【完結】わたしのかんがえたかっこいいるいずさま 作:Leni
46.貧乏貴族の三女
トリステイン王国の首都トリスタニアには、清掃屋と呼ばれる水メイジの集団が居る。
『水』の魔法で街中の汚れを洗い流し、汚物を除け、清潔を保つ。
医療の現場ではもはや常識となっている『衛生』の観念を街全体に広げるために生まれた、公共の清掃員である。
設立から八年とまだ新しく規模も小さいため、裏通りなどでは清掃が行き届いていない場所もある。しかし、その規模ですら、病の減少と大通りの活性化という実績が上がり、清掃屋は少しずつその人数を増やしている。
『水』のメイジである少女アンも、そんな清掃屋の一人であった。
領地を持たない貧乏貴族の三女として生まれ、貴族の技術である魔法を生かした仕事を求めて清掃屋に就職した。
清掃屋には貴族は少なく、その多くが平民階級のメイジである。さらには、掃除用具を使って、道に落ちたゴミを集める非メイジの平民も居る。
プライドの高いトリステイン貴族ならば、平民と肩を並べて仕事などできぬ……と憤慨するところ。しかし、数少ない清掃屋に勤める弱小貴族は、そのようなプライドなど持ち合わせていなかった。むしろ、危険もなく安定した収入を得られるこの仕事を喜んで受け入れていた。
少女アンも、そんなプライドの欠けた貧乏貴族の一人。
いや、さらにたちの悪いことに、清掃屋という仕事に対するプライドまでも欠けていた。
「仕事時間中に飲むお酒は、美味しいわね」
まだ日も高い平日の昼間。
アンは街の巡回から抜け出し、酒場宿『魅惑の妖精』亭で果実酒をあおっていた。
「…………」
そんな不良貴族の隣で、ブロンド髪の平民が一人、呆れた顔でため息をついていた。
「仕事サボって飲酒とは、いいご身分ですね」
「あらあら、こうやって街の様子を見回るのが、清掃員の仕事よ」
清掃員の証である空色の短いマントを片手でつまみながら、アンが言った。
それに対し、ブロンドの平民は冷たい目線を向けて、言葉を返す。
「その酒場の見回りに、なんで、わたしが付き合わされているんでしょうね」
アンの友人であるこの桃色がかったブロンドの平民ヴァネッサは、アンの実家に住む書生だった。
職を持たない居候の身であり、日課である家の雑務を手伝おうとしたところ、
専用の清掃用具もない魔法の使えぬただの書生では、当然、清掃屋の手伝いなど勤まるはずもない。だが、書生を連れてアンが向かった先は、馬糞の転がる馬車道でも、生ゴミの捨てられる屋台横でもなく、一軒の酒場宿だった。
「たまには、息抜きもいいのではなくて?」
「わたしは息抜きした分だけ、本業がおろそかになるんです」
ヴァネッサの本業は書生、つまり勉学の徒だ。居候先の雑務を終わらせた後に、勉強をしなければいけない。
だが、アンはそのような事情を気にする様子もない。
「たまには、わたくしの息抜きに付き合ってくれてもいいのではなくて?」
「よくありません。……が、言うだけ無駄なようなので諦めます」
「あらあら、息抜きだというのに、そんな暗い顔をするものではないわ。そうそう、ここ、ベリーケーキが美味しいのよ。ジェシカちゃーん」
ヴァネッサの言葉を右から左に流したアンは、近くのテーブルを布巾で磨いていた店員を呼ぶ。
はーい、と返事をしたのは、長い黒髪を後ろに流した、可愛らしい少女である。だが、その可愛らしい顔に浮かぶのは、笑顔ではなく呆れの表情。
「なんでしょうか、不良メイジ様」
「あらあらいきなり酷い言われよう」
『魅惑の妖精』亭は人気の居酒屋だが、開店は夕方から。今テーブルについて軽食を取っている者は、二階に併設された宿の宿泊客だ。
そんな場所で、宿泊客でもないアンが昼間から酒を飲めているのには、当然、理由がある。
アンはこの店の店長ミ・マドモワゼルと顔見知りであり、その店長に気に入られて「いつでも食事に来て良いわよぉ~ん」と言われているのだ。
そして、この店員ジェシカは、その店長の娘。アンとも当然面識があり、親しい友人とも呼べる仲であった。
「そのマントを着けて昼間から酒飲んでいる道楽者が、不良以外の何だって言うのさ」
ゆえに、ジェシカはアンが貴族であっても、友人として正面から軽口を叩く。
