【3/27 電子書籍一巻発売】魔術師は死んでいた。 作:彩白 莱灯
一瞬だけ強張った顔を見せた。
失礼だなあ。
私は悲しい中でも笑顔を作ったのに。
強者らしく顔を引き締めた敵を見て、私は逆にリラックス。
私が緊張したところで動きが硬くなるだけだ。
力を抜いて、相手を見据えて、心の中で構えて。
距離……どれくらいだろう。
わかんない。
とりあえずわかるのは、近くても遠くても、ビー・フォーさんなら一瞬で詰めてしまう距離。
あるようでない程度。
だから――
「……む」
――いつものように、一歩を踏み出す。
一歩。
また一歩。
ただ歩いているだけ。
いつもどおり。
自室から、コウ殿下の部屋へ行くように。
寮から学校へ行くように。
何度も何度も、同じことを繰り返していた時のように、ただ歩く。
そこに感情は――ない。
≪
床を踏みしめる。
強化した足では床が凹んでしまった。
が、そのまま踏み込み、低空状態でビー・フォーさんのもとへ距離を詰める。
「ぬ!?」
左手を顔の前に持ってきて防御の構え。
私の膝の高さが防御の位置。
タイミングを早めに蹴った。
もちろん当たらず、空気を斬る音が聞こえる。
「フン……むぅっ!?」
振り上げた右足とは逆の足をビー・フォーさんの肩に乗せ、右足を振り下ろした。
足の裏で背中を叩く様にぶつけ、飛び上る。
肋骨、肺。
衝撃を受けたら一時呼吸が苦しくなる。
咳き込んでいる様子を冷静に見て、次はどうしようかと考える。
まずは右腕一本を無力化している。
となると……今度は足か。
下腿三頭筋を弱めれば踏み込みが弱くなる。
大腿四頭筋も弱体化したいな。
体幹の筋力をそげば、四肢の力も出しにくい。
呼吸筋を弱めれば呼吸苦で動きが鈍るかな。
倒れさせさえできれば、手首・足首を拘束して、首に足を添えて圧をかけて……。
……。
「ふー……」
違う。
私の知識は、こういう使い方をするものじゃない。
考え方を変えよう。
私は生活するために必要な心身機能について知っている。
逆に、問題になる状況についてもわかる。
生きにくい状況ってなんだ。
「ぬんっ!!!」
「っ!?」
無意識に目を閉じて考え込んでいた。
その間に回し蹴りを食らう。
骨のない、内臓が詰まっているところ。
胃の中の物が沸き上がってくる。
「うっ……」
飛ばされた場所で吐き気を催す。
痛みで耐えきれるはずもなく、抵抗すらもできないまま出し切った。
「さすがに吐いている奴に追い打ちはかけないでおいてやるわ」
そりゃどうも。
ここぞとばかりにというわけではないが吐き切って、水の魔法でさっぱりする。
頭に上った血が下がった。
ふらつきはしないものの、頭の中がひんやりする。
「……一応聞きたいんですけど」
「なんだ」
「やめませんか?」
ダメ元。
もっと早くから聞いておけばよかったという後悔もある。
さっき、イオラさんに「このまま行かせないか」と言われたとき、やってみればよかった。
やらないより、やってダメだった現実の方がよかった。
もしかしたら私たちに構わず行ってくれたかもしれない。
そうだったら、イオラさんはまだ息をしていたかもしれない。
「なんだ。そんなことか。やめる理由がない」
「理由?」
「強者を前にして戦わない理由よ! 強者は正義! 強者が正しい! 対抗する意思のあるやつとは真正面からぶつかり! そして勝った方が主張を通せるのだ!!」
握り拳を作りながら一人、
背後には同じ思想を持つ人たちの幻影すら見えそう。
でも、そうか。
勝たないとだめなのか。
「貴様も通したい主義があるのなら戦え! そして勝ってみせろ! 儂から戦う力を奪ってみろ!!」
気持ちが引っ張られる。
この人の中には、敵に塩を送るという言葉はないのだろうな。
それで相手が強くなるのなら本望とか思ってそう。
引っ張られて、灯る。
「……力を」
「なんだ!」
「戦う力を奪えば、いいのですね?」
力を奪う。
力をなくす。
力が入らないようにする。
『力を入れろ』と命じるのは、脳だ。
「頭をどうにかしてしまえばいいだけ。難しく考えすぎてたな」
「……貴様!!」
ビー・フォーさんは身構える。
近づかないのは、何が来るかわかったからだろう。
両手を広げる。
両手を纏わり付く、黒い
闇の属性魔法。
≪回想の香≫
発動と同時に広がる香り。
部屋全体に広がった、安心してしまうそれ。
例え近づいてこなくても関係ない。
