赤黒い紋章旗が風にはためく中、武装した兵士たちが等間隔に立ち並び、厳重な警戒を敷いている。しかしその威容とは裏腹に、外壁のあちこちには深いひび割れが走っていた。崩落した箇所には別の石材が不格好に埋め込まれており、痛々しい継ぎ接ぎの跡が無数に残されている。
そして王宮の深奥、巨大な石造りの謁見の間は重苦しい静寂に支配されていた。両側には古代の彫像が刻まれた太い円柱が立ち並び、壁際の炎が影を揺らしている。広間の中央には複雑な幾何学模様の石畳を囲むように七つの重厚な石椅子が置かれている。
円形に並んだ椅子のうち六つに、深い褐色の肌の者たちが座している。
黒と鈍色の重装甲に身を包む屈強な壮年の戦士は、高く結い上げた黒髪と立派な髭を蓄え、腕を組んで静かに目を閉じている。
真紅の法衣を纏うスキンヘッドの男は、額に赤い紋様を刻み、不敵な笑みを浮かべて赤いあご髭を撫でている。
紫の鎧を着た薄桃色の髪の老婆は、顔の皺を深く歪めて狂気じみた笑みを漏らす。
鋭く逆立った黒髪の青年は、血気盛んな赤い目を剥き出しにしている。
結晶の装甲を纏う若い男は、蒼いメッシュの入った濃紺の髪で片目を隠し、静かに前方を見据えている。
そして純白の鎧を着た赤銅色の髪の若い女は、口をぽかんと開けて完全に眠りこけている。
円座を成す椅子に囲まれるようにして、謁見の間の中央では、老神官「ムルシド」が太い縄で腕を戒められたまま、床に膝をつかされていた。
謁見の間の最奥、ピラミッドを思わせる巨大な台座の頂上には、一つの玉座が据えられている。そこに深く腰を下ろす豪奢な黄金の鎧の男は、底冷えのする真紅の瞳を向け、眼下のムルシドを冷酷に見下ろしていた。
この場に集うのは、国王アスラナク・バルネフェルと、
「七使徒」と呼ばれる7人の指揮官たちである。
縛られたムルシドのすぐ前には、さらにもう一つの影が立ちはだかっている。男はわざとらしく眉を上げ、薄い笑みを浮かべながらムルシドを見下ろす。
「ショックだよムルシドさん。アンタが裏切り者だったなんてな」
七使徒の一人、シャユト・ウサイ。
褐色の肌と彫りの深い顔立ちには、年若き青年の不敵さが色濃く残っている。頭の高い位置で一房に束ねた紺青の髪が背へと流れ、耳元で揺れる菱形の金飾りが沈黙の中で鋭い光を放つ。首元を彩るターコイズブルーと金の装飾襟、そして全身を包む重厚な黄金の輝きが、若々しくも不遜な威圧感をいっそう重々しく際立たせている。
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「まさかトト・ミポットをあなたが匿っていたとはね。どうりで民家を虱潰しに調べても見つからないわけだよ」
シャユトに言葉を続けたのは、ナイール・エルセベキ。同じく「七使徒」の一人だ。
深い褐色の肌を持つ年若き男は、水色のメッシュが走る濃紺の前髪で右目を隠し、その隙間から鋭い青眼を覗かせる。身に纏うのは、随所に蒼い結晶が鋭く突き出す重厚な黒鎧。穏やかな低い声と柔らかな物腰の奥には、すべてを悟ったかのような冷ややかな達観が滲む。
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跪くムルシドの周囲を、シャユトは獲物を追い詰めるようにゆっくりと歩き出した。一歩踏み出すたびに、高く括られた紺青の髪が背で静かに揺れる。その鋭い眼光を向けたまま、嘲弄を込めて問いを投げかけた。
「自分の家族を異端者として告発しておいて、アンタ自身も異端者だったとはな。じゃあ何か?わざわざ家族を捨てて王宮に残る道を選んだのか?」
跪くムルシドは、石畳に顔を向けたままピクリとも動かず、口を閉ざし続けている。その沈黙を破るように、背後から音もなく伸びた手が、彼の細い白髪を無造作に掴み上げた。
「オイ…。黙ってちゃわかんねェだろうが…。あァ…?」
頭を乱暴に引き戻されたムルシドの目の前に、一人の男が腰を落として顔を近づける。
七使徒、ジテンドラ・ジェイン。
荒々しく逆立った漆黒の髪と、剥き出しの赤い瞳。強い凶暴性を滲ませる顔立ちには、まだ年若き青年のあどけなさが色濃く残る。深い褐色の首元には禍々しい赤い紋様が刻まれ、それを囲むように鋭い棘を持つ重厚な漆黒のプレートアーマーを纏っている。響くドスの効いた声が、その姿と相まって重々しい威圧感を放つ。
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ジテンドラの剥き出しの暴力に、ムルシドは苦悶に顔を歪めた。それでもなお彼に口を開く気配はない。ジテンドラの苛立ちは頂点に達し、その紅蓮の双眸をさらに狂暴に剥き出しにするが、石椅子の一つから届いた柔らかな声がそれを制した。
「やめておきなさい、ジテンドラ。ご老体は労らねば」
七使徒、ガネシュ・シン。
スキンヘッドの頭頂部には炎のごとき紅い紋様を刻み、褐色の肌に鋭く長い赤髭を蓄えている。複雑な金の模様が織り込まれた鮮やかな赤のローブを纏い、首元では大きな赤い宝石が光を放つ。温和な微笑を浮かべる佇まいには深い知性が滲み、髭が際立たせる老獪な顔つきが、落ち着き払った重厚さを湛える。
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ガネシュは穏やかな声色で言葉を紡ぎ続ける。
