期待に反して、屋上には誰もいなかった。
ただ、貸し切り状態なのは悪くない。初夏の風が頬をなでる。金網にもたれかかりながら、ずるずると腰を下ろすと、大きなため息が一つ出た。
気力が削がれる。
いっそ死んでしまおうか。そんな弱気が見え隠れする。
でも、今死んだらきっと永遠に笑いものだろうな。
同窓会の鉄板ネタになることだろう。薄汚い淫売が自業自得で死にやがった。おかげで警察から色々聞かれて迷惑したぜ、なんて。
しばらく、広い屋上の貸し切りを満喫していたが、それも長くは続かなかった。
不意にドアが開き、ガラと頭の悪そうな、我が校のステレオタイプな女生徒が3人屋上へと入ってきた。
そろそろ帰りどきかと思って腰を上げると、声を掛けられた。
「あんたが結城楓?」
「人違いじゃないですか」
さっさと出ていこうと思ったが、出入り口が体によってふさがれる。
「嘘はよくないよ。この写真あんたでしょ」
女生徒の一人が、携帯の画面を僕の目の前に突きつけ、何枚かの画像を僕に見せてきた。
そこには、ウリの客とカフェで談笑している写真であったり、ホテルに入る写真であったりが写っていた。
客の顔から撮られたのはここ最近だということが分かる。
思わず、舌打ちがでる。
急に僕への当たりが強くなったのはこの写真のせいか。
「さっき、一年の教室で聞いたら、ケンカしてどっか行ったって聞いたからさ、もしかして、と思ったらビンゴ。私って頭良くない」
「ねぇ、ウリしてんでしょ私たちともしてよ」
「嫌ですよ」
「ババアのケツ舐めるくらいなら、私たちのほうがマシなんじゃない?」
「僕だって、客を選ぶ権利はあるんですよ。アンタらみたいな金も持ってなさそうな奴は断ってるんで。まあ、あった所で、ですが」
何を言った所で無駄なのだろうが、言わずにはいられなかった。
最悪の気分だ。全てが嫌になる。
「へぇ、言うじゃん。大人しくしてるんなら、優しくしてやろうと思ったんだけどなぁ」
髪を掴み上げられ、腹に膝がめり込む。
「がっ、ぐ。ゲホッ」
強烈な痛みと吐き気が体を襲う。
立ち上がりざまに、蹴りを入れられる。
「どう、ヤッてくれる気になった?」
ニヤニヤと笑いながら、女の1人が問いかけてくる。
「バカ、言うなよ。誰が」
脇腹を蹴り飛ばされ、体が空を向いた。
腹を踏みつけられ、グリグリと踵を鳩尾に押しつけられる。
「顔はやめとけよ。折角なかなかイケる面してるんだから」
「分かってるって。もうヤッちゃう?」
振るわれる暴力が男の無力を自覚させられる。
僕はもう、これから行われる蹂躙についてどうやり過ごすのかしか頭になかった。
女たちが服に手をかけ、はだけさせて行く。
体を逃がそうとするたびに、押さえつけられ抵抗を封じられる。
3人のうち2人は僕の体に纏わりつき、残りの1人はドアを体で抑えていた。
「なかなかイイ体してんじゃん」
「すぐに良くしてあげるからさ」
「私にも回してよね」
蹂躙が始まった。
肌が重なり合い、不快な体温が伝わってくる。
またがられ体をゆすられる。
屈辱的な言葉を投げかけられる。
ただじっと耐えることしかできなかった。
はだけた服から、お守りが滑り落ちた。
女の1人が目ざとくそれに気づいた。
「なんだこれ、小銭とメモ?ご、め、ん、ね?何これ」
「返せ!」
その一瞬だけは体に力が戻った。
それだけは何としても守り通さないといけない。
こんな奴らに触れさせたくはなかった。
「うわっ。この、大人しくしろっての」
僕にまたがっていた女に頬を殴られる。
先ほど顔を殴るななんて言っていたが、興奮で暴力にも歯止めが効かなくなっていた。
取り返そうともがく度に、殴られた。
やがて気力がつき、倒れ伏した。
「こんなのの何がそんなに大事なのよ」
「カエデくんがサービスしてくれるんなら、返してあげてもイイんだけどな」
「ほんとう、ですか?」
「ホント、ホント。ワタシら嘘とか嫌いだから」
ニヤニヤと気色の悪い、悪意しかないような笑みを浮かべながら女は言った。
どうせ嘘な事は分かっていた。
脅しのネタになるだけだろう。
それでも縋りつかなければならなかった。
「じゃあ、分かるよね。ババアといろんなことやってんでしょ。先ずは何してもらおうかなぁ」
その瞬間、ドアの向こうから声が聞こえた。
『なんだこれ、向こうで抑えられてんのか?』
「トオル、先輩」
『おっ、カ、カエデか。いやぁ奇遇だな。別にお前に会えると思って最近屋上に通ってたわけじゃないからな。いや、それよりドア開けてくんないか。なんか引っかかってんだよな』
「先輩、たすけっ。んぐっ」
口を抑えられる。
人に助けを求めるなんて随分と久しぶりだった。
情けないだとか、プライドだとかもうそんな事も言ってられない状況だった。
改めて自分の弱さを思い知った。
『おい、カエデ以外に誰かいんのか』
透は僕の聞いたことのないような低い声で、女たちに呼びかけた。
誰も言葉を発さなかった。
あるいは発せなかったのしれない。対面してないにも関わらずそれほど凄みがあった。
