1話
轟々と、雪が吹雪く
今日も寒くなりそうだ、と男はひとり壁の向こうの景色に想いを馳せる。
壁に背中を預けて、天井を見上げるがいつもと変わらない、鉄の天井。視線を動かして前を向けば鉄の扉。こちらから開ける術がないようドアノブは撤去され、その名残として上から鉄板が溶接されている。
男のいる部屋は4畳ほど広さしかなく、簡易的なトイレしか設置されていない。
光源もなく、外から漏れる光でうっすらと見渡せる部屋の中、男は目を閉じて再び外の世界を夢想する。
今日はどんな天気なのか、外で何が起こっているのか、夢想するたび真っ暗な景色が一転して思い描いた景色がまぶたの裏に映る。
真っ白な雪が世界を覆う、白銀の世界。今は吹雪いているが、いつかは止んで日光に煌めく世界が見えるのだろう。
そうして夢想しているうちに、白い大地に赤染みが付く。
ぽたり、ぽたりと、時間が経つごとに増えていき、仕舞いには土砂降りのように血の雨が世界を覆い赤く紅く染め上げる。
そこまで夢想して鼻で笑い、しょせん自分の想像力ではこの程度かと自嘲する。
男の世界には常に赤があった。
それが彼の世界だった。
床まで垂れる長い黒髪を鬱陶しげに頭で振り払い、顔の前に垂れた髪を思わず手で払おうとすれば両手についた鎖がチャラチャラと音を出す。
そして扉の向こうから2回のノック。これは扉の向こうにいる人間からの警告だ。あまりに酷ければその日は眠ることさえ許されない懲罰がくだされるだろう。
それを理解している男は諦めたようにため息を溢し、頭ごと壁に背中を預ける。
この様な生活を一体いつから続けてきたのだろうか。時間感覚のない暗闇の中ではそれが理解できず、体内時計も役に立たない。
恐らく1年は経っていないはずだが、その感覚さえも曖昧だ。
壁に預けたままの背中をずるずると下げ、最終的に床に寝そべる形になる。
この空間で唯一の楽しみである食事はまだだろうか?そんなことを考えていれば不意に扉がノックされる。今度は先ほどと違い5回。面会の合図だ。面会にくるような相手はいないはずだが、と不審に思っていれば覗き口から光が溢れ、こちらを睨む瞳が見えた。
諦めたように座り直し、扉に背を向ければすぐさま扉が開いて布を被せられる。そうして両手両足をベルトで固定され、台車で運ばれること数分、ようやく目的地に着いたのか布が外された。
久しぶりの光に網膜が焼かれ、涙が流れる。それが治ると案内されたのは面会室ではなく、赤い絨毯の履かれた部屋であることが確認できた。暖炉の薪がパチパチと跳ね、皮張りの椅子と細工の施された机を淡く照らしている。
その椅子に座るのは軍服を着た一人の女性。視線を少し動かして後ろを見ればここまで押してきたであろう同じ軍服を着た2人の男性。男性2人は肩にかけた銃をこちらに向けており、引き金に手をかけている。下手なことをすればどうなるかはお察しだ。
「よく、来たわね」
お前が連れて来させたんだろ、と言おうとして、喉から声が出ないのに気がつく。長い時間声帯を使っていなかったため筋肉が衰えたらしい。出るのは掠れた呼吸音に似た声だけだ。
それがわかっているのか女は返答を待たずして言葉を続ける。
「さて、本来なら死刑囚のあなたが私の前に出るのは死刑執行されるときだけなのだけど、今回は違うわ」
その言葉に違和感を覚え、同時にそれもそうだと思う。少なくとも処刑されるときはこの様な部屋ではなく、処理のしやすい場所が選ばれるだろう。なんだったら外に放置するだけで雪が全てを覆ってしまう。
しかし、だからといってこの様な場所に呼び出される理由が彼にはわからなかった。
「ここに呼ばれた理由はただひとつ。あなたにはISに乗ってもらいます」
IS。正式名称インフィニット・ストラトス。
言わずと知れた現代最強とも謳われる兵器。