香りは、空気のある所では遠くにも行こうとする。
そして、風属性を持っているこの人なら、空気の流れを操って≪香≫がこないようにするだろう。
「関係ありませんね」
人間、息をしないと生きていけないものですよ。
ねえ、生き還った人間さん。
闇属性と同時に、別の魔法も発動する。
「≪
ビー・フォーさんの周囲の空気を奪い、開いた空間に≪香≫を注ぎ込む。
「くっ……! ぐぬぅ!!!」
「得手不得手はあります。私は武術は得意ではないけれど、魔法はまあ使えます。貴方も魔法を使えるようですが、風の魔法は自身を飛ばしたり、簡単なモノが多かったですよね」
体感で分かる。
私の操る風が、空気が、ビー・フォーさんの周囲を囲い始めている。
「私はスグサさん……最高位魔術師である師匠から教わったものです。いくら私が別世界から来た素人だとしても、魔法のやりあいで、負けることは許されません。特に……風と闇は、あの人が元から持っていた魔法でしたから」
声を上げることはもうなかった。
魔法を使うので必死なのだろう。
全身から汗を拭きだして、瞼を半開きにしている。
「ただでさえ、貴方は傷ついている。万全の状態じゃないんです。そのような状態では、アーマタスで≪香≫を使った時よりも断然、効きやすい」
何とか両足で立ち続けさせるのも酷だろう。
嫌なことをやれと言わせているこちらも、少々痛むものがある。
なので、操っている風を少し、私の背後に回す。
右手に針を持って。
「無理はよくありませんよ」
身体を浮かせて、風で押し込まれる。
あっという間にビー・フォーさんの元へ届く。
私とビー・フォーさんの間には、彼の操る微かな空気の層。
それに、針についた鈴を近づける。
リリーーーーーン
「っ……」
空気の層が消え、≪香≫を含んだ風が流れ込む。
もうギリギリだったビー・フォーさんは、声もなく膝をつき、腹から倒れこんだ。
「おやすみなさい」
目が覚めた時、きっと世界は変わっていることでしょう。
「……」
寝かしつけてしまった大柄な男の人を見て、しばらく立ち尽くす。
こんなのでいいのか。
寝かせるだけでいいのか。
私がされたのは、この程度なのか。
私は殺したいわけではない。
この人を殺すことが目的ではない。
そもそも私は殺せない。
痛めつけることもしたくない。
それなら、これが精いっぱいだ。
無力化する。
抵抗されないように。
邪魔されないように。
それだけで十分だ。
そのはず。
なのに。
胸元を握る。
服を鷲掴む。
指が皮膚に食い込む。
……痛い。
「いたいなぁ……」
何だろうか。
この虚無感は。
このやりきれなさは。
これでいい。
これで十分。
傷つけず、殺さず、寝かせた。
拘束してしまえば、あとはもう、終わりだ。
鐘も鳴らしたし、鐘自体の効果もなくなった、はず。
「……イオラさん」
鉛でも引きずっているように重く、棒のような足。
太腿が持ち上がらない。
靴の底を床に擦りつけながら歩く。
なんとなく既視感がある。
……そうだ。
この世界で、初めて目が覚めた時と似た感覚だ。
懐かしくない。
もう、一年近く経っても、昨日のことのように思い出す。
いくら思い出を積んだとしても、その記憶は鮮明なまま。
それだけ、私には衝撃的だった。
噛みしめる。
踏みしめて、へたり込む。
目を閉じたままのイオラさん。
もともとこの人は白かった。さらに青白くなった気もする。
傷がない。
あればもっと現実味があったかもしれない。
けど、やっぱり傷はなくてよかった。
あったらあったで痛々しい。
現実味がないから、今でも信じられないけど。
「……ごめんなさい」
私がわがままを言って、協力してかからなかったから。
イオラさん一人に任せてしまった。
折角助けに来てくれたのに。
涙すらも出ない。
「ねぇ」
「っ!?」
俯いていて、すぐ上から突然声がした。
私の真横に見える細い裸足。
見上げれば、知っている顔がある。
「シク、さん」
「これ、もう一区切りついてるのよね?」
「はい……」
すまし顔の彼女は私を見て、イオラさんを見て、ビー・フォーさんを見る。
そしてまた別の方向を見て、イオラさんを見た。
何かを話すではなく、ただ見続ける。
「……そ。貴方は、そういう選択をしたのね」
「え?」
「すごいわ。
「あの……?」
「貴方、あっちの大男を拘束してきて。壁沿いにいるローブは放置ね」
「ローブ……あっ」
そういえばいたなあ。何にもしてこなかったけど。
