◆シャーロック・ホームズ綺談 ラノク湖の怪◆   作:mizumega

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5・燃える魔剣

 

 村人たちに酒代を手渡すと、ホームズは後から行くと言って先に送り出した。それからマカラムの家に引き返した。

「行こう、マカラムさん」

「どこへ」

「教会へさ」

「教会?」

 怪訝な顔のマカラムをせき立て、我々は馬車に乗って教会へ急いだ。まだ陽の浅い早朝、教会は開いていなかった。

 ホームズは馬車を降りるなり小走りに厩舎の方へ向かった。

「やはりか」

 もぬけの空を見て舌打ちする。すぐに気を取り直すと、教会の脇の通用口へ行った。案の定鍵が掛かっているので、彼はいつも携帯している探偵道具からピッキングに使う針金を取り出した。

「錆びついていなければいいが」

 鍵穴と格闘するホームズにマカラムは目を丸くした。

「ホームズさん、あんた何をやってるんでさ?」

「まあマカラムさん、ホームズに任せなさい」

 わたしがなだめる暇もあらば、扉はすぐに開いた。我々は中へ駆け込み、堂内を見渡した。

「あっちだ」

 早くもオルコットが走り出し、建物を貫く螺旋階段を発見する。我々はすり減った石の階段を転げるように降りていった。またも扉があったが、錠前が頑丈過ぎて小道具は役に立たなかった。

「ぶち破ろう。みんなで一斉に体当たりするんだ。いいかね?3…2…1…それっ!」

 我々は何度も扉へ突進し、肩を痛めたが、さしもの厚い板も度重なる攻撃に耐え切れず、蝶番の方から木が裂けて中へ倒れた。ムッとする悪臭がたちこめる。

 オルコットがカンテラをあちこち照らした。

 石造りの地下牢は暗く湿って冷えびえとしている。片隅に昔囚人を繋いだ鎖が石壁から垂れていた。かたわらに排泄物を入れる便器代わりのバケツがある。

「いないぞ」

「えい、連れて行ったな」

「ホームズ君、見たまえ!」

 オルコットが部屋の一方を照らし出した。わたしは思わず呻き声を漏らした。

 それはまさしく悪魔の祭壇だった。山羊の頭に乳房と男性器を備えた忌まわしい像が奥に鎮座している。逆さまになった十字架が壇上に飾られ、周囲を醜悪な怪物や人間の堕落を描いた絵画で埋め尽くしていた。これほど悪意に満ちたインテリアを見たことがない。祭壇には乾いた血のこびりついた聖杯と血で汚れたナイフ、何かを砕いた棍棒が供えられている。書棚には鉄鋲で補強した大きな書物や、古い羊皮紙の巻物がぎっしりと詰まっていた。