並の兵器では傷付かず、超高速移動や幾つもの火器を搭載するソレには女性にしか扱えないという欠点があり、世を女尊男卑社会へと変えた超兵器。
しかし、自分は男であり、そもそもとして動かせないはずであると小首を傾げれば、わかっていたかの様に返答がくる。
「知らないとは思うけど、今年に入って世界初男性操縦者が見つかりました。これにより各国は男性を対象にした検査を開始。無論、我が国でも行われています。あなたも前に一度、血液を抜かれたでしょう?」
そう言われて確かに前に一度血液を抜かれたことを思い出す。
「その結果、あなたにもISの適正があることが判明しました。あなたにはIS学園に通ってもらいます。これは政府からの命令であり、拒否権はありません」
その話を聞いて少々げんなりとする。反抗する気もないが、命令されると気分的に嫌なものだ。
「ただし、ただ入学させるわけではありません。あなたには男性適合者である織斑一夏の身体データ、並びに機体データの入手を命じます。代わりにあなたには我が国で開発されたISを支給。そして現地では我が国の国家代表があなたを監視します」
元より死刑囚をIS学園という各国から集うエリート学園に入学させるのだ。それなりの対策をするし、有事に備えての対応も施してある。
女は机の下にあったアタッシュケースを持ち出し、そこから取り出した無骨な首輪を男につける。
「これが我が国で作られた、あなたの専用機。任務の放棄、もしくは逃亡が確認された場合、機体諸共爆破されるので、そのつもりで。ちなみに、現在は使用許可が降りていないため、起動できないし、万が一起動させた場合も爆破するので忘れないように。話は以上。一週間後出発予定なので、その間に覚悟を決めておく様に」
事務的にそれだけ言い終えると、背後に控えていたうちの1人がまた布を被せ、台車を引いて退室させる。
残された1人の震える肩を見て、女はため息をついた。
「はぁ………意見があるならいいなさい」
「………軍曹、本当にアイツをIS学園に?」
「ええ。政府の決定よ」
「………私は軍人です。政府の意向には逆らえません。ですが、やつはーーー!」
「ええ、私も本音を言えば反対。あんな犯罪者を首輪付きとはいえ野に放つなんて」
机の上に置かれた資料のひとつを手に取り、それを眺める。男の経歴、および罪状を綴られたものだ。
ストリートチルドレンとは本人の言ではあるが、両親もおらず、また戸籍も確かにないため、経歴は証言を元に作られており信用性はすくないが、検査の結果、いくつかの未解決事件の犯人だということは判明した。
主な罪状は殺人によるもの。その数はわかっているだけでも10件。それも一般人から始まり、政府の重鎮や軍のトップなど幅広く行われている。それも世界各国でだ。情報を吐かなかったため、その背後に誰がいるのか、協力者はいるのかさえもわからず、ただこうして閉じ込めておくことしかできなかったのだ。
男が捕らえられたのはほんの偶然。ある日この刑務所の前でボロボロになって打ち捨てられていたのだ。
そうでなければ今もまだ暗躍しているかと思うと、身震いがする。
「あなたの気持ちはわかる。けれど、耐えなさい。気持ちが落ち着いたらでいいわ、署長を呼んでちょうだい。出所の手続きを行うわ」
「くっ………承知しました」
男は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、そのまま部屋を出る。
後に残された女は資料を眺め、その端麗な顔を忌々しげに顔を歪める。頭の中では政府に対する罵詈雑言が飛んでおり、頭の中で政府の無能どもを惨殺して溜まった熱を排出するともう一枚の資料に目を通す。
こちらは先ほどのものとは違い、男を出所させるにあたっての書類。これが無ければ奴は出所できない。破きたい衝動に駆られるが、この書類は政府からの申請書。軍人である彼女はそんなことできはしない。