シクさんが不自然に目を向けた方を見れば、確かに壁沿いに佇んでいる。
微かな気配でいるのは消しているのか元から薄いのか。
言われたとおりに、ビー・フォーさんは手足を拘束する。
黒いローブの人はそのままに、シクさんの元へ戻る。
シクさんは、イオラさんを壁にもたれかかる様に座らせていた。
「どうしました?」
「今回は特別よ。文字通り、命を張ったんだから」
「え?」
「貴方に話があるんですってよ。この男から」
この男。
イオラさんのことだろう。
上半身が倒れないように支えるシクさんは、何の変哲もない手をイオラさんに添える。
「……ぃ」
「え……えっ、え、まっ、え?」
「落ち着きなさい。短時間なんだから」
『短時間』という言葉に、身が引き締まる。
微かに聞こえた音の方を、真剣に見る。
真剣に聞く。
一言一句、聞き漏らさないように。
「……ヒ、ゥィ……サ……」
「イオラさん。私です。ヒスイです」
「ゥ、ジ、デ……ヨ……ッタ」
「はい。私は無事です。何とか、役目を達成することが出来ました」
目は開かない。
微かに口元だけ動いて、掠れた声が出るだけ。
それでも、本当に本当に少しだけ、口角が上がったような気がした。
「イオラさんのおかげです。ありがとうございます」
私の声の方が震えが大きく感じる。
震えさせないように喉に力を入れて、なるべく明るく、伝えたいことを先に言わなければ。
「ォ、ン……カエ、セ、タ」
「おん……恩? なんの……?」
「ル、タ……ノ、オン」
「ルタさん……え、ルタさん?」
ここでその人の名前が出てきて来るなんて。
熱くなりかけた目頭にさらに熱が籠る。
抑えていた声量が、大きくなっていく。
「まさか、え? ルタさん? 貴方はルタさんなんですか?」
「……ワカ、ナイ……ガ……ソノ、キ、オク……アル」
記憶があるということは、ルタさんもイオラさんの誕生に関わっていたということ……。
つまり混ぜられているということ。
行方不明になっていたルタさん。
やっぱり、実験に巻き込まれていたんだ。
「そう、ですか……」
「……」
「ルタさんも、助けてくれていたんですね。ありがとうございます」
力の入らない手を握る。
握り返されないけれど、構わず両手で握って、感謝の意をこれでもかと込めた。
まだ、泣かない。
「……ゥ」
「はい」
「モウ、少シ……ダ。ツラ……ィ、ダ、ロウ、ガ……逃ゲルナ」
「……はい」
また、口角が上がる。
面白いからではなく、満足や納得の意味を込めた笑みだと勝手に解釈する。
「……もう、いいのね?」
真横で、シクさんが訪ねる。
私もイオラさんも無言のまま。けれど、シクさんは「そう」と冷静に言った。
添えられた手が離れて、イオラさんの口元は緩んだ。
「……っ」
私はイオラさんの手を握ったまま、顔を伏せて、自分を殺した。
「……この体には、魂が八十以上入っていたのよ」
シクさんが語る。
誰に?
私に?
顔を上げて見るも、私の方は見ていない。
本人に聞かせているようだった。
「魂は死ぬごとに一つの魂が抜けていく。つまり、単純計算でこいつは八十回以上死んだということ」
「はちじゅう……」
「
そう言って自分の腕を掴む手は震えてている。
死んだことが……ないとは言えない。
けど私の場合はイレギュラーにもほどがある。
……例えば、事故とか、苦しんだうえでの病死とか。
殺人とか。恐
怖や苦痛にさいなまれながらなら、そもそも体験したくない。
シクさんやイオラさんは、それを経験しているんだ。
「十回や二十回でも相当な苦痛だったでしょうね。相手はあの男だもの。力でねじ伏せられて、苦しんで、でも死にきれない。これを八十回。そこまでしてでもやりたかったことがあるのよ」
私を見つめる灰色の目が、鋭く光る。
この人の目をこうも近くで見て、視線を合わせるのは初めてだ。
「別にコイツに義理はないし、遣ったのはコイツが決めたことだけど……ここまでさせたのだから、弱音ばっか吐いてないでやることやりなさい」
叱咤激励、だろう。
イオラさんから。シクさんから。
うじうじグダグダ悩んでいた私に対する。
私が進める道がいくつあるのかを挙げる。
進むための条件を考える。
進めない制限を知る。
何をしたいかを自分に問う。
「……私、は」
何がしたい?
「まだ、決まってない」
なら、どうする?
「知る」
何を?
どうやって?
「知っている人に聞く」
……なら?
「戻ります」
―――――……