カエデは自分の運営するナイトクラブに向かってネオンの光輝く夜道を一人歩いていた。
都心に近づくに従って、人の数が増えていく。くたびれた顔、うれしそうな顔。無数の顔に無数の表情。この街ではだれもかれもが刹那的に生きている。刹那に苦しみ、刹那に喜びを感じている。
そんな街の一角にカエデの運営するクラブのうちの一つがあった。
店名は『シンフォニア』。意味や由来は知らない。名義を借りるときに付けてもらった名前だ。こじゃれてて案外気に入っている。
ダンスミュージックが音漏れしているドアを開けると、外とは別世界が広がっていた。踊り狂う男女にナンパ目当ての人間。客足はそれなりだが、実際それだけでは大した収入にはならないし、この店を立ち上げたのは別の理由があった。
ここは待ち合わせ場所。そして自分は紹介屋兼情報屋。
クスリが欲しい人間には売人を、人手が欲しい人間には首が回らなくなった人間を。そして、自分はその紹介料を。金と人脈、それから情報を手に入れるために立ち上げた店だった。
「もう来てる?」
「お疲れ様です、楓さん。VIPの方に通してあります」
店主をやってもらっている男に声をかける。
どうやら先方はもう来ているらしい。
踊る人間を避けながら、店内を横断し2階へと続く階段を上がる。
門番をしている女に軽く手を振り通してもらう。
入口にかかったカーテンを開け、中へと入る。
奥にはこじんまりとしたバーカウンター、中央にはガラス製のテーブル、そしてそれを囲うように革張りのソファーが配置されていた。
お目当ての相手はソファーにもたれかかりグラスを傾けていた。
「待たせちゃったね、ツカサさん」
「いいや、そんなでもないわ」
肩の少し下まで伸ばした黒髪に、流行りのブランドの服。年齢は20代中盤。一見するとよくいる若者だが、台頭した半グレグループの一角、『サベージ』のリーダー、伊吹司その人だった。
「人手がいるんだってね」
正面に腰を下ろしながら、今日の話について確認する。
「ええ。葉っぱを育ててるやつが捕まっちゃってね。代わりが欲しいの、できれば経験があるやつ。あと、いつもの詐欺の人員。葉っぱの方は急ぎでお願い」
「大麻かぁ。他にも卸してる奴でも良ければそれなりにいるけど」
若者の間では、海外のアーティストに憧れ大麻を嗜むのがブームになっていた。
ケミカルなドラッグよりも安全性が高いというのも、心理的に影響しているのかもしれない。
「それで良いわ。マエがある奴は弾いといてね」
「詐欺のほうはいつまでです?」
「金主からはそんなに急かされてないし、追々でいいわよ。ハコは国内の予定だし10人くらい用立ててくれれば、道具なんかはこっちで用意するわ」
金主というのは、詐欺の投資家のようなものだ。
通常、詐欺を組織的に行う際にはかなりの準備と資金がいる。ハコといわれる詐欺の拠点、足がつかない他人名義の携帯や口座、実際に動く人員。その他詐欺のシナリオによって必要になる小道具。
それだけで何千万という金が要る。より安全を担保するためにハコを海外に置く場合などは、準備だけで億越えの金が動くことも珍しくない。
金主はその資金を出資し、見返りとして詐欺で稼いだ金を上納させる。そうやって、今の特殊詐欺といわれる巧妙な詐欺は回っていた。
そして、その金主もウチのVIPだったりするわけで、そこからもマージンを貰っているし、詐欺の後に控えるマネーロンダリングにも噛んでいた。
「じゃあ、適当に見繕って連絡します」
「助かるわ。その様子じゃ、そっちも順調そうね」
ツカサは立ち上がり、隣へと改めて腰かけた。
「お陰様でね」
「楓、いい加減、私のものになりなよ。お前と私が組めば、ほかのグループなんて目じゃない。そうでしょう?」
それはカエデの望むところではなかった。
今、この街では三つのグループが台頭している。
司が率いる『サベージ』、海外マフィアが纏める『クラーヴィ』、カエデが裏から支援している『ノード』。この順番で勢力を広げていた。
司の言葉に、カエデはグラスの中で揺れる氷を見つめたまま、苦笑を浮かべる。
「その話、前にもされた気がするな」
「本気なんだけど?最近、ノードの奴らが派手に稼いでるみたいでしょ。私もウカウカしてられないのよ」