コンコン、とドアがノックされる。
どうやらこの部屋の本当の主人(刑務所の所長)が来たようだ。
女はため息を溢し、やる気の起きない任務にあたるのであった。
◇◆◇◆
独房に戻された彼はまた壁に背中を預け、虚空を見やる。
なぜ、ISを動かせるのかはわからないが、死刑を免れたことは理解する。ISと聞いて思い出すのはその制作者である篠ノ之束。彼を独房に打ち込んだ張本人。天才とも天災とも言われる稀代の変人。
思えば、篠ノ之束の拉致を依頼された時断るべきだったのだ、と深く後悔する。
研究所を探り当て、目標に接近することはできた。天才と言われようがたかが研究者。罠や警備の類に気を付ければいい、と考えていたのが仇となったのだろう。
アレは人間ではない。
対峙した者としての偽りなき感想。
人の皮を被った化物と言われた方がまだ納得してしまう。
あの全てを見透かしているかのような、全てを理解しているかのような瞳を思い出して、舌打ちを溢す。
まるでこれもアレが仕組んだかのような、掌の上で踊らされているかのような不快感。
頭を思い切り床に叩きつけて湧き上がる怒りを発散させる。
看守が何事かとこちらを伺うが、ただの自傷行為だとわかると大人しく引き下がる。
ふぅ、と身体にたまった熱を溢し、思考を切り替える。
少なくとも、任務を遂行している間は政府も手出しはできない。安全ではないが、ひとまず命の危機は脱した。しかし、任務の内容はあまりにも難しい。
男性IS操縦者、織斑一夏のデータの回収。それこそ血液から毛髪まで、なんでもいいから情報を寄越せというもの。
そのくらい容易いことだが、それは通常時ーーー手段を問わない普段の仕事であればだ。
IS学園に入学ということは、必然的にその姿を大多数の人の目に晒さなければならない。そうなれば隠密は難しい。学園という閉鎖空間であれば特に。
本来であれば女性しか動かせないIS。例によってIS学園に通う生徒も女性しかいない。そこに男性が入れば間違いなく好機の視線に晒される。そうなれば任務の遂行など不可能だ。
なりふり構わず、ということであれば可能だが、拉致も誘拐も暴力沙汰もなしとなれば不可能。せいぜい監視役である国家代表が味方してくれることを祈るだけだ。
そこまで考えて、自嘲する。
神を信じたことのない自分が祈るなど、滑稽でしかない。それを見た主はきっと腹を抱えて呵呵大笑していることだろう。
しばらく掠れた声で笑い、一頻り笑った後天井の四隅にある監視カメラに視線を向ける。
暗がりの中、録画中であることを示す赤いランプが3回光ったことを確認するとその向こうにいる仕事仲間にハンドサインを送る。
移動、IS学園、1週間後、出立、と簡潔に伝えると、了解の合図として4回点滅。その後、赤いランプがまた持続的に光出す。
それを確認した彼は目を瞑り、安らかな寝息を立てる。
1週間後に訪れる、任務を夢見て。
◇◆◇◆
1週間後、IS学園の裏ゲートにて。
主に食料や機材を運ぶためにだけ使われる、普段であれば守衛がいるだけの、滅多に使われないその場所に今日は幾人かが集まっていた。
その中でも特に異彩を放つのは、優れたIS操縦者に贈られる称号、ブリュンヒルデと名高い織斑千冬。
彼女は両腕を組み、その鋭い眼差しを通路の奥に向ける。その視線は日本刀の如く鋭く、正面から見据えられれば恐怖に飲まれることだろう。
「あ、あの、織斑先生」
おずおずといった調子で話しかけるのは千冬が受け持つクラスの副担任山田摩耶。手に持つタブレットにはこれからくる人物の情報が表示されていた。
経歴を見る限り、安全な人物とはいえず、厳戒態勢で迎えるこの状況。小心者の山田には気が重かった。
「大丈夫でしょうか?」