「こりゃ…いってえ何だ?」

 呆然とマカラムが見渡す。

「君の息子を監禁していた場所だ」

「なんですって!?」

「この鉄輪を見たまえ。ショーン君が鎖に繋がれていたんだ」

 床に放置されていた皿の残りカスを指ですくって舐めてみる。

「間違いないホームズ。彼は阿片漬けにされていたよ」

「阿片!?」

 マカラムが叫んだ。

「いってえ、あんたらは何の話をしてるんだね」

「つまりだ。レスリー・ファーガソン牧師は悪魔崇拝者なのさ」

 ホームズが南京錠を外して、分厚い魔術書を開いてみせる。中には人間を虐殺し、悪魔の儀式に生け贄を捧げる段取りが事細かに絵で綴られていた。

「マカラムさん、これはここだけの話にしておきたいのだが…」

 前置きしたホームズは事の次第を一部始終語り聞かせた。我々は自分の経験したことを話し、それが幻覚ではないことを保証した。

「信じられねえ。あのお人が…ホームズ先生、息子は生きているんですかい?」

「正直言って分からん。事が露見した時点で、普通なら人質を口封じのために殺し、そのまま逃げるだろう」

 それを聞いてマカラムは頭を抱え、うずくまってしまった。ホームズはその肩に手を置いた。

「しっかりしたまえ。まだ敗北と決まったわけではない。ファーガソンがショーン君を連れて逃げたということは、まだ未練があるからだ」

「未練?」

「そう。外道の牧師は彼の神に捧げる儀式を遂行したいのだ。だから我々を殺そうとし、息子をさらった。今晩がその最後のチャンスになる」

「その前に捕まえることは出来ないのか、ホームズ?」

「おそらく無駄だろう」

 オルコットが言った。

「以前あんたらに隠れる所はないと言ったが、それはあくまで人の足で歩ける距離を想定して答えたのだ。馬車で長距離を移動できるとあれば、北部の山岳地帯へ逃げ込めば、まず発見は出来まい。隠れ場所は無数にあるからな」

「だが、儀式を行うにはあの石舞台を使うしかない。おそらく彼は何らかの方法であの怪物を呼び出し、いにしえの知識が本物だと確信したのだろう。ゆえに信仰を捨て、悪魔へ鞍替えしたというわけだ。これほど儀式に執着するのは、何か大きな見返りがあるからに違いない」

「どんな見返りなんだ」

 わたしの問いにホームズは渋面をつくった。

「考えられるのは永遠の命や超能力だな」

「ここへ来る前だったら笑い飛ばすところだが、今は全然笑えないな。現実になったら、たまったものじゃないぞ」

「奴が生きている限りこの世に悪を広めるだろうよ」

「そんなことはさせん!」

 怒髪天を突く勢いでマカラムが立ち上がった。

「言ってくだせえホームズさん、あっしに出来ることならこの命も差し出しますぜ」

「よし、よく言った。我々が結束すれば陰謀を阻止することも出来よう」

「村人の応援を頼まんでいいのかね」

「いや、マカラムさん、それは無益だ。あの不死身の怪物なら村人を全員殺すだけの力がある。君らがフォークや大鎌で武装したところで、赤子の手を捻るよりも簡単にね」

「そのとおりだ。奴には数で対抗できん」

「じゃあ、どうするんで」

「これは一つの賭けだ」

 ホームズは爛々と目を輝かせた。

「ぼくの考えが正しければ、牧師も怪物も止めることが出来る。それも無理な時は…まあ天に祈るさ。諸君、では始めよう」

 我々は額を寄せ合って作戦を練った。互いに意見を交わし、幾つか修正して、最終的に計画を完成させた。

「じゃあ決行だ!…と言いたいところだが、腹が減って背中にくっつきそうだよ」

「『豚の騎士』亭で何か食おう」

 

 わたしとホームズはペッパー夫人の宿屋へ帰った。一晩帰らなかったことを詫び、食事は酒場で摂ると言ったが、彼女は頑として首を縦に振らず、客を迎えたからには絶対に自分が食事を出すと言って聞かなかった。そして素晴らしい食卓をあっという間に用意していた。

「しかしホームズ、本当に来るかな」

 焼き立てのパンにバターを塗り、マナーも忘れて頬張るわたしに、ホームズは首を横に振った。

「五分五分というところだな。ファーガソンが理性的になればショーンを殺して逃げた方がいいと分かるだろう。そうなればぼくらの敗北さ」

 普段は仕事中にあまり食べない彼も、ここぞとばかりに羊肉のステーキを旺盛に頬張っていた。食べておかねば肝心な時にエネルギー不足に陥るからだ。

「でもあの執着ぶりは異常だな。絶対に儀式をやってみせるっていう意気込みすら感じるよ」

「そこが彼のウィークポイントであり、我々にとって唯一の長所だ。おそらくあの晩ファーガソンはぼくらを監視していたに違いない。だから失敗はしたものの、怪物の威力に手も足も出ないと油断したはずだ。勝機はそこにしかない」