「ムルシドさんは前国王と親交が深かった。きっと腹の中は彼と同じ、生温い中立思想なのでしょう。ですが…大切な人を自ら死地に追いやるというのは、相当な苦しみを伴います。生半可な覚悟でできることではない。だからこそ、あなたを信頼していたのですが…ね」
苦い過去を反芻するかのように、ガネシュはふっと目を細めた。その表情に、シャユトは何度か深く頷いた後に言葉を返す。
「そうか、ガネシュ先生も親友を密告して七使徒にのし上がった身。ムルシドさんの苦しみも人一倍わかるってわけだ」
「オイ…んなこたァいいからよォ…。とっととこのクソ裏切りジジイをブッ殺させろ…」
ジテンドラの剥き出しの殺意を横目に、シャユトは上方の玉座へと視線を移す。
「どうします?アスラナク様。ムルシドさんの処遇は」
シャユトの視線の先。ピラミッド型の巨大な玉座に鎮座するその男の輪郭が、広間にゆらめく無数の炎によって鮮明に浮かび上がる。
深く焼けた褐色の肌。見下ろすような真紅の双眸が苛烈な覇気を放つ。額には紅い宝石を抱く黄金の冠を戴き、そこから溢れる長い金髪が背後で炎のように鮮やかに広がる。耳元で揺れる金の雫飾りが、不遜な表情をより冷徹に縁取る。首から胸元にかけては幾層もの黄金のプレートが重なり、その表面を無数の太い金鎖が這う。両肩の装甲から天へと鋭く突き出す棘が炎の光を乱反射させ、玉座に座す若き男の威容をいっそう際立たせる。
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「我を欺くとは…随分大きく出たな、ムルシド」
凛とした声が謁見の間に響き、場に控えた七使徒たちの顔が一斉に玉座へと向けられた。神官の裏切りを前にしてもなお、王の表情には揺るぎない余裕が漂っている。その静かな落ち着きが、かえって逃げ場のない恐怖となって広間を支配した。ムルシドは無言のまま、冷徹な双眸を湛えたアスラナクを見上げ続ける。
「家族を自ら差し出すのは、さぞ苦しかったであろう。だが案ずるな。其方も同じ場所へ送ってやる」
まるで日常の会話を交わすような淡々とした口調で、死の宣告が紡がれた。しかし、ムルシドの瞳にはすでに微塵の迷いもない。王を真っ向から睨み据え、彼は決然と言い放った。
「私が死んでも革命の火は消えぬ。もうすでに戦いは始まっているのだ」
その言葉が終わるが早いか、ジテンドラの赤い瞳が鋭く剥かれた。反射的に放たれた一蹴がムルシドの顔面を真正面から捉える。衝撃に顔を歪めたムルシドは、縛られた不自由な体のまま、床の上を不格好に転がった。
「ではアスラナク様、ムルシドさんは処刑…ということで?」
床を転がるムルシドを横目に、シャユトが玉座へ問いかける。絶対者に対するそのあまりにも軽い口調に、場に控える使徒たちの間に一瞬、張り詰めた空気が流れた。
「待て」
アスラナクの短い一言が発せられ、広間に完全な静寂が落ちる。玉座から見下ろす王は、ゆっくりと口角を上げた。
「骨を捨てるのは肉を喰らい尽くしてからだ。其奴にはまだ、たんまりと肉がついているぞ」
アスラナクの言葉に、ジテンドラは首を捻る。床に転がるムルシドを見下ろすと、しゃがみ込んでその顔に手を伸ばし、皺の寄った頬の皮を乱暴に引っ張り上げた。
「肉…?皮しか付いてませんぜ、このジジイには」
「ヒッヒッヒ…。相変わらずおバカで可愛いねぇ、ジテンドラ。例え話もわからないなんて」
謁見の間の暗がりから、しわがれた女の声が響き渡った。
声の主は、七使徒「サルマディ・カトゥーン」。
深く皺の刻まれた、しぼんだ褐色の肌を持つ老女。裂けたような口元に浮かぶ狂気の笑みと、爛々と輝く黄色い瞳には、老いを感じさせぬ邪悪な活力が宿る。不気味な相貌の周囲では、波打つ薄桃色の髪が揺らめいている。纏うのは、禍々しい紫色のプレートアーマー。黄金の装飾が複雑に這い回る装甲からは鋭い棘が突き出し、その上には重厚なケープを羽織っている。
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「んだよババア…。じゃあどういう意味だァ?」
ジテンドラは顔をしかめ、苛立ちを隠そうともせずにサルマディを睨みつける。
「ムルシドからは聞き出さなきゃならない情報があるでしょう。コイツが何の罪で捕まってると思ってるのかしら?」
答えを自ら導き出させるようなサルマディの問いかけ。それを聞いたジテンドラは床のムルシドを見下ろし、本来の目的を思い出す。
「あァ…あの"ガキ"か…」
するとこれまで静観していたナイールが、メッシュの入った紺青の長い前髪を指でかきあげる。呆れたように息を吐き出すと、自身の左側に位置する椅子へと視線を向けた。
「そもそも、なぜ本命のトト・ミポットを捕らえられていないのかな。まあおおよそは聞いてるけど。改めて教えてもらいたいね、アザン」
ナイールの視線を受けたのは七使徒「アザン・ヤダフ」。
歳月を重ねた精悍な面構えの男。顎に黒い髭を蓄え、青い双眸を静かに光らせている。額を露わにして黒髪を後頭部で高く結い上げ、黄金の装飾が施された黒鋼の重鎧を纏う。胸元には、大きな金のペンダントを下げている。
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アザンは立ち上がると玉座へと体を向け、低い声で淡々と言葉を紡ぎ始める。
