寝ても疲れが取れない。
どうにも、心が弱っているような気がする。喪失感、それに引っ張られて体も怠いままだ。
それでもやらなからばならない事がある。
保険会社に請求書類を送る、銀行で口座の凍結を解除する、葬儀屋で火葬の手続き。
別に全てを忌引きのうちに終わらせないといけないわけではないが、何故だか変な焦燥感が胸の内にあり、その感情に促されるままに色々な事を終わらせるために動いていた。
自転車にまたがり、用事をこなしていく。
ポストに書類を投函し、銀行へ向かう。
銀行でも書類を提出して、凍結解除の申請を行う。
書類の殆どは母が死ぬ前に用意してくれていた。戸籍謄本や印鑑証明、自分でやったことといえば、死体検案書を出したことと、銀行側が用意した書類に名前などを記入するのみだった。
銀行での用事が終わって、次はようやくメインの葬儀屋だ。
葬儀屋で制服に着替え、母と一緒に霊柩車に乗って火葬場へと向かう。
職員の説明を聞く。
母が火葬炉に入れられる。
数分経ち、骨となった母が出てくる。
一人で骨を拾う。
骨壷に納める。
無性に全てを壊したくなる。
やるせない気持ちが胸に湧いてくる。
気づくと、諸々の儀式が終わり家路についていた。
布団に飛び込み、泥のように眠る。
学校は忌引きで一週間ほど休み、その間に折り合いをつけなければならない。
「できるかなぁ」
夜が明け、朝が来る。
今日は昨日ほどやることは無い、バイト先に行き制服を返して辞めることを伝える、それだけだ。
バイトを続けても利息を払うのには到底足らない、それなら辞めた方が良いだろう。
昨日と同じく自転車に乗って、目的地に向かう。
昨日と違うのは母が残した小銭と書き置きを小さなジップロックにいれて、ポケットに入れている。お守りがわりだ。
バイト先の店長は少し苦手。ボディタッチが多いし、さりげなく尻を触ってくる。
30代で脱サラして立ち上げたカフェ。時給は大して良くないが自転車で通えることと、内装がおしゃれな感じだったからなんとなくそこを選んだ。客入りはそこそこ良い。
店長曰く、会社員時代より儲かっているとか。
まあ、そんな事はどうでも良い。今日辞めるんだし。
店に着く、裏口からスタッフルームへ入っていく。ちょうどよく店長が何やら作業をしていた。
どこにでもいるような、小太りで初老に差し掛かりつつあるおばさん。
それが店長だった。
「店長」
「あれ、楓くん。今日はシフト入ってなかったよね」
馴れ馴れしく名前を呼ばれるのも嫌いだった。
嫌悪感を抑え込んで、会話する。
「突然ですみませんが、バイトを辞めさせてください」
頭を下げる。
イライラする。なんで、こんなのに頭を下げてるんだろうか。バイトぐらいバックレれば良かったかもしれない。
「うーん、そうかぁ。なんでか、理由を聞いていいかな?楓くん」
「家庭の事情としか...」
変に同情されるのも嫌だった。
ただのバイト先の店長だ。全部話す意味もない。
「そっかぁ。うん。じゃあ、仕方ないのかなぁ。ちなみに時給アップするって言っても変わらない?」
「変わりません」
時給が5万円ほど上がったら考えるが、流石にそんな事はありえないだろう。
「そっか、残念だけど分かったよ」
「ありがとうございます」
バッグから制服を取り出し渡す。
これで今日の仕事は終わり。
その後の数日間は家の中で閉じこもって過ごした。
売春か、ヤクザに尻尾を振るか。二つに一つ。
布団の上でそんな事を考えていると、インターホンが鳴った。
『結城さーん。いらっしゃるかしらー』
「はい。今開けます」
ドアを開けると、このアパートの大家が立っていた。
そこで、家賃を払っていない事に思い至る。
しかし、今の自分に払えるものなんて無かった。バイト代の貯金は火葬代に消えた。
「結城さん、あなたのお母さんが亡くなった、ていうのは本当?」
「はい。昨日火葬を済ませました」
「そう。そんな時に心苦しいんだけど、あなたのお母さん家賃を滞納しててね...」
それは、初耳だった。
「そうですか、すいません。こんな所では何ですし中へどうぞ」
あまり玄関で話したくない内容なので奥へ案内する。
大家を滝沢に座らせた場所と同じところに座らせ、向かいへ腰掛ける、
「それで、母はいくら滞納してるんでしょうか」
「今月を合わせると、合計で24万」
すぐに払える金額ではなかった。
「すいませんが、もう少し待ってもらう訳には」
