次の日からも同じように客を取った。
弓弦の指定した場所へ行き、客と落ち合って飲食店やカラオケで少し話した後ホテルに向かう。ことが終われば、クラブへ行って弓弦にマージン料を払う。
流れがわかればあとはルーチンワーク。
気づけば一月ほどの時が過ぎていた。
その間には様々な変態と出会った。踏んでほしいだの、殴ってほしいだの、首を絞めたいだの、人間の多様性には驚かせられるばかりだ。自分の抜歯した親知らずを食べてほしい、と言われた時はさすがに閉口した。彼女の癖を満たしてくれる人間はピンクダイヤモンドより希少なことだろう。
そうやって彼女らの欲望を満たし、時にいなしながら1ヶ月ほどで110万ほどの金額を稼いだ。
当初想像していた通り30日すべてに客がつくことがなかったが、利息を払っても生活できる額だ。
しかし元金はあまり減らない。
この分だと来月も利息は同じくらいだろう。
「お疲れ。カエデも随分と慣れてきたな」
「おかげさまで」
慣れたわけじゃない、感情を殺しているだけだ。
そうでもしないと焦燥感と嫌悪感でどうにかなってしまいそうだった。
「そういえば聞いてませんでしたけど、どういうシステムでキャストに客をつけてるんですか」
「ウチは会員限定の指名予約制って感じだな。客が電話かチャットで予約するんだよ。そのときキャストが指名されればソイツをあてがう、キャストの指名がなければこっちで空いてるやつを選んで派遣する」
やはり顧客リストがあっての商売だ。いきなり僕が独立してやっていける気はしない。
「カエデは年も若いし、評判も悪くないからそのうち指名してくる客も出てくるだろうよ、センセーとかな」
「...まあ、キモいだけで害はないんで良いですけど」
弓弦はカラカラと笑った。
「本当にヤバい客に当たったら教えてくれ、出禁にするからよ」
「今のところ大丈夫そうですけどね」
「指名がつき始めてからが多いんだよ。会員からの紹介で新規で入ったようなやつは人間性もよく分かんねーしな。たまにあるんだわ」
「出禁にしても、ストーカーとかになったらどうするんですか?」
この売春クラブが利用できなくなっても、ストーキングやらの迷惑行為をされると意味がない。
「相手によるな。世の中には殴っても良い奴と、駄目な奴がいるんだよ。
小金持ちぐらいなら誰かに頼んでシメて貰うんだが、どこかにコネだったりを持ってるやつは中々扱いが難しい」
暴力が使えないとなると、脅迫か懐柔か。
未成年とホテルに入る様子でも写真に撮れば交渉の材料ぐらいにはなりそうだが、話の通じないやつには効果がなさそうだ。
「まあ、そういう手合いは慎重にやるしかねぇ。だから何かあったらすぐ言えよ」
弓弦と別れてから滝沢に連絡する。
今月分の利息と、滝沢から持ちかけられていた話に決着をつけたい。
『滝沢よ』
「結城楓です。時間はありますか?」
『ああ、場所はお前の家か?』
「はい。では1時間後に僕の家で」
通話を切って自宅に向かった。
電話からきっかり1時間後、インターホンが押された。
ドアを開け、滝沢を迎える。
いつものように、テーブルを挟んで向かい合うように座った。
「今月の利息です」
滝沢の目の前に100万円が入った封筒を置く。
滝沢は中身を確認して目を剥いた。
「どうしたのよこの金。高校生のガキが一月で稼げる額じゃないわよ」
「男のガキが稼ぐ方法なんて一つしかないでしょ」
滝沢は顔をしかめた。
「どうあっても、私の手を借りる気はないのね」
「ヤクザのお仲間になるよりマシだと思いますけどね」
滝沢に何が出来るというのだろう。
「滝沢さん、ひとつ聞きたいことがあるんですけど。矢野瑞樹って知ってますか?」
「はぁ?知らなくはないけど...」
「教えてください。あの人が何をしたのか」
本職なら事の経緯が分かるかもしれない。
僕には関係ない事だろうが気になった。
瑞樹に近づきたかった。
「一連の事件があった時、私は部屋住みから正式に組員になってすぐのペーペーだからそこまで詳しくないわよ」
「構いません」
「分かったわ。私が知ってるのは矢野ってガキが組の人間の男を攫って殺したとかでその報復を受けて死んだ後のこと」
黙って続き促す。
「ある日、直参幹部の組事務所に警察のガサ入れが入ったの。なんでも、いつのまにか組名義の車が盗まれていて、その車で轢き逃げ事件を起こされてたとか。おまけに、その車を発見した時には中に男の死体とヤクが積まれてたってワケ」
計画的な犯行に見える。
そして、一人では出来ないことだ。
瑞樹はどういうわけか、死んだ後でさえ人を手駒にしていたようだ。
「それでガサ入れを受けたんだけど、事務所からは本来あるはずのない大量のヤクと車で死んでた男の身分証が出てきたの。その結果、組の構成員だけじゃなくて幹部も逮捕されることになって、その組は事実上解散」
「内通者がいないと難しそうですね」
