あれから5年が経ち、売春クラブは拡大していき、取り巻く状況も変化していった。
フットワークの軽い半グレが台頭し、建部組のシノギを食い荒らした。
シノギが枯れていく度に、安定したアガリを納め、上流階級とのつながりを得て多角化していく売春クラブの価値は高くなりそれと比例するようにクラブをコントロールする僕の価値も上がり続けた。
複雑化した運営に割ける人員は建部組にはいなかった。頭脳労働ができる人材は、自分のシノギを守るのに精一杯か、落ち目と判断し組を離れるかの2択だった。
ただの立ちんぼから、会員制の淑女たちの社交場。若者が集まるクラブから、ドラッグのパーティー会場まで。時には危ない橋を渡ってでも拡大し続けてきた。
すべては復讐のために。
「カエデさん、ホントにこんなので効果あるんですか?」
クラブの仲間が運転する軽自動車の中で、隣に座る高崎景から怪訝な声がかかった。
その手には、地蔵の首が転がっていた。
昼下がりの住宅街を窓から眺めるのをやめ、カエデは返事を返した。
「今日のはまず第一段階。本人やその家族を不気味がらせるだけで良い」
「確かに帰ってきて玄関にコレがあったらぎょっとしますけど。それだけじゃないですか。普通にラチッたほうが早くないですか」
「大事なのは本人の意思で代わりを提供させることさ。今はそんなに派手に動きたくないしね。家庭環境の調べはついてるんだろう?」
運転をしている金森優に尋ねる。
この2人はクラブ拡大の最中、立ちんぼをしているのを拾った。最初はキャストの数合わせのつもりだったが、そこそこ頭も回り、従順なため重宝している。今では、一般の客相手の売春を管理するまでになっていた。
「はい。一人息子で家庭環境は普通から良好。両親ともに健在で共働き。家は戸建てで高校は私立なので、貧乏というわけではなさそうです。友人はそれなりにいるみたいなので、代わりの工面はどうにかできるでしょう」
クラブを拡大するためには、ある程度決まったキャストの数が必要で、当初高校を退学した僕には人を集めるのに限界があった。
そのため、足ぬけするためには自身の知り合いを人身御供にさせる方策をとっていた。一度、ヤらせてしまえばこちらのもので、脅迫や懐柔はお手の物だった。
もし、代わりを用意できなければ商品価値が下がる成人になるまではクラブで働かせ、成人を迎えれば別の仕事を与えることにしている。仕事はもちろん非合法なヤツだ。
何か特別な能力を持っているのならその限りではなかったが。
「友達じゃなくても知り合いの中からでも適当に騙して連れてくれば良いものを、なんでバックレちゃうかなぁ。それもどこかに逃げるんじゃなくて、普通の生活に戻るだけって俺たちを舐めすぎでしょ」
「本当にね。だから教育してあげるんだ」
そんなことを話していると目的地付近に到着したようで、車が止まる。
「ありがとう、ユウ。少し経ったらゆっくり追いかけてきて」
車から降り、昼過ぎの長閑な陽射しを浴びながら住宅が並ぶ道を少し歩きターゲットの家の前まで到着する。
表札には瀬川の文字。
間違いなさそうだ。
「じゃあやってきます」
門扉などは特になく、ケイは自然な動作で玄関に向かって歩いて行った。
「よろしく。指紋は一応拭いといてね」
携帯をいじるふりをして、周りを観察する。
人通りはない。
家に監視カメラはついてなさそうなので、人目に付く心配はないだろう。
「終わりました。カエデさん」
その後は何事もなかったかのように、先を歩く。
10秒ほど歩いたところで、後ろからユウの運転する車がやってくる。
誰にも見られないうちに素早く乗り込んだ。
「明日は2人でやってね。はい、次からの」
ビニール袋をケイに渡す。
ケイは中を確認して、微妙な顔をする。
「何ですか、これ」
「明日はポストに墓の写真と線香のカス。次の日は卒塔婆を割ったやつを入れといて」
「呪いの儀式かなんかをやってるんですか...」
ケイは疑わしげだ。
「こういう手合いは家族に攻撃されるのを怖がるもんなんだ」
「へぇー、家族愛ってやつですか」
