【3/27 電子書籍一巻発売】魔術師は死んでいた。 作:彩白 莱灯
第1話
この世界に来てから、十何日か経った。
私がこの世界に来たときは言うなれば残暑だった。
月日が経った今はカラッとした空気で、涼しい風が吹き、過ごしやすいという言葉に尽きる日々。
前の世界では、この時期には大雨と暴風が重なり、その影響で天気が不安定なことも多かった。
だけど今の世界のここ、フローレンタム国では晴れ間が続いており、今日は珍しく大雨。
いつも通りの習慣として図書館で本を借りていた私は、この日はさすがに外に出れず、自室で過ごしている。
机の後ろの大きな窓を見れば、外はどんよりとした灰色の雲と、それを滲ませる雨粒。
窓を激しく打ち付ける雨音は音楽には程遠く、集中力を妨げるにまで至るものだ。
心地よかった気候も、雨のせいで湿度が高く、やや蒸し暑い。
「こんな天気は、向こうでもあったなあ」
誰もいないので遠慮なく呟く大きな独り言。
『向こう』というのはもちろん、前の世界のことだ。
スグサさんに言われた課題は少しずつこなしていて、≪回想の香≫を使って記憶も少しずつ戻ってきている。
その思い出した記憶の中にこういった大雨の日はよくあって、それでも仕事や学校に行っていた。
だが正直なところ、それが『以前の私』と言われても、しっくりこない。
映像や劇を見ているだけのようなものだった。
そしてそれはこの世界にいても同じことで、未だに私は目の前の出来事を夢見心地の他人事に思っている。
そんな自覚があるのも可笑しいかもしれないが。
ぼーっと見上げていた窓から、手元の本に視線を戻す。
今読んでいるのは魔法雑学の本だ。
色々な属性と種類の魔法についてまとめられている。
その中でも気になったのが回復の魔法について。
と言うのも、この世界には治癒の魔法はない。
怪我、や外傷はもちろん、内臓損傷や複雑なものについては自然治癒に任せるしかない。
病気についても同様。
そもそも病気だけでなく体についての知識も少ない。
この世界では医術師という職がある。
診察と、切り傷や打撲などの治療を行う。
基本は薬草による治癒が一般的。
私の居た世界で言う、医師兼薬剤師。
魔法に頼っている世界なので、その魔法に頼れなければ発展もしにくいのかもしれない。
この世界の医療技術がどれぐらいなのかはまだわからないが、治療よりも検査の段階で大分差がありそうだ。
コンコン、コン
このノックの音は、あの四人の誰かだ。
「どうぞ」
「こんにちは、ヒスイちゃん」
「うわ。びしょ濡れですね」
アオイさん、外で何か仕事だったのかな。
赤い髪も長いローブも水が滴るほどに濡れている。
大雨の中にいたのだと一瞬で分かった。
「ごめんねー、こんな格好で。すぐ部屋に戻るからここで少しいい?」
ドアを開けたまま部屋に入ろうとしないのは私のことを気遣ってくれたらしい。
別にいいのに。
「シャワー浴びますか? 風邪ひいちゃいますし」
「ヒスイちゃん。君は女の子なんだから、簡単に男の人にシャワーを勧めてはいけないよ」
困ったような笑顔で「ありがたいけどね」と優しく注意された。
そう言われるとそうかも、と思うけれども、私の心配よりアオイさんの心配のほうが大きかったのも事実。
それは言わないでおこう。
一つ大きな咳払いをして、アオイさんは話し始める。
「明日は僕の講義だったと思うんだけど、代役でカミルにお願いしようと思うんだ」
「そうなんですか。わかりました」
「急にごめんね。それだけなんだ。じゃあまた」
「お疲れ様です。お気をつけて」
水を滴らせながら廊下を駆けていく美青年を見送り、部屋の扉を閉めた。
カミルさんに講義をしてもらうのは初めてだな。
なんで急に変わったんだろう。
疑問に思いつつも、答えが出ないので考えるのをやめた。
言わなかったのは言う必要がないのか、言わなくてもわかるということかもしれないし。
机に戻って、時計を見る。
時刻はもう夕方だった。
暗い雲のおかげで一日中暗く、時間感覚が分からなくなってしまっていた。
本を読むのはもうやめておこう。
本を片隅に寄せ、凝り固まった体をぐっと伸ばす。
時々どこかの関節がポキッとなる。
今日は寝る前にストレッチもしよう。
―――――……
「うわ……。どうしたんですか? その手」
お世話になっている人に対して失礼な一言目を決めてしまって、しかし後には引けないから心底心配そうな顔を必死に作る。
目の前にいる先生、カミルさんは、利き手ではない方の左手首を包帯でぐるぐる巻きにされていた。
「昨日の大雨の中、団員と移動していた時にな。一人が倒れて雪崩のように全員倒れた。一番下になった俺は運悪くやっちまった」