「ムルシド殿を捕えたのは我がアザン軍の兵士です。ムルシド殿は王宮管轄区域の裏路地に存在していた石造りの部屋に、トト・ミポットを匿っていました。かねてよりあの区域にムルシド殿が頻繁に出入りしていることは副指揮官から報告が上がっており、何やら怪しい動きをしていることは掴んでいました。そして此度の突入により、禁忌を知る少女を匿っていたことが発覚しました」
「聞きたいのはその先だぜ」
シャユトが鋭く口を挟むと、アザンはわずかに目を細め、言葉を継いだ。
「わかっておる。突入した石造りの部屋には、ムルシド殿とトトの他に、デュエリアからの使節6名がいました。そして彼らがトトを連れ去り、床板から地下道へと脱出。今もなお行方を追っています」
「…だから僕は反対だったんだよ。異人を招いても良いことなんて何もない」
ナイールが低くぼやき、大きく息を吐き出した直後、頭上から鋭い声が降ってきた。
「ほぉ、我の決定が不服か?」
ナイールは目を見張り、頭上を仰ぐ。そこには、王の冷ややかな赤い瞳が彼を真っ直ぐに見下ろしていた。
「……いえ、そういうわけでは…」
ナイールは顔を伏せ、言葉を呑み込む。その張り詰めた空気を和らげるように、ガネシュが赤い顎髭を撫でながら穏やかな声を発した。
「王宮内に裏切者がいて異人達を手引きしたこと、その者達が少女を連れ去ったこと…どれも予想しようのないことです。大切なのは過去を悔いることではなく、これからどうするか、でしょう」
「どうするもこうするもないでしょう?まとめて捕まえてしまえばいいだけの話じゃない。問題は、なんでこんなに手こずってるのか。アザン、説明してちょうだい」
サルマディの言葉を受け、アザンは頭上の玉座を見上げて口を開く。
「おそらくトトが異人に隠れる場所を共有し、どこかに身を潜めているのでしょう。しかし大方の見当はついており、捕まるのも時間の問題です。ただし、一つイレギュラーがありました。異人の一人が副指揮官に対して"強制オースデュエル"を発動したのです」
「強制オースデュエル?そいつは軍人か何かか?」
シャユトがすかさず問い返す。
アザンは腕を組み、考え込むようにわずかに視線を落とす。強制オースデュエルは国連に認可を受けた正式な軍隊や警察組織のみ持つことを許される権限だ。ただしネフカ王国のように外界との関わりのない国の軍隊はその権限を有さない。
「詳細は不明だが…政府に帯同している以上、軍人だとしてもおかしくはないだろうな。副指揮官は今もなお、異人の一人と交戦中です。他の兵はすぐに異人を追ったため契約内容まではわかりませんが、おそらく我が兵を撒くことが目的かと」
アザンは姿勢を正すと、淀みない声を広間に響かせた。
「しかし問題はありません。あのセヘジュが異人に敗北するなど、万に一つも…」
すると激しく重々しいノックの音が、その言葉を遮る。使徒たちの視線が、一斉に広間の入り口へと向けられた。
「入れ」
シャユトが短く命じると、扉が開かれ、数名の兵士が足早に駆け込んでくる。そしてその背後から、黒い鎧の男がよろめきながら姿を現した。薄緑色の髪を乱し、うつむいたまま重い足取りで歩みを進める。イーサンと交戦していたはずのアザン軍副指揮官だ。
「セヘジュ…!」
アザンが息を呑む。力なくうなだれる部下の姿が、あり得ない結末を如実に物語っていた。突きつけられた現実に、アザンは強く唇を噛み締める。
「どうした?」
シャユトの声が飛ぶ。だが、兵士達は誰一人として答えることができない。眼前に並ぶ七使徒と、玉座から見下ろす王。その場を支配する圧倒的な重圧に呑まれ、ただ口を引き結んで立ち尽くしている。
やがて耐えきれなくなった兵士達は、次々と背後のセヘジュへと視線を向けた。無言の助けを求められたセヘジュは、ゆっくりと瞬きをする。そして覚悟を決めたように床へ両膝をつくと、そのまま勢いよく額を打ち付けた。
「申し訳ございませんッ!!トト・ミポットと異人6名を…取り逃しました…ッ!!」
未だ眠りこけている一名を除き、七使徒が立つ空間に一様に殺気が満ちる。玉座のアスラナクは肘をつき、ただ無言で口を結んでいた。
その重々しい空気の中、アザンが目を見開き、眼下の部下を見据えて問いかける。
「お前が負けたというのか、異人に…!」
「…申し訳ございません、アザン指揮官ッ…!我が軍は異人の提示した契約により、奴らを追う事が出来ず…!」
床に額をついたまま声を張り上げるセヘジュ。その姿を横目に、シャユトが半笑いでアザンへと顔を向けた。
「どうやら、万に一つが起きたみたいだな?」
アザンは言葉を返すことができず、ただ拳を強く握りしめる。すると重苦しい静寂の中、気の抜けた欠伸の声が切り裂いた。
「ふぁあ…」
「あら。ようやくお目覚めかい、ムウミン」
サルマディは、王と幹部が一堂に会する広間であるにも関わらず、欠伸と共に目を覚ましたその声の主へと視線を向ける。
七使徒の末席、ムウミン・カウル。
七使徒の中でもひと際若い女幹部だ。
褐色の肌。広い額に下がり気味の細い眉、長い睫毛に縁取られた半開きの目からは暗い瞳が覗く。左目の下には小さな黒子が一つ。首の付け根ほどの長さの赤銅色の髪は、毛先が幾重にも外側へと跳ねている。ふっくらとした唇は、微睡みの中で大きく開いている。纏う白い甲冑は表面が滑らかで、両肩や胸元の装甲板の縁には、分厚い金の装飾が施されている。
