フルフルニィ………「誰!?柱間って誰なのォ!!?」 作:アンディライリーのうさぎ
────オレがもし死んだ時は、お前にオレをやろうと思う。
その言葉を聞く前から、天元は柱間という男から“死の匂い”を感じ取っていたのかもしれない。
『死の匂い』を動物が感じ取っていた…という話は、世界に複数存在する。
例えば、リハビリ施設に引き取られた猫が添い寝した患者が、次々と息を引き取った例のように。
また、ガン探知犬の例もある。
それが実際に死臭のような形で、死が近い人間から何らかの体臭として漂っているのかもしれない。
しかし天元が感じたのは、嗅覚に訴えるものではなかった。
もっと、彼女の経験則に基づいたものだ。
多くの人間の“生と死”を目の当たりにし、自身も数多くの死を浴びてきた。
彼女の隣人でもあるその“死”が、柱間のすぐ側にいるのを感じた。
そして実際に、柱間は病気にかかっていた。
その状態で呪詛師の討伐に追われ、非術師たちからも憎悪の目を向けられた。それでも事態を収集させるため、身を粉にして働き続けた。
その間天元は呪詛師に狙われているため、屋敷に引き込まざるを得なかった。
毛嫌いしている生意気な小娘との生活。羂索がもっと年相応の娘だったら、天元とて血のつながった娘のように接しただろう。もちろんこれは、柱間の外堀を埋める策略でもある。
しかし羂索はまったく可愛くなかった。息をするように天元を煽り、キレさせ、彼女の血圧を上昇させた。
ただ、そんな時間が不安な気持ちを紛らわせる唯一の時間だった。
「柱間……」
あの甘い男は呪詛師に殺されるより、守ろうとする非術師に背中を刺されてしまう可能性の方が高かった。
また、天元を崇拝する者たちも不穏な動きを見せていた。
呪詛師はともかく、信者たちは自分が制御を取る必要がある。
ただそれは、中立な在り方をすると決めた彼女の意思に反してしまう。
信者たちの考えもまた、天元の話を受けて彼らが見出した一つの『答え』なのだ。「天元を信奉する」という、答えである。
その信仰心を利用し、争いを止めるのは過干渉になってしまう。
天元は悩み、悩んだまま────事を静観する道を選んだ。
「どうか無事でいてくれ、柱間……そして、『
天元は祈るしかなかった。
その末に、争いが終わった。
世の動乱が治っていく中で、柱間の無事も知った。
早く、早く彼の元に向かいたかった。
そうして抱きしめ、胸のうちに燻る恐怖を取り除きたかった。
争いは終わったのだ。だからこそ、自分の感じた柱間の“死の匂い”が気のせいだったと信じたかった。
しかし、まだ日も出ていない時間に凶報が届いた。
それは、柱間が天元派の中でも過激派の者たちに襲われ、死んだ──というものだった。
正確には少し異なる。おそらく頭部に致命傷を受けた柱間は、呪霊に転ずることを恐れ、自身の木で頭部を潰し自害した。
回収された遺体は、天元が“
確かに首から上の頭部が無くなっており、断面は強い力がかかったように潰れていた。
何よりも、体のいたるところに病気と思しき黒いアザがあった。
この病気が自分が感じた“死の匂い”だったのだと、天元は確信した。
「はし、らま……」
あと50年どころか、100年は現役で術師をやっていけそうだった男。
何なら天元の方が先に老けてしまいそうだった。彼女は近ごろ、顔の些細な小皺に怯えるようになっていた。しかし柱間は10年以上の付き合いになるというのに、何も変わっていない。未来ならともかく、時代は奈良。年を取るほど外見が実年齢+@になる。あまつさえ、あと数年経てば初老(40歳)の域になる。だというのに、青年の若々しさを残したままだった。
「すまない、すまない……。私はお前に、何もしてやれなかった…」
柱間は天元のためにもこの騒動を収めようとしていた。羂索を彼女に預ける際、「オレに任せておけ」と言っていた。
「お前は本当に………本当に、死んでしまったのか」
血や土の汚れを拭われた肌は、病気の痕跡以外に傷ひとつない。綺麗なその肌に天元は手を滑らせ、腹の部分に顔を乗せて瞳を閉じた。
自分を抱きしめた時に感じた、あの勇ましい心臓の音が聞こえない。天元の目尻から溢れた涙が、よく焼けた肌に落ちた。
肺も酸素を取り込まない。熱も彼女の体温を奪っていく。
いずれ訪れると覚悟していたはずの別れは唐突で。
彼女の心に、深い悲しみと孤独が刻まれた。
羂索が天元を恨み、彼女の元を去ってから時が流れていく。羂索のことも柱間の忘れ形見として気にかけていたが、その心も時間が経つにつれ薄れていった。
ぽっかりと空いてしまった彼女の心の穴。その穴は広がり続けるばかりだった。
世の中は柱間の死の後、再び荒れて行った。
彼に付き従っていた術師たちは朝廷を見かぎる者と、それでもなお柱間の意思を継ぎ、民を守ろべく朝廷に従う者とで内部分裂が生じた。
