忌引きの期間を終え、今日から学校へ復帰することになった。
いつもなら、学校など行きたくはないし、長期の休みの後などはことさらだが、今日は違う。
売春の元締めをしている人間の手がかりを聞き出す、という明確な目標があった。
自転車にまたがり、代わり映えのしない通学路を走る。いつもと違うのは、気分とポケットに入れた形見の硬貨と遺書。
初夏の爽やかな風が、頬をなでる。
今年の夏は冷夏の予想らしく、風は去年よりもどこか冷たく感じられた。
やがて学校に到着し、駐輪場へ向かう。駐輪場はすでに多くの自転車でいっぱいで、少しの隙間にねじ込むようにして自転車を停める。
校舎に入り、下駄場、階段と歩みを進めていく。年季が入り薄汚れた廊下を歩いていくと、1-2の教室が見える。久しぶりに入る教室とはいえ、別に変わったところもなければ、気になるようなこともなかった。
「おはよう、カエデ。もう大丈夫なのか?」
「おはよう、ヒロム。まだやることは残ってるけどね。とりあえずは落ち着いた」
自分の席に座っていると、僕の数少ない友人である、日浦弘夢が心配そうに話しかけてきた。
弘夢は中学からの友人で、人当たりの良い性格で男女ともに人気があり、そのおかげで色々なことに耳が早かった。元締めへの手がかりの一人である。
「そうか。でもなんか困ったことがあったら相談しろよな。聞くだけ聞いてやるよ」
「そりゃ、力強いことだね。まあ、今のところは大丈夫さ、一人暮らしを満喫してるよ」
弘夢は僕を気遣ってか、普段よりもおどけた口調で話した。僕もそれに合わせて軽口を言う。友人に無用な心配を掛けたくはなかった。
「彼女も連れ込み放題ってわけだ」
「相手がいないのを知ってるだろう。ヒロムこそどうなんだ、入学する前から彼女、彼女とうるさくしてたじゃないか」
「いやぁ、中々こう、グッとくる相手はいないんだよな」
「理想が高いんじゃない?それか、今まで関わってこなかったような人種とか」
聞き出すのにはちょうど良い話題だった。
「外国人とか?」
「違うよ。例えばヤンキーとか不良とか。この学校にそこそこいるじゃん」
「ヤンキーねぇ」
「知らない世界を見せてくれるかもよ」
「湊先輩みたいな人かぁ」
弘夢は少し考え、聞いたことのない人の名前を出した。
「誰?その、湊先輩って」
「知らない?うちの学校で一番喧嘩が強いんだって。それでヤンキーたちをまとめ上げてるらしいぞ」
これはあたりかもしれない。
「番長みたいな?」
「よくは知らないけど、そうなんじゃないか、番長なんて今日日聞かないけどな」
湊先輩ね、覚えておこう。
「その先輩って、学校に来てるの」
「授業にはほぼ出てないらしいけど、ほら、昔の野球部の部室、あそこらへんにたむろしてるってのは聞いたことがあるな。なに、湊先輩狙ってんの?」
「違う違う。でも興味はあるかな」
弘夢が口を開きかけたところで、HRを知らせるチャイムが鳴り始め、会話はそこで打ち切られた。
今日の収穫はそれくらいだった。
湊先輩。その後、拓夢から聞いた話だとフルネームは湊透と言うらしい。ヤンキーなら地元の悪い先輩の一人や二人ぐらい知っているだろう。そこからあたれば、目当ての人間が見つかりそうな気がする。
明日にでも、探してみよう。
どうせ、明日は午前中は銀行で保険金と退職金を引き出して滝沢に渡すつもりだった。
日付が変わり朝が来る、滝沢を銀行の外に待たせ、窓口で口座を一本化するためと言って全額を引き出す。総額は1000万円、借金の三分の一。
これで残額は2000万円、利息は月100万円。
滝沢に金を渡した後、この間のことをしつこく、答えを出せだの言ってきたが適当にはぐらかして学校へ向かう。