そんなジェシカの言葉に、同席のヴァネッサは「まったくだ」と同意する。
ジェシカとヴァネッサは今日までお互い面識は無かった。だが、どうやら共通の友人に対する認識は、同じものであるようだった。
「こんな昼間からお酒が飲めるのも、アンリエッタ姫将軍殿下の善政のおかげですわね」
自分に向けられた悪口を意にも介さず、アンは果実酒を口にしながらそう言った。
そんなアンを見て、ジェシカは腰に手を当てて言い返す。
「こんな不良メイジをのさばらせておくなんて、姫将軍殿下の善政とやらも、鳥の骨の采配とやらも、まったくなっちゃいないもんだね」
ジェシカの言葉に、ヴァネッサは苦笑した。
王家の膝元の首都でアンリエッタ姫将軍殿下、すなわちトリステインの王女様の悪口を言うなど、不敬にもほどがある行為だ。
とは言っても、場末の酒場での雑談に、いちいち不敬罪を持ち出すほど今の王家は横暴ではない。その証拠に、公職に就いているはずの清掃員のアンも、ジェシカの軽口をスルーして酒を片手に笑っていた。
「それよりもジェシカちゃん、ベリーケーキを――」
と、アンが追加の注文をしようとしたそのときだ。
店の羽扉が、大きな音を立てて開かれた。さらには、マントを羽織った貴族の集団が、続々と店内へとなだれ込んできた。
その最後尾には、でっぷりと太った中年の男。過剰に装飾がなされたその服装から、上位の貴族であることが見て取れた。
その姿を横目で確認したジェシカは、先頭に出てきた肥満体の中年貴族へと身体を向けて姿勢を正した。
「これはこれは、チュレンヌ徴税官さま。ようこそ『魅惑の妖精』亭へ」
ジェシカは引きつりそうになる表情を必死に整え、目の前の貴族、チュレンヌ徴税官に対応する。
「申し訳ありませんが、店主はただいま留守にしておりまして……」
「なに、今日は仕事で参ったわけではない」
ジェシカの言葉をさえぎり、胸をのけぞらせながら言うチュレンヌ徴税官。
仕事ではないなら客か、とジェシカは判断し、低姿勢を保ったまま再度、徴税官に向けて言う。
「酒場の開店は、夕刻からとなっております。今は見ての通りのただの宿でございまして……」
そう言ってジェシカは店内を手で示す。
酒場にただよう不穏な空気を察知した宿泊客達は、すでに二階の宿泊部屋へと姿を消していた。
「客として参ったわけでもない。今日は、この店の店員に私用があってな」
「店員、ですか……?」
「ジャンヌ、という娘がこの店におるだろう」
チュレンヌがその名前を告げた瞬間、店の片隅から「ヒッ」という引きつった悲鳴があがった。
その声の主に、ジェシカは視線を向ける。
視線の先に居たのは、栗毛の女の子。『魅惑の妖精』亭の店員の一人、ジャンヌだった。
「……ジャンヌが、何か?」
「少々、私的な用があるだけだ。おぬしが口をはさむようなことは何も無い」
目標を見つけたチュレンヌはジェシカから視線をはずし、ジャンヌを見据える。
そして後ろに控えていた下級貴族の一人に「連れてこい」と指示を出した。
「ヒィッ、や、やめ、やめてッ……!」
近づく貴族から逃げるようにジャンヌは後ずさる。が、数歩下がったところで壁に背がぶつかり止まった。
逃げ場を失ったジャンヌの腕を貴族がつかむ。
「いやっ、いやあッ!」
ジャンヌは叫び声をあげて手を振りほどこうとするが、腕を掴む下級貴族は大人の男性。
非力な少女は、満足に抵抗することもできずに、入り口へ引きずられていく。
「たすけ、助けてジェシカさん!」
自分を呼ぶ同僚の叫びに、尋常ではない事態になっている、と今更ながらにジェシカは理解した。
「ジャン――」
「私用である、と言っただろう」
ジェシカがジャンヌに手を伸ばそうとした瞬間、チュレンヌの背後の貴族達が一斉に杖を引き抜いた。
いきなりの抜杖に驚愕したジェシカは、反射的に手を引っ込め、勢い余って後ろへわずかによろめいた。
杖とは暴力だ。平民にとって、杖を向けられることは、首に刃物を押しつけられるのと同義。
「ふぉふぉふぉ、それでは店員をしばし借りるとしよう。返す気はないがね」
そう言い捨て、チュレンヌは腹をゆらしながら入り口に振り返る。
杖を向けられたジェシカは、その背中をにらみつけることしかできない。