『オイ、返事くらいしたらどうだ』
ドアが大きな音を立てる。
女の1人が必死に抑えている。
向こう側に気を取られ、僕の拘束が緩む。
ドアが再度大きな音を立てる。
視線も注意も外へ向いている。
今だ。そう思った瞬間に、体が動く。
ドアを押さえている女が、弾かれたように振り向く。
拘束していた女が、僕の体に手を伸ばす。
もう1人の女に肩を掴まれる。
ドアまでの距離も十分でなく、肩を掴まれ勢いを殺されていたとしても、ドアを抑えている女に体が接触する。
女と男で体格差もあり、大した威力はなかった。
それでも、僅かに体を揺らした程度でもあっても、均衡は崩れた。
女たちに組み付される、その瞬間ドアが開いた。
体当たりするような格好で、透が屋上へと侵入を果たした。
「テメェら何してやがる」
半裸の僕たちを見て何事があったかを察したらしい透は、一息の間に1人を地面へとキスさせた。
その手際の良さは何某かの武道や武術を習っていたことを想像させる。
「ち、違うんだ。私たちは、コイツに誘われただけで」
「そう、そうなんだ。ワタシはただ」
透は言い訳を重ねる口に、靴裏を叩き込んだ。
血を吐き出しながら、女が倒れる。
残った1人にも同様に暴力の暴風が吹き荒れる。
数分も立たないうちに、透1人によって屋上は制圧された。
「カエデ!大丈夫か!」
透に手を差し出される。
少し躊躇しながらその手を取った。
「ちょっと待て、服!服着ろ!」
自分が半裸だった事を思い出す。組付されたときに無理に抜け出したため、下半身なんか丸出しだ。
辺りに散らばった衣類をかき集め、いそいそと着替えて行く。
お守りも、遺書に少しシワが入ったぐらいでパッと見た感じは無事そうだった。
透はそのうちに逃げ出そうとした下手人に更なる制裁を加えていた。
「カエデ、コイツらどうするんだ」
透が女たちを足蹴にしながら、怒り心頭といった様子で聞いてくる。
どうしてやろうか。
殺してやりたいとは思う。しかし、実行する訳にはいかない。
「とりあえず、裸に剥いてください」
せめて、コイツらの命を握っておかなければ割に合わない。
ポケットから携帯を取り出す。
携帯も特に異常はなさそうだった。
透はモタモタする女たちを蹴り上げながら服を脱がせていった。
全裸で3人並ばせ、その様子を写真に収める。
これだけじゃあ決して終わらせない。
いつか報いを受けさせる。いたぶって殺してやる。
それまでは逃がさない。
その気力だけで、なんとか気丈に振る舞えていた。
足は生まれたての小鹿のように震えているし、体には力が入らない。
「連絡先教えてよ。僕が呼んだらすぐに来れるようにさ」
おずおずと携帯が差し出される。
「1人でも余計なことをすれば、ばら撒くから。学校にも外にもね。印刷して駅にでも貼り付けてあげるよ。分かったら行っていいよ」
女だってさすがに全裸の写真をばら撒かれたくはないはずだ。抑止力にはなるだろう。
僕が促すと3人は脱兎の勢いで、屋上を抜け出した。
慌ただしく階段を降りる音がここまで響いてくる。
そこで、安心したのか立っていられなくなり、地面に崩れ落ちるように座り込んだ。
「おい、カエデ!」
「ありがとうございました、先輩。ホントに強いんですね」
「当たり前だろ。それで、アイツらは良いのか?逃しちまって」
「ええ。今はそれで良いんです。そのうち殺してやりますよ、きっと」
すぐにアイツらをどうこうする気力は抜けていた。
体を脱力させ、地面に背を預ける。
青い空と、心配そうな顔をした透が良く見えた。
「僕って、弱かったんですね。ウリをして、金を稼いで、孤独になって、それで強くなったんだって勘違いしてたみたいです」
あの日に生まれ変わるって誓ったんだけどな。
「そんな無理して、いきなり強く変わろうなんて思わなくて良いんだよ。ヒトの内側なんて、そんなにすぐ変わるもんでもないだろ」
透はしゃがみ込み僕の顔を覗き込んだ。
それじゃあ、ダメなんですよ。特に僕は。
でも、今日ぐらいは、良いのかな。誰かに甘えても。
上半身を起こし、透と目線を合わせる。
「先輩、ちょっと胸借りても良いですか」
返事は聞かなかった。
「うわっ。おい」
在りし日の思い出が蘇る。
昔はよくこうして抱いてもらったものだ。
母に抱いて貰ったのは、いつが最後だっただろうか。
ふと、涙が溢れ出した。
火葬場でも泣かなかったんだけどなぁ。なんだか情けない。
「カエデ?」
そっと、壊物を触るように、背中に透の手が触れる。
暖かな手の感触が服越しに伝わってくる。
「今なら抱けますよ」
胸に顔をうずめながら、涙声で問いかけた。
「バカ言うな」
「...。ありがとうございます。きっと明日からは、また強くあろうとできます」
「ああ。でも、私を頼っても良いんだぞ」
胸から顔を上げる。
涙はもう引いていた。
「僕は人に頼るのはなんだか苦手なんですよね。だから、いつでも助けれるように、ずっと見ててくださいね。先輩」
「図々しい野郎だな。おい」
屋上には2人の笑い声がこだました。
久しぶりに純粋に笑えた気がした。