色々な意味を込めた本日何度目かになるかわならないこの言葉。
重たい空気を吐き出して、安心させるようにそちらを向く。
「大丈夫です、山田先生。相手が誰であろうと、この包囲網を潜れるはずがありません」
千冬を筆頭に、IS学園が誇る教職員5名。全員が不審な動きがあった場合即座に対応できるように刺又、ジュラルミン製盾、棍棒、ガス銃を携帯している。
それに加え、全生徒の中でも最強と謳われる生徒会長更識楯無。万が一のため、ISを使用できる専用機持ちが控えている。いつものように扇子を口に当てて不敵な笑みを浮かべており、その姿に隙が見当たらない。
そうこうしているうちに到着時間ピッタリに、輸送トラックが通路の奥から姿を表す。
助手席から降りた軍人が敬礼すれば、千冬もそれにならって返す。
「お会いできて光栄です、ブリュンヒルデ」
「こちらこそ、輸送協力に感謝します」
「いえ、本国の決定ですので。それでは早速ですが、受け渡しを」
バタバタと、トラックの後ろからついてきた車から人が降り、銃口をトラックの後ろに向ける。1人が慎重に扉を開け、中に人がいることを確認すると、車椅子に乗せて中にいる人物を運び出す。
両手両足を拘束され、目と耳も塞がれている男。指揮官の指示を受けて運び出した人間が目と耳の拘束を外す。
眩しそうにしながらゆっくりと開かれた紅い双眸。辺りを見渡し、状況を確認したのかにこりと笑みを浮かべた。
「Hey、ここが噂のIS学園かナ?」
瞬間、その場にいた軍人の全員が銃口を向け、引き金に手をかける。
突然のことに山田があたふたと止めようとするが、千冬がそれを止める。
「貴様の発言は許していない。正式に受け渡しが終わるまで貴様の身柄は本国の預かりだ。ここまで来て不要なマネをしてみろ。貴様をシベリアに送り返してやる」
軍人の言葉に了解したのか、肩を竦めて返す。その余裕そうな表情に腹が立つが、公私に折り合いをつけて軍人は千冬の方に向き直る。
「このような危険人物を押しつけて申し訳ありません。万が一の措置は事前に申告してある通りです」
「わかりました。長旅に疲れたでしょう、大した労いはできませんが、少し休んでいっては?」
「いえ。引き渡し後、即撤退せよと指示を受けていますので。ご好意に応えられず申し訳ありません。では、我々はこれで」
それだけ言うと、軍人らは銃口を引き上げて撤退する。無論、男に侮蔑の視線を送るのを忘れずに。
後に残された男はようやく邪魔者が消えたとばかりに辿々しい日本語で言葉を発する。
「あー、噂のブリュンヒルデに会えて光栄だヨ。早速、
ちゃらり、と音を立ててその存在をアピールする手錠。一見して報告にあったような凶悪犯には見えない表情に周囲の教師が安堵のため息を溢す。
話に聞いていたほどではない、と。
これならば安全だ、と。
しかし千冬は「黙れ」と切り捨て、鋭い眼差しを男に向けた。
「その気色の悪い演技をやめろ。見ているだけで吐き気がする」
「oh、酷いネ。これでも一緒懸命なんダヨ?」
「再度通告してやる。その気色の悪い演技をやめろ。ここはIS学園、どこの国にも属さない独立国家。貴様の命は私たちが握っていると思え」
「HAHAHA!ソレは怖いネ。確かにオレは犯罪者。君たちにはその監視が依頼されてるヨネ。but、その分超越した罰を与える事は禁止されてるはずダヨ」
チッ、と舌打ちして奥歯を噛む千冬。
確かに、犯罪者であると同時に彼は2人目の男性操縦者。その利用価値は高く、教師の気分一つで罰していいものではない。バレた場合、各国からの信用は失うだろう。
自身の利用価値を利用して、ギリギリのラインでこちらを煽る男を忌々しげに睨みつける。
「あ、あの、織斑先生……。危険もないようですし、拘束を外しては………。それに、校内を案内しておきませんと」