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殺気立つ使徒たちが並ぶ広間。誰一人として隣で眠る少女を咎めることはなく、当然のこととして時間は流れていく。サルマディは、ようやく身じろぎを始めたムウミンへと顔を向けた。
「状況はわかってるのかい?」
ムウミンは舌足らずな口調でゆっくりと言葉を返す。
「うん…。夢で見てたから…。ふぁあ…」
止まらない欠伸を眺め、サルマディは可笑しそうに呆れた笑みを浮かべた。
「ヒッヒッヒ…。相変わらず便利な体してるねぇ」
ジテンドラは、目を覚ましたムウミンには目もくれない。額を床に擦りつけるセヘジュの前へと腰を下ろした。
「オイ…このボンクラの始末はどうつけんだ…?とりあえず処刑でいいよなァ…?」
逆立った黒髪と、狂気を湛えた赤い瞳。その至近距離からの視線に晒され、セヘジュは激しく身を震わせる。
「やむを得ないだろうね。あまりにも大きな失態だ」
ナイールが冷たく吐き捨てると、アザンが力強く一歩前へと踏み出した。
「待て。セヘジュが失態を犯したのは事実だが、そもそもお前達の部下は、トト・ミポットを見つけることすらできなかったであろう。彼を責める権利がどこにある」
広間を重い沈黙が満たす。七使徒たちは言葉を呑み込むしかなかった。
「確実に功績を上げたセヘジュを処刑するというのなら、お前達の部下もみな処刑しなければならないな。それで良いか?」
アザンは広間の中央に立ち、居並ぶ七使徒たちを堂々と見渡す。セヘジュは瞳を揺らし、独り己を庇うその背を仰ぎ見た。
すると静寂を切り裂き、高みの玉座から笑い声が響き渡った。
「クハハハ!ぐうの音も出んとはこの事だな!」
殺気立つ広間の空気をどこ吹く風と受け流し、王は愉快げに喉を鳴らした。
アザンは玉座へと向き直り、王の赤い瞳を正面から見据える。
「アスラナク様。私が必ずトト・ミポットと異人たちを捕えてみせます。我が兵には今一度チャンスを…!」
アザンはその場に片膝を突き、恭しく頭を垂れた。アスラナクは赤い瞳でその姿を見下ろすと、愉悦混じりの笑みで答える。
「良いだろう。だが我に"必ず"と誓った以上、それを覆すことが何を意味するか…わかっているな?」
アスラナクの赤い瞳はまるで心臓を射抜くような冷たさだった。しかしアザンは目を逸らすことなく、真っ向から応える。
「…ハッ!命に代えてでも、必ず成し遂げてみせます!」
アザンの覚悟に、伏せていたセヘジュも弾かれたように立ち上がり、声を張り上げる。
「ムルシド殿は"ギルドに向かえ"と異人たちに伝えていました!そこに仲間がいるとも!」
報告を受け、シャユトが素早く一歩前へ出た。玉座を真っ直ぐに仰ぎ見る。
「…アスラナク様。我らの軍も総動員し、トトと異人の捕縛に兵力を割くべきです。ムルシドさんに仲間がいたとなると、トトとも繋がってる可能性が高い。異人と"ギルド"とやらが交われば、より大きな火種になる。そうなる前に止めなければ」
アスラナクは険しい面持ちで眼下を見据え、重々しく告げた。
「各軍、トト・ミポットと異人の捜索にあたれ。ただしジテンドラ、お前はそこの老人から情報を引き出せ」
号令が響くと同時、七使徒たちは一斉にその場へ片膝をつき、恭しく頭を垂れた。ジテンドラは冷たい床に倒れ伏すムルシドの胸ぐらを乱暴に掴み上げる。そしてその体を床に擦るように引きずりながら、謁見の間の扉へと歩き出した。
その背中に、気の抜けた声が投げかけられる。目を覚ましたばかりのムウミンだった。
「やりすぎちゃだめだよー、ジテンドラ。優しく。ね」
足を止めたジテンドラは振り返り、呆れ返った視線をムウミンへ向ける。
「バカか。それじゃ拷問にならねェだろうが」
本気で言い返す気力すら削がれたのか、彼は短く吐き捨て、再び重い扉へと歩みを進めた。
市場の喧騒から離れた川のほとり。トトと遊次たちを含めた7人は、そこにある水車小屋に集い、一時的に身を潜めていた。切り出された石を積んで造られた堅牢な建物。側面に据えられた巨大な木製の水車が、川の水を汲み上げながら絶えず飛沫を散らしている。広く穏やかな川面には白い帆を張った船が浮かび、対岸の奥には巨大な門と連なる山々が霞んで見えた。水辺のヤシの木が葉を揺らし、土道では荷車を引く馬が静かに佇んでいる。
石積みの壁に穿たれた細い窓から、遊次が外の様子を窺う。行き交う人影を警戒するように目を細め、背後を振り返らずに声を落とした。
「とりあえず隠れられたけど…ずっとここにいるわけにもいかねえ。ムルシドさんが言ってた"ギルド"ってのを目指さないと…」
トトが、すっぽりと被っていたオスカーのコートから顔を覗かせる。
「ギルドは首都の隣町の、ペルメリトにあると聞いています。でも具体的な場所まではわかりません」
「ねえトトちゃん、まずギルドっていうのが何なのか教えてくれるかな?」
灯が目線を合わせ、柔らかい声色で問いかける。トトは小さく頷き、言葉を紡いだ。
「ギルドは、アスラナクが王権を奪って以来、彼の圧政に反対する者達が集まってできた"組織"のようなものです。といっても、人数も多くありませんし、到底アスラナクと戦えるような力はありませんが…。それでもいつか来る革命の時のために、情報を集め、力を蓄えています」