学校に到着し、駐輪場に自転車を止める。今日は校舎の方に向かわず、グラウンドの隅にある旧野球部部室へと向かった。旧部室は古いプレハブ小屋でまだ野球部が存続していたころには、物置兼部室として使われていたらしい。
部室の前まで来ると中からは話し声が聞こえてくる。
たまり場になっているという情報は正しかったようだ。問題は湊透がいるかどうかだが、外から確認する手段はなかった。
つまりは、自分でドアを開けて確かめるしか方法はない。
ポケットに入ったお守りを無意識に握りしめる。
「湊先輩いますか?」
引き戸に手をかけ、一思いに開けて声をかける。
部室の中には、ステレオタイプのヤンキー風の恰好をした人間が5人、それと煙草の香り。これもお決まりだった。
「なんか用か?見ない顔だけど」
ステレオタイプのうちの一人、髪を金色に染めて長く伸ばしている女が立ち上がった。
「湊透先輩であってます?」
「ああ、そうだけど」
彼女は怪訝そうな顔で答えを返した。
どうやら、初日で当たりを引いたらしい。
「少し時間いただいてもいいですか?」
「構わないけど、何の話だ?」
「ここじゃあ、話しづらいんで屋上でも良いですか?」
彼女はまた怪訝そうな顔をしてうなづいた。
背後では、友人なのか何なのかが、彼氏がどうのだとか、春が来たなどとはやし立てていた。
「じゃあ、行きましょうか」
友人にも向けたことのないような、余所行きの微笑を湊に向けて屋上へと進路をとった。
「なあ、話ってなんなんだ。第一、私はあんたの名前も知らねぇ」
屋上へと向かう道すがら、湊から尋ねられた。
その声はなんだか上ずっているような気がした。
「ああ、自己紹介もまだでしたね。僕は1年の結城楓、どうぞよろしく」
「それで1年の男子が私に何の用だ。女に呼び出されんのはまだ分かるが、男は初めてだ。あ、でも別にモテないわけじゃないからな、勘違いすんなよ」
何やら変な期待をしているらしい。
不良の割には随分とウブらしかった。これは期待外れに終わるかもしれないな、なんて失礼なことを思いながら湊に返事を返していくと、じきに屋上の前まで到着した。
屋上のカギは壊れており、出入り自由になっているのは公然の秘密となっていた。
ドアを開けると、屋上には先住者がいたようだが、後ろに控える湊をみて気まずい顔をして去っていった。
「なんだ、私の顔見るなり逃げやがって、失礼な奴め」
「先輩以外に聞かせたくない話でしたし、僕としては都合がよかったです」
「お、おお。そうか。ならよかったよ。うん」
このまま勘違いさせておくとややこしそうなので、先に誤解を解いておくことにしよう。湊には少しかわいそうだがしょうがない。
「先に言っておきますけど、愛の告白とかじゃないですよ」
「...」
「先輩?」
一瞬の気まずい沈黙が流れる。
「だぁー!先に言えよそういうのはよぉ。期待した私がバカみたいじゃんかよ!」
「なんか、すいません」
「謝んなよ!余計私がみじめだろ!」
ひとしきり吐き出した後、いじけた様にフェンスに寄りかかり煙草に火をつけた。
「それで、話って」
湊は少し不機嫌気味な声で促した。
「人を紹介してもらいたいんです」
「人?喧嘩なら私の舎弟から何人か貸せるが」
「違いますよ。紹介してもらいたいのは、援交だとかを仲介してるような人です」
湊の表情が歪む。
「小遣いが欲しいからって、ウリなんてするもんじゃねぇ。バイトでもしてな」
意外にも反応的には心当たりはありそうだ。
「バイトの収入じゃあ、到底返せそうもないんですよ」
「返せそうもないって、借金でもしてんのか」
「ええ、それも頭にヤミがつくようなところから。親が亡くなりましてね、その肩代わりってやつです」