チュレンヌは笑いながら店を後にしようと、羽扉を押した。
その瞬間だ。
銀色の光が、ジェシカの視界を横切った。
肉を打つ鈍い音が響く。突然、貴族の手から解放されたジャンヌが、後ろに倒れ床に尻餅をつく。
それと同時に、彼女の横に金属製のフォークが音を立てて落ちた。
まさかの事態に、ジェシカは目を見張った。
見れば、ジャンヌを連れ去ろうとしていた貴族が、腕を押さえて屈み込んでいる。
「昼間から人攫いなんて、王都も物騒ね」
店内に若い女の声が響いた。
声の発生もとは、ジェシカの横。そこには、ブロンドの髪を三つ編みにした眼鏡の少女、書生ヴァネッサが座っていた。
書生は食事を取っていた位置から動かず、ただ右手を前に突き出していた。
そんな書生に、隣のアンが果実酒片手に、合いの手を入れた。
「思っていたより治安が悪いのかしら。ジェシカちゃんが、さっき言った通りですわね」
そこでようやくジェシカは状況を理解した。
この平民の書生が、店の食器を投げつけて、ジャンヌを解放したのだ。
「ぶ、無礼者!」
ジェシカと同じように状況を理解した貴族の一人が、書生に杖を向ける。
次の瞬間、轟音が響いた。
貴族が魔法を放ったのか、とジェシカは思ったが、違った。
貴族達は誰も、魔法を使うためのルーンを唱えていない。今の音は、書生が足の裏で勢いよく床を蹴った音だ。
「ハアッ!」
床を蹴り、一瞬のうちに杖を構える貴族に肉薄した書生。勢いそのままに、彼女は貴族に靴の裏を向けた。
跳び蹴り。
ゴ、とも、ガ、とも聞こえるうめき声をあげて、貴族は吹き飛ぶ。そして、羽扉に手をかけていたチュレンヌを巻き込んで、店外へと転がり出た。
慌てて店の外に顔を向ける、徴税官に付き従っていたもう一人の取り巻き貴族。その後頭部に、書生の後ろ回し蹴りが叩き込まれる。
ただの書生の少女のものとは思えぬ、強烈な一撃を受けた貴族は横転し、チュレンヌ達の後を追うように店の外へと転がった。
「あらあら、相変わらずお転婆さんね、ヴァネッサ」
その様子を眺めていた清掃屋アンは、書生が座っていた椅子を笑いながらつかむ。その直後、彼女は先ほどジャンヌを連れだそうとしていた貴族に向けて、その椅子を投げつけた。
先ほど書生が投げた食器とは違い、山なりに放物線を描きゆっくりと飛ぶ椅子。
当然、貴族はその椅子を避けようと身構える。
店内にいる貴族達の視線は、投げつけられた椅子に向けられていた。
椅子が弧を描き飛び、落ち、貴族が避ける。
そのわずかな隙にアンは腰にさしていた剣杖を抜き、軍人さながらの早口でルーンを唱えていた。
「デル・イル・ソル・ラ・ウィンデ」
空気のハンマーを打ち出す、『風』の系統魔法が放たれる。
轟音が響き、店の入り口に陣取っていた貴族達が、魔法をまともに食らい、まとめて店外へと叩き出された。
彼らの前で蹴りを放っていた書生をも、巻き込んで。
「――って、コラーッ! アン! わたしを巻き込むな、この酔っぱらい!」
魔法の直撃を受けたというのに無事で済んだのか、書生が店の外からアンを罵倒した。
「あら、ごめんなさい。わたくし、『風』の魔法は、そこまで得意じゃないのよ」
『水』のメイジである清掃員アンは、そう笑って店の入り口へと向かう。
彼女の利き手には、一本の剣杖。ハルケギニアにおいて一般的なレイピア状の軍杖ではない。
数年前『賢者』が考案したとされる、トリステイン軍人の一部が使う杖が組み込まれた片刃の曲剣だ。
遠くの敵に魔法を撃ちながら、近くの敵を『硬化』の魔法が施された刃で斬りつけるという、メイジとしての見栄を捨て実用性のみを追い求めた最新兵器。
アンは、その剣杖で壊れて動かなくなった羽扉を切り落として、外へと出る。
『魅惑の妖精』亭を出たチクトンネ街の通り。平日と言えども、ここはトリステイン王国の首都。通りを歩む者は多い。
その首都の道での乱闘劇。当然のように、野次馬が集まってきた。
小柄で眼鏡の文学少女が、メイジの集団を相手に蹴り、殴り、杖を奪い、膝で杖を叩き折る。
メイジである貴族に対する
ならば自分は剣術のみを使って加勢しようか、とアンが剣杖を構えたときのことだ。
