貞操逆転借金返済生活   作:しあっと

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1話

 前世の記憶が戻ったのは、結城楓として生を受けて大体6年ほど経った時だった。

 頭を打ったとか、事故にあったとか、何かの弾みで浮かんできたのではなく、本当にふと、忘れていた事を思い出すように、昔の記憶が流れ込んできた。

 その記憶によれば、どうやらこの世界は前世では貞操逆転世界と呼ばれるものだったらしい。

 だけれど、その『貞操逆転』についてキチンと理解できたのは、中学生になったあたりだった。小学生には性の話なんてピンとこないだろうし、当然の事ではあったのだが、勿体無いことにその時には随分と前世の記憶は薄れていた。

 

 薄れたとはいえ、長年の習慣がすぐには抜けないように、前世の常識や、男と女の違い、振る舞い方、そんな事は今でも消えることなく覚えていた。あるいは、元からそんなに大した事は記憶していなかったのかもしれないが。

 そして、そんな事を覚えていても実生活に何も役に立たないのは、僕が平凡な高校生として生きているのが証明している。

 せめて、何かこの世界では発見されていない数式やら理論やらを覚えていれば今頃は天才と持て囃されていたかもしれないし、大金持ちになっていたかもしれない。しかし、結局そんな事にはならず、現実に目を背けて世界から逃避しているのが現実だ。

世界から逃避しているのが現実だ。

 

 だって、今目の前にある現実は、とても直視に堪えないものだからだ。

 

 女手一つで自分を育ててくれた母親は、半ば白目を剥いて此方を凝視していた。顔面は蒼白で、半開きの口からは涎なのか、何かが渇いたような跡がある。

 母親は両手と両足をぶらりと垂らしながら、床から30センチほど浮いていた。近くには倒れた椅子があり、母親から流れたものが椅子を濡らしていた。

 それが自殺した母親だと気付いてから、どれほどの間現実逃避していただろうか。

 

 いつか、こうなるのかもしれないと何処かで思っていた。しかし、不思議な事にそれが今日起こるとは全く思っていなかったのだ

 ウチはお金を借りている。

 それも非合法な、貸金法なんて全く無視した、イリーガルな金融会社から。いや、会社とも言えないだろう。

 小学校の頃、母親が経営していた小さな建築設計事務所が潰れた。

 父親はその頃にいなくなった。逃げたんだろう。

 厳つい女たちが家に出入りするようになり、土下座をする母親や殴られる母親も何度も見た。

 母親は働きに出るようになったが、取り立ての激しさは止むことがなかった。

 取り立てに来た女たちは、時たま入れ替わったがやる事は大して変わらなかった。タチの悪い人間か、もっとタチの悪い人間かの違いだった。

 

 借金がいくらあるのかは母親は決して教えてくれなったし、僕がバイトをすると言った時も良い顔はしなかったし、バイト代を受け取ろうとはしなかった。

 優しい母だったと思う。

 僕を殴ったことなんてなかったし、取り立てから僕を庇ってくれた。

 

 行くあてもなく、家を彷徨う。

 1DKのアパート。家電は型落ち。

 ふと、机の上に何かの書類と書き置き、それから小銭が置いてある事に気付く。

 書類を手に取ると、生命保険の請求書類と請求に必要な住民票などの書類ということがわかる。

 ほぼ全ての欄が母親によって記入されており、後は署名や印鑑を押すのみの状態だった。請求用紙は少しくたびれており、母親が何年も前から請求書を持っていたことが分かる。請求書は保険会社に連絡しないと貰えない。きっと何年も迷っていたのだろう。

 

 次に書き置きに目を向ける。そこには、『ごめんね』の四文字だけが書き残されていた。

 どういう意味なのかは分からなかった。何に対しての『ごめんね』なのだろうか?

 一人にしたこと?相談しなかったこと?僕には何もわからなかった。

 隣の小銭を手に取る。500円玉1枚、10円玉3枚、1円玉が7枚、合計537円。きっとこれが母の全財産。

 僕のバイト代には一度たりとも手をつけていなかった。

 

「警察を呼ばないと...」

 

 ようやくその事に気づく。

 携帯をポケットから取り出し、警察に連絡する。

 

『事件ですか、事故ですか』

 

 お決まりのセリフが電話口から聞こえて来る。

 自殺の場合はどうなるのだろうか?事件で良いんだろうか?

 少し迷い、質問に答えず母が首を吊っていたと伝えた。

 電話口の警察官は慣れた感じで、今後の対応を僕に伝えてきた。

 それで終わり。人が一人死んだにしては、随分とあっさりしたものだ。

 数分が経ちサイレンが聞こえてくる。

 警察が到着し、僕に何事かを質問し、僕はそれに答える。

 現場検証のため、外に連れて行かれそのままパトカーへ乗せられる。

 その後、警察署に連れて行かれた僕は、淡々とした空気で事情聴取を受けた。

 向かいに座る40代程の警官は気の毒そうな顔をして、質問を投げかけてくる。

 

「君のお母さんが、その、ああなっていたのを見つけたのは何時ごろか思い出せるかな」

 

「学校から帰ってからなので、4時から5時くらいだと思います」

 

「何か、思い当たることはある?悩んでいるようだったとか」

 

「借金がありました。多分良くないところから借りてる」

 