包帯で巻かれた手首を持ち上げながら、いつもの不愛想な顔で教えてくれた。
昨日は騎士団の人が、多すぎる雨の対策をしてくれていたらしい。
終わって帰ろうとしたところで、そんな事態になってしまった。
手首を怪我しては訓練はしない方がいいだろうということで、私の講義を引き受けてくれたらしい。
今日は先日の大雨の後処理で力仕事も多いし、居ても足手まといになるからと。
ちなみに今日は眩しいほどの晴天である。
本当、昨日の雨が嘘のようだ。
そしてさらに嘘じゃないと裏付けるようなカミルさんの怪我。
騎士団の人たちは皆体格がいいのに、天気が悪くてぬかるんでいるところで転んだだけで、団長さんが戦力を削られてしまうのだから……雨ってすごい。
「そんなわけで、今日は俺が講義をするが……なにをすればいいんだ?」
私の部屋で、いつもの講義の代打として来てくれたカミルさん。
さっきの「うわ」は、机で準備をしていたところに時間より少し前に訪れて、入ってもらったところの第一声だった。
「アオイさんには火と土と光の魔法の基礎と、国学について教えてもらってたんですが……」
「じゃあ国学だな。魔法は専門の奴らに教わった方がいいだろう」
騎士団も魔法を使わないわけではない。
しかし餅は餅屋ということだろう。
ちなみに騎士団の魔法は武器への付与や身体の力の向上のようだ。
一応基礎魔法に入るらしい。
基礎も鍛えればスペシャリストとなる。
そう教えてくれたのはスグサさんだ。
騎士団の使う魔法はつまりはそういうことなのだと思う。
カミルさんの怪我のことはさておき、国学ということで歴史や文化について教えてもらうこととなった。
―――――……
教わって、時計が一周ほどした頃。
今日の分の講義が終わった。
「わかったか?」
「はい。わかりやすかったです」
「そうか」
アオイさんのように冗談を交えたり、ロタエさんのように実技が混じるわけでもなく、淡々としたものだった。
それでも好奇心をくすぐられるというか、意欲を駆り立てられる言い回しや内容ですんなり頭の中に入ってきた。
上に立つ人は説明もうまい人が多いのかな。
「あ」
片づけをしていたところ、カミルさんの手の包帯がほどけてしまった。
垂れてしまった包帯をとってはぐるぐると適当に巻き付けている様子を見て、思わず、声を上げる。
「あのっ」
「ん」
「あ、えと……包帯、私に巻かせてもらえませんか?」
カミルさんは普段からむすっとしている。
決して愛想がいいわけではないし、ガタイがいいから迫力もある。
最初はその外見から近寄りがたい人だと思っていた。
それでも接しているうちに、ただ表情を作るのが苦手なだけの愛妻家なんだとわかった。
私を娘のようにも扱ってくれているし。
アオイさんのような長年の付き合いがある人からすると、カミルさんは私と話しているときには雰囲気が幾分柔らかくなっているらしい。
雰囲気は私にはわからないけど、優しく接してくれているのはわかる。
だから、見過ごせなかった。
「思い出した中に包帯の巻き方もあって……怪我してるなら、ちゃんと巻いたほうがいいと……思うので」
言っといてなんだが、ちゃんとできる自信はない。
見様見真似ならぬ、思い出思い出しながらだし。
そんな不安を読み取ったのかはわからない。
私がまだカミルさんの表情を読み取れないというのもあるが、一言「頼む」と言ってくれた。
大きく頷いて、二人してソファーに座る。
「医術師には見せたんですか?」
「ああ。固定はその時にしてもらった」
一度包帯を解いてみて思っていたが、巻き方が、なんというか、雑……。
布で関節部分をぐるぐる巻きにしているだけで、均一ではないし締め付けすぎている気もする。
圧に気を付けながら、八の字に巻いていく。関節の動きを邪魔しすぎないように、慎重に。
「骨折ですか?」
「……さあ」
「え、言われていないんですか?」
「そこまで調べられないからな」
この世界では骨が折れていないかどうかの検査もできないのか。
医学はそこまで進んでいないということは本で読んで知っていたけど……。
魔法でもできないものなのかな?
「検査とかってできないんですか? 透視とか」
「透視の魔法は違法だ」
「えっ」
「『覗き』だからな。更衣室とか、機密文書とか見られてはならない」
結構メジャーな魔法かと思っていたのだけど、この世界はそういう扱いではないらしい。
たしかに透視ではなく覗きと言われると、途端によろしくないものに聞こえる。
「そっか……骨が見えればすぐわかったのに」
―― 見れるぞ。
突然、体の中から声をかけてきた。