「衛士さん! こっちです! こっち!」
と、通りの向こうから短髪の女性が
それを見た徴税官チュレンヌは、書生とアンをにらんだ後、取り巻きの貴族達に指示を出した。
「ええい、引け! 引けい!」
出した指示は、撤退。徴税官であるチュレンヌといえど、警邏隊の前で私闘を行なって見逃されるということはない。
彼が大きな顔をできるのは、あくまで税を徴収する店の中だけの話だ。
ゆえに、警邏隊に詰問される前に逃げなければならない。
平民との私闘ならば、現場で捕まりさえしなければ後をひくことはないだろうと、チュレンヌはとっさに判断。
人だかりをかき分けて、彼らは逃げ去っていった。
衛士達が店の前に付く頃には、すでにチュレンヌ達の姿はなく……。激しく動き回ったせいで乱れた服を直す書生ヴァネッサと、振るう機会を失われた剣杖を持てあます清掃屋アンが残るのみだった。
そんなアンの姿を見つけた衛士の一人が、ため息一つにつぶやいた。
「またあなたですか、アン殿」
「はいはい、お説教は後にしてくださいまし」
街中でいらぬ騒ぎばかり起こす不良清掃屋アンは、顔見知りの衛士に軽く手を振ると『魅惑の妖精』亭へと戻っていった。
乱闘後の店内。椅子の
人的な被害者である店員ジャンヌはというと、書生から助けられたときの尻餅をついた姿勢のまま、床に座り込んでいた。
「大丈夫よ、貴女を連れ去る、悪人メイジさんは追い払いましたわ」
「あ、ありがとうございます……」
アンが手の平を差し出すと、ジャンヌはその手を握った。
アンはそのまま手を引っ張って、ジャンヌを助け起こす。徴税官の取り巻き貴族に強く腕をつかまれていたようだったが、怪我はないようだ。
「で、なにゆえ攫われそうになったのか、差し支えなければ教えていただけるかしら?」
そうアンが問うと、ジャンヌは「ヒッ」と息を飲んで、顔を引きつらせた。
「なんでもないんです! 本当に、なんでもないんです!」
ジャンヌはつかんだままだったアンの手を乱暴に払い、店の奥に逃げていった。
「…………」
本人に聞けないならば同じ店員のジェシカに聞こうか、とアンは一瞬考えたが、すぐに止めた。
この『魅惑の妖精』亭は、店長が他に行き場のない後ろ暗い過去を持つ女達を集めて経営している店だ。同僚がワケありだったとしても、部外者にそれを話すわけがない。店長からして『普通ではない』のだ。
この場で聞けることはない、と判断してアンは後ろに振り返った。
衛士達が壊れた扉の検分をし、その向こう側の表通りでは書生に事情の説明を受けている。
よく見てみると、その衛士達に交じって、一人の平民が店の入り口横に立っていた。
乱闘の最中に警邏の者を引き連れて来た、金髪の女性だ。
通報者として現場に残されていたその女性に、アンは近づいていった。
そしてアンはその女性の真横に立つと、小声で女性に呼びかけた。
「アニエス」
「はっ」
アンの呼びかけに対し、女性も小声で返事をする。
「チュレンヌ徴税官を調べなさい。『なにか』があるわ」
ジャンヌを攫おうとした徴税官チュレンヌ。これは、平民を手込めにしようという下心からきた話ではない。そう、アンの『勘』が告げていた。
「隠密隊の腕を見せて頂戴」
「承知致しました……ご期待に応えてみせます、姫さま」
女性の返答に、アンは口もとを吊り上げて笑う。それは不良清掃員アンとしてのものではなく、トリステインの軍権を握る姫将軍アンリエッタとしての笑みであった。
□暴れん坊君主~わたしのかんがえたかっこいいあんりえったさま~□
・羽扉
原作表記そのままですが、おそらくはスイングドアのこと。原作で羽扉と書かれているので誤字報告は勘弁願います。
・ジャンヌ
原作に登場する名有りのモブキャラですが、本作品では本章のキーキャラとして経歴を捏造した半オリキャラになります。
・デル・イル・ソル・ラ・ウィンデ
原作二巻でワルドが用いた空気のハンマーを打ち出す魔法の詠唱ですが、『エア・ハンマー』の魔法は『ラナ・デル・ウィンデ』という詠唱のため、別の魔法の可能性があります。
・硬化
物質の強度を高めると思われる魔法。原作二巻では『硬質』と書かれていますが、それ以後は『硬化』表記なのでおそらく『硬化』が正式名称。