カエデがノードに関与していることを知っている人物はわずかであり、司はその中には入っていなかった。
カエデは短く笑ったあと、グラスの縁に指を滑らせた。
「ノードの話は、うちに来る客もよく噂してるよ。でも、僕はどこかの一派に肩入れする立場じゃない」
「そう言うけど、あんたの動きによって街の勢力図が変わるかもしれない。そう考える奴は大勢いる。あんたはもうプレイヤーなんだよ。中立なんて、そんな都合のいい立場は長く続かない」
司の声には、どこか焦りがにじんでいた。
ノードは企業や資産家を狙った詐欺を働いており、一匹でも釣り針にかかれば、一度に大量の金を引っ張ってくることが可能だった。
その資金の流れは司の耳には入ってこなかったが、資金がある、というのは、それだけで脅威だった。
急速に勢いを増しているノード。その裏で糸を引いているのが、他でもない目の前のカエデかもしれない。だが、それを確証にはできない。だから、こうして正面から揺さぶりに来たのだ。
「私と組むのが一番安全で確実。そう思わない?」
グラスをテーブルに置き、カエデはふうとため息をついた。
「悪いけど、誰かの下につくつもりはないんだ」
「...ふぅん」
沈黙を破るようにカエデの携帯からコール音が響いた。
司が小さく眉を上げた。カエデはグラスを片手にスマートフォンを取り出すと、液晶に表示された名前を確認し、口元を少しだけ引き締めた。
「ちょっと失礼」
そう言って席を立ち、部屋の隅に身を移す。背を向けて通話を始めたカエデの声は低く抑えられていたが、その口調には確かな緊張が滲んでいた。
「どうしたの、ユウ?何かあった?」
『すいません。建部のタキザワって奴が、カエデさんを探してクラブまで来ました。どうしますか?』
カエデの脳裏に疑問が浮かぶ。
裏で動いていることがバレたのか?それとも別の要件か。
どちらにせよ、会って話す他ない。幸いこの場所はカエデのホームグラウンドであり、暴力沙汰になったとしてもどうにかなる。
「分かった。シンフォニアまで寄越して。こっちでなんとかするよ」
『はい、ありがとうございます。じゃあ、失礼します』
通話を終えると同時にカエデは携帯をスーツの内ポケットに戻し、静かに踵を返した。ソファに座る司の前に戻りながら、声を潜めて言う。
「悪いけど、今日はここまでにしましょう。急ぎの用が入りました」
「ビジネスの?」
「まあ、そんなところです」
ツカサはわずかに目を細めた。だが、それ以上は問いたださなかった。問い詰めればボロが出るような相手ではないと、彼女もよく理解していた。
「ふぅん。じゃあ、また連絡ちょうだい。例の件、早めにね」
司はグラスの残りを飲み干すと、名残惜しそうにカエデを一瞥し、ゆっくりと立ち上がった。
カエデは去り行く背中を一瞥し、今後の策に考えを巡らす。
一番大事なのは、こちらは大した情報は出さず、相手の情報だけ抜き出すこと。半グレとの繋がりくらいの情報なら渡してやっても良い。どうせ調べればわかることだ。
しかし、滝沢が来るのは幸いだった。
いまだに組への忠誠心が高い幹部ではなく、平の組員だ。やりようによっては爆弾を埋め込めるかもしれない。
やがて、考えを決めたカエデはシンフォニアのスタッフに指示を下した。
メインフロアをぎっしり埋めた男女は年齢層が若く、二十代前半が多い。大半が踊っているが、ナンパ目当てでうろつく女たちや、壁際に立って彼女らを値踏みするような男たちがひしめいている。
「タキザワさん、久しぶりですね」
あたりを見回していると、いつの間にか後ろに立っていた結城に声を掛けられた。
「ああ、久しぶりね」
結城と会うのは大体3年ぶりだろうか。
中性的な顔立ちに、男にしては長めの耳までかかった髪。そして、瞳は暗く澱み、どこか作り物のような印象を受けた。
「静かに話せるところに行きましょう。話は通してあります」
そう言って、結城は慣れた様子で人込みを避けながら、歩き始めた。
その後ろをカルガモの雛のようについていくと、結城は2階へと続く階段の前で立ち止まり、そこに控えていた長身の女と何言かを交わした後振り向いた。
「この上がVIPルームになってます。そこなら大丈夫でしょう」