「確かに奴を呼んでおけば、儀式を阻止するどころか返り討ちに遭うのが関の山だな」

「だがファーガソンは知らないんだ。我々がドルメンで見たものをね。さもなければとっくの昔に破壊しているよ」

 たっぷりした食事を摂って紅茶を飲むと、腹の底から元気が湧いてきた。我々はペッパー夫人に礼を言い、勇躍村を後にしたのだった。

 

 南側の丘へ行くと、オルコット氏はすでに準備していた。村人から馬車を借りてスコップやシャベルなど発掘作業に使う道具を運んでいたのだ。

「少し待ってくれ」

 オルコットは三脚を立てた蛇腹式のカメラのレンズキャップを外し、懐中時計で計測した。しばらくしてキャップでレンズに蓋をし、干板を抜いて新しい物に差し替える。それから三脚を移動させて別なアングルから写真を撮った。

「今から遺跡を破壊するからな。せめて記録だけでも残さにゃ」

「破壊とは大袈裟ですな」

「ワトソン君、考古学は遊びではないよ。ただ掘ればいいというものではない。きちんと計測して、慎重に時間を掛けて少しずつ発掘するものだ。わしらがこれからすることは、乱暴に土を取り除けてお宝を獲る海賊と違わないんだ」

 我々は上着を脱いで発掘に取り掛かった。地面は柔らかくそれほど難儀な作業ではなかったが、目当ての物はなかなか現れなかった。おまけにドルメンの中が狭いので、身を屈めて掘らねばならない。我々は交代しながら作業を進めた。

 やがて10フィートも掘った時、シャベルの先端にカチンと硬いものが当たった。

「何かあるぞ」

「代わってくれ」

 わたしが穴から出ると、オルコットが飛び降りた。そして大きな掌で土をまさぐった。

「うむ、たしかに金属だ。ここからは神経を使うぞ」

 小ぶりのスコップと刷毛を手渡すと、オルコットは繊細な手つきで土を払い始めた。焦ったいほどゆっくりとだが、埋蔵物の姿があらわになってきた。それは我々の予想どおり7つの刃を持つ巨大な剣であった。

「重いな。手を貸してくれ」

 ホームズが降りて作業に加わった。ふたりが持ち上げた剣をわたしが地上で受け取る。ズッシリと重量のある鉄塊に、危うく尻餅を着きそうになった。汗を掻きながら遺跡のそばに敷いたシートへ下ろす。わたしとホームズは戦利品を眺めた。

 剣の長さは7フィートもある代物だった。重さは少なくみても30ポンドはあるだろう。柄が長いので両手で振り回す両手剣だ。

「なんて大きさだ。これを操れるのはサーカスの怪力男くらいだ」

「古代人は頑健だったのかもしれないな」

「信じられないほど状態がいい。見たまえ、ほとんど錆びておらん」

 刷毛で土を落としながらオルコットは中から現れた剣先を指した。古代の刃は鈍い陽光を受けて鋭い光を放っていた。

「これはおそらく未知の金属に違いない」

「刃先の形も独特ですね」

「うむ、蝋燭立ての針のように尖っておる。ここに何か燃やす物を付けて使用したのかもしれん。わしらが見たレリーフのように」

 すっかり土を取り払うと我々はその見事さに賛嘆の念を禁じ得なかった。七刃の剣はいとも猛々しく、それでいて優美さを備えていた。柄はトグロを巻く蛇が滑り止めに彫り込まれ、刀身には未知の言語とともに一目見ただけでは分からない複雑な紋様が描かれている。

