「カエデ、なにか作戦はあるのか」
「まったく。これから考えます」
どこの方面に逃げれば良いのかすら分からない。
「そうか、じゃあ一応コレ持っとけ。護身用だ」
弓弦はクローゼットからバッグを取り出すと、その中から折り畳み式のナイフを取り出した。
「ナイフですか。弓弦さんは何を使うんです?」
「俺はこれだよ」
バッグの中からタオルに包まれたものを取り出した。
なんとなく形から拳銃だということが分かる。
「銃ですか、それ」
透がタオルの包みを解いていくと、黒い武骨な銃身が露わになる。
自動拳銃という奴だろうか。
グリップにデザインされた星のマークが印象的だった。
「ああ。昔かっぱらったんだ。大陸から流れてきたやつらしい。メンテナンスのやり方なんて知らないから、弾がちゃんと出るかは保証できないけどな。脅しになれば十分だろう」
銃で千屋でも人質に取って逃げるか?
いや、相手の人数的にさすがに厳しい気がする。
「どこら辺まで逃げれば撒けますかね」
「大元の清輝會は結構広範囲に傘下がいるからな。指名手配される可能性も考えて、北に県を2つ、3つ越えればしばらくは安心はできると思う」
新幹線か飛行機か。
どちらの方が紛れやすいだろうか。
そもそもどうやって出し抜く。
監視はついているのだろうか。
考え出すとキリがない。
「今日は普段通り動いてください。もし監視がついていたら怪しまれます。本格的に動き出すのは明日からにしましょう」
「分かった。その前に色々やっとかないとな」
弓弦は立ち上がると、ノートパソコンをバスルームへもっていき、浴槽に放り込むと湯を張り始めた。
「何やってるんですか」
「壊すんだよ。客やキャストの情報が入ってるからな。安心しろUSBにデータは移してある。最悪このデータで交渉しよう」
弓弦はUSBを僕の前で軽く振った。
「俺はこの後、カルミアに行くけどカエデはどうする」
「...ついていきます。そのほうが弓弦さんも安心できるでしょうし」
少し考えてついていくことにした。
信頼を少しでも得ておかなければならない。
単独で動くのは尚早だろう。
カウンターで弓弦の隣に腰掛け、これからのことに考えをめぐらす。
策が浮かんでは、否定しを繰り返す。
あまり有効なものは思い浮かばなかった。
そんな僕を気遣ってか弓弦は僕に話しかけることはせず一人グラスを揺らして、キャストが来てはその対応をしていた。
その折に、ふと透に連絡していないことを思い出し、チャットに『逃げることでまとまった』とだけ入れておいた。
僕が使える手札は透と僕をレイプしたあの3人。
透には危険な事はして欲しくないし、あの3人にしてもわかりやすく危険なものだとバックレる可能性が高い。
勝利条件は僕たちが逃げ切ること。新幹線や飛行機に乗り込めばおそらく達成できるだろう。
そのために必要なのは追っ手を振り切る、または逃げることを悟らせないこと。
楽観的には考えられない、ある程度監視はされていることも計算に入れておいたほうが良いだろう。
今、無理やりにでも連れていかないのは、人目と僕を今後使う上での配慮だろう。
あくまで自分で選択させる。
そのほうが罪悪感に付け込め、コントロールがしやすくなる。
そんなことを考えていると、携帯が鳴った。
滝沢からの着信だ。
弓弦と目くばせし、通話をつなぐ。
『滝沢よ。落ち着いたら連絡を入れなさい』
それだけ言われ、通話が切れる。
見られているのか、外音で分かったのか定かではないが、警戒するに越した事はないだろう。
「なんだって」
「連絡を入れろってだけ言われて切れました。催促でしょうけど。ちょっと外に出てきます」
「俺の携帯も持って行け、録音アプリを起動しておく」
「分かりました」
弓弦から携帯を受け取り、店の外へ向かった。
入り口付近で滝沢に電話をかける。
弓弦の携帯を重ねるように持ち、出来るだけ相手の音声も収集できるようにした。
『おお、早いな。私だ』
電話に出たのは滝沢ではなかった。
「千屋さんですか」
『そうだ。それで、連れて来れそうか?』
「まだ、分かりません」
『わかりませんってお前、まだ迷ってんじゃねぇだろうな。私が訊いたのは連れて来れるか、来れないかだ。分かりませんじゃ返事になってねぇぞ』
千屋は露骨にプレッシャーをかけにきている。
僕が組の中に取り込まれた後の上下関係を叩き込むデモンストレーションでもあるのだろうが。
「連れて行きますよ。でもそれがいつになるかはまだ分かりません。なにせ急な話ですから」
『私は3日以内とも言ったぞ、それ以上遅れるようならペナルティを考えなくちゃならん。綺麗な顔を傷つけたくはないだろう。明日また連絡しろ。良い報告を待ってるよ』
通話が切られる。
残された時間は僅かのようだ。