「随分、顔が利くのね」
「ええ、常連なんで」
女は滝沢が通り過ぎる間、ジッと値踏みするかのような目で眺めてきた。
監視されているようで気味が悪かったので、足早に結城の後を追うことにした。
2階に着くと、人払いがされていたのか、滝沢と結城のほかに人はおらず、無人の空間の中にガラスのテーブルとソファが鎮座していた。
結城に案内されるままに、ソファに腰かけると結城も滝沢の正面に腰を下ろした。
「それで、どんな用です。タキザワさんが訪ねてくるのは珍しい。良くない話じゃないといいですけど」
「それはアンタ次第さ。結城、お前半グレとつながってるんだろ」
根拠はない。
ただのカマかけに過ぎなかった。しかし、このクラブでの振る舞いを見るにあながち見当外れではなさそうだ。
「そりゃあ、繋がりぐらい持ってますよ。建部があんまりにも頼りになんないもんだから、自衛としてそのぐらいはしてますよ」
結城は薄く笑い、こちらを馬鹿にするように言った。
「ウチへの裏切りと取ってもいいの?」
結城の返答は予想外だった。
ここまで素直に白状するとは思わなかった。
なにか意図があるはずだろうが、想像がつかない。
「何を今更。散々妨害してきといて、裏切りも何もないでしょう。別のハコを作ろうとしていたことも、乗っ取ろうとしてたことも全部知ってるんですから」
「半グレ使って、ウチと戦おうっての」
滝沢にとってもそれは良くない選択だった。
千屋に指示されたのは探ることであって、宣戦布告させることではない。
戦端が開かれれば、建部組は顔もまだ割れてない奴らと事を構えることになる。それは千屋が望んでないことだろうというのは滝沢にも分かった。
「ソッチ次第ですよ。別にこちらから仕掛けるつもりもありませんし。それで、話は終わりですか」
「いいや、まだよ。半グレどもの情報を吐いて貰う」
「情報ね。何が知りたいんです」
「全部よ。あなたが知ってること」
交渉とも言えないものだった。
たかが男1人、腕っぷしでどうにかなる、と高をくくっていた。
それに、半グレとつながっているという裏は取れた。千屋からのオーダーのうち片方は果たしたことになる。
「そうですね。じゃあ基本的なところから。台頭しているグループは3つ。『サベージ』『ファミリア』『ノード』。この3つがここら一帯を、縄張りにしています。何か質問は?」
結城はできの悪い生徒を前にした教師のようにゆっくりと語って聞かせた。
「縄張り争いみたいなのは起こらないのか。普通、シマが重なり合えば衝突が起きるもんだろ」
「縄張りとは言いましたけど、結局は本拠がここにあるってだけで、ヤクザみたいに取り仕切ってるわけじゃないんです。薬の売買もネットで受け付けて待ち合わせだったりですから、小競り合いが発生しにくいんです」
「他のシマだと、潰しあいが起こってるって話だぞ。ここと何が違う」
「成り立ちだったりも影響します。愚連隊みたいなのが大元だとその傾向が強いでしょうね。ほら、地方統一みたいな戦国武将みたいなこと言ってるグループ多いでしょう。サベージだったりは、最初は詐欺グループでしたから、そういう金にならないことは避けるんです」
どこか煙に巻かれたような気がするが、実際、組の人間たちは半グレを自分たちの尺度で測りすぎているのかもしれない。
ヤクザは互助組織がもとになり、年月が重なり薄れたとはいえその要素が未だに組員同士を繋げている。しかし、半グレはそうではないらしい。
結城の言うサベージというグループは、初めから犯罪を企図して集まった集団だそうだ。全く新しい集団の成り立ち。それゆえにヤクザ達は半グレを真に御すことは難しい。そう思った。
「次は...」
「ここからは有料です。こっちは情報を渡すんですから、それなりの対価は期待してもいいでしょう?」
続けようとしたところに結城から待ったが入った。
情報料。懐には10万円がある。しかし、それだけだ。
結城がどれだけ喋るか分からないうえに自分の取り分も少なくなる。
「別にお金じゃなくても結構ですよ。モノでも情報でも何でも良い。そうですね、じゃあタキザワさんについて教えてください」
「私?なんで」
「自己開示は信頼関係構築の第一歩らしいですよ。昔の友達が言ってました」