その声に迷いはない。幼い外見に反して、理路整然とした大人びた語り口だった。活路を見出した遊次が、表情を明るくして声を弾ませる。
「なら、俺達と目的は同じだな!味方になってくれるかもしれねえ!」
「とりあえずその隣町に向かってみるしかねえな」
壁に背を預けていた怜央が結論を出そうとするが、アリシアが首を横に振った。
「言っただろう、私たちの目的は王との謁見だ。革命などではない。それに、無策にぞろぞろと町を目指すのは得策ではない。明らかに見張りの兵士も増えてきているしな」
「じゃあどうしろってんだ?ここで油売ってても見張りが増えるだけだぜ」
アリシアは反論できずに口を閉ざす。かといって、無闇に外へ出れば捕まる危険が高いのもまた事実だ。行き詰まる空気の中、オスカーが静かに口を開いた。
「俺達だけで隣町を目指すより、協力者と接触しギルドへと案内させるべきだ。トト、この町にギルドに属する者はいないのか」
トトは少しの間逡巡し、やがて俯きながら言葉を絞り出す。
「首都にも仲間はいます。先ほど通った市場にも、一人。でも…国に追われる私を庇えば、その人も捕まってしまいます」
脳裏に、兵士に連れ去られるムルシドの姿がよぎったのだろう。彼が今頃どんな目に遭っているか、容易に想像がつく。これ以上、自分のために誰かが犠牲になることだけは避けたかった。
痛切に俯く少女を前にしても、オスカーは表情一つ変えずに淡々と告げた。
「このまま手をこまねいていても、全員が捕まるだけだ。そうなれば隕石を討つすべは見つからず、世界は滅びる。現状を打破できるのは…トト、貴様だけだ」
トトは弾かれたように顔を上げる。オスカーを見つめる瞳が、激しく揺れていた。己の存在が世界の運命を握っている。その事実が、鋭い刃となって突きつけられていた。張り詰めた空気を割るように、イーサンが落ち着いた声で口を開く。
「市場にいるギルドの仲間を教えてくれるか。俺が身を隠しながらその人とコンタクトを取る。気づかれにくいし、最悪見つかっても一網打尽という事態は避けられる」
「イーサン…お前、また…」
単身で危険に飛び込もうとするイーサンに、遊次の顔つきが険しさを増す。だがイーサンは微かに口角を上げ、柔らかい視線を返した。
「心配するな、お前らよりはうまくやれる」
イーサンは水車小屋の床に敷かれていた大きな布を一枚手に取ると、頭からすっぽりと被って姿を隠した。そして水車小屋の陰からゆっくりと顔を出し、身を起こす。
だが次の瞬間、遠方を見据えた彼の目が鋭く細められた。
「まずい…!馬に乗った兵士がこっちに向かってくる」
その報告に、遊次たちの表情が一気に強張る。兵士は市場の方向から来ているため、市場にいるというギルドの仲間と接触する策は、一瞬にして絶たれてしまった。
戸惑う間にも、騎兵は真っ直ぐに接近してくる。まだ距離があるため姿は視認されていないようだが、さらに近づかれれば、ネフカに牙を剥いた異人であると気づかれるのは時間の問題だった。
「…とにかくここを離れるぞ!」
イーサンの叫びを合図に、一同は水車小屋から飛び出した。迫りくる騎兵に背を向け、一目散に駆け出す。急な動きを見せた人影を、馬上の兵士たちが鋭く捕捉した。6人の異人と、1人の少女。血眼になって探していた標的の姿だ。
「いたぞォ!奴らだ!追えぇえ!!」
怒号が響き、手綱が激しく振るわれる。鞭を打たれた馬が嘶き、土煙を上げて猛然と加速した。遊次たちは全力で地を蹴るが、背後に迫る重々しい蹄の音は、容赦なくその距離を削り取っていく。
息を乱し、死に物狂いで地を蹴る遊次たち。だが、その視線の先にも新たな人影が6つ現れた。馬に跨った集団が、土煙を上げて猛然とこちらへ迫ってくる。
「クソッ!挟まれたッ!どうする!?川にでも飛び込むか!?」
前後を塞がれ、遊次は焦燥のままに声を張り上げた。逃げ場は横を流れる川しかない。だが、幼いトトを抱えて渡り切れるのか。その懸念が咄嗟の決断を鈍らせる。
しかし、前方から近づく騎影を見据えていたトトが、不意に大きく目を見開いた。集団へ向かって真っ直ぐに腕を伸ばし、声を上げる。
「見てください!兵士じゃありません!あれは…ギルドの人達ですッ!」
トトが指し示す先へ、全員の視線が集中する。もうもうと舞い上がる土煙の中から、接近してくる影が次第に輪郭を結んでいった。先頭を駆ける人物の顔を捉え、遊次が素頓狂な声を上げる。
「あ、あれ…魚屋のおばちゃん!?」
馬を駆り、眼前に迫ってきたのは他でもない。市場で自分達を冷たく追い払った、あの魚屋の女主人だった。
「市場の協力者とは彼女のことです!皆さん、走ってください!」
驚きに足を止めている余裕はない。背後からは今この瞬間も、兵士たちの怒号が迫っている。遊次たちは荒い息を吐き出し、目前の騎馬へ向かってさらに速度を上げた。
前方と後方、双方から迫る騎馬との距離が5メートルにまで縮まった、その瞬間。前方を駆ける6人が懐から小さな球体を取り出し、一斉に兵士たちへ向けて投擲した。
宙を舞った球体が兵士たちの眼前で弾け、猛烈な勢いで白煙を噴き上げる。
「うッ…!なんだこれはッ…!!」
突如として視界を奪われ、兵士たちは慌てて手綱を引いて馬を止め、一斉に咽せ返る。その隙を突き、ギルドの者たちが遊次たちの眼前で馬を急停止させ、手を差し伸べた。
「早く乗りなっ!」
