【3/27 電子書籍一巻発売】魔術師は死んでいた。 作:彩白 莱灯
ここでようやく、父親の顔が見えた。
兄の顔でしかなかった無表情が、父……いや、夫としての顔になっている。
血が上って赤く紅潮した顔は、眼球すらも赤く染め上げる。
引き攣って口角が裂けそうなほどに大きく開かれた口から、俺の鼓膜が破れそうなほど、空間を引き裂く大声が吐き出される。
耳を塞ぎたくても塞げない、耳をつんざく哀しい怒号。
愛する人を取り返したくて、実の子を、実の子たちを、痛めつける父であったのか。
「……あぁ、そうだった」
なにを今更傷ついているんだ。
この人はそうだったじゃないか。
母……妻を亡くした瞬間から怠惰に明け暮れ。
弟……シオンには顔を見ようとも、寄り付こうともせず。
兄……カトには体よく雑務を放り投げ、全てを任せきりにした。
俺には、最低限のことしかせず。
母が亡くなる前の父を知っているからこその絶望に貶めた。
今更そんなこと考えたところで、もうすでに受け入れたことだ。
悲しみはもう、少ない。
俺も国を担う者。
いつまでも親や兄の背を見ているだけではいられない。
支える者がいて、ようやくそう思うことができた。
「なあ、コウよ。儂のために動いてくれ。我が妻をこの腕で再び抱きしめるその時が、どんなに待ち遠しく、嬉しく、胸が高鳴るものか。いずれお前にもわかることだ」
「こ、の腕とは……別人の、ものでしょう……!」
「お前は細かいなあ。魂は儂だ。『体は魂に寄る』と研究者は言った。つまり、この体は儂のものだ」
苦しい。
締め付けが強い。
痛みが……意識が遠のいてきた。
「ああ、そうだ。少しばかり、お前にも儂の気持ちをわからせてやろう」
霞む目に力を込めて、閉じかける瞼に対抗する。
杖を動かし、光る模様を描いている……魔法陣か。
呪文を唱える声がする。
「≪おいでませ おいでませ 魂宿る 不滅の
召喚魔法だ。
低く、しかし期待のこもった声がした。
国王の隣に、魔力を宿した何かが顕現する。
眩しさで瞼を塞ぎたくなる。
だめだ。
塞いだら、意識も落ちる。
光が弱まるまで必死に耐え、霞む視界のピントを合わせ、その場に佇む姿を見て、認識して、理解して。
驚いた。
悲しくなった。
声を上げ、両手を伸ばしたかった。
縛られていて、痛めつけられていて、よかった。
心が揺らいでしまうところだった。
……けれど。
すまない、ヒスイ。
一回だけ。
一回だけ……呼ばせてくれ。
「……は、は、うえ……」
生暖かい何かが、頬を伝った。
気付かないふりだ。
だから、拭うこともしない。
俺の中の記憶と、何ら変わりない。
死んだ時の姿のままなのがまた辛い。
ウェーブのかかった濃い紫の髪。
眠そうに開かれた、垂れ気味の大きな目と、金色の瞳。
お気に入りの服だと言っていた記憶がある、薄い黄色にレースで装飾されたドレス。
俺の記憶のままの、母上。
「おお……妻よ。リウよ!! 気分はどうだ? ホローテの成分は体に異常ないか? その姿を保つためには必要なことだ。難しければ別の手段を検討するぞ」
「あなた様。どうしましょう。
「それならば何も心配ない。不調があれば言うのだぞ。すぐに検査してもらおう」
「嬉しいですわぁ。あなた様のお言葉なら、とても迅速に対応していただけますわね。……ふふっ。でも、やっぱりかーくんのお顔だと不思議な気分ですわ」
会話は仲睦まじい夫婦。
しかし見た目は、兄と、若すぎる母。
兄が母の肩を抱き、近すぎる距離感で語り合う。
その様子を眺めるだけで、何故か冷静になれる。
「リウよ。あの子を覚えているか?」
国王が俺の方を見る。
その視線を追って、母上の上目遣いが俺の方を向く。
「あら。あらあらあらぁ。こーちゃん? こーちゃんよね? あらぁ、まぁ。大きくなったのねぇ」
「わかるのだな。さすがリウ。さすが母親だ。どうだ? 成長した息子の姿は」
「ええ、ええ。とてもとても嬉しいわ。あなた様。私、こーちゃんに触れたいわ」
「そうか。しばし待て」
母上のことは離さずに、反対の手に持つ杖を向ける。
俺の体を縛っていた木の根が力を緩めていく。
力なく倒れるように床に落ち、なんとか片膝を立てて、落ちていた剣で上体を支える。
痛みに耐え、呼吸を整え、視界に影が落ちる。
重い頭を持ち上げれば、ふわりと懐かしい香りが鼻腔を擽る。
「こーくん、大丈夫?」
膝をつき、まるで小さい子どもにするように頭を撫でてくる。
小さく柔らかい手が、ゆっくり、毛を撫でつけるように同じところを反復する。
懐かしい感覚に目頭が熱くなる。
「……り」
「んー? なぁにー?」
「やっぱり、変わらないんですね」
手に力を籠める。