それから朝廷の中で、再び術師を権力に利用しようとする輩が現れたり──。
朝廷を離れた術師たちが一つのグループに纏まり、呪霊退治を行うようになったり──。
そうして、時代の転換点が生まれつつあった。
そんな中でも彼女はまだ、
世の太平のため、中立な立場でこの世の趨勢を見守り続けた。
「柱間…」
天元の支えは柱間が残した肉体だけだった。遺体はなぜか腐っていない。どういう原理で腐っていないのか、さしもの天元でも分からなかった。
「お前は本当に、私の隣にあり続けることかできたんじゃないか?」
そう声をかけても、当然返事はない。
彼女はこの地獄に溺れないよう、その遺体を抱きしめて寝るようになった。すると不思議と、明日の朝陽を浴びても地獄を泳ぐ勇気をもらえた。
次第に肌を重ね、そして────まぁ、彼女も人間ということだろう。
超えてはならないラインを超えて、その時ばかりは極楽浄土の門を叩いた。
「………へ、あっ?」
そこで天元は、この肉体が腐らない死体ではなく、
柱間細胞ミステリーに入門してしまった天元は、その『愛』に溺れた。
柱間から与えられたことのないもの。それは友愛ではない。もっと獣の本能に従った愛だ。
(愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる………っ♡♡)
溺れて溺れて。この愛に依存していく天元。
それから、たった一度の奇跡が起こった。
子を授かった。己では絶対に手に入ることのなかった、女の一つの幸福の形。
生まれた我が子は天元にも、彼女が愛する男にも似ていた。
この命を自分の命に変えても守ろうと、彼女は心に誓った。
「いとしい……私の、我が子」
子はすくすくと成長して行った。
赤子から幼児へ、幼児から少年へ。そして少年から青年になった時に愛する人を見つけ、子を授かった。初老にいたる頃には、孫にも恵まれていた。
幸せな毎日だった。天元の長い人生の中で、これほどまで幸福に満ちた時間はない。もちろん、柱間と過ごした時間も彼女にとって、幸福な時間だった。
だが、幸せも長くは続かない。息子が死に、その嫁が死に、孫も死に────。
彼女の愛した者たちは皆、彼女を残して死んで行く。
すると天元は、これまでの幸せな日々が幻想だったことに気付いてしまった。阿鼻の地獄が彼女に微笑みかける。
呪いを絶えず生み出す、人間たちの罪深さ。
その地獄で彼女は回遊する。『因果』に守られた死ぬことのできない呪いを抱え、永遠に。
着実に彼女の心は壊れて行った。
そしてとうとう、人の世に関わることをやめてしまった。
自身の太平の世を目指す“大義”を、置いてきてしまった。
「もう、もう………生きとう、ない」
それでも彼女は死ねなかった。
時がさらに流れ、彼女から生まれた『千手一族』が結界術の技術を生かし、確かな地位を築くようになった。
彼らはまた、呪術全盛期になる前に人の世の争いの中で消えてしまった、天元を崇拝する宗教を復活させた。
不死────ではなく、
この天元を崇拝する宗教と、旧時代の最強が「神」としてこの世に復活することを謳う『樹神教』は対立関係にある。
度々小さないざこざは起こりつつ、二者は睨み合う形で存続していった。
そして呪術最盛期の時代に、天元の『器』と、六眼を持つ人間が現れた。
天元と因果で結びつく彼らは天元が老いていない以上、本来は必要ない。しかして因果に巻き込まれ、天元と深く関わる彼らには「識る」権利があった。
それを「識らない」ままにさせることは、
彼女の壊れ切っていない部分の中で、『中立者』としての責務がまだ残っていたのだろう。
それが彼女を久々に動かしたのだ。
それからさらに時が流れる。
もう愛する男が死んでからどれほどの時が経つのか、天元には分からない。
毎日があっという間に過ぎていく。朝が来たと思えば夜が来て、一瞬のうちに朝が来る。
「何かを考える」ということが、今の天元にとっては難しいことになってしまった。喜怒哀楽の秒針も一向に動かない。
周囲の人間たちに世話をされ、唯一幸せになれる『愛』の時間を過ごす。
そんな日々の中で天元は、そう言えば──と思い出した。
和鏡に映る己は皺一つなく、若々しい見目もしている。彼女が片目をつむると、その鏡の中の女も反対の目を閉じる。
「何をなさっているのですか? 天元様」
「かがみのなかにいるおんなが、わたしをマネする」
天元の長い髪を手入れする女は、微笑みながら「この鏡に映るお美しいお方は、天元様でございますよ」と言った。
自分はこんな見目をしていたのかと、天元は思った。普段はぼんやりとしているため、自分の姿を忘れてしまっていたらしい。
いや、そもそもなぜ、自分は年を取っていないのだろうか?
ふと過ぎった疑問は、髪の手入れで脳がゆらゆらと揺らされるうちに、眠気の中に消えていった。
(そういえば、はしらまのかおはどんなものだった?)