差し出された手に、遊次は魚屋の女主人の顔を見上げる。そしてすぐさまトトを抱きかかえ、馬の背へと飛び乗った。それに続いて灯や怜央たちも次々と馬に飛び乗ってゆく。
「しっかり捕まってな!」
全員が馬に乗ると女主人が鋭く鞭を打つ。馬は大きく身を翻し、白煙に巻かれる兵士たちから一気に遠ざかっていった。
立ち込める白煙を、取り残された兵士が両腕で乱暴に掻き消す。遠ざかる背中を鋭く睨みつけ、素早くトランシーバーを取り出した。
「副指揮官、対象を発見しました!しかし何者かの助けによって馬で逃走中!すぐに指揮を!」
手短に報告を済ませ、トランシーバーをしまう。2人の兵士は、遊次たちを追って再び馬を走らせた。
「な、なんで俺達を助けてくれたんですか?」
激しく揺れる馬の背。遊次は女主人の背中に必死でしがみつきながら問いかける。
「アンタらがトトを守って兵士から逃げてるのを見たから、助けが必要だと思っただけさ。じゃなきゃわけのわからん異人なんて助けたりしないよ」
「…そっか、とにかくありがとうございます!本当に助かりました!」
冷たくあしらわれたことなど微塵も気にせず、遊次は真っ直ぐに感謝を伝える。その裏表のない言葉に、女主人はぶっきらぼうに「フン」とだけこぼした。
「モナさん!奴らを撒かないと拠点には戻れない!」
先頭を駆ける女主人の馬へ、隣に並んだ騎手が声を張り上げた。その後ろには怜央がしがみついている。モナと呼ばれた魚屋の女主人は、肩越しに後方の兵士たちを見遣った。
「…そうだね。相手は数が少ないし、町の入り組んだ場所に入れば撒けるだろう」
モナは馬を走らせながら遠方を見据える。広く開けた川のほとりの道から、町中へと続く細い路地の入り口が視界に映っていた。
遊次たちを乗せた馬群が路地の入り口へ差し掛かろうとした、その時。モナが異変を察知して鋭く目を見開いた。
「クソ!先手を打たれた…!」
モナは手綱を強く引き絞り、馬の首を強引に巡らせる。町中へ逃げ込むのを直前で避け、川沿いの広い道をそのまま駆け抜ける進路へと急旋回した。何が起きたのか分からず、遊次が背後を振り返る。そこには新たに合流した10を超える騎兵たちが、猛烈な土煙を上げて迫ってきていた。
「マジかよ…!これじゃ撒くなんて無理だ!」
焦燥に駆られ遊次が奥歯を噛み締めたとき、後方を走る馬から灯の声が飛んでくる。
「あの中に兵士を指揮する人はいませんか?私たちは強制オースデュエルが使えます!その人にオースデュエルで勝てば、追っ手を止められます!」
「なんだって…?」
強制オースデュエルという言葉に、モナは半信半疑の様子で背後を振り返る。追っ手の集団へ視線を走らせたが、すぐに前を向き直して首を横に振った。
「指揮官も副指揮官もあの中にはいない!鎧が違うから一発でわかるんだけどね!」
追撃してくる兵士たちは皆、一様に赤銅色の鎧を身につけている。一般兵である証だ。末端の兵士にオースデュエルを仕掛けたところで、軍全体を止めることはできない。チェイスを終わらせる手段は絶たれたままだった。
「強制オースデュエルはすでに警戒されてるってわけか…」
ネフカ王国の情報伝達の速さと的確な対策に、イーサンは声を漏らす。するとオスカーを乗せて走る長身の男が、この状況下でも冷静な声を響かせた。
「先回りができるほど兵を統率できるということは、少なくとも副指揮官は付いてきているはずだ!奴らの連絡手段はトランシーバー、リアルタイムで状況把握が必要となると数100メートル圏内には軍を仕切る人間がいるはず!」
「そうか、よぉし…」
男の言葉を受けたモナは、馬を一気に加速させる。走りながら前方へ視線を巡らせると、100メートルほど先の光景が目に留まった。瓦礫の上に乗り上げ、神殿の太い柱がなだらかな斜面を描いて倒れ込んでいる。モナはその柱を指差し、後方を走る仲間の1人へ向かって叫んだ。
「ヌーラ!あの柱を使いな!悪いけどアンタにしかできない。アタシらは先に行くよ!」
「あいあいさー!」
ヌーラと呼ばれたのは、まだ10代ほどの少女だ。並走する馬の上でニカリと笑い、片手を額へ軽快にかざして見せた。
その顔は健康的な褐色で、茶色の髪は無造作にポニーテールでまとめている。首元には白いスカーフ、オレンジ色のタンクトップに複数のポーチがついたベルトを巻き、赤い腰布が走る風になびいていた。好奇心に満ちた瞳を輝かせる。
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モナが後方を指差して言う。
「指揮官か副指揮官は、あの兵士達の奥に、数百メートル離れたところから出てくるはずだ!そいつに強制オースデュエルを仕掛けるなら、あの兵士達を飛び越えるしかないね!そんな芸当ができんのはヌーラしかいない!」
ヌーラの背には灯がしがみついている。モナが放った指示の真意に行き着き、遊次は険しい顔で問い詰めた。
「"先に行く"って言ってたのは!?まさか灯だけ置いて俺らだけ先に行くってのか!?」
「そうだよ!さすがに10の騎馬を一気に飛び越えるのは無理だ。ってことはこっちで出来るだけ兵士を引き付けて、残った兵士をヌーラが飛び越えるしかない!」
迫り来る無数の兵を飛び越え、灯が敵の指揮官クラスと対峙する。それは皆を守るため、彼女がこの場に残ることを意味していた。突きつけられた現実に遊次は頭を抱え、イーサンも険しい顔で口を固く結ぶ。行き詰まる空気の中、後方を走る馬から灯が声を張り上げた。