立てた足に力を籠める。
縛られながらも、動かなかったことで少し回復した体力と気力を使って、両足で立つ。
目の前でしゃがんだまま、上目遣いで見つめてくる母。
体も、魂も、母。
母、そのもの。
「……っ、いや」
「んー? どうしたの?」
少し子どもっぽい仕草も、生きていた時と同じ。
本当に……生き還ったん……ですね……。
「んぅ?」
亡くなった時、死んでしまったということが理解できなくて、怖くて、近寄れなかった。
最期の挨拶もまともにできなかった。
悲しいことだということだけわかって、泣いて、見送った。
小さい肩に触れる。
視線の端っこで、国王が体を揺らしたのが見えた。
けれど、こっちには来ないようだ。
よかった。
「……さようなら……」
「っ、あら?」
肩に触れた手を背中に回す。
自身に引き寄せ、その小ささを体全身で感じ取る。
母は、こんなにも小柄だったのか。
自分がそれだけ成長したのか。
違和感。
それは、それだけの月日が経っているということ。
剣を自分の背後の床に突き刺す。
この剣に宿る『特性』を使う。
剣に仕込まれた石が光る。
「……何を……!?」
「国王。俺は、どうしてもやり遂げます。それは、俺のためでもあるし、この国で出生き、死んでいった人たちのためでもある、それが、今を生きる俺の役目だ」
特性『蓄積』。解放。
「わふっ」
「ぐ、ぬ……コウゥゥゥウアアアッ!!!」
背後からの突風が、俺も、国王も一方方向へと押し出そうとする。
剣にため込んだ魔力は、俺が使った魔法と、国王が俺に向かって使用した魔力分と合算されている。
興奮状態になって相当な魔力を使ってきた。
さらには木の根で縛り上げられている間も蓄積されていたはず。
俺の想像以上の風が後方から吹いてきて、体勢を保つのが精いっぱいだ。
そして国王も、魔法は間に合わず、風の力が強すぎて体を支えるのに精一杯で動けていない。
「こーくん……?」
腕の中で、まるで見上げてくる母。
確か。
当時は二十歳過ぎたぐらいだったろうか。
姉と言ってもいいぐらいの年齢差だが、見た目は妹のようにも思う。
これからすることに、罪悪感を感じないわけではない。
「……っ」
呼ばれたことには反応せず、追加の魔力を込める。
風は勢いを増し、国王は足を踏ん張らせて、顔を隠す。
「今度こそ、本当にさようならです」
「……なぜ?」
「……すみません」
「……そっかぁ」
そっと、首に腕を回される。
より強く感じる母上の香りに、気持ちが揺らぐ。
足を蹴る。
追い風と身体強化のおかげでスピードを間違えそうになってくる。
けれど。
幸い、目的地は小さくはない。
たった一歩。
天井に足を付き、底に広がる大穴。
落ちた床のせいで、どこまで穴が続いているのかわからない。
少なくとも三・四階分は抜けているだろう。
それを見て。
わかった上で。
母に
俺は、母の体を。
手離した。
「がんばってね」
奈落に、落とした。
「
小さく、軽い。
華奢な体は。
横から殴るような風に圧されながらも、下へ、下へ、落ちていった。
抵抗するでも、焦るでも、泣くでもない母は。
さっきまでの国王に甘えた姿ではなく。
一人。
強く生きる人間に見えた。
姿が見えなくなったころ、剣の魔力が尽き≪見えざる手≫の効力が弱まる。
それに気づいた国王が、ようやく体を動かして、俺の姿を見る。
目を見開き、何かを探すように周囲を見回す。
そして。
穴を覗き込む。
「リウゥゥゥゥゥゥウウッ!!!!!」
大声で名を叫びながら。
顔を張り詰めながら。
国王は、穴の先へと降りていった。
「……っ」
国王は……いや、父は。
本当に母を愛していた。
愛していたからこそのこの行動なのだ。
けれど。
だからと言って。
何をしても許されるものではない。
そう、強く思う。
……思い込む。
「行け」
俺自身に命令する。
天井から足を離し、床に降り立つ。
剣を回収し、鞘にしまう。
重い体を引きずり、スピードを付け、走り出す。
いつの間にか
「……っ、くそっ」
魔力がほとんどない。
足を止めるわけにはいかない。
自の力で足を動かし続ける。
魔法があれば、すぐに通り過ぎる景色なのに。
しっかり見ることもなく、流してしまえる景色なのに。
景色を見ず、次のやるべきことに移行できるのに。
嫌なことを考える間もなく、やるべきことをやるのに。
魔法が、あれば。
「……魔法がない世界というのは、想像もつかないな」
一人と一つの話を思い出しながら、気を紛らわせた。
この一年、たくさんの話をしていたおかげで、到着するまでの間に思い出が途切れることはなかった。
足はいつの間にか、この国の鐘を掲げる塔の目の前に来ていた。