「…………はぁ。確かにそうですね」
このままここに拘束しておいても何の進展もない。となれば、渋々でも許可を出さなければならない。
千冬は側に控えていた更識に合図を送り、受け取っていた錠の鍵を渡す。
「後の事は任せた。くれぐれも目を離すなよ」
「ええ、分かっていますとも」
楯無は笑顔でそう応え、受け取った電気機器を使い、足の錠を外す。
「さ、犯罪者くん。これから校内を案内するから私について来てちょうだい」
「手枷は外してくれないのカナ?」
「歩くだけだもの。必要ないでしょ。それに、両手までフリーにしたら何されるかわかったものじゃないもの」
「手厳しいネ」
特に反論することなく2人は校内へと足を進める。
その後ろ姿を見ながら千冬はまた面倒ごとが増えたとため息を吐いた。
「で、ここが第4アリーナ。アリーナは複数あるから、迷わないようにね」
校内のいくつかの施設を周り、最後に案内されたのは第4アリーナ。
主にISによる模擬戦が行われる場所である。
今回は校内で業者を雇っての大掃除があると偽情報を流し全生徒を校外に出しており、他の生徒とすれ違うようなことは起きていない。
男の素性を知っているのは一部の人間だけだ。何も知らない生徒が物珍しさで近寄り人質に、など避けなければならなかった。
そんな事を他所に、男はここまで案内された施設を頭の中で反芻しながら心の中で感想を零す。さすがはIS学園というべきか、至れり尽せたりの環境である。最先端の技術が満載のアリーナの中央にて男に背を向けながら楯無は説明を続ける。
隙だらけの背中だ、と男は説明を聞きながら様子を伺う。
両手が自由であれば、背中から襲い逃走することも可能だろう。
いや、首枷がある限り不可能か、と考えたあたりで楯無がこちらを振り向く。
「あら、私の背中に何かついてる?」
「イヤイヤ、なにもダヨ」
にこりと笑みを浮かべてそう返せば、楯無は何かを訝しむようにこちらを覗く。
端正な顔立ちだ。その手の愛好家に売ればいくらほどの値がつくだろう、と頭の隅で皮算用していれば、楯無が口を開く。
「うーん、やっぱり聴き慣れないわねぇ」
「オヤ、なにがだイ?」
「その日本語よ」
「ショーがないヨ。日本語、難しいネ」
「取り繕うのやめたら?」
「なにヲ?」
「とぼけなくてもいいわ。お家柄、そういうのには敏感なんだから」
にこり、と楯無も笑うが、いかんせん目が笑っていない。この場に他の生徒がいれば何事かと戸惑うことは間違いないだろう。
しばらく笑顔の二人が対峙して、そして折れたように男が声を上げる。
「交換条件次第ダヨ」
「…………いいわ。内容次第だけど」
「ナラ、ISの使い方をレクチャーして欲しいナ」
男の提案に少し考える楯無。
本国から既に、ISを扱えるよう指導する命令は受けている。これは2人目となる男性操縦者が無様をさらし、他国から見縊られないためにだ。
ISをいくら扱えるようになろうと、所詮は首輪に繋がれた犬。粗相をすれば処分は容易いと本国は考えているのだ。
楯無本人としてもその命令を遂行しようとしていたし、万が一爆弾が作動せずに逃げられるようなことになったとしても対処はできると考えていた。
しかし、だ。
爆弾付きのISを自ら使いたいと申し出る男に、楯無は警戒する。
何か裏があるのではないのか、と疑惑さえ浮かぶ。
この要求を突っぱねて交換条件を無かったことにするのは容易い。所詮は個人的な内容だ。だが、訓練を行わないことは本国の命令に逆らうことにも繋がる。その場合のリスクを天秤にかけ、楯無は心の中でため息を溢す。
「わかったわ。けど、敵対行動に移った瞬間はわかってるわね?」
「HAHAHA!勿論だヨ」
繋がったままの両手を首に当て、そのまま横にスライドする。まるでどうってことないとでも言うように、不敵に笑っていた。