「違う違う。ただ家族にバレて怒られるのが怖いのさ。だから、それを匂わせるんだ。突然こんな嫌がらせを受ければ、両親は不安がる。警察に行こうとするかもしれない。ただそうすると、自分のやってたことにたどり着かれる可能性が出てくる。それで屈服させるのには十分なんだよ。そのうち家族には手を出さないでくれ、なんてすばらしいことを言ってくるさ」
「まあ、刃物とか入れれば別だと思いますけど、こんな事案で大した捜査なんてしないでしょうね。検挙率を挙げるために、被害届だって受理しないかも」
これは昔母と暮らしていたころ、借金取りにやられた手法だ。あの時はただ不安を煽ることと、わざと罰当たりなことをして自身の強さや恐怖の印象を強めるためだったが。
借金取りから学んだ追い込みは、意外な所で活かされていた。
「そういえば、カエデさん。建部組に半グレがちょっかい掛けてるらしいですけど、ウチは大丈夫なんですか?」
「手は打ってある。新興のところはともかく、大きいところから攻撃されることはないと思うよ」
「流石ですけど、何したんですか?半グレと仲良くすると建部の奴らがいい顔しないでしょうし。前みたいに、ウチに因縁つけてくるんじゃ」
「心配ないよ。この前も僕が何とかしたんだ。今回だって同じさ、君らは自分の仕事を全うしてくれればいい」
2人は不承不承ながらも、疑問を飲み込んだ。
いつも頭の内全てを話すことはなかった。
ヤクザや他の勢力に懐柔なら拷問なりをされた時のことを考えると、デメリットが大きいと思っているからだ。
2人もその事はなんとなく分かっているようで、しつこく食い下がってきた事はない。
この数年間、危ない橋を何度も渡ってきた。想定外の事態が起こったことも、両手の指では数えきれないぐらいだ。それでも、なんとか切り抜けてきた。そうしなければ、ここまでの拡大はなかっただろう。
建部組構成員の滝沢真衣は、よれよれになった上着の胸ポケットから湿気たタバコを一本取り出して、口にくわえた。サイドのポケットを両手で探り、ガスの切れかかった百円ライターを見つける。
歩きながら、長々と紫煙を吐き出すと少しだけ気分がましになった。
今日は、組長の千屋から直々に呼び出されていた。
こんな時はたいがいの場合、面倒ごとだ。
下っ端の滝沢は人材不足も相まっていいように使われていた。
一時期は金回りの良さも相まって、それなりの勢力を誇っていた建部組だったが情勢の変化についていけず、着々と弱っていっていた。
口では信用だのなんだの言っていた千屋もいざ追い込まれると、何かにつけて金のことを気にしていた。結局、千屋では金がないと中央では影響力を保てなかったらしい。
「私も金やでかいシノギがあればなぁ」
そんなつぶやきは、アスファルトと町の喧騒に吸い込まれ、ずるずると引きずるような足取りで事務所へ歩いて行った。
事務所の中を見回す。部屋住みの人間が数人いる程度で、幹部級の人間は全員出払っている。
ここ数年で随分と人が減ったものだと思う。半グレが勃興し、シノギを食い荒らされただけでなく金払いやイメージなどで若い人材は半グレに流れ、組の勢いはどんどんと衰えていく。
仁義や任侠という言葉は忘れられて久しく、ベテランの組員すら自分から離れるにしろ、ヘッドハンティングされるにしろ、他へと鞍替えしていった。
結局のところ自分の利益を守ってくれないリーダーの下に人はついていかない、それだけのことだった。
「悪いな。いきなり呼び出して」
「いえ、それで何の用でしょうか」
「お前、ウチのシマの半グレについてどう思う」
意図の分からない質問だった。
「はぁ。厄介な奴らだと思いますが」
「そうじゃない。他の組のシマにも半グレはいる、だがウチの奴らほど敵対的じゃない。組によっては協力してるところもあるぐらいだ。それに、ウチの奴らは、グループどうしで連携しているフシがある。普通なら大きいグループがいくらかあれば、縄張り争いがあるもんだろう。それがどういう訳か、そんな話は入ってこない。何か裏を感じないか」
言われてみればそうだった。
ほかの組では、対立する半グレの片方を支援し、その対価として組の下請けにする、なんてこともあるらしかったが、ウチのシマではそんな話を聞いたこともないし、トップの顔すら割れていなかった。