「そうね。本家もそれを疑った。ただ、その時は誰も矢野瑞樹が仕掛けたなんて思ってもなかったわ。当然だけどね。その後は、他の組織や会長の席を狙う幹部の攻勢と判断した当時の会長が粛清を始めたの。そんな事をすれば当然、組は揺らぐ。独立する組なんかも出てきたわ」
瑞樹はどこまで計算していたのだろうか。
あるいは、どこまでを描くつもりだったんだろうか。
「当然独立なんて許されるワケなく、組は荒れたわ。さらに、どこからか幹部の裏帳簿の情報も出てきた。実際ソイツは混ぜ物の多いヤクを売ってたし、情勢も相まって証拠が不十分のまま殺されたわ。それもまた結局、火に油を注ぐことになるわけね。そこで、ソイツの後継が噂の出所を順番に締め上げると、矢野瑞樹に辿り着いた」
「しかし、すでに殺していたと」
自分は姿を見せず、死してなお計画は進んで行った。
一体どうすればそんな芸当が可能なのだろうか。
「ええ。でも絵図を書いた人間がすでに死んでいたとて、振り上げた拳は何処かに振り下ろさないといけない。組の混乱は暫く続いたけど、会長が責任をとって幹部連中引き連れて辞任する事で大分収まってきたわ」
聞き捨てならない事を聞いた。
混乱が収まって仕舞えば、また弓弦は粉をかけられることになるかもしれない。
「矢野瑞樹の創った組織はまだ存続してますけど、組はそれをどうこうするつもりはあるんですか」
「さあね。本家の考える事は私も知らないわ。でも、20歳そこそこのガキにしてやられた事はそのスジの人間には噂になってるし、そのままには出来ないでしょうね。特に矢野瑞樹に復讐の機会を失った奴らは」
マズイな。
ヤクザの攻勢を白石は凌ぎ切れるのだろうか。
それに僕自身にも危険が迫る可能性がある。
「まさかとは思うけど、その組織でウリしてるんじゃないでしょうね」
「鋭いですね。滝沢さんの組はどうなんですか?何か動く気は」
「はぁ。ウチの組、建部組は被害は受けてないはずよ。その時は3次団体だったし。組長が切れ者でね、混乱を利用して成り上がった口よ」
「じゃあ動きそうな組は知ってますか」
「数え切れないわ。本家を含めてね」
どうする。
ヤクザ者にはどう対処すれば良い。
さすがに前世の記憶にも心当たりがない。
「一番の対処法はさっさと逃げること」
簡単に言ってくれる。
「借金がチャラになるんならすぐにそうしますよ」
滝沢は少し気まずそうな顔をした。
失言だった自覚はあるらしい。
「それなら今組織をまとめてる奴がスジを通すしかないでしょうね」
「金ですか」
「詫びの金もそうだし、アガリを納めれば額次第では生かしていたほうが得だと判断するかもしれないわ。若い奴らは金を生み出すシノギに飢えてる。納める金が多いほど上の覚えもよくなるしね」
「滝沢さんもそうなんですか」
「ええ。そりゃあね。いつまでも取り立てや売人なんてやってられないわよ。リスクだけ高くて、利益は少ないしょっぱいシノギなんて」
何処かの組に売り込むしかないのか?
僕も拒否感があるし、弓弦も納得はしないだろう。
「ありがとうございます。よく分かりました」
「じゃあ、私はもう行くわ」
滝沢は封筒を懐に入れ帰っていった。
どうすれば自由になれるんだろう。
何もかもが悪い方向に流れていっている気がする。いつになったら抜けられるんだろうか。
いつものように登校し、教室のドアを開けたところで教室の中のざわめきが一瞬にして静まり返り、数対、数十の瞳が一斉に自分に注がれるのを感じた。
まるで、時間が止まったかのように、全てがスローモーションで進むような感覚だった。
それでなんとなく察した。『ああ、ウリをやってるのがバレたんだな』と。
自分の席に歩いて行く間も絶えず視線は注がれていた。
窓から差し込む日差しが教室の中を柔らかく照らし出し、その光に浮かぶ顔たちが、ひとつひとつ鮮明に見えたような気がした。
一月でバレるとは随分と早かったな、なんで他人事みたいに思いながら席に着く。
幸い机に落書きはされておらず、まだイジメられるような段階ではないらしい事を知らせてくれた。
クラスメイトたちの視線はいまだにチラチラと注がれている。
誰も直接何かを言うわけだけではなく、ただ、空気だけが重いものとなって行く。
「おい、カエデ。本当なのかよあの話」
拓夢が見かねてコソコソと話しかけてくる。
「僕がウリしてるって?」
「それ以外何があんだよ」
なんだか笑えてくる。
何も愉快ではないのに不思議だ。
「どうだと思う?」
「どうって、お前...」
ぽつりぽつりと周りで会話が交わされ始める。
ひそひそと、しかしこちらにも聞こえるような距離感で交わされ始めた。
耳に入る言葉の端々が、皮膚の上を這うような不快感を残して行く。
「席につけー、HR始めるよ」
担任が教室に入ってきて、拓夢との会話は打ち切られた。
ざわついていた空気が少し引き締まり、教室が普段通りの朝を取り戻して行く。
僕も何事もなかったかのように前を向いた。
見かけだけはいつも通りの一日が始まった。