明後日には小細工を仕込み終え、すぐに逃げられる状態に持っていかなければならない。
店内に戻って、携帯を弓弦に返す。
弓弦は携帯を耳に当て、しばらく録音の音声を聴いていた。
「時間はあんまり無いみたいだな。どうすんだカエデ」
「今考えてます」
「組長と若頭をなんとかして殺せば、混乱のうちに逃げられたりするかもな」
飽き飽きしたような口調で弓弦は言った。
「無茶言わないで下さいよ」
いや、待て。
殺すまで行かなくとも組長と若頭の行動を封じる事ができれば、下の動きは鈍るだろう。
中々、良い線なのかもしれない。
監視についているような実働部隊と指令をする人間の間で連絡が取れなくなれば必ず隙はできる。
問題はどうやって動きを止めるかだ。
誰かを殴り込ませにいっても人数や武器の差ですぐに制圧される可能性は高い。
「組長や若頭なんかの動きを数時間の間、止める手段は何かありますか?」
「まあ、ガサ入れだったりがあれば事務所に拘束できるだろうな。本当に殺すつもりなのか?」
今からではきっと間に合わないだろう。
ガサ入れにどんな手順があって、何日かかるのかが分からないが、警察に踏み込ませるような仕掛けを作れそうにない。
「そこまでできませんよ。司令塔が動けなくなれば、追跡の手も緩むんじゃないかって思ったんです」
「警察に通報でもするか?事務所の前に血まみれの女が倒れてるとか」
「どれだけ時間が稼げますかね」
「さあな。それに通報すると逆探されるだろ。位置情報なんかで嘘だとバレるかもしれないな」
「それについては3人ほどアテがあります。同じタイミングで3人から通報があれば警察もすぐには噓だとは見破れないでしょう」
問題は通報の内容だ。
噓だとバレにくいものが良い。その分拘束できる時間が長くなる。
1時間でも30分でも動きを止められれば、逃げ切れる可能性は高くなる。
「通報の内容は、銃声みたいなものが聞こえたから見に行ってみると、血まみれの女が建部の事務所の前に倒れていた、なんてどうですか」
「それを警察が信じれば良いが、実際に血まみれの女や血痕がないと不審がられるんじゃないか」
確かにそうだ。
あの3人に赤いペイントボールや血糊でも、事務所の前にでも投げてもらうか。
いや、しかしあいつらはヒヨる可能性が高い。
警察に虚偽通報するぐらいなら、状況的に故意が証明できない可能性が高いだろう。銃声の音も聞き間違いで、血まみれの女はペイントボールをぶつけられたからそう見えただけと言えなくもない。
通報した後、場を離れればあとは安全だ。
たとえヤクザの事務所であることを知っていたとしても、そこを理由にあの3人となんとか交渉ができるはずだ。
それは出来なければ作戦は破綻するし、なんとかするしかない。
しかし、直接的に危害を加える命令はハードルが少し上がるだろう。
命令に対しての、不信感や不安は虚偽通報も同じだろうが、安全性の担保や事務所から多少離れていても問題なく、顔を見られる恐れがない分、拒否感も少ないだろう。
あいつらにはできるだけリスクを負わせたいが、そうすると写真を人質にとっているとは言え、ヒヨってバックレる可能性がでてくる。
ヤクザの事務所と知っていたりすれば尚更だ。
僕が命令してから、事務所について調べる可能性も充分ある。
あいつらのパーソナリティを知らないため、どこまでやらせることができるかが分からない。
警察への通報すら、やり遂げる事ができるかどうか不安要素として存在する。
完全にジレンマだ。
ただ、信頼できる人物を僕は1人知っている。
「それは、解決できなくもないです」
「なんだ、歯切れが悪いな」
透に相談すればきっとやってくれるだろう。
しかし、透に危険な事はやって欲しくない。
だが、それ以外に良い方法が浮かばない。僕らがやる訳にはいかないし、他に切り捨てても心が痛まない人間にもアテがない。
「弓弦さんは事務所にペイントボールやら血糊やらを投げつけられる人間にアテはありますか?」
「いや、金で動く人間を何人か知ってるが、その中にも流石に本職とやり合おうって奴は知り合いにいないな」
あいつらが役目を果たすことに賭けるしかないのか?
ただでさえ分の悪い賭けなのに、そんな事をすれば悪戯に成功率を下げるだけな気もする。
「今日、弓弦さんの家に泊まって良いですか?1日考えてみます」
今日だけでは決心がつきそうもないので、話を変えた。
「ああ。元からそのつもりだった。着替えは俺のを使えば良い」
「ありがとうございます」
決行は明後日の夜とすると、迷っている時間はほぼ無い。
千屋の機嫌によっては、急に午前中に連れて来いと言われるかもしれない。
そうなると明日には、透やあいつらに話を通しておいた方が安全だろう。
不安だけが募っていった。