「そして、ウチのシノギで不自然に攻撃されてないモノがいくつかある。そのうちの一つについてお前に調べてほしい」
「裏切者がいるかもしれないってことですか」
「ああ、そうなるな。お前に調べてほしい奴は、その中でも最有力だ」
不意な大きな仕事に胸が躍った。
名を挙げるチャンスだと思った。しかし、この組が下り調子なのを思い出し気持ちはしぼんでいく。
「誰なんですか」
「結城だよ」
千屋は苦々しげに名前を告げた。
「結城ですか。今、あいつにへそを曲げられるとまずくないですか」
動機はある。シノギの性質的に調べる価値は十分あるだろう。
しかし、今の結城はおいそれと手は出しにくかった。
かなりの額をアガリとして納めており、顧客の中には社長だったり、議員の娘だったりと現代の貴族も珍しくないどころか、組すらそのツテを頼る場面もあった。
信用はできないが貴重な収入源、それが組からの評価だった。
「背に腹は代えられない、というわけさ。それと、結城がシロにしろクロにしろ乗っ取りの準備も進めておきたい。前回はタイミングが悪かったが今度こそは結城を引きずり下ろす」
建部組が半グレに食い荒らされたことで、拡大を続けるクラブとそれを主導する結城は組の手に余る存在になっていた。
しかし、同時に色を売ってるただのガキだという侮りもあり、下っ端の滝沢を内偵に使うという、結城に対する恐怖と嘲りが混ざった奇妙な評価につながっていた。
「分かりました。調べてみます」
気は乗らなかったが、ある程度の成果を上げる必要がある。
おそらく千屋が欲しいのは、半グレとのつながりの証拠ではなく、あの売春クラブを掠め取るちょうどいい口実や、結城の弱みとなりうるポイントだろう。
「頼んだぞ。これは好きに使え」
千屋は茶封筒を滝沢に渡した。
経費と報酬が一緒になったものだろう。
厚み的に相当な大金ではないのが分かった。
「すいません。助かります」
滝沢はそれを懐に収め、事務所を後にした。
帰りの道すがら、封筒の中を改める。
入っていたのは10万円。
これはハナから滝沢に期待していないのか、組の懐事情がそこまで寒いのか、大した額ではなかった。
「探るって言っても、ツテもないしどうするかな。会ってみるしかないか」
ため息が漏れる。
腹芸は得意ではないし、頭が切れるような人間ならいつまでもこの組で下っ端はしていなかったであろう。
それに比べて、件の結城は目覚ましい活躍だ。
いくら最近のガキが大人びているからと言って、異常だった。
組の企図した乗っ取りの計画はことごとくがとん挫した。
その中でも極めつけは、組とつながっていた議員が公選法違反でしょっ引かれた件だ。
なんでもそいつは親族の経営する老人ホームで、ボケた老人を使って票数を増やしていたらしく、それを匂わす音声がどこからか流出し職員の証言もあったことから逮捕された。
組は政治へのつながりが断たれたわけだが、そこに現れたのが結城だった。
ヤツは自分のツテから政治家と組を引き合わせた。それも、狡い手で当選した小物とは違い、地盤も看板もカバンも揃えた大物の議員だった。
千屋は諸手を挙げて喜んだが、そこに結城が絡んでいることに気づいた時にはもう遅かった。
建部組はその政治家を切ることのできない関係になり、結城もまたその政治家に庇護されていた。
半端に手を出すと痛い目に遭うのは容易に想像でき、これまでのような強引なやり方は封じる他なかった。
結城はただ流れに乗って、組を黙らせるチャンスをつかんだだけなのか、それともハナから仕組んでいたことなのかは分からない。
千屋は偶然タイミングが良かっただけだ、と片付けていたが、どうにも滝沢はうすら寒いものを感じていた。
年下の男に何もかも負けている。そんな気がして、結城にも自分にも怒りが湧いてくる。
結城は自分の王国を作り上げた。翻って自分はどうだ?
毎日毎日、みみっちいシノギで目先の金を得ることに必死で、デカいことをする度胸も頭もない。
「お前は違うってのか、結城」
湧き出した嫉妬や愚痴はどこかへ吸い込まれることなく、胸の内に澱んでいった。