「最後だ……」
目的のものが目の前に来ると、途端に辛さが増す。
全身が痛む。頼む、もうちょっと保ってくれ。
鐘は見上げるほどの高さ。
中には壁沿いの螺旋状階段。一段、一段、踏み台を上がる。
再度、思う。
『魔法があれば』
使えなくなって、こんなにも縋る事態になるとは。
むしろ縋りすぎていたのだろう。
だからこそ、すぐに魔法に頼ろうとする。
魔法があったとしてもできないことがある。
それをやろうとして、国王のような存在が産まれたのだ。
魔法があっても、侵してはならないことがある。
何でも許されるわけじゃない。
そもそもの前提を、見失ってはならない。
「……長かったなあ……」
考えたことがなかった、『前提』。
魔法があるからという『安心』。
魔法があってもという『失望』。
それに気づくまで、どれだけかかったのか。
長い長い階段を登り切って、ようやく目と鼻の距離に来た。
その鐘はまだ真新しく、光沢があり、傷だらけの俺を映す。
鐘の真下には立てない。
螺旋階段の真ん中に吊り上げられているからだ。
側面から、スグサ殿から頂戴した石を使って、ヒスイに教えてもらった使い方で、この鐘を。
一つは首にかける。
一つは鐘の右に。
一つは鐘の左に。
魔力を練る。
俺の魔力は必要ない。
石に括りつけられた、髪の毛に宿る最高位魔術師の魔力がある。
風が吹く。
炎が上がる。
……空気が弾ける。
「コウゥゥゥゥウ!! 貴様ああああああああ!!!」
「!? 来たか……!」
塔の真下で。
螺旋階段の吹き抜けた位置から。
国王が叫びをあげる。
先程よりも汚れ、傷だらけの体。
何をやろうとしたのかは想像がつく。
そして、それをやりきれず、むしろそのためには俺を殺す方が早いと判断したのだろう。
「殺す!! リウをぉ!! 返せえぇぇぇぇぇぇぇえええ!!!!」
魔法で一直線につき上がってくる。
焦るな。魔力の操作は怠るな。
もう、出来上がる。
……あと一歩。
魔法の方が、早い。
「
ゴロ ゴロ ゴロ ゴロ
バリ パリ
パリッ
カッ
衝撃。
天が低い音を立てながら暗く染まっていき、稲妻が雲を這う。
空気が冷たくなって、一度、大きく光った。
『光った』。
と分かった次の瞬間。
体を揺らし、立っていられないほどの衝撃を受けた起きた。
攻撃された。痛い。
と勘違いしてしまうほど強く。
バランスを崩しながら身をかがめ、小さく蹲った。
数秒経っても次弾がない。
体に痛みがない。
やけに静かだ。
伏せた顔を上げれば、目の前にあったはずの鐘……それどころか、その周囲ですらも真っ黒に焦げていた。
かろうじて形だけ残った黒い鐘。
もうその音を響かせることは不可能だろう。
触れたら崩れてしまうのではと思うほど。
それは確かに攻撃を受けた光景。
いや。
俺がやったんだ。
ヒスイに教わっていた時はせいぜい、足の大きさ程度の焦げ付き。
今はその非じゃないほどに、人が真横に寝て居られるほどに、大きく焼け焦げていた。
「……っ、国王は!」
上から下へ、鐘を一直線に通った雷。
その直線状にいたはずだ。
黒く焼けた場所に慎重に乗る。
石でできた塔。あのスグサ殿が作った魔法であの威力だ。
石すらもどうしてしまうものか、わからない。
踏んだら落ちてしまうかもしれない。
その不安を抱きながら、少しずつ、中央の吹き抜けに近づく。
まるで地獄の縁まで来ている気分だが、本当に地獄だろうか。
人の気配が。ない。
「……」
意を決して覗き込む。
「……」
あれは。人か。
人間か。
国王か。
兄か。
父か。
俺が。
……。
全身に雷の刺青を入れたように不思議な文様が描かれた、人らしき形のそれは。
生きていればあのような形にはならないだろう形で。
顔も、表情すらもわからない状態で。
生きてはいないだろうと言うことだけわかる様子で。
黒く焼け焦げた地獄の底で、横たわっていた。
「……」
自分でも驚くくらい、冷静な自分がいた。
あれが人ではあるものの、誰とも判断つかないのが幸いしたのか。
自分でやったことを責める自分はいる。
しかし、『誰か』わからず、『既に死んでいるはずの人間』であった事実が『冷静な自分』を作り上げているような気がする。
下に行って、詳細を確かめようかとも思った。
けれど、やめた。
単純に疲れた。
その場にへたり込む。
移動しなければ落ちてしまう可能性もあるのはわかっている。
頭ではわかっていても、もう体が動かない。
横たわる。
焦げ臭い。
風が吹いている。
頭と視線を上にずらす。
音を鳴らせない鐘はその場に佇んだままだ。
けど。
その背後に。
黒い雲の隙間から、輝かしい光の筋が見えた気がした。
―――――……