「死ぬ覚悟はできてるってことかしら?」
「まさカ。死にたくナイから命令に従うヨ」
「よろしい。じゃあまずはISを起動してもらおうかしら。声帯認証されてるから、起動と唱えればいいわ」
「OK。Ahh………起動」
両手の拘束が外され、男がそう唱えれば、瞬時にISがその身に展開される。
展開されたISは一対の大型スラスターと一対の小型スラスター。尾部に蜥蜴のような尻尾に加え、鉤爪のように尖る両手足。各種装甲は鱗のように波打ち、陽に照らされた漆黒がより一層煌めいていた。
専用ISトゥガーリン=ズメエヴィチ
竜の子の名を冠するに相応しい姿形であった。
地面から少し浮くという初めての浮遊感に戸惑いの表情を浮かべ、そして何事もないことがわかると息を大きく吐く。
「展開できたようね」
対する楯無も専用機ミステリアス・レイディを展開していた。
熟練の操縦者は念じただけで即展開できると事前に行われた睡眠学習で知ってはいたが同じISでもこうも違うのか、と思いつつ男は言葉を紡ぐ。
「まぁネ。次はどうすればいいのカナ?」
「まずは少し移動してみましょうか。前へ後ろへ、右左。最初は前に進めるだけ上出来よ」
思わずバカにしてるのか、といいそうになるが、それを堪える。師事を乞うたのは自身だ。文句はいうまい。
普段歩くように、足を前に出してーーーそして予想外のスラスターの出力で前転を繰り返す。壁にぶつかるまで転がり、逆さになって何が起こったのかわからず目を見開く。
「やっぱり。初心者にはよくあるのよ」
「………先に言ってヨ」
「織斑一夏くんは最低限の起動だけでイギリスの代表候補生相手にいい線いったって聞いたから、男性操縦者はみんなそうなのかなって」
「なにソレ。とんだバケモノだネ」
少なくとも今日一日乗り回したところで対戦、それも国家代表候補生に選ばれるエリートと戦うなどできる気がしない。
ISを起動しただけの凡人だと思っていたが、どうやら違うようだ。間違いなく、ISに関するものは自身より上だと認め、ゆっくりと立ち上がる。
「まずは補助機能に頼りながら感覚を覚えていったほうがいいわね」
「わかったヨ」
「あら、やけに素直。もっと反発すると思ってたのに」
「無様を晒したくはナイからネ」
そう言い返して、男は補助機能を駆使しながらまた移動訓練を再開するのであった。
(…………厄介ね)
訓練を始めて幾ばくか。
はじめはゴツいという印象のISは最適化と一次移行を終えていた。竜の子を意味するドゥガーリン=ズメエヴィチだったが、その姿は現在蛇のようなしなやかなフォルムへと変わり、竜というよりは蜥蜴のように見える。
しかし、同時に彼らしいとも思える。
彼の通り名は蛇。
手足の違いはあるものの、やはりそこら辺も機体に反映されているのだろう。
その彼は指導し始めてからすでに補助機能に頼らずに訓練している。
確かにセンスがよければ補助機能の使用はすぐに無くなるだろう。だが、移動も満足にできなかった人間がこの短時間でそこに至れるかといえばNOである。
しかし、目の前で男はそれをやってみせ、いまだ拙いとはいえ飛行しているのだ。
今はまだ抑え切れるかもしれない。だが、このまま成長を続ければISを使って逃走することも可能だろう。仮にそうなった時、爆破処理されるとはいえそのタイムラグの間にどのような被害が出るか、楯無は想像したくなかった。
「hey、更識」
男の声で嫌な想像から連れ戻され、何事もないように言葉を返す。
「どうしたのかしら?」
「武器の使用はどうするのカナ?使ってみたいヨ」
「アリーナはIS装甲が使われてるから逃げられないわよ?」
「わかってるヨ。純粋に使ってみたいンダ」
「そう。武器の名前をコールすれば出てくるわ。慣れたら念じるだけでISが展開してくれるのよ」
「oh、それは便利ネ。エーット………あったヨ。“スヴェントヴィト”」