「私だって、戦うためにこの国に来たの!遊次、言ったでしょ?犠牲のない未来のために、私が必要だって!」
「灯…」
それは美蘭との戦いの中、遊次自身が彼女へ向けた言葉だった。灯にとって何よりも求めていたその一言が、今の彼女に、どんな相手にも立ち向かう強い覚悟を与えていた。
幼馴染を過酷な戦場に残す。その事実が、遊次の胸の奥を激しく波打たせる。どれほど強がろうと、こみ上げる不安や恐怖を消し去ることはできなかった。それでも、遊次はすべての葛藤を呑み込み、背後を走る灯へと顔を向ける。
「頼んだ、灯!絶対に負けんじゃねえぞ!」
「…うん!」
遊次の言葉の裏に葛藤や苦しみがあることは灯にもわかっていた。それでも遊次は自分に託してくれた。灯もそれを受け止め、力強く頷く。
「行くよ!」
モナの合図とともに、馬群が大きく二手に分かれる。ヌーラと灯を乗せた一騎が左へ、残る馬が右へと進路を裂いた。
「我らを惑わすつもりであるか…。左に2騎、右に残り8騎だ!追い続けろ!」
兵士たちのトランシーバーから、怒号のような指示が響く。指揮官の言葉だろう。その声に従い、騎馬の群れも2騎と8騎に分かれて追撃を続ける。その陣形の中央奥、周囲の兵士とは異なる黄金の鎧を纏った男の姿があった。
男の姿を視界に捉えたヌーラは、馬を急加速させる。そして次の瞬間、手綱を引いて鋭く馬体を翻し、急反転した。
「しっかり捕まっててね!」
壁際へ斜めに倒れ掛かっている柱に向かって、全速力で馬を走らせる。灯は奥歯を噛み締め、ヌーラの腰へ必死にしがみついた。
馬は傾斜した柱を駆け上がり、空中へと力強く跳躍する。追跡していた2人の兵士は呆気にとられ、自分たちの頭上を飛び越えていく馬の腹部をただ見上げるしかなかった。
2人を乗せた馬が、黄金の鎧を纏う男の目前へと着地した。凄まじい落下の衝撃に耐えきれず、ヌーラの腰を掴んでいた灯の手が、無情に解けてしまう。
「きゃあっ!!」
灯の身体は馬の背から投げ出され、乾いた地面の上を無様に転がった。
「大丈夫!?」
馬上からヌーラが身を乗り出し、案じる声を上げる。だが、砂塗れになりながら身を起こした灯は、その呼びかけには目もくれず、真っ直ぐに迫りくる男だけを鋭く見据えていた。
「な、なんだと!?」
突如目の前に現れた2人に目を丸くする男は、赤銅色の一般兵とは一線を画す、黄金の重装鎧で身を包んでいる。褐色の肌に深く刻まれた皺と、手入れの行き届いた濃い口ひげと太い眉が威圧感を与える。頭部には、黄金と青の装飾が施された、重厚なヘッドドレスを戴いている。背後で荒々しくたなびく黄金のマントが、その威厳をより一層引き立てていた。
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灯は素早くデュエルディスクを起動し、目前まで迫った口髭の男へ向けてその腕を突き出した。
≪強制オースデュエル発動≫
瞬間、大地を這うように赤い光の円陣が広がり、周囲の空間を支配する。しかし男を乗せた馬は怯むことなく、土煙を上げて灯へと突進してきた。窮地を察したヌーラが疾走する馬から迷わず飛び降り、立ち上がれずにいた灯を庇うように抱きかかえて、迫る蹄を転がるように回避した。
「クッ…噂通りであるか」
男は手綱を強く引き、強引に馬を制止させた。忌々しげな表情を浮かべて背後を仰ぎ見る。そこへ、先ほど頭上を飛び越えられた2人の兵士が、馬を走らせて合流した。灯は立ち上がり、ワンピースに付いた砂ぼこりを手で払い落とす。その瞳は、立派な口髭を蓄えた男を真っ直ぐに射抜いていた。
「世界デュエル憲章によって、オースデュエルは誰にも妨げられない。デュエルが終わるまでは私を捕まえられませんよ」
その言葉に背後の兵士たちが、無言で顔を見合わせた。彼らはすぐさま向きを変え、灯を無視して突進する。
「だがデュエリスト以外は別だ!」
兵士たちが一斉に、灯の背後に立つヌーラへ掴みかかろうと飛び出した。灯は思わぬ狙いに、ハッとして振り返る。
だが、ヌーラの動きは驚くほど軽やかだった。伸びてきた手を柳のように受け流し、鮮やかな後転を繰り返して包囲網をひらりと抜け出す。彼女は余裕の笑みを浮かべ、追っ手たちを挑発した。
「アタシ、身のこなしは誰にも負けないから!どう頑張ってもアンタらじゃ捕まえられないよ!」
「クッ…!」
しつこく食い下がる兵士が再び腕を伸ばすが、ヌーラはその肩に手を添えると、羽のようにふわりと舞い上がった。重力に逆らうような身のこなしで、あっけなく背後へと回り込む。
「あ、まだ追いかけっこする?アタシは全然平気だけど?」
呼吸一つ乱さず、ヌーラは余裕たっぷりに言い放つ。翻弄される部下を横目に、口髭の男が静かに言葉を紡いだ。
「やめておけ。私がデュエルに勝てば、異人の一人は捕らえられる。トトと他の異人も逃げきれまい。戦果としてはそれで十分である。このすばしっこい娘は後で追い込めばよい」
堂々たる佇まいで下された命令に従い、二人の兵士は主の背後へと退く。灯は、ソリッドヴィジョンによって宙に浮かび上がる情報を注視した。
(名前はヘム・セケル。ムウミン軍副指揮官…。副ってことはトップじゃないんだ。でも指揮官の命令で上書きされない限り、軍の動きは止められる…!)