湊の目が、同情や憐憫を帯びたものに変わる。
「いくら、あんだ」
「今日、母の保険金やらで返済した分を引くと、2000万です。ちなみに利息は月5%、月に100万以上は返済しないとここからどんどん膨らんでいくわけです。ねえ先輩、人助けと思って紹介してくれませんか」
「頼れる奴はいねぇのか」
「母親はなくなりましたし、父親も僕が小っちゃい頃にどこかへ消えました。親戚とも縁を切られてるし、後は取り立てに来ているヤクザに泣きつくぐらいです」
「クソッ、分かったよ。紹介してやるから、連絡先教えろ」
湊は短くなった煙草を地面に捨て、足でもみ消すと携帯を取り出した。
僕も携帯を取り出し、チャットアプリのIDを交換する。
湊は携帯をポケットにしまうと、ズルズルとフェンスで背中を汚しながら座り込み大きなため息を吐きながら次の煙草に火をつけた。
「あーあ。世界ってのは優しくねぇよなぁ」
「まったくです。あ、先輩、たばこ1本貰って良いですか?」
「なんだよ、お前も吸うのか。見かけによらねぇな」
湊は煙草の箱をこちらに向けてきた。銘柄はよくわからない。煙草なんて吸ったことなければ興味もなかった。母親は吸っていたが、いつの間にか禁煙していた。きっと煙草を買うお金もなかったんだろう。
箱の中から1本取り出す。ライターも箱の中に入ってたが取り出さなかった。
「ん?火はあんのか」
「はい。そこに」
湊の顔に自分の顔を近づける。煙草どうしが触れ合った。
シガーキスというらしい。前世の記憶で見た。記憶によれば、喫煙者は、特に前世の男はこれをやりたがるらしかった。
煙草の火のつけ方や吸い方は、もちろん前世から習った。きっと前世の僕は喫煙者だったんだろう。
やがて、僕の咥える煙草にも火が移り、紫煙が立ち上る。
「な、な」
湊の顔は赤く染まり、二の句を告げないでいた。
そんな湊を見ながら、煙草の煙を吸い込んだ。
メンソールのスッとする感覚と、煙の変な味。別に今後も吸いたいとは思わなかった。
こんなのに依存性があるなんて、分からないもんだなぁ、などと考えていると、湊の吸っていた煙草から灰がスカートから覗く太ももに降りかかった。
「あっつ」
湊は勢いよく立ち上がり、今度は違う意味で顔を赤くした。
「先輩って、案外可愛らしい人ですね」
「バカにしてんのか」
「いいじゃないですか。僕、好きですよ、可愛い人」
湊は気恥ずかしそうに、再度地面に胡座をかいて勢いよく座り込んだ。
「話が済んだんなら、さっさと行けよ」
「そうですね。じゃあ、僕はこれで。それと、今日のことは二人の秘密ですよ。トオル先輩」
最後に微笑みを残して、僕は屋上を後にした。
これから授業を受ける気にはならなかったので、今日はもう帰る事にした。サボったところで僕を怒る人間などはもう存在しない。
あまり見ることがなかった平日昼間の景色を眺めながら、果たして今日の事は上手く行っただろうかと不安になる。
出来るだけ、親しみやすい年下男を演じたつもりだった。
あの先輩の反応を見るに、成功してそうではあったが何処か漏れはないだろうか。
いっそのこと、恋人にでもなればよかったかもしれないが、それもそれで売春はさせてくれなさそうだ。
それにしても、シガーキスをした時の先輩のあの反応は面白かった。
思い出すと口角が上がっていくのがわかる。
学校の中で一番喧嘩が強いらしいが、あの可愛らしい反応からは考えられない。ギャップ萌えというやつだろうか。
人の純情を弄んでいるようで少しだけしのびないが、背に腹はかえられぬ、というやつだ。
ただ、これからも良い関係でいたいと思う。
まったく自己中心的な考えだ。
借金が全額返済できたら、デートでも誘ってみるのも良いかもしれない。