「非常に高貴な剣だ。実用性は疑わしいが、重要な儀式に使われたのかもしれない」

 ホームズは目を輝かせていた。

「しかし、これで怪物を退治できるものかな?」

「それは期待できないが、我々の目的はショーン・マカラムの救出だ。目くらましになれば御の字さ」

「とにかく古代人が残した絵に従ってやってみるしかない」

 スケッチブックに鉛筆を走らせながらオルコットが言った。

 七枝剣の撮影を終えると、布で厚くくるんで荷馬車に載せる。

「…さて、武器は手に入れたが、これからどうするかだ」

 ホームズはパイプをくゆらせながら思案した。

「ファーガソンがショーンを連れて向こうの石舞台に現れると仮定して、どうやって待ち伏せする?」

「巨石の陰に隠れるしかないな。奴から見えない位置で待機し、夜中を待つ」

「怪物が現れたらどうするね?」とオルコット。

「まず十中八九現れるでしょうな。あの化け物の供物として与えるのだから。死体が残らなかった説明はそれでつく。埋めたのは食べかすだったんだ」

「まったく気違い沙汰だ」

「二手に別れよう、ホームズ君。この剣で怪物を牽制し、その間にショーンを逃すのだ」

「よろしい。ぼくの考えに一致する。ということでワトソン、少年を救助するのは君と父親に任せるよ。ぼくは剣を使う」

「わしも手伝おう」

「いや、オルオットさん。あなたはもう十分危険を犯している。あなたの義務は果たされたのですから、あとは我々に任せてください」

「そうはいかんぞ。スコッツの名誉に賭けて誓うが、無辜の命を見捨てて敵前逃亡することは許されんのだ。第一、その剣の重さでは持ち上げることすらままなるまい。君には助力が必要だ」

「なるほど結構。それならば喜んでお願いしましょう」

 

 我々は牧師が見張っていないか十分警戒しながら北の丘を登った。ホームズは途中で何度も立ち止まり、双眼鏡で周囲を確認していた。用意周到な彼は双眼鏡のレンズが光って遠くから発見されないよう、ガーゼでレンズ口を覆っていた。

「今のところファーガソンがこちらを監視している様子はない。湖の側から接近することはできないし、向こうの丘も隠れていそうな場所にはいない」

「では配置を決めよう」

 石舞台の周りのメンヒルを巡りながら、我々は目当ての場所を探した。潜伏は2箇所なければならない。村に近い東側と、反対の西側だ。

「ここがいい。ここなら向こうの様子を見ながら、こちらが発見される危険が少ない」

 8フィートほどの高さで先端に穴の開いた巨石を叩きながらホームズは頷いた。オルコット氏によると、平たい石に穴を開けるのは古代人の典型的な装飾らしい。

 もう一つ同じようなメンヒルを見つけると、そこの地面を浅く掘って剣を埋めておいた。

 我々は一旦戻って、夕方配置につくことにした。マカラムの家に行くと、彼を呼び出し作戦を伝える。

「マカラムさん、あなたの勇気が成功を左右します。何を見ても、何があっても、息子さんのことだけを考えて行動してください。我々は最大限の支援をします」

「なんだってやりますぜ」

 わたしとホームズはペッパー夫人の宿屋で遅い昼食を摂った。昨夜からの行動続きで疲労困憊していたが、不思議に辛いとは思わなかった。両手剣を掘り出した時から奇妙な高揚感があり、絶対に作戦を成功させるという意気込みがあった。

 ペッパー夫人に今夜もまた徹夜になるかもしれないと断ると、彼女は弁当と水筒を持たせてくれた。

「あんまり無茶はいけませんよ」

 我々は夫人の好意に感謝し、宿を後にした。

 

 いよいよ決行という段階になり、一行はマカラムの家に集合した。ホームズが他言無用と釘を刺していたので、マカラム氏以外に村人はいなかった。四人の決死隊は北の丘を目指して進んで行った。

「オルコットさん、それはなんです?」

 わたしが聞くと、オルコットは持参した布切れの束とオイル缶をちょっと持ち上げ、

「なあに、目くらましさ。奴を脅かしてやろうと思ってな」

 ニヤリと笑った。

 あらかじめ決めていた場所に隠れると、ホームズはわたしの肩を叩いて向こうのメンヒルへオルコットを伴って去って行った。

「奴は来ますかね」

 マカラムが心配げにささやく。

「来るとも。必ず来るさ」

 本当のところわたしにも自信はなかったが、ここで弱気は見せられない。愛用の拳銃に弾が全弾込められているのを確かめると、わたしたちは長い待機状態に入った。

 