渡りに船だったが、またしても意図の読めない話だった。
結城は試すように、あの作り物のような瞳で滝沢を見ていた。
どちらにしろ、選択肢はないに等しい。
「分かったよ。何を喋れば良いわけ。言っておくけど面白い話なんて持ってないわよ」
「それで良いですよ。じゃあ、ヤクザになった理由から」
「大した理由があった訳じゃないわ。チーマーをやっててその繋がりで盃を貰っただけ。よくある話よ」
あの頃はよかった。
腕っぷしがすべてで何も考えなくてよかった。
仲間たちと本気で日本一になれるんじゃないかと夢想した。
「入った理由がなくたって、野望はあったんじゃないですか。一旗揚げてやろうって」
「そりゃあ、女なら誰しも思うでしょうね。私もそうだったわ。最初のうちは取り立てや売人でも、どんな雑用だって気合入れてたけどね」
今や初心は忘れ去られていた。
日々をどうやり過ごすかばかりに頭がとられている。
「気合い入れすぎて、僕の母親を追い詰めすぎたわけだ」
「悪かったと思ってるよ。姉貴分からもえらく叱られた」
「遅かれ早かれでしたし、恨んじゃないですよ。そんなにはね」
結城の顔からはそれが本当なのかは読み取れなかった。
「それじゃあ、次は私の番。各反グレ組織のリーダーの名前。知ってる範囲でいいわ」
「このままでいいんですか?」
結城は質問に答えず、逆に問いを投げてきた。
「どういう意味?」
「そのまんまですよ。いつまで下っ端でいるんですか。いつまで斜陽の建部組に忠誠を尽くすつもりなんですか。行く先は真っ暗なことが分かってるのに、そこにいる意味はないでしょう」
「悪いけど私は、アンタにしっぽを振るつもりはないわ」
「違いますよ。誰かにしっぽを振られる様になりたくはありませんか、ってことです」
結城は諭すように言った。
「それができたら苦労しないわよ。私はアンタとは違う。わかるでしょ」
「今ならできますよ。建部組は直に崩れます。金も回らず、離反も相次いでいる。あと何度か不幸が続けば上納金を払えなくなるでしょう」
「その間に乗っ取れってこと」
「それも違います。建部組がいなくなれば、勢力の空白地帯に他が入りこもうとするはずです。その勢力は清輝會かもしれないし、別のヤクザかもしれない、半グレの可能性もある。そうなれば、この街を中心とした混乱がやってきます」
結城はどうでも良いとも思っていそうな落ち着いた様子でつづけた。
「財閥といわれるようなグループがどうやって勢力を伸ばしたか知ってますか」
「いや」
「世の中の転換期や混乱期に乗じて商売を起こし、富やパイプを得たんです。もちろんその中には非合法な商売もあったでしょうけど。ともかく財閥の礎を築いた彼女らは、己が才覚を活かして時代の奔流を乗りこなしたわけです」
「その話がどうしたの」
「今がその時代の転換期であり混乱期なんですよ。半グレが台頭しヤクザが倒れる。一旗揚げるなら今しかないでしょうね。新しい組を立ち上げるなり、半グレグループを作るなり手段はいろいろありますよ」
その誘惑の言葉は胸に深く突き刺さった。
「いつまで燻ぶらせておくんです?燃やさなきゃ、火種が消えちゃいますよ」
出来るのか、私に。
しかし、こんなチャンスはもうないかもしれない。
脳裏に浮かんだのは、これまで積み上げてきたちっぽけな矜持と、見せかけの忠誠だった。
旨みがあったから従った。しかし、それでも組で過ごした年月は確かにあった。腐ってもそこに、自分の居場所があった。
「私は...」
声が掠れていた。心と同じように揺れている。
「この世は戦う価値があるんだそうですよ」
結城の言葉は嘘のように穏やかだった。
皮肉も誇張もない。ただ、火に薪をそっと配るような声色だった。
「それ、誰の言葉よ。また、昔の友人?」
問いかけると、結城は少しだけ口を歪めて自嘲気味に笑った。
その笑みは、失せ物を探しているとき、ふと横を見ると目当てのものが置いてあった時のような、そんな拍子抜けの笑みだった。
「なんだったかな。ずいぶん昔に読んだ小説だったような気がします。小説のタイトルも作家の名前も思い出せないですけど。好きだったはずなんだけどな」
「記憶なんてそんなもんよ。でも、確かに...戦う価値はあるかもしれないわ」