 その後も聴取が続きひとつひとつの質問にぼんやりとした頭で答えた。

 心の中には悲しみよりもただ、終わったという実感だけが広がっていた。母がもういないという事実は、まだ現実感が薄かったのかもしれない。

 

 その日のうちに母の遺体と再び対面する事になった。

 物言わぬ骸となった母と再び対面する。化粧を施され、家でぶら下がっていた時よりも血色が良くなっている。

 人間は死んだ後も手続きが多い。医者らしい女から死体検案書を貰う。これからの事を考えて多めにコピーを取ってもらった。

 それから、葬儀の話になる。僕の聴取をしていた警官が親身になって色々話してくれた。通夜や告別式をしないなら直葬というものがあって、なんでも火葬だけで済むらしい。

 母にも当然親族がいるわけだが、金策に困った母は親族から返す宛のない金を借り、それが原因で勘当されている。

 葬式には来ない方が都合が良いだろう。闇金以外の借金の返済をしている余裕はない。

 すぐに葬儀屋に連絡を取り、火葬の日程を組んでもらう。死後24時間は火葬ができないらしく、取り敢えずは葬儀屋に安置してもらう事にした。

 火葬ができないらしく、取り敢えずは葬儀屋に安置してもらう事にした。

 

 諸々の手続きが終わって、自宅に帰れたのは午後9時を過ぎてからだった。

 部屋の前には、最近母親から取り立てをするようになった若い女が座り込んでいた。

 

「帰ってきたか。それで、お母さんはどう?」

 

 肩で切り揃えた黒髪を乱暴に揺らしながら、借金取り、滝沢真衣は立ち上がった。

 近所の人間にでも聞いて回ったのか滝沢は大方のことは知っているらしい。

 

「死にました」

 

「そう...」

 

 滝沢は少し表情を曇らせた。罪悪感かそれとも債務者を追い込みすぎて自殺されると上の人間に怒られるのか、判別は出来なかったがそんな所だろう。

 

「上がっていきますか?今後の事を話さないとダメでしょう?」

 

「え、ああ。そうね、そうするわ」

 

 鍵を開けると、微かにアンモニア臭がした。鑑識が終わった時にある程度拭いて貰えたみたいだが、それでも完璧とは言い難かった。

 滝沢をテーブルに案内する。保険の書類やら遺書と言えなくもない謝罪の書き置きはそのままになっており、それを見て滝沢が顔を顰める。

 

「すいません」

 

 一言謝って、テーブルの上を綺麗にする。滝沢は神妙な面持ちでそれを眺めていた。

 向かいに座り、話をする準備を整えた。しかし、滝沢は一向に口を開こうとはしなかった。

 

「それで、借金のことですが」

 

「あ、悪い。...母親が死んだとはいえ、借金をチャラにするわけにはいかない。分かるわよね」

 

 此方から促してようやく話し始めたが、どこか歯切れが悪い。

 

「相続を放棄してもですか?」

 

「ウチはヤクザよ。子供だろうがとれる分はきっちり取るわ」

 

 反社に道理が通じる訳もなく、母親の借金を負わさせる事になった。

 まあ、なんとなく予想はしていた。

 

「そうですか。それで、いくらなんです?」

 

「端数をはしょれば、3000万」

 

 学生の自分にとってはとてつもない金額だ。真っ当な手段では利息さえ払えないだろう。

 

「利息は?」

 

「月5%、年利でいえば、大体80%になるわね」

 

 とてつもない暴利だった。

 つまりは少なくとも、月150万以上は返済しないと、元金が全く減らない事になる。

 

「母はどうやって返済していたんですか」

 

「出来てないからこうなったのよ」

 

 滝沢はタバコに火をつけながら答えた。

 全くその通りだった。月に100万をゆうにこえるような額を返済するなんて出来るわけがない

 

「まあ、今月は生命保険でなんとかなるでしょうね」

 

 保険の書類を眺める。

 死亡保険の保険金額は700万。死亡時の退職金も併せれば元金が2000万になるくらいまでは返済できそうだ。

 元金2000万、月100万の利息。アルバイトでは到底無理だろう。

 

「でも、来月からは到底払えないでしょうし、私が組に口聞いてあげてもいいわ。勿論、それに見合った仕事はしてもらうけど」

 

 紫煙を燻らせながら、滝沢はどこかバツが悪そうに提案した。

 滝沢なりに情けをかけているんだろう。しかし滝沢はまだ下っ端だ。大したことは出来まい。債務の回収なんて対して金にならない仕事をやっているのが証拠だ。

 

「少し考えさせてください」

 

「いいわ、でも返済はそこまで待てないわよ。私がシメられちゃうしね」

 

「はい。分かってます」

 

 このまま滝沢に従ってもよい方向になるとは思えない。同情や罪悪感なんて長くは続かないし、滝沢が飽きたら切り捨てられるだろう。

 

「これ、私の連絡先。何かあったら連絡しなさい。私は帰るわ」

 

 滝沢はメモに電話番号を書いて差し出してきた。

 貰うだけ貰っておくことにする。

 滝沢は灰皿にタバコを押し付け、立ち上がる。

 

 滝沢を見送り、一人考える。

 金を稼ぐ方法。

 一番最初に思いつくのが、ママ活やら援交のような非合法な売春。それでも月100万なんて稼げるかは分からない。

 

「はあ、今日はもう寝よう」

 

 今日は色々あって疲れてしまった。

 明日も色々やる事がある。その後にでも考えよう。

 

 

 

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