地獄からつかの間の夢の旅路に向かう前に、宙を漂うような心地の天元は、記憶の糸をたぐり寄せる。
自分が愛した男。たしか髪は黒く、長かった。肌はいつも見ているような日に焼けた色をしていた。声は………思い出せない。ならばその顔は────、
(あやつの…………あやつの、かお?)
天元は愛した男の顔を、思い出すことができなかった。
その事実に気づいた時、天元の中で何かが破裂した気がした。
息子の顔も、その妻の顔も、孫の顔もひ孫の顔も────すべて、思い出せない。
(あぁ、あっ、あああああっ!!!)
地獄の中で彼女は溺れ、その魂はあぶくと混じって溢れていく。
そんな地獄でふと、聞き覚えのある声が聞こえた気がした。
その声に縋るように女たちを押しのけ、裸に着物を一枚引っかけた状態で駆け出す。自分の手足をつかみ縛りつけようとするその人間たちを、彼らの手足に結界を作ることで、動きを封じた。
「いけません! 天元様ッ!!」
「侵入者が来ているのです!! あの邪教の者どもの手下に違いありません!!」
「天元様ッ、どうかお戻りに……!!」
女たちの必死な制止の声は右から左にすり抜けていく。
自分と柱間が住まう結界を出て、声の方向に向かう。数百年ぶりに駆けたことで、少し走っただけでも過呼吸になる。
それでも天元は走った。
「ハッ、ハァ……ハ………なに、ごとだ?」
倒れている人間たちの中心に、一際異彩を放つ存在がある。
動く木と、そのうろの中にいる人間。その人間の隣にひょっこりと幼子の顔が覗いていた。
「……ッチ、向こうから来たか」
「舌打ちするんじゃない。行儀が悪いと言ってるだろ」
舌打ちをしたうろの中の男は仮面にしては奇妙なものを付けており、その男とは違う声がうろの中から反響して聞こえてくる。
鮮烈なフラッシュバックをした天元の脳裏に、思い出したくても思い出せなくなっていた男の顔が過ぎった。そうだ、と声を漏らす。
「ッ、うっ……」
走った疲労と脳にかかった負荷に耐えきれず、天元の体が倒れていく。
その体を伸びた枝が絡みとり、うろの側まで引き寄せる。
「はし……らま?」
天元は仮面の男にそろそろと両手を伸ばした。が、しかし、その手ははたき落とされる。「私に触るな」とドスを利かせた声が聞こえた。
拒絶されてしまったことに、天元の精神が一気に不安定になる。「あ、う」と声を漏らした彼女の目尻に、大粒の涙が溢れていった。
「………わ、わたし、おまえのかおをわすれていたから? きら…きらいに、なってしまった?」
「────アッハッハ!!! 貴様ッ、そこまで精神がブッ壊れていたの……痛ッ!」
男の頭を木の枝が叩いた。まるで叱りでもするように。
ボロボロと泣く天元は、先ほど聞こえたはずの柱間の声を思い出した。そう言えば、この男と聞こえた柱間の声は違う。
「あ、あやまる、から、ぜんぶわたしがわるいんだ。わっ、わたしがおまえにたよってばかり、い…いた、から……」
だからと、天元は乞う。
嫌いにならないでほしいと、必死に縋りつく。
これまで自分のよりどころとしたものを失えば、自分は地獄で何も掴めず溺れてしまうことになる。
『自己』というものを切り離したままでいれば、彼女はきっと今も俯瞰的に世情を観察できた。
しかしもうそれができない。愛に溺れて、あまりにも自分自身が『人間』になり過ぎた。
もうこの身は、柱間という男なくして、生きられない。
生きられないというのに、切り離されてしまっては、もうどうすることもできない。
「………天元」
声が──また、あの声が。
木が変形していき、人の姿に変わっていく。うろの中から落ちた仮面男は、幼児が下に転がる前に抱き留めた。
仮面男──羂索は、うろの中で尻に敷いていた着物と帯を投げ渡す。「センキュー」とそれを受け取った青年は、着物を羽織り手早く帯を巻いた。
「……はし、らま、なの…か?」
「………さて、どうだろう。オレもよくは分からん。まぁ、確かめたいなら、ほら」
腕を広げた青年に、天元は恐々と手を伸ばした。しかし抱きしめる前に、仮面男の横槍が入る。
「お前は後!!」
「チィッ!!」
幼児を抱いたまま木に拘束された仮面男は、盛大な舌打ちを溢した。
今度こそ天元は、その腕の中に体を寄せる。
生きている人間の体温ではない。心臓の音も、聞こえない。
「ッ、あっ……」
ただ、彼女を抱きしめてくれる。震えるその体を宥めるように、躊躇いがちな大きな手が、彼女の頭を撫でた。
「ああっ………!」
次第に天元の泣き声が堰を切ったように大きくなる。
泣いても泣いても、ダムの決壊は止まらない。着物に顔を押し付け、彼女は大声で泣いた。
アッハッハ!! →相談者の女性の旦那が男に身売りしていると知ったときの笑い方。
一回だけの妊娠→最初はうん、まぁ…。(言葉を濁さざるを得ない)以降は胎が柱間細胞を体内に還元するための