言ってから息を吐いた。
それは自分への確認であり、覚悟を決めるための儀式でもあった。
「私に何をさせたいの」
椅子の背にもたれていた体を起こすと、真っ直ぐに結城を見た。
結城は一瞬だけ目を見開いたが、直ぐに口元を綻ばせる。
「建部組に最後の一押しを。そして、混乱への最初の一押しを」
「内部から崩せってこと?」
「建部組はシノギが立て続けに潰れて金回りが悪い。いずれ新しいシノギが必要になります。僕の予想では、すぐに金になりやすい薬物。それも、まだ出回ってないようなものでしょう」
「出回ってないものっていってもどこから買うのよ」
「清輝會では海の向こうからマフィアを引き込んでいます。そのマフィアの本国では新しい薬物が流行しているそうですよ。とびきり強力なものがね」
結城の情報収集能力に背筋が冷えた。
コイツは建部組や清輝會についてどこまで知っていて、その出どころはどこなのだろうか。
「それを買い付けるには当然、現金が必要になります。タキザワさんにはその現金を盗んでもらうことになります」
結城はこちらの胸中を知ってか知らずか淡々と続けた。
「今の建部組だと、少なく見積もって5千万くらいは用意できるでしょうね。金額がどうであれ、盗んだ後の金は好きにしてもらって構いません。当面の資金にはなるでしょう」
「その薬物や5000万ってのはどれくらい確証があるの」
「そこはそんなに大事じゃないですよ。新しいシノギが必要なのは確かで、非合法な事をするなら基本的に現金での取引でしょうから。金が足りないなら僕から報酬として補填してもいい。大事なのは確実に仕事をやり遂げる事です」
脳裏では可能性というシナリオが渦巻いていた。
建部組の崩壊。新たな秩序の構築。裏切りという重荷と自由という報酬。
結城の言葉はまるで劇薬だった。
「簡単に言ってくれるわね」
「取引に使うなら、金はどこかのタイミングでまとめるはずです。機会は確実にあります。まぁ、暫くは待ちでしょうが」
滝沢は再び椅子の背に体を預け、目を閉じた。
考える時間が欲しかった。
「安心して下さい、僕も黙って見ておくだけじゃありません。協力はしますよ。逃げる手立てや、身を隠せる拠点、金の隠し場所。それだけ整えれば成功確率は格段に上がるでしょう」
「私がその金を奪って、何もかもぐちゃぐちゃになった後、アンタはどうするの」
「秘密です」
結城はまた薄く笑った。
今日初めて本心で笑っていたような気がした。
滝沢はその笑みに何かぞっとするものを感じながらも、言葉にはせず、深く呼吸をした。
どんなに先のことを思い描いても、結局、最初の一歩を踏み出さなければ、何も始まらない。
「秘密、ね...」
ゆっくりと目を開けると、滝沢の瞳にはわずかな決意の色が宿っていた。
「ええ。不満でしょうがそこは勘弁してください」
「いいわ。やってやる」
「じゃあ、何かあったら、これで連絡を」
そういうと結城は、懐から携帯を取り出しこちらに投げた。
「飛ばしの携帯です。番号はもう登録してありますから使ってください」
「準備がいいのね」
そう呟きながら滝沢は携帯を手に取った。型落ちの、いかにも使い捨てられる仕様の安物だった。
「こういう仕事をしてると、勝手にそうなります。演出が大事ですから」
携帯をポケットに滑らせると、滝沢は無言で立ち上がった。
今度はためらいも、迷いもなかった。
「そういえば、質問する権利を使いそびれてたわね」
「じゃあ一つだけ答えましょう」
「アンタの言う混乱の後には、何があるの?アンタが何をするかは聞かないわ。でも、それぐらいこたえてくれたっていいでしょう」
問いかけに、結城は少しだけ間を置いた。
それは慎重に言葉を選んでいるというより、あえて余韻を残すような間だった。
「さぁ。僕も知りません。何が残って何が消えるのか、そんなの予想もつきませんから」
まるで歴史の成り行きを語る学者のような、冷静で乾いた声だった。
だが滝沢は、その奥に燃える野心の匂いを嗅ぎ取った。
結城は何かを狙っている。それは明らかだった。
「出口までは送りましょう」
結城が立ち上がると、滝沢は少しだけ視線を上げたが、頷くだけで言葉は返さなかった。