「私もね、若い男の子にこんな事言いたくないんだけど、払えないってなると出ていって貰うしかなくなるわね。それに結城さん、変な所からお金借りてるんでしょ。クレームが入ってるのよ」
それは不味い。
住むところまで無くなれば流石に生きていけない。
「ダメなら、体で払ってもらうか、なーんて。少しぐらいなら待ってあげ...」
「いいですよ、体で払っても」
どうせ売春をするしかないと思ってたんだ。ちょうど良いじゃないか。
「なに言ってんのよ、冗談に」
大家の目の前で服をはだけさせる。
ワイシャツのボタンを外し、脱ぎ去る。
大家の目は僕から動かせないでいた。
女をどうやれば誘えるか、前世が教えてくれる。性別は違うが中身は同じ。前世の男も今世の女も性欲に囚われている。
座ったままでいる大家の隣に立ち、頭を胸に抱きかかえる。
「したいんでしょう」
吐き気がする。
自分の子供ぐらいの年齢の男に欲情する大家にも、母と同じぐらいの年齢だろう女を誘う自分にも。
しかし、それでよかった。うんと汚れたほうが、汚い金を稼ぐのにも躊躇がなくなるだろうから。
でも、慣れたくはないなぁ。貧乏に慣れたように、家にヤクザが出入りするのに慣れたように、母の泣く声を聞こえないフリをするのに慣れたように、人はいろんなものに慣れてしまう。そうはなりたくなかった。
そんな事を考えていると押し倒される。
キスをされる。体を弄られる。不快感を抑え込み、望むように振る舞う。
睦事のマナーも前世から手繰り出す。母を亡くした僕の唯一の頼れる人。前世の僕、多分前世でも男だった。だからこの世界の女の気持ちもよく分かる。
体にまたがられる、ゆすられる。
初体験に関しては人並みに理想はあった。それとはかけ離れているのは知っての通りだ。
演技を続けながらも思考はどこかに飛んでいた。自己防衛の本能だろうか。
やがて"こと"が終わると、少し冷静になったのか大家はいそいそと服を着始め、財布から2万円を取り出しテーブルの上において玄関の方へ向かっていった。僕はただその様子をみていた。
ドアの閉まる音がする
2万円は口止め料なのか、情けからくる施しなのかは分からない。どちらにしろ黙って出ていくとはたいした肝の小ささだ。
数分演技しているだけで、数か月分の家賃の滞納がチャラになったのと現金2万円とはなんともぼろい商売だ。バイトしていたのもばからしくなってくる。
初めからこうしておけば、母は自殺せずに済んだのだろうか。未練がましい思いが頭に浮かぶ。
援助交際やらママ活やらってどうやってすれば良いんだろうか。
駅前とかでそれっぽい格好で立っておけば良いんだろうか。しかし、それではなんとも客がとれなさそうだ。
どうせやるなら、効率的にやりたい。そうしなければ借金なんて返していけない。
まあ、やっても返していけるかどうかなんてわからないのだが。
しかし、ほかに稼げる当てもない。
どうすれば効率が良いのか考える。
そこそこの金を生むのならば、斡旋をしてマージンを取っているような奴がいるんじゃないかと思う。
しかし、ツテがない。滝沢は頼れない。
自分の交友関係の中に、こんなことに詳しそうなやつは思い当たらないし、相談する相手を間違えば、噂は学校中を回るだろう。
僕の通っている学校は、学費の安い公立高校。ガラが悪くて、頭も悪いことで有名だ。
ガラが悪いのは一部の生徒に過ぎないが、頭が悪い人間が多いのは地元で育った人間なら何となく知っている。そのレベルの学校。
そんなわけだから、学生ながらに売春を斡旋し、金を稼げる頭の持ち主はきっといない。
だが、ツテを持っている人間はいるかもしれない。
最悪体を使えば良い。
もうすでに汚され、今後も汚し続ける予定の体だ。使わなければ損というものだろう。
人は実践を経て初めてプロに生まれ変わるものだ、これから人をたらし込んだ行こうとしてるんだし、良い練習になるかもしれない。
そんな風に前向きに考えて行かないと到底やっていけそうになかった。
シャワーで体を念入りに洗いながら、考える。
僕がこんなに弱いなんて知らなかった。
もっと強くあれる人間だと思っていた。逆境に立ち向かっていける人間だと思っていた。
実際は違う。
たった一度の行為で怖気付いている。情けない。泣きたくなる。だが、そんな事も言ってられないような状況だ。
変わらないといけない。
そうだ、今日、ここより生まれ変わるのだ。
先の見えない闇を這い出すために。
心を石のように閉じ、体も他人も利用して、強く、厳しく、冷静で、冷徹な、そんな人間に生まれ変わるのだ。