灯は展開されていたソリッドヴィジョンを消し、毅然とした面持ちでヘムを真っ直ぐに見据える。
「私たちがなんでこの国に来たか、知っていますか?」
「この星に隕石が迫っており、我が国の協力が不可欠だ、と聞いておる」
ヘムは口髭に触れながら淡々と答える。予想外に落ち着いたその態度に対し、灯は思わず前のめりになって声を張り上げた。
「そうです!本当はこんな争いをしてる場合じゃないんです!まずはアスラナク王とお話させてもらえませんか?考えるのはそれからでも遅くないはずです!」
ヘムは灯の切実な訴えに耳を傾けた。しかしヘムは微動だにせず揺るぎない声で言い放つ。
「争いの火蓋を切ったのはデュエリア側である。大人しくトト・ミポットを差し出せば、話も違うであろうがな」
やはりそう来るか。灯は顔をしかめた。それでも食い下がるように言葉をぶつける。
「禁忌を知られれば、この国に危険が及ぶから…ですか。もっと大きな危険が世界に迫ってるのに?」
突き刺すような灯の追及にも、ヘムは微塵も動じない。フッと短く息を吐き、冷淡に突き返した。
「それを信じる根拠は、我々には無いな。話を聞いてもらえるだけでも、感謝してほしいぐらいである」
灯は言葉に詰まる。入国要請の段階でデュエリアがネフカに伝えたのは隕石接近の事実のみ。衛星情報などの確たるデータは渡していない。それは王との謁見の場で直接提示するはずのものだった。目の前の男は一小隊の副指揮官に過ぎない。隕石の正体が悪星神であることまでは知らない可能性が高い。ここで彼に信じろと声を荒らげても埒が明かないのは明白だった。
沈黙の中、ヘムは固く拳を握りしめ、激しい怒気をぶつける。
「禁忌に触れたトトが、よりにもよって異人と交わった。これは由々しき事態である!我々の最優先事項は、禁忌の国外漏洩を防ぐことに他ならない!」
言い放つと同時、ヘムは左腕にデュエルディスクをセットし、大地を強く踏み鳴らして一歩前へ出た。
「選択肢は二つに一つである!トトを差し出すか、全員仲良くお縄につくか!」
一切の妥協を許さない峻烈な表情。それを見た灯は、これ以上の説得がもはや無意味であることを即座に悟った。
「…戦うしか、ないんですね」
静かに呟き、灯もまた覚悟を決めて彼へと向き直った。
「私が提示する契約は2つ。1つは、ムウミン軍兵士が私達を追わないこと。もう1つは…」
灯は片手を額にかざして日差しを避け、遥か遠くの景色を見つめた後、ヌーラに問いかけた。
「ねえヌーラさん。あの遠くに見える岩山に馬で向かうとしたら、どれぐらいかかる?」
「え?えっと…2日ぐらいはかかるかなぁ」
ヌーラは灯の問いの意味を掴めないまま答えた。
「オッケー。じゃあ、ムウミン軍全員に、向こうの岩山の頂上に馬で向かってもらう。お馬さんも疲れちゃうから、ちゃんと十分な休憩を取って。それが2つめの契約」
毅然とした態度で契約を突きつける灯の姿に、副指揮官ヘムは感心したように口角を上げた。
「ほう…なかなか肝が据わった小娘であるな。可能な限り我が軍を王宮から離し、戦力を削ごうというわけか。離れていては指揮官による命令の上書きもできんしな。よく考えたものである」
「へえー、頭いいんだね…」
ヘムの言葉に、ヌーラは感心したように口をぽかんと開けて灯を見つめた。
「私が提示する契約も2つ。1つはそなたの身柄の拘束。2つ目は、私の質問に対して真実を答えることである。これで拷問するまでもなく君に情報を吐かせることができる。感謝してくれたまえ」
「…いいでしょう」
静かに応じる灯の瞳には、一切の迷いはなかった。
「オースデュエルの開始が宣言されました。内容確認中…」
プレイヤー1:花咲灯
条件①:ムウミン軍兵士に対し、デュエリアからの使節6名およびその帯同者を追うことを禁ずる
条件②:ムウミン軍兵士に対し、デシェルト山の頂上を目指すよう命ずる。移動方法は馬に限り、適度な休憩を取ることを必須とする。
(ただしこれらの契約は、ムウミン軍指揮官"ムウミン・カウル"の命令においては適用されない)
プレイヤー2:ヘム・セケル
条件①:花咲灯は自身の身柄の拘束を許容すること
条件②:花咲灯はヘム・セケルの質問に必ず真実を答えること
詳細な契約内容は、ソリッドヴィジョンの契約書として両者の前に浮かび上がる。そこには別の解釈の余地がないほどに徹底された文章が記載されており、承認した時点で、完全なる両者の意図通りの契約にしかならないようになっている。
灯とヘムは指でソリッドヴィジョンの契約書にサインすると、DDASがオースデュエルの開始を宣言する。
「契約内容を承認します。デュエルの敗者は、勝者が提示した契約を履行する事が義務付けられます」
「デュエル!」
第84話 「暴君と使徒」 完
灯と副指揮官ヘムの決闘が始まる。
攻撃的な盤面を作り上げる灯に対するヘムのデッキは、自らに制約を課す特殊な性質を持っていた。その腕と足には重い岩の枷がはめられ、展開やリソース確保の手段を自ら縛ってゆく。
果たして、そのデッキの真価とは。
「何を信じるかは人の自由です。それでも…誰かの自由を奪う自由は、誰にもない」
次回 第85話「戒めの岩枷」