男の手に光の粒子が集まり展開されたのはスナイパーライフル。状況に応じて形状を変える多機能性変形銃である。
試しに頭の中で形状を思い浮かべてみればライフルから拳銃に、拳銃からマシンガンに、マシンガンから果てはミサイルへとその姿を変えていく。
「ヘェ、いいネ、コレ。他の武器は……」
「お楽しみのとこ悪いけど、もう終わりよ」
時刻は夕暮れ前とはいえ、このまま寮に案内することを考えれば時間的にはちょうどいいだろう。
他生徒と鉢合わせさせたくない、という気持ちもあるのだが。
少し不服そうな表情をすると、ため息をついてISを解除する。
同じくISを解除した楯無はいつの間にか取り出した扇子を口元に当てて開く。そこには「取引」の2文字。
「さて、さわりだけとは言えISの操縦を教えたわ。交渉内容は覚えてるわよね?」
「HAHAHA!ベッドの上でナラいくらでも」
「ふざけてるのかしら?」
「ちょっとしたジョークヨ。フム……」
男が少し喉を鳴らし、閉じた目を開いて更識を見据える。
先ほどまで更識が感じていた胡散臭さは消え去り、同時にその瞳から温度が消える。
冷徹で、凍えるような、少しの感情も込められていない、残忍な瞳。
「ハッ!これで満足か、お嬢さん?」
言葉も先ほどと違い流暢だ。
表面上は不適に笑いつつ、やはり猫をかぶっていたかと更識は警戒を強める。
「えぇ。そっちの方がらしいわよ」
「お褒めに預かり光栄だよ、son of a bitch」
「あら、酷い言い草。それより、なんであんな演技を?」
「バカを演じた方が相手が油断すンだろ」
「狂人の間違いでしょ?」
「バカも狂人も、トチ狂ってることにゃ違いねェ」
そう言って両手を差し出す男に、楯無は即座に手錠をつける。
首輪があるとはいえ、こうもすんなりと拘束されることに警戒しながら。
「やっぱり狂人じゃない」
「でなきゃ殺しなンざやってねェよ」
「そう、十分に気をつけることにするわ。じゃあ、他の生徒が帰って来ちゃう前に戻りましょう。あなたのことをいちいち説明するのも面倒だもの」
「オーライ。お嬢様の言う通りに」
そのまま男が案内されたのは一年生寮の一室。監視下に置くために部屋は織斑千冬が寝泊りする宿直室の隣だ。
「そンで、てめぇも同室か」
「不満かしら?」
「特別待遇すぎて言葉もでねェよ」
皮肉を返しても揺らぐことのない楯無の表情にイラつきながら、ベッドに腰掛ける。
部屋にはいくつか段ボールが積まれているが、殆どが楯無の私物。男の持ち物は必要最低限の生活用品だけが提供されており、持ち物といえばそれだけだ。
「さて、まずは荷解きしなくちゃね。当然、手伝ってくれるでしょう?」
「随分信用してくれてるンだな。オレがてめぇのモン盗んで寝首掻くとは思わねェのか?」
「信用はしてないわ。でも、そんなことしても意味がないってことはわかるでしょう?これは確信よ」
チッ、と舌打ちしてこちらを見据える楯無から視線を逸らす。
ここで騒ぎを起こしても爆破されるだけだとは理解しているからだ。
手錠の電子ロックが解除され、男は渋々と荷解きを手伝う。
「そういえば、政府からの任務はどうするの?」
荷解きの最中、衣服類を片付けた楯無がそんな事を尋ねる。
小物を幾つか机の上に並べながら男は答えた。
「同じ男同士だ。頭の先から足の爪の先までデータを取るにャ時間は十分ある」
ただでさえ肩身の狭い空間だ。必然と男同士になることはあるだろうし、そうでなくても積極的に絡みに行けばいい。そう告げれば、楯無から意外な一言が返ってきた。
「言ってなかったかしら?あなたと同じタイミングでフランスから男性操縦者が来るわよ」
「…………………………………………………………………は?」
たっぷり5拍溜めて、男は間の抜けた声をあげていた。