 待ち伏せは実に苦行であった。時間の経過が止まったように感じられ、何度も懐中時計を見ては針の動きが遅いことにガッカリした。それも陽が落ちて辺りが暗くなるとできなくなる。我々は闇に閉じ込められ、ジッと身動きせずに敵を待つよりなかった。冷気が襲ってきたが、緊張のためか寒さはほとんど感じなかった。マカラムは途轍もない忍耐強さで息子の到来を待ち受けていた。

 やがてそれが報われる時が来た。微かに車輪の軋む音が聞こえてきたのだ。

 わたしとマカラムは息を呑み、巨石の陰からこっそり覗いてみた。

 その夜は月が上っていたため視界は悪くなかった。暗闇に石舞台の青白い姿が丘の頂上に浮かんでいた。馬車の音が途絶え、向こうの丘から誰かが何かを抱えてやって来るのが見えた。距離があるためはっきりと見えなかったが、痩せた背の高い影から牧師であることは間違いなかった。

「…今ならいける」

 近づいてくる影を見ながらマカラムが呟いた。わたしたちはハッと顔を見合わせた。一瞬、わたしもそれに同意しそうになった。

 まさにそのタイミングで、牧師は立ち止まり、おもむろに詠唱を始めたのだ。

 その奇妙な歌は昨夜聴いた不気味な声に違いなかった。すぐに湖の方からザワザワと不吉な音が響き、続いて何かが這いずる音が近づいてきた。それは素早く行われたので、我々に付け入る隙はなかった。もしもマカラムの言うとおり突っ込んでいたら、怪物の口の中へ飛び込むも同然だっただろう。

「…ありゃいってえなんだ…!?」

 押し殺した声でマカラムが言った。

「あれが消えた人を食い殺した化け物さ」

「なんだって。じゃあ、昔話は本当だったってことですかい」

「落ち着いて。今はショーン君のことだけを考えよう」

 とはいうものの、状況は恐ろしく困難だった。堕落したファーガソン牧師は意外な力持ちで、グッタリした少年を持ち上げ、彼の神を讃える歌を捧げた。それから待ち構える怪物の前で石舞台へ生け贄を下ろそうとした。

「もう我慢できねえ!ショーン!」

「待て、まだ早い!」

 わたしは慌ててマカラムの後を追った。黒衣のマントを羽織った牧師が我々を指差すと、怪物は長い首をくねらせて顎を開いた。二度と見たくないと思っていた無数の牙の生えた口がこちらを狙っている。さすがのマカラムも立ち止まり、驚愕の目で麻痺したように怪物を仰ぎ見た。

 その時突然、真っ赤な炎が向こうから立ち昇った。

 その真紅の光は周囲を鮮やかに照らし出し、我々の目を惹きつけた。ホームズとオルオットが巨大な剣を二人で持ったまま駆け寄ってくる。

「去れ、悪魔め!」

「地獄へ帰れ!」

 叫びながら突進してくる人間たちに、怪物は向きを変えた。そして二人を一飲みにしようと身構えた。

「ーーーワトソン!」

 わたしは弾かれたように飛び出し、ファーガソンに組みついて地面に押し倒した。

「逃げろ!逃げろ!」

 ハッと我にかえったマカラムが石舞台へ駆け寄って息子を抱きかかえ、一目散に丘を駆け降りてゆく。

「やったぞ!」

 思わずわたしは勝利を叫んだ。すぐ後に死が待ち構えていても、我々は勝ったのだ!

「冒涜者め!」

 ファーガソンがわたしを押しのけ、儀式用のナイフを抜いた。ギラリと赤い刃が光る。奴はわたしの心臓を串刺しにせんと飛び掛かってきた。素早い動きにわたしは転がって逃げるのが精一杯だった。太股に熱い痛みが走り、苦痛に声を漏らす。転がりながらわたしは拳銃を抜き、至近距離から牧師へ5発撃った。だが、なんということだろう、体に穴が開いたにもかかわらず、ファーガソンは少しもたじろがなかった。弾痕から黒い血液が滴り落ちる。唖然と口を開けるわたしに向かって、奴は嘲り声を上げた。

「無知なる者よ!哀れなるかな!真の神の贄となるがよい」

 とっさに立ち上がれないわたしに向かって悪魔の牧師がナイフを構える。しかし、最期の一撃を加える前に奇跡が起こった。

 剣が歌い出したのだ。

 玄妙なる声が辺りいっぱいに響き、天上へと高らかに昇ってゆく。それは耳をつんざくほど凄まじい音量でありながら、同時に体が透明になるような清らかさに満ちていた。剣は聖なる怒りに満ち、地を穢す者たちを断罪していた。7つの剣先から油の染みた布の火とは違う、純粋なエネルギーの炎が燃え盛っていた。それは本体と同じくらい長く、大きく、炎の舞いを演じている。その美しさにわたしは見惚れてしまった。

 驚いたホームズたちの顔とは別に、体は自動的に動いていた。巨大な両手剣が闇夜を切り裂き、鮮烈なる真紅の軌道を描いた。怪物の巨体がスッパリと寸断され、奴は苦痛の悲鳴を轟かせた。それは地震と見紛うほどであった。

 怪物はのたうちながら湖へ逃れていった。牧師はたとえようもないほど取り乱し、ナイフを捨てて怪物を追っていった。

「神よ、神よ!見捨てたもうな!!」

 怪物はクルリと振り向き、怒りの咆哮を上げると、巨大な頭で牧師に噛みついた。一口で上半身が覆われ、残った両足がバタバタと痙攣する。どこか滑稽だが、途轍もなく恐ろしい眺めだった。わたしは生涯それを忘れまい。哀れな信者を飲み込みながら怪物は湖に沈み、後に残った波紋の下から汚らしい青色の光が渦巻き消えていった。ゴボゴボと泡立つ水面が静まり返ると、剣の光は徐々に衰え、あとには月の光だけが残った。

 我々はしばらく荒い息で座り込んでいた。

 ホームズは重い魔剣を手放すと、わたしの方へ駆け寄った。といっても、彼のほうも疲労のあまりヨタヨタとしか近づけなかった。

「大丈夫かワトソン」

「なあに、かすり傷さ」

 わたしは空元気で答えた。傷は深く、ズキズキと痛んだが、ベルトを抜いて太股を縛ったので、出血は止まっている。

「動脈には達していないよ。すぐに治る」

「マカラムは」

「ショーンを連れて逃げたよ」

「では我々の勝利だな」

 ホームズは紙巻煙草を取り出し、わたしに咥えさせると火を点けてくれた。

「オルコットさん、お手柄でしたな」

 こちらへよろけながら歩いてくるオルコットにも煙草を差し出す。

「10年は寿命が縮んだよ」

 我々三人は並んで座り、しばらく煙草を吹かした。

「…ということは、結局ファーガソンは自分の望みを叶えたのだな。自分の崇拝する世界へ旅立って行った」

「怪物の胃袋の中でね」

「それすらも望みかもしれんぞ、ワトソン君」

 オルコットはしみじみと言った。

「だが、おかげでわしは貴重な遺跡を二つも失う羽目になった」

「二つも?」

「見たまえ」

 粉々になった石舞台を指差す。

「奴が暴れてくれたせいで、跡形もなく壊されたわい。まだ記録が途中だったのに!」

「いや、あなたの学究心には感服するしかありませんな」

 ホームズは微笑んだ。

「しかし少なくとも我々は余人の知らない奇跡を拝めたわけですな、代償を払って。それもまた一興と思いませんか」

「本当に探偵というやつは口達者だな、ホームズ君!悔